18歳で骨肉腫 ~ステージ4からの復活~ -3ページ目

18歳で骨肉腫 ~ステージ4からの復活~

骨肉腫を乗り越えて回復に至るまでの道のり。

生という限られた

間の中でたったの

度でもあなたに出

えて良かった

 

一期一会という言葉が好きだ。

「人は出会いと別れを繰り返すから、今一緒にいる時間を、

大切にする」という意味だと、自分の中ではそう思っている。

 

私は別れが悲しいという概念がよく分からない。

寂しい気持ちはあるけど、立ち直れないことはない気がする。

時間が解決すると思うし、その人がいないことが慣れてくるというか、

普通になる日が来るだろう。

誰だっていつかは別れがあるから、それが早いか遅いかだけだ。

 

去年の末に、家族以外で今まで一番身近にいた人とのお別れがあった。

その人はリハビリの先生なのだけど、自分の中ではすごく心を開けて、

家族のような感覚でいた(勝手に)。

がん経験者というのもあるからか、なんでも話せたし、

ラインしたり、自分が以前働いていた図書館のカフェにも顔を出してくれたり、

理学療法士と患者という関係なのだけど、

その関係を気にしない、人としての付き合いをしていたと思う。

 

特別な関係を持ちたいと思ったことは無いけど、

リハビリを卒業しても、なんとなくの関係が続いていくんだろうと思っていた。

 

「人として、これからも相談を受けたりしたいのが本音だけど、

僕はやっぱり病院の職員です。連絡取り合っているのが僕のわがままというか

無責任な行動なんだけど、それも今回リハビリを終えて検査結果の異常が

無かったことを区切りにするべきだと思います」とはっきりラインで言われた。

 

なんか、いきなりすぎて泣いてしまった。

自分でも世間一般では良くないと分かっていたけど、

それが急にきて予想外の涙が出た。

相手の顔を見て話してないし、直接声を聞いてないから

どういう気持ちかは分からないけど、「もう終わりなんだ」ということだけよく分かった。

誰にでもすごく優しい人だったから、自分の本心じゃないことでも

相手に合わせていたのかなと回想してみたりしたけど、

今となっては何がどこまでが本当の気持ちなのか分からない。

確かめる術もない。

 

それにこんなに律儀な別れ方をされたのが初めてだった。

今まで友達でも、自然消滅とかラインブロックされたりして

離れていくことが多かったから、今までにない別れ方だった。

 

たぶん、ハッキリ告げたほうがいいと思ってのことだけど、

自分の中で衝撃が大きかった。

でも、すがる理由もなくさよならをした。

無くしたり失うわけじゃなく、元の場所に戻るだけだったから。

 

急に扉を閉ざされてしまうと戸惑うのですが、

名残惜しい気持ちを抱えながらも、

私はまた新しい人と出会っていくんだなと思った出来事だった。

離れていくことを悲観するより、出会えたことにありがとうと感謝しよう。

 

別れは突然にくるから

出会った人や周りにいる人を大事にしたいし、

思っていても、行動に移せていなかったら意味が無いと思う。

 

 

 

 

出来る人は何でも出来るし、出来ない人は何も出来ない。

 

やる人はやるし、やらない人はいつまで経ってもやらない。

やらない、出来ない言い訳をずっとしている。

 

するか、しないか、ただそれだけの単純なこと。

 

高齢でも、遅すぎることなんて無いといって

年齢を言い訳にしない人は、なんにでも挑戦しているし、人生を謳歌している。

すごく若さを感じる。

 

前向きな人は、よく、

「やってみないと分からない、やってみてダメだったらやめる」

と言う。

 

私もなりたい、そういう人に。

 

昔(高2の冬から高3まで)の手帳が出てきた。

↑前にブログで書いた、友達にドン引きされたニーチェの言葉メモ書き

 

なかなか良いこと書いてあると思う。

病気になる前と、なった後じゃ捉え方は大幅に違ってくるけど。

 

その当時書き残した物を見るのが好き。

好きな歌詞とか借りた本とか何を買ったとか。

「こんなこと思っとたんや」とか「こんなことに悩んだな」と

過去の自分を俯瞰して見る。

もっと言えば生きた証だ。

絶え間なく過ぎていく日々で自分が何を残したか、みたいな。

このブログもそんな意味があるのかもしれない。

 

私がどんな人とか、どんな気持ちや考えで生きているかなんて、

誰に影響するわけじゃない。

良い人でも悪い人でも、どうでもいいだろう。

一緒に生活する家族は少しは影響すると思うけど、

基本何を考えていても、どうでもいいことだしなぁと思う。

だからこそ、自分が一番自分の理解者でありたい。

 

いじめられていたトラウマか何か分からないけど、いじめる人が居なくなっても、

自然と自己否定してしまっていて、今でもちょっと抜けて無い部分がある。

でしゃばらないでおこうと装ってしまう。

もう文句を言ってくる人は居ないのに、似合わない、そんなキャラじゃないとか、

自分の頭の中で否定的な言葉が出てくる。

 

トラウマかなと思うものは、

高校2年生の時、今までで一番悪質ないじめを受けていて、

修学旅行中のとき、飛行機の椅子を後ろから蹴られたり(女子に)。

体育の授業中にKYな教師が、家のデリケートな母との問題を

みんなが聞こえるような声で「お母さんとの関係がうまくいかないのは~」と

迷惑なアドバイスをされ、その後のお昼時間に、

ご飯を食べている時でも、友達に「弁当自分で作ってん」と話したら、

それを監視していた群れグループに「お母さんに捨てられてんろ」と言われたり。

 

なかなかだなと思う。

攻撃した覚えの無い人(むしろ良い人を演じていたつもりのクラスの不特定多数)に

手のひら返しのごとく、この仕打ち。

ボスグループに目をつけられると、周りも動くからヤバい。

前期ぐらいのテストで学校を休みがちなのに、

クラス1位を取ったそこからすべての歯車は回りだしたのかもしれない。

ほんの些細なことがいじめに繋がる。

保護者懇談の時も担任から「ちょっとの差やけど休んでいながら1位なんですよ」

と言われたらしい。

どんだけ勉強しないクラスなんだよと思ったし、

「勉強しない→学校来ても暇→いじめ」という感じなのかも。

 

結局ママ友とか近所問題とか

悪口言ってくる人は大抵暇なんだろうな~と学んだ。