筑前国の太宰府めぐり⑤ ~太宰府天満宮・参道~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

太宰府天満宮

(だざいふてんまんぐう)の

参道です。

 

 

通りには、

梅ヶ枝餅(うめがえもち)屋が

ならんでいます。

 

こちらは

太宰府名物の

焼き餅です。

 

 

地元のひとたちは、

店によって味が違うといい

 

じぶんの好きな店を

決めたりしてます。

 

 

通常はこういう

白いお餅なのですが、

 

毎月17日は、

古代米が練り込まれた

黒いお餅が

 

毎月26日は、

ヨモギが練り込まれた

緑のお餅が

売られているそうです。

 

 

太宰府駅をおりて

すぐの参道にある

松屋さんは、

 

薩摩藩の

定宿だったといいます。

 

西郷隆盛(さいごうたかもり)や

大久保利通(おおくぼとしみち)も

訪れたというお店で

 

いまでは

喫茶店やお土産屋を

営んでいます。

 

 

またその隣の

大野屋さんは、

 

長州藩の定宿で
高杉晋作(たかすぎしんさく)も

泊まったといいます。

 

 

参道には、

そうして歴史あるお店も

たくさん並んでいるのですが、

 

なかでも目を惹くのが

スターバックスでしょう。

 

太宰府天満宮の

参道にあるスタバは、

 

新国立競技場も手掛ける

建築家の

隈研吾(くまけんご)が

デザインしたといい、

 

店そのものが

作品になっています。

 

 

東西をつらぬく

400メートルほどの

参道は、

 

延壽王院(えんじゅおういん)

へ行き当たります。

 

 

延壽王院は、

安楽寺(あんらくじ)天満宮の

宿坊だったといいます。

 

安楽寺天満宮とは、

太宰府天満宮の旧名であり

神仏分離以前の名称です。

 

現在は、

宮司であり、

菅原道真(すがわらみちざね)

子孫でもある

 

西高辻(にしたかつじ)家の

邸宅になっているようです。

 

こちらの建物にも、

幕末維新の折には

 

伊藤博文(いとうひろぶみ)や

坂本龍馬(さかもとりょうま)をはじめ

大変な方々に

所縁があるようです。

 

 

御神牛(ごしんぎゅう)という

撫牛(なでうし)です。

 

じぶんの身体の

悪い部分を撫でると

良くなるといわれています。

 

たいていみなさん

頭を撫でてゆかれるので

頭の部分がてかっています。

 

 

天満宮では

牛が神使となっています。

 

道真公は

牛にゆかりがあり、

 

生まれたのも、

乙丑(きのとうし)の年で、

 

亡くなったのも、

丑の日だったといいます。

 

さらに刺客から

牛が守ってくれたといいますし、

 

死の際に、

榎社(えのきしゃ)から

遺体を運んだのも

牛でした。

 

 

宝満山のふもとに

埋葬する予定でしたが、

この地にて牛が伏して

動かなくなったので、

 

これも神意に

違いないと、

 

この地に霊廟として

安楽寺天満宮を

築いたのが、

 

太宰府天満宮の

はじまりだといいます。

 

 

さて、

この延壽王院から、

参道は

北に曲がります。

 

こちらの鳥居は、

中世の石鳥居ともいい、

九州最古だともいうようです。

 

 

鳥居の向こうには、

心字池(しんじいけ)があり

太鼓橋がかかっています。

 

 

「心」という字に

似せてつくった池には

 

3つの橋があり、

それぞれ

過去・現在・未来を

あらわしていて、

 

橋を渡ることで

邪念を祓うのだそうです。

 

 

橋をわたった中島には

今王社(いまおうしゃ)が

ありました。

 

 

こちらはかつて、

藩主の代参者たちが、

参詣の途中で

穢れにあうと、


ここに弊物を捧げて

帰るのが

通例だったといいます。

 

 

さらに橋を

もうひとつ渡ると

志賀社(しがしゃ)がありました。

 

 

綿津見(わだつみ)3神を

祀る神社だといいます。

 

この社殿は、

太宰府天満宮のなかでも

もっとも古いといいます。

 

 

志賀といえば、

ここより北西にある

博多湾につきでた島を

志賀島(しかのしま)といい、

 

イザナギが禊した

シガ海のことであり、

 

この地で、

シマツヒコ、オキツヒコ、シガを産んだ

(長を任命した)ことが、

 

綿津見3神へと変化した

ともいうようです。

 

では、

3つ目の橋をわたって、

向こう岸までいってみましょう。

 

 

巨木にはさまれた

参道のおくに、

楼門が見えてきました。

 

橋のたもとには、

保食社(うけもちしゃ)が

あります。

 

 

まだ真新しい社ですね。

建て替えられたようです。


お稲荷さまとも混同される、

五穀豊穣の神様です。


 

こちらは道真公の

奥さまである

宣来子(のぶきこ)さまをまつる

楓社(かえでしゃ)です。

 

そのお隣には、

柿本人麻呂

(かきのもとのひろまろ)を祀る

お社がありました。

 

 

歌聖ともいわれる

人麻呂は、

 

大宰府の長官を務めた

大伴旅人らと

同時代人であったそうです。

 

また大伴家は、

菅原道真の母方の家系

といいますから、

 

道真さまには

元来の歌詠みの血が

流れていたのでしょう。

 

さて、次回は

本殿へと向かいます。

 

 

 

筑前国の太宰府めぐり⑥ へ つづく

 

 

↓よければクリック

↓お願いします。


神社・お寺巡りランキング

 

 

☆太宰府めぐり全記事リスト☆

筑前国の太宰府めぐり① ~吉松宮~
筑前国の太宰府めぐり② ~政庁跡と令和~
筑前国の太宰府めぐり③ ~榎社と道真公~
筑前国の太宰府めぐり④ ~観世音寺と日吉神社~
筑前国の太宰府めぐり⑤ ~太宰府天満宮・参道~
筑前国の太宰府めぐり⑥ ~太宰府天満宮・本殿~
筑前国の太宰府めぐり⑦ ~太宰府天満宮・摂末社~
筑前国の太宰府めぐり⑧ ~天開稲荷社~
筑前国の太宰府めぐり⑨ ~鬼すべ堂と祖霊殿~
筑前国の太宰府めぐり⑩ ~石穴稲荷と磐座~
筑前国の太宰府めぐり⑪ ~まとめ~