ドクターストップをかいくぐりアイドルになった話 | ぴいなつの頭ん中

ぴいなつの頭ん中

殻付き。そにっくなーすが言葉を地獄にかけてやる


アイドルになった

虹色じゃむの正規メンバーとして8/1から

ここのところ忙しすぎて8/1まで心身がもってくれ!と思っていたのでいまはなんとなくほっとしている


23月あたりにやまだださんに声をかけてもらってからサポートメンバーとしてちょこちょこライブに出ていた

45月はコロナでほとんどなんもできなかったから、6月あたりから少しずつ様子を見て再びがんばりはじめ、7月にはいっぱいライブし、レコーディングもし、本メンバー入りを果たした

コロナの中まともに活動できるかどうかわからないというのと仕事との両立ができるかどうかわからなかったので本メンバー入りはしばらく躊躇っていたのだ

コロナも猛威を奮い続ける中、突然あっけなく本メンバーになったのはレコーディングにつられたからという説もある

誰かが作った曲で歌ってCDを出してみるのが夢だったのだ

自分の歌声がCDになるのが夢だったのだ


主治医からは止められた

大丈夫なの?

あなたいつも150%の力を出してあとで疲れて動

けなくなってしまうでしょ?

最近元気ないの忙しいせいなんじゃないの?

はっきりとやめなさいと言われた時もあった


持病の顔面肩甲上腕型筋ジストロフィーのせいで腕も上がらない、足も綺麗に動かない

振り付けの際にはみんなに迷惑をかけた


失うものはあった。

家での自由時間 だらだらする時間 家事をしまくる時間 仕事の勉強の時間 読書の時間 ひとり時間 など おもに時間


でもなんとなく

人を元気にさせる稼業を見よう見まねでやっていくうちに

自分の内部が変わっていっている気がした

不思議と少し明るく前向きになってきた


もう無理だと思うことが何度かあったけどそのたびにみんなで話しているとだんだん絶望から「次どうしていこうか」がみえてくる

コロナ禍でライブできない状況を諦めずに超えられたのは他のメンバーみんなが前向きだったからだ

たぶん自分一人じゃ無理だった

無理ならやめるという人生でいろんなものを切ってきたけど諦めないで食らいつくといいこともあるんだなと思えるようになった


毎日「もう自分はダメだから死にたい」と思っていた状況から、少しずつ変わっていった

まだ死にたいと思うことはあるけど

歌っている時は幾分かラクだということにも気づいた


まだまだ感染症は油断できない

気をつけていても、いろんな場所で対策が甘いなと感じたりつい忘れてしまうみたいなことがある

なんでわたしがアイドル始めた途端に感染症流行開始なの?!?!タイミングおかしくない?!?!っていう思いもでかいけれど

変えられない不幸みたいなものを嘆くのはラクだし気持ちいいからすぐ浴してしまうけれど

せっかくいろんなものを背負いながら始めたのだし

最後まで駆け抜けていこうと思う


ステージをご覧の皆さん

これからよろしくお願いいたします


わたしがアイドルをやるなんて5年前の自分に言ったらきっと「え?!?!無理に決まっとるやん何言ってんのついに狂ったか」と言われそうです

それだけわたしはアイドル向けでない心身の持ち主でした

アイドルは別格で憧れでした

弾き語りでライブをしてもみんなから「暗い」と言われました

人に元気を与えるなんて昔から無理でした

看護師は元気を与える職業ではありません

病とヒトをみつめ、生きる理由を探す哲学者です


喋るのは下手だけど書くことは少しできます

なかよくしてくださいね