死ぬほど忘れられるということ | ぴいなつの頭ん中

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殻付き。そにっくなーすが言葉を地獄にかけてやる

一旦存在が消えた者はもういなくならないのか


でも霊になった大事な人ともお別れせねばならない日は来るものだし


いなくなるというのは2回で完成するから

心肺停止と、忘れられた時とで


だけど生きてる好きな人でさえ、バドミントンの羽根を追いかけたり自転車にぶつかりそうになったり本を読んだりおいしいラーメンを食べていたり忙しく働いていると忘れてしまうのに


2回目に死ぬための忘れられ方にはどんなルールがあるのだろう?


死ぬほど忘れられるとはどういうことなのだろう。


死ぬほど忘れてしまいたい。

死ぬほど忘れられてしまいたい。

死を完全に私の中で完成させて。

天人峡の淵から、私の恥を覗き込ませて。


あなたをうばわれるくらいならば、

わたしは、何回でも忘れられてやる。

何回でも死ぬほど忘れられてやる。


すでに何人かの大切に思っていた人の心の中でわたしは死ぬほど忘れられている。


何人かの人の心の中でわたしはゆっくりと急速に蝋燭の火のように死んでいく。


見えないふりをして、まだ死んでいないわたしの中のあなたがたを回想する。

似たような人は似ていない。


死ぬほど忘れられていく我が身を、

死ぬほど忘れた人の前に晒すことはおそろしい。

そのときわかるからだ、

いつの間にかわたしはあなたの中で死んでいた。


だからもう二度と会わない人の中にわたしをカウントする人の数を忘れられた年賀状の中に見いだして日々を超えてきた