ぴいなつの頭ん中 -17ページ目

ぴいなつの頭ん中

殻付き。そにっくなーすが言葉を地獄にかけてやる

訪問していると、育児頑張りながら療養も頑張ってる患者さんがとっても多いなあと思う。出産とか育児がトリガーになって統合失調症発症することも多いそうなのでそのせいもあるのかもしれないが。


育児も仕事も、言い訳がきかない、人の真似ができない、ひとりで向き合わねばならない、そういったことに慣れておらず大きなストレスを抱えるイベントだものね。


そういうかたがたの訪問は、頑張りすぎないでって言ったり、できたことを褒めて一緒に喜んだり、心配しすぎなのを心配しすぎだよって声かけて安心してもらう、みたいなことが必要になる場面がとても多い。

育児をしている人たちはそれだけ、頑張っても頑張っても不安で不安で拭えない状態になりやすいのだろう。


わたし個人は、育児のこと考えるとやったことないのにいろいろ考えすぎるので(八日目の蝉読んで考えまくって高熱出したことある)問題外なんだが、患者さんの親御さんなど、しっかりやってきた人ほど、「子供なんかご飯とかあげておけば勝手に育つから大丈夫」くらいに言う。笑顔で。たのもしい。


無意識に一生懸命になっちゃうわけだし、心配しすぎたりやりすぎたりするひとも多いわけだし、そのくらい気楽に構えていた方がいいのだろう。

でも、たまぁに、楽観的だけどネグレクト気味なひとがいて、ちいさいこがいるけど、自分のしたいことだけを優先してしまうひとがいる。

頑張ってないわけじゃないし、言ってない悩み、見えてないつらみ、たくさんあると思うので、なるべく、出来てないことばかり言ったり、指摘したりしたくない。

でも、気楽すぎる彼女に、気楽にやれよみたいに言うのも無責任だよなあと思う。


彼女に、何を言ってあげたらよいのだろう。

っていつも、悩んでいる。

一旦存在が消えた者はもういなくならないのか


でも霊になった大事な人ともお別れせねばならない日は来るものだし


いなくなるというのは2回で完成するから

心肺停止と、忘れられた時とで


だけど生きてる好きな人でさえ、バドミントンの羽根を追いかけたり自転車にぶつかりそうになったり本を読んだりおいしいラーメンを食べていたり忙しく働いていると忘れてしまうのに


2回目に死ぬための忘れられ方にはどんなルールがあるのだろう?


死ぬほど忘れられるとはどういうことなのだろう。


死ぬほど忘れてしまいたい。

死ぬほど忘れられてしまいたい。

死を完全に私の中で完成させて。

天人峡の淵から、私の恥を覗き込ませて。


あなたをうばわれるくらいならば、

わたしは、何回でも忘れられてやる。

何回でも死ぬほど忘れられてやる。


すでに何人かの大切に思っていた人の心の中でわたしは死ぬほど忘れられている。


何人かの人の心の中でわたしはゆっくりと急速に蝋燭の火のように死んでいく。


見えないふりをして、まだ死んでいないわたしの中のあなたがたを回想する。

似たような人は似ていない。


死ぬほど忘れられていく我が身を、

死ぬほど忘れた人の前に晒すことはおそろしい。

そのときわかるからだ、

いつの間にかわたしはあなたの中で死んでいた。


だからもう二度と会わない人の中にわたしをカウントする人の数を忘れられた年賀状の中に見いだして日々を超えてきた


最近、訪問看護師になったので、訪問の夢ばかり見る。
最初は、訳のわからない知らない黒人女性とか、会いたくない男とか、そういう類のやつが突然家に入り込んでくる夢だった。

ここ数日は、訪問する夢を見ている。
無意識世界もとうとう、行く側の自分を認めたのかもしれない。
知らない患者さんと思われるかたに、ちょっと勇気を出して『眠れてますか?』と問いかけたら、気合を入れすぎたのか実際に寝言で『眠れてますか?』と言ったらしく、その声で目覚めた。

チョビが、『どうしたの?いま、眠れてますかって言った?』とびっくりしていた。

自分でも驚いた。
こんなに寝ぼけることは今までそれほどなかった。
でも頑張っているから無意識が反応しているのかも、と思うと嬉しい。

あっ!あなた、もしかしてよくツイッターで見かけるあの人ですよね

わたし、ファンなんです

わたし、ファンなんです

わたし、ふあんなんです


わたしはあなたの不安なんです

ひとの形をした不安なんです

あなただけを見てる不安なんです

あなただけに見られてる不安なんです


朝支度してるとき

電車が遅れたとき

こわいひとによびだされたとき

しっぱいしそうなとき

あたらしいことをするとき

連絡がなかなか来ないとき

大切な約束に、

間に合わなさそうなとき

明日が怖いとき

支えてくれる人を、なくしたとき


うまく行かなさそうなとき、

わたしはあなたの前に現れます

そっと忍び寄ります

そしてずっと、せなかを、

さすり続けています


さすりながら流れ込んだわたしのこころが、

あなたのこころをゆさぶります

あなたは不安でいっぱいになります

ぞわぞわ、ざわざわして

あなたは不安でいっぱいになります

何も手につかないくらいに

振りほどこうとしても振りほどけません

わたしはあなたの不安なんです

だれよりも身近に接している


わたしはあなたの不安なんです

ひとの形をした不安なんです

あなただけを見てる不安なんです

あなただけに見られてる不安なんです


わたしはあなたのものですが、

世の中の人間は一人一個、わたしのような存在を与えられています


わたしはあなたが生まれた日、

あなたが

自分以外の他者を意識できた、

初めてのその瞬間に、

あなたに出会いました

あなたはまん丸の目で猿みたいな顔でこちらを見ていました

わたしが優しく頬を撫でると、

あなたは顔をくしゃくしゃにして泣き出しました

それはひとつの爆発のようでした

あなたは頬から不安に出会ったのです

それからわたしは

あなたのそばにずっといました


繋ごうとする手を

触れようとする手を

何度も振り払われました

あなたにわたしを愛することなど不可能でした

それでも、わたしはあなたのそばにいるしかないのです


悲劇に仕立て上げようという気はさらさらないのです、わたしはあなたの不安なのですから

振り払われて、払いのけられて、ときにはおしつぶしあって、

それが自然なことなのです。

それが自然なことなのです

わたしはあなたに、

いいます

よく頑張ってきましたねと


あなたを守るためにわたしはいます

あなたが生き抜くためにわたしはいます

あなたが今より高く昇るために

そして

あなたがほっとするためにわたしはいます


だからわたしはあなたの不安をやめられないのです

どんなにつらくてもあなたの不安をやめられないのです

あなたのほっとした顔をみると

たまらない気持ちになるのです

あなたの役に立ったとき、

たまらなく嬉しくなるのです

生きてて良かったと、

思えるのです


わたしはあなたの不安なんです

ひとの形をした不安なんです

あなただけを見てる不安なんです

あなただけに見られてる不安なんです


わたしがあなたのまえに再び、

姿をあらわしたとき

そのときは……

どうしてくれとも言いません

憐れみは求めていません

わたしはあなたの不安なんですから

これからもずっと不安でいます

振り払っても、おしつぶしても、かき消してもかまわない

わたしが負けたら、

わたしはあなたにいいます、

よくがんばったねと


ただ、わたしはあなたの不安なんです

生まれた時から、あなたの不安なんです

だから、

見なかったことにしないで、

ただそこにいることを

わたしに許してください

それだけでいいのです

それだけでわたしは幸せです


(わたしはあなたの不安なんです

ひとの形をした不安なんです

あなただけを見てる不安なんです

あなただけに見られてる不安なんです)



6分(5:50

ハロウィンパーティに行くのでコートの下に衣装を隠して厚化粧して電車に乗っている。

少し前まで装いなど気にしないし考えたくないとおもう日の方が多かったのでこのような楽しみをわかることができて本当に楽しい。
いつも、渾身の服装を変だと言われてきた人生なので、なかなか好きな装いをすることが難しい。自分の好きな装いをすることは自己を解放してくれる気がする。そして、この状態で生きてていいと肯定されている気がする。

魑魅魍魎が集まる場所が好きだ。お上品で技巧的なものもいいけど、心から落ち着くのは、きたならしいほどカラフルでいろんな人がいるところ。絵の中とか、魔ゼルな規犬さんの企画とか。詩人のオープンマイクとか。面白いことや変わったことをしてるひとにどうしても惹きつけられる。誰かが何か変わったことをすれば、あっやられたくやしい、という気持ちとともに、みんな好きにやっていいんだよ!というメッセージを受け取ったようなきもちになれる。

中学高校のほとんどの時間を、服に関心がない、おしゃれに関心がない状態で過ごしていたので(なんか気が向いて渾身の服装をしても親にディスられてむかつくから)校則で困ったことはない。ただ周りの子は結構困ってたし工夫もしてたかも。中学高校はそこまで厳しい校則でもなかったし。

装いを統一するということの意味は連帯感と所属、管理、とかなんとか、生体廃墟論で読んだ気がする。制服のはじまりは軍服だし、気持ちを一つに、制服を着せてきた人間のいうことを従順にきくべし、って意味がこめられているのね。

だから規則が厳しいところであればあるほど、
管理者が臆病なんだな、
と思うのです。短いリードじゃなきゃ飼えませんか?そうでもないと思うな。どんなに荒くれの生き物でも、信頼関係があればある程度はなんとかなるんじゃないかね。甘いのかな?こんなの。

多様でいいじゃん、縛られると苦しいし、自分が自分であることとか得意なこととか忘れちゃうよ。

多様である上で、何かするときは協力し合おうってしたほうが、それぞれの得意なことが伸ばせたり活用できたりしていいんじゃないかね。おなじことをおなじようにできなきゃやってけないような社会でもないでしょう。

好きな服着て、好きなことして、仕事はちゃんとやって、抑圧から出てきたほうが絶対幸せ。わたしも、心から笑ったり喜んだりする、人と接したりする、みたいなの、自分の好き嫌いをわかってやっとできるようになってきたよ。

長い文章で思ってること書くと馬鹿がばれるなぁ…はずかしい