ハロウィンと校則 | ぴいなつの頭ん中

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殻付き。そにっくなーすが言葉を地獄にかけてやる

ハロウィンパーティに行くのでコートの下に衣装を隠して厚化粧して電車に乗っている。

少し前まで装いなど気にしないし考えたくないとおもう日の方が多かったのでこのような楽しみをわかることができて本当に楽しい。
いつも、渾身の服装を変だと言われてきた人生なので、なかなか好きな装いをすることが難しい。自分の好きな装いをすることは自己を解放してくれる気がする。そして、この状態で生きてていいと肯定されている気がする。

魑魅魍魎が集まる場所が好きだ。お上品で技巧的なものもいいけど、心から落ち着くのは、きたならしいほどカラフルでいろんな人がいるところ。絵の中とか、魔ゼルな規犬さんの企画とか。詩人のオープンマイクとか。面白いことや変わったことをしてるひとにどうしても惹きつけられる。誰かが何か変わったことをすれば、あっやられたくやしい、という気持ちとともに、みんな好きにやっていいんだよ!というメッセージを受け取ったようなきもちになれる。

中学高校のほとんどの時間を、服に関心がない、おしゃれに関心がない状態で過ごしていたので(なんか気が向いて渾身の服装をしても親にディスられてむかつくから)校則で困ったことはない。ただ周りの子は結構困ってたし工夫もしてたかも。中学高校はそこまで厳しい校則でもなかったし。

装いを統一するということの意味は連帯感と所属、管理、とかなんとか、生体廃墟論で読んだ気がする。制服のはじまりは軍服だし、気持ちを一つに、制服を着せてきた人間のいうことを従順にきくべし、って意味がこめられているのね。

だから規則が厳しいところであればあるほど、
管理者が臆病なんだな、
と思うのです。短いリードじゃなきゃ飼えませんか?そうでもないと思うな。どんなに荒くれの生き物でも、信頼関係があればある程度はなんとかなるんじゃないかね。甘いのかな?こんなの。

多様でいいじゃん、縛られると苦しいし、自分が自分であることとか得意なこととか忘れちゃうよ。

多様である上で、何かするときは協力し合おうってしたほうが、それぞれの得意なことが伸ばせたり活用できたりしていいんじゃないかね。おなじことをおなじようにできなきゃやってけないような社会でもないでしょう。

好きな服着て、好きなことして、仕事はちゃんとやって、抑圧から出てきたほうが絶対幸せ。わたしも、心から笑ったり喜んだりする、人と接したりする、みたいなの、自分の好き嫌いをわかってやっとできるようになってきたよ。

長い文章で思ってること書くと馬鹿がばれるなぁ…はずかしい