ぴいなつの頭ん中 -3ページ目

ぴいなつの頭ん中

殻付き。そにっくなーすが言葉を地獄にかけてやる

あと5分待たないと訪問時間にならないわたしに容赦なく降る雨 駐輪場に屋根なし 間違っていると疑い続け罵声を浴びせ続けたスマートフォンの地図は文句も言わず病むこともなく黙って青い最適ルートを示している


嘘をついてお金をもらっています

多額の嘘にお金を払っています

これは単に芸術に騙されたいという美しい願望の中でのみならず

わたしの嘘は耳や唇を飾りたて、また、汚らしく垂れ流れています

苦しい時に咲くサボテンは糸が切れたらどこに行ってしまうのでしょう

真っ赤な花、解けた糸をさがしてチクチクと歩くそのさまはあわれでかわいい

消えて無くなればいいコーヒーに溶けて仕舞えば良い


青い鳥は疲弊しています

みんなのつぶやきを運ぶために

受け止めるために

いまどうしてる?と問いかけてくれたあの姿はこの小さいガラス窓からは見えてきません

青い鳥は疲弊しています

みんなのしあわせを運ぶために

さがさないでください

青い鳥はもう今はここにいなくて

青い鳥がいた形跡だけがここに留まっているということに気付いても

さがさないでください

どうか


嘘をつきますからどうかお金をください、とっておきの嘘をつきますから愛してください。あなたにとって気持ちの良い都合の良い楽しい幸せな嘘をたくさんついてみせますからどうか私の方を向いてください、シャッターをきってください、ひかりをわたしにむけてください。いなくならないでください。私がいなくなってもそこにい続けて下さい。関係ない。バラバラになっても良い。時間がない。早くわたしのからだのどこかをやぶいて中のおが屑を取り出して全部食べてしまって下さい、あなたのなめた目玉焼きはボンネットの上で長袖に汚されて愛されることを待ちつづけたまま蛋白質変性を起こしてしまっています

好きになってもさようならを言うしかない愛されることを待っているだけではダメわたしはきらいだあなたたちが動かない理由がわたしはきらいだいない人のために話される言葉がわたしはきらいだわたしを見てくれない人がわたしはきらいだありがとうがいえない人が

あなたたちに道を譲るために生まれてきたわけじゃない


技術は毎日の練習でいくらでもつけられる
歌ったり振りを練習したりすれば
笑い方、拍手やコールの促し方、そういうのはちゃんと方法があるから、教えてもらえる

でも好きになってもらうことは努力ではどうにもできない
好きは人それぞれだし感覚だから
どんなに完璧に近づけたとしても好かれるとは限らない

歌をちょっと間違えちゃったり歌詞飛んでびっくりしてるような顔を見るのがかわいくて楽しいというようなことを言っているかたがいた

失敗も前向きに捉えられる一方でわたしはますます混乱していた
人によるんだな
ほんと人によるんだ、こういうのは。

ちゃんとした歌を聞きたい人は音源で聴くと言う人もいる
大事なのはパフォーマンスだと
でもね パフォーマンスってなに?好きになってもらえるようなパフォーマンスってどんなの?
なにをしていいかどこまでしていいかがわからないの
どこまで手をのばせばいい?


いつか推されるその日まで頑張っていかなければね
なんでも面白く挑戦してみなければね
わからないことだらけだ
まだまだ
全くわからないことだらけ



アイドルになった

虹色じゃむの正規メンバーとして8/1から

ここのところ忙しすぎて8/1まで心身がもってくれ!と思っていたのでいまはなんとなくほっとしている


23月あたりにやまだださんに声をかけてもらってからサポートメンバーとしてちょこちょこライブに出ていた

45月はコロナでほとんどなんもできなかったから、6月あたりから少しずつ様子を見て再びがんばりはじめ、7月にはいっぱいライブし、レコーディングもし、本メンバー入りを果たした

コロナの中まともに活動できるかどうかわからないというのと仕事との両立ができるかどうかわからなかったので本メンバー入りはしばらく躊躇っていたのだ

コロナも猛威を奮い続ける中、突然あっけなく本メンバーになったのはレコーディングにつられたからという説もある

誰かが作った曲で歌ってCDを出してみるのが夢だったのだ

自分の歌声がCDになるのが夢だったのだ


主治医からは止められた

大丈夫なの?

あなたいつも150%の力を出してあとで疲れて動

けなくなってしまうでしょ?

最近元気ないの忙しいせいなんじゃないの?

はっきりとやめなさいと言われた時もあった


持病の顔面肩甲上腕型筋ジストロフィーのせいで腕も上がらない、足も綺麗に動かない

振り付けの際にはみんなに迷惑をかけた


失うものはあった。

家での自由時間 だらだらする時間 家事をしまくる時間 仕事の勉強の時間 読書の時間 ひとり時間 など おもに時間


でもなんとなく

人を元気にさせる稼業を見よう見まねでやっていくうちに

自分の内部が変わっていっている気がした

不思議と少し明るく前向きになってきた


もう無理だと思うことが何度かあったけどそのたびにみんなで話しているとだんだん絶望から「次どうしていこうか」がみえてくる

コロナ禍でライブできない状況を諦めずに超えられたのは他のメンバーみんなが前向きだったからだ

たぶん自分一人じゃ無理だった

無理ならやめるという人生でいろんなものを切ってきたけど諦めないで食らいつくといいこともあるんだなと思えるようになった


毎日「もう自分はダメだから死にたい」と思っていた状況から、少しずつ変わっていった

まだ死にたいと思うことはあるけど

歌っている時は幾分かラクだということにも気づいた


まだまだ感染症は油断できない

気をつけていても、いろんな場所で対策が甘いなと感じたりつい忘れてしまうみたいなことがある

なんでわたしがアイドル始めた途端に感染症流行開始なの?!?!タイミングおかしくない?!?!っていう思いもでかいけれど

変えられない不幸みたいなものを嘆くのはラクだし気持ちいいからすぐ浴してしまうけれど

せっかくいろんなものを背負いながら始めたのだし

最後まで駆け抜けていこうと思う


ステージをご覧の皆さん

これからよろしくお願いいたします


わたしがアイドルをやるなんて5年前の自分に言ったらきっと「え?!?!無理に決まっとるやん何言ってんのついに狂ったか」と言われそうです

それだけわたしはアイドル向けでない心身の持ち主でした

アイドルは別格で憧れでした

弾き語りでライブをしてもみんなから「暗い」と言われました

人に元気を与えるなんて昔から無理でした

看護師は元気を与える職業ではありません

病とヒトをみつめ、生きる理由を探す哲学者です


喋るのは下手だけど書くことは少しできます

なかよくしてくださいね

あのこだれのおんな?とか聞かないでくんない?わたしはそにっくなーすです。写真動画OKです拡散してください本名は伏せてください病院にバレたら再入院させられてしまいますので

控室で化粧していくら塗っても可愛く見えなくて

焦って

こわくなって

今日だれとも喋られないんじゃないか

そう思って

水色のヒートにはいったあんしんのくすりを

100粒出して、飲み干しました

不安と闘う薬と

あんしんするくすりはちがうのかも

そしたら

あんしんするくすりなんて

わたしは一個も持ってない


まるでラムネでも食べるかのように

ときどきぼりぼりと音を出しながら

そうしていれば

無敵になれると思っていたのです


コロナ怖いよ

ライブハウスなんてやめときな

クラブなんてやめときな

アイドル?冗談じゃない

早く帰っておいで

そして朝から晩まで働きな

仕事が何より大事

仕事を最優先にしない人は社会人としてダメだよ


クソッタレだと思いませんか?


どこにいってもひとりぼっち

誰からも相手にされない

チヤホヤされたいという思いが

注察妄想を生んだ

誰からも見てもらいたいのに

誰からも見てもらえないどころか

注がれるのは無関心

誰からも愛してもらえないのなら

いっそ派手なショーでも行いましょう

血飛沫、カラフルなオーバードーズ、狂言でいくらでも作り上げられる地獄。

かまって欲しいだけ

メンヘラなんてだれがつくったことばなの?


虹色じゃむのずんちゃんの生誕が昨日あった
初めての撮影とか浴衣とか水着とか
焼肉とかプールとかシャンパンポンとか
先日のブルマン(ポエトリーイベント)に引き続き
最近シャンパンラッシュである
‪アイドルの活動がとても楽しいしこの年齢になってやると思ってなかったから、きっとわたしは何歳になっても3〜5年前には想像もできてなかったことをやったりするんだろう‬
心身が衰えることや更年期とかがいずれくるのが怖かったけども
最近は歳を取るのが楽しみになってきている
病気の進行だって、
‪今の時代意識さえあればコミュニケーションとれることもあるし‬
‪寝たきりになっても口頭筆記で小説は書ける‬
‪難病でも腕も足も思うように動かなくても今歌って踊ることができている(だましだましやけど)‬

なにより人の力である
あのときだれかがわたしに声をかけるのを諦めていたら
あのときわたしがだれかに話しかけなかったら
できなかった
というようなことがたくさんある
人と話すのがとてもとても苦手で、人見知りはあまりしないけど人間関係を近づけたり続けたりするのがとても苦手なのでこれはほんとうにどうにかしないといけないのだけど
でもそれでもわたしの周りには奇跡ばかり起こっている
周りの人にとても助けられている

そういえば小さい頃人前に立って踊ったり歌ったりするのは好きだったな
病床の母のそばで音楽に合わせて変なダンス踊ると母がとても喜ぶので変な踊りはかなりやっていた(doubleとかBOAとかの曲に合わせてとか、マイケルジャクソンの物真似とかが十八番だった)
モデルに憧れた時もあったな
そう考えると小さい頃の夢は一つずつ叶えつつあるのかもしれない
一つずつ消化するように
空にシャボン玉を放つように

そしたらいつか大学の先生になる夢も叶えられるんかな
待ってるだけじゃダメだろうけど