昔(高2の冬から高3まで)の手帳が出てきた。
↑前にブログで書いた、友達にドン引きされたニーチェの言葉メモ書き
なかなか良いこと書いてあると思う。
病気になる前と、なった後じゃ捉え方は大幅に違ってくるけど。
その当時書き残した物を見るのが好き。
好きな歌詞とか借りた本とか何を買ったとか。
「こんなこと思っとたんや」とか「こんなことに悩んだな」と
過去の自分を俯瞰して見る。
もっと言えば生きた証だ。
絶え間なく過ぎていく日々で自分が何を残したか、みたいな。
このブログもそんな意味があるのかもしれない。
私がどんな人とか、どんな気持ちや考えで生きているかなんて、
誰に影響するわけじゃない。
良い人でも悪い人でも、どうでもいいだろう。
一緒に生活する家族は少しは影響すると思うけど、
基本何を考えていても、どうでもいいことだしなぁと思う。
だからこそ、自分が一番自分の理解者でありたい。
いじめられていたトラウマか何か分からないけど、いじめる人が居なくなっても、
自然と自己否定してしまっていて、今でもちょっと抜けて無い部分がある。
でしゃばらないでおこうと装ってしまう。
もう文句を言ってくる人は居ないのに、似合わない、そんなキャラじゃないとか、
自分の頭の中で否定的な言葉が出てくる。
トラウマかなと思うものは、
高校2年生の時、今までで一番悪質ないじめを受けていて、
修学旅行中のとき、飛行機の椅子を後ろから蹴られたり(女子に)。
体育の授業中にKYな教師が、家のデリケートな母との問題を
みんなが聞こえるような声で「お母さんとの関係がうまくいかないのは~」と
迷惑なアドバイスをされ、その後のお昼時間に、
ご飯を食べている時でも、友達に「弁当自分で作ってん」と話したら、
それを監視していた群れグループに「お母さんに捨てられてんろ」と言われたり。
なかなかだなと思う。
攻撃した覚えの無い人(むしろ良い人を演じていたつもりのクラスの不特定多数)に
手のひら返しのごとく、この仕打ち。
ボスグループに目をつけられると、周りも動くからヤバい。
前期ぐらいのテストで学校を休みがちなのに、
クラス1位を取ったそこからすべての歯車は回りだしたのかもしれない。
ほんの些細なことがいじめに繋がる。
保護者懇談の時も担任から「ちょっとの差やけど休んでいながら1位なんですよ」
と言われたらしい。
どんだけ勉強しないクラスなんだよと思ったし、
「勉強しない→学校来ても暇→いじめ」という感じなのかも。
結局ママ友とか近所問題とか
悪口言ってくる人は大抵暇なんだろうな~と学んだ。