♡初めての方は
 
先日、ネットでも取り上げられていました、大晦日に放送された「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで」で放送された内容で、ベッキーが昨年不倫をしたということで、その禊のためにタイキックを受けるという内容がありました。
この動画はYouTubeでも上がっていますが、ベッキー自身驚いて、怖がって逃げ惑っていました。
 
以下ネットからの抜粋です。
 
ダウンタウンの浜田らが「動いたら危ない」と押さえ込み、半ば無理強いという形で、タイ式キックボクサーの女性の強烈な回し蹴りを、腰に受けることになりました。
蹴られてすぐに、ベッキーは崩れ落ち「痛い、重い」と苦しみ、しばらく立ち上がることができませんでした。
ようやく立ち上がった後も、呆然とした表情でした。
一方ダウンタウンや、その場にいた芸人たちは、ゲラゲラと大笑いしていました。
 
 
この内容に対して、かなり批判が殺到しました。
私も見ましたが、とても嫌な気分になりました。
本人は嫌がっているのに、テーブルに手をつかせて、プロのキックボクサーに蹴りを入れるシーンは、まるでイジメのようにも見えます。
「この企画自体が、醜悪であるし、不謹慎極まりない」と批判が上がっていました。
これ自体、子供たちが見ても、イジメのようで、蹴られて痛い思いをした人に対して、笑っているというのが、とても不愉快になります。
しかも相手は女性で、お尻や腰のあたりは、強く打つと、骨盤や尾てい骨、仙骨などもあり、強く打つと危ない場所でもあります。
今のお笑いは、笑いを取るためなら、何をやってもいいという風習もありますが、お笑いとは程遠く、笑えなく、嫌な気持ちになります。
ベッキーに対して、不倫したことの禊だからと言った時に、ベッキー本人は「自分自身はもうスッキリしているので」と、過去の事を、また持ち出すのも良い感じを受けませんでした。
 
ネットの中に、こういった文章も載っていました。
以下、ネットの抜粋です。
 
 「ベッキーにタイキック」の問題としては、彼女への暴力を正当化する口実として、不倫騒動を起こしたベッキーへの私刑として行われた、ということも指摘しておくべきだろう。番組中では「禊ぎ」という言葉が使われたが、禊ぎとは本来、神事の前に沐浴して心身を清める宗教的儀式のことである。つまり、「禊ぎ」が自ら身を清める主体的な行動であるのに対して、ベッキーを男性芸人達が取り囲んで、タイ式キックボクサーに蹴らせるというものは「私刑(リンチ)」に他ならない。だが、法律によって刑を執行する刑務官以外の一般人が「刑罰」と称して他人に危害を加える私刑は厳しく禁じられる行為である。
 
と載っていました。
未だに不倫の話も持ち出して、不倫したことに対しての禊だと言いますが、それを主催しているダウンタウンの浜田も浮気をして、写真も撮られ、本人も認めることがありました。
 
いつも思うのですが、女性のタレントは、ベッキーの時もそうですが、CMや番組を降板して、たくさんのお金も支払っています。
斉藤由貴の時も、番組降板などありました。
しかし、ダウンタウンの浜田は、大した影響もなく、通常通り番組をやっています。
笑点に出ている三遊亭円楽や、桂文枝なども、20年以上も不倫をしていました。
しかし、通常通り番組をしています。
オリエンタルラジオの中田敦彦が、生放送でベッキーの不倫に対して、相当ベッキーのことを叩いていましたが、同じように大御所の浜ちゃんや、桂文枝などに対しては、全く触れていません。
立場が弱い人にだけ言うのは、ある意味卑怯だなと思いました。
 
今回「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで」の同じ番組の中で、浜ちゃんが顔を黒く塗って登場したところ、
以下、ネットの抜粋です。
 
米俳優エディ・マーフィに扮した浜田が、顔を黒くメークして登場したところ、アフリカ系米国人コラムニストのバイエ・マクニール氏が問題視。一気に海外に流れました。

海外事情に詳しい関係者は「英BBCは『ブラックフェースは、きわめて侮辱的』と報じています。また、米ニューヨーク・タイムズも『人種差別だ』『容認できない』という声を紹介していますね。浜田さんに差別的な意図はなかったにしても、黒人差別はデリケートな問題。ネットが発達した今、慎重であるべきでした」と指摘する。

 
こういったことも、単なるお笑いだからと済ませれないと思います。
この件に関して、賛否両論あります。
別にいいじゃないかとか、こんなことでムキになってとか、いかにも、こういうことは良くないという人に対して、一見上から目線で、こんなことくらいで何をざわついてるの、みたいな意見もあります。
 
 
人の意見は、それぞれの価値観なので、否定はもちろんできません。
ただこのブログは、私が書いているブログなので、私の思いを伝えるべきだと思います。
そして、決してこれは自意識過剰や、過言ではなく、私がわざわざ一つの出来事をブログにあげるということは、神様からの人としての品格や、思いやりなどを大切にしなくてはいけないというメッセージだと思います。
なぜなら、先日あげたブログに全て通じます。
神が伝えるメッセージは、言うまでもありませんが、いつも完璧です。
 
 
ガキ使の中で、ケツバットと言って、お尻を叩かれるシーンが良く登場しますが、あれも見ていて楽しくもなく、そのシーンを見て「わー、面白い」とかならないです。
笑いの本質とは、ズレているように思います。
以前、加藤浩次がお笑い番組でAKB48のまゆゆの頭を、足で踏んづけるシーンがありました。
あれはファンはもちろん、当事者の親も見ていて、とても嫌な気持ちになると思います。
全く関係のない私が見ていても、若い女性の頭や顔を、足で踏むシーンは、嫌な気持ちになります。
お笑いだから、過激なことをやって、視聴率を取るとか、何をやっても許されるという、今の状況は、とても不愉快になります。
 
ダチョウ倶楽部の男同士がキスするのも、ネタで毎回やっていますが、全く面白くないです。
周りが「わぁー」とか「きゃー」とか言うのも、ある意味「えー」と引く感じも含めて盛り上がっているのに、当事者たちは自分たちのネタが盛り上がっている、受けていると思うのでしょうか?
おじさん同士、男同士がキスするシーンを見ても、「わー楽しい」とか「面白い」とか「もっとやって」とかはなりません。
逆に笑うより、どこか引くというか、プロのお笑い芸人なら、もっと人ができないことで笑いを取れないものかなと思ったりします。
 
ネットで一つの意見を言うと、その人に対して、攻撃をしたり、馬鹿にしたりする意見が出たりもあります。
ネット社会で、そういった内容で、若者たちは自殺まで追い込まれる人たちもいます。
 
ずっと述べてきたことは、ある意味前置きですが、私が良くないなと思ったのは、ネットで「ガキの使い」での中のベッキーに対してのタイキックの批判が、あまりにもひどくなって、その後のベッキーの発言です。
言わされているのもあるのですが、ベッキーは「ガキの使いに出させてもらって、感謝している」とか「有り難かった」とか発言しています。
逆に、この言葉は自分で自分を落とします。
一度はテレビで引っ張りだこで、CMや番組などでも多数出演して、ベッキーを見ない日はないというくらい、本当にテレビに出ている時期がありました。
その後全く出れなくなり、今はとにかく、どんな番組でも出たいという思いがあると思いますが「ガキの使い」の番組の関係者に対して媚びているというのが、意識でみてもわかります。
そして番組サイドも、事を大きくしたくないため、一見被害者的になっているベッキーに対して、その当事者である本人が、例えばタイキックをされたことが悲しかったとか、辛かったとか、苦しかったとか発言すれば、より大きな問題になりがちですが、いかにも周りがどれだけ批判しようとも、当の本人のベッキーが、逆に「私は「ガキの使い」の番組に対して感謝している」とか「有難い」といってしまうと、批判して騒いでいる方が馬鹿みたいに見えます。
番組側は「批判しているけど、当の本人が「ありがとうございます、感謝しています」と言っていますけど」となれば、批判する方も何も言えなくなってしまいます。
ベッキー自身も、すぐに発言したわけではなく、番組に対して、かなりの批判がきて、大変な状況になった後での発言です。
こういう風に言うように、アドバイスしている存在もわかります。
そうしないと今後番組に呼んでもらえないという、恐れもあるからです。
 
 
ここまで私が一生懸命言うのは、先日のブログで、神からのメッセージに繋がるのですが、
 
「自分自身にされて、やはり傷ついたり、不愉快になったり、悲しい思いをしたり、辛い思いをさせるエネルギーに対しては、泣き寝入りはせずに、行動に移したいですね」
 
 
それに関わってくるのですが、ベッキー自身も、最初男性を好きになった時は、相手が独身と思った上でのスタートです。
しかも、自分のラインを盗み撮りされて、テレビに出されて、ある意味被害者です。
本当は、そこを強く言うべきです。
ただ、周りや芸能界という状況を気にして、自分自身を抑え、言いたい事を抑えたところもあります。
結果、自分自身が本当の自分、本当の感情を抑えた分、こうやってまた馬鹿にされたり、軽く扱われるようなエネルギーを、行動として受けてしまうのです。
事実、大御所や大女優に対して、お尻にキックなどしないですよね。
要は、ベッキーだったら大丈夫。
逆に笑いが取れる。
そして痛がろうが、苦しがろうが、その状況を見ても、同情されるわけでもなく、結果笑われています。
世間という味方が、ベッキーを守ってあげたいというエネルギーを出しても、自分を落として「有難いです」ということを言ってしまうので、さらに自分を落としてしまいます。 
冷静に考えて、嫌がっているのに、蹴られて痛い思いをして、有難いということ自体、本当はおかしなことです。
 
 
例えば、仮の話ですが、ベッキーが「不倫の禊のだからって、ボクサーに蹴られて痛い思いをさせるけど、浜ちゃんに対して「あんただって奥さんも子供もいるのに不倫しているだろうが。人に言う前にお前が蹴られろ!
で、私は独身で子供もおらず、好きになった時は、相手は独身と思った。
あなたは家族がいながら、女に手を出したじゃないか。
他にも、たくさん不倫はしているし、人のプライベートのラインを持ち出して、テレビで取り上げて他人のプライベートのラインに対して、何意見言ってるんだよ。このボケが!!」と、もし言ったのならば、芸能界でたくさんの批判は受けるでしょう。
ただ自分という存在が、自分を守ったというエネルギーは、確実にあるので、自分という存在が、自分自身のエネルギーを上げるということになるでしょう。
これは、たまたまベッキーのことを通して言っているだけで、実は自分に通じるのです。
こういう仕事だから、学生だから、こういう職場だから、こういう人間関係だから、〇〇だから。
常に〇〇だから、〇〇だからと言い続けて、自分に対して恐れのエネルギーを植え付けて、本当の自分から逃げているのです。
いつも言っている、人は神から作られた、唯一無二の存在で、この世では一番自分が尊い、偉いという存在であることを無視して、自分に感謝することを忘れ、どんどん自分を落としていくのです。
そういう自分を演じていると、本人だけではなく、見ている周りの人たちも、その人自身の価値を落としていくのです。
 
 
そして、いつの時代になっても無くならないイジメ問題に対しても、いじめられた時に、辛くて悲しくて、本当は泣き叫びたいけど、グッと我慢した場合、相手はコイツは言いなりになると思って、また輪をかけてエスカレートしていきます。
例えば、いじめられた時に、相手に演技でも包丁を突き刺して「これ以上したら刺し殺すぞ」みたいにやり返したら、今度は相手が恐怖を思い、留まります。
これは究極な内容ですが、例として分かりやすく述べたものです。
 
 
政治の世界でも、今色々取り上げられている相撲界でも、そして、あなたの職場でも、同じ事がなされています。
 
 
そして、神のメッセージとして、〇〇だからという、恐れのエネルギーを作らないで、本当の本当の神の子の人間として、真実の心が正しいと思えば、勇気を出して、行動することです。
 
 
 
それが、あなた自身を生きるということです。
 
 
 
 
 
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