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18歳で骨肉腫 ~ステージ4からの復活~

骨肉腫を乗り越えて回復に至るまでの道のり。

 

お正月に棚を大掃除していたら、

中学の時にお世話になった保健の先生からの手紙が出てきた。

 

 

この手紙をくれた先生とは

中学3年の頃に、よく保健室で相談に乗ってもらっていて親しくなった。

たまたま、兄の部活の副顧問をしていたのもあって、

いろんな話をしやすかった。

 

私は中学の半分はいじめられていた。

友達はいるんだけど、その他の攻撃してくる人が沢山いた。

大人数や輪の中に入れない感じの子だった。

よく友達に、仲良くなりはじめの頃、

「もっとおとなしい人かと思った」と言われた。

人に対してオープンになるというか、心を開くまでが長い。

私は鈍感な方で、「悪口を言ってくる人は声が大きいね」と友達に話したら、

「結構鈍感やね、わざと聞かせとるんやよ」

という言葉が今でも忘れられない。

 

大体いつもこんな感じで、群れて悪口を言われるタイプのいじめを受けていた。

直接的な暴力とか物を隠すとかはなかったけど、

ハブられたり、からかってきたり、好き勝手言われたりしていた。

学生時代は、なんかそれが普通だった。

 

当然、心は荒んでいた。

なんとか学校に行かせようとする親や先生の言うことも聞かず。

何かに反発するように2週間学校に行かなかったり。

「学校に行ってもまた嫌な目にあうし」という思い込みが強かった。

 

今思うことが、自分に余裕がないと人の優しさにも気付けない。

見守っていてくれる人や、手を差し伸べてくれる人がいても、

自分がそれに気付く余裕がないというか、

それどころじゃない・そんな状態じゃないと、

結局、手を差し伸べてもらっても

あまり効果が無いことになるのではないかと思う。

 

「無理して強くならなくていいよ」が、

一番この手紙の中で好きな言葉で、何年ぶりかに手紙を読んでジーンと来たし、

今の自分にもあてはまる言葉だなと思う。

 

普通の人の歩き方と、私の場合の歩き方の違いを絵にしてみた。

ポイントは膝の曲がり具合と、

かかとから地面につくか、つま先から地面につくかだ。

 

私も正直、手術して歩きにくくなるまで、

歩き方なんて気にしたことが無かったし、

歩けることが普通のことじゃないんだと分かった。

 

歩くことが難しくなって、人の歩き方をよく観察するようになった。

すると、私の歩き方は一言で言うと「棒歩き」て感じだ。

腫瘍があった膝小僧の上は、手術した後へこんで筋肉がつかない。

腫瘍の周りの筋肉も一緒に手術で取って、筋肉が無いと

そこに体重をかけるとガクッと体勢が崩れそうになる。

 

普通の人は足を曲げた状態で歩いて、かかとから地面につく歩き方だ。

私は足を曲げた状態が困難なため、

いろいろ出来ないことが多いんだと思う。

走ったり、階段を上ったり、ジャンプしたり。

 

主治医にそのことを相談したら

「まぁ、腫瘍の周りの筋肉も取っているから、

あとはどれだけ周りの筋肉がカバーするか」

とのこと。

 

周りからは「人工関節入れただけでしょ?」とよく言われた。

その言葉の意味は、もっと回復するはずということだと思う。

もっとお年寄りで人工関節の人もいるが、

スタスタと普通に歩いている。

 

私の憶測ですが、

骨肉腫=骨に腫瘍ができて人工関節にした人と、ガンではなく人工関節にした人では

同じ人工関節でも違いがあると思う。

 

個人差で回復に違いはありますが、私の場合、

腫瘍の周りの筋肉を取り、おまけに抗がん剤の副作用による足のしびれで

機能回復は芳しくなかった。

 

同じ骨肉腫で足に人工関節を入れた人でも

走ったり出来る人は出来る。

 

 

 

 

審美眼・・・美を的確に見極める能力

 

最初に「審美眼」という言葉を知ったのは、

病気がわかる前(わかる直前)、

大学病院に行くことになったとK先生に報告した時だった。

 

さすがのK先生も第一声は

「なーんでそんなことになるいや」と言っていた。

しかし二言目には

「せっかくの機会だから審美眼を鍛えてこい」

とおっしゃった。

今振り返っても、「これから入院するかも」と言ったときに

「審美眼を鍛えてこい」と言う人は、K先生ぐらいやろうなと

感慨しく思う。

 

 

先生が言う審美眼は、

物事の本質を見極めるという意味で

これから自分が関わる人や、選ぶ物を見極めるといったことらしい。

入院したらたくさんの人を見るだろうからと。

 

退院して一年ぐらいでそれが出来てきたというか、

身に付いた気がする。

なんか話している内容とか他の人との接し方もそうだけど、

一番は自分の感覚で分かる。

「この人だ」とか「この人じゃない」と識別できるようになった。

 

なんか話していても

テキトーに受け答えする人やなと思う人もいれば、

めっちゃ親身になってくれるなって人もいる。

やっぱり後者とは深く付き合える。