ぴいなつの頭ん中 -12ページ目

ぴいなつの頭ん中

殻付き。そにっくなーすが言葉を地獄にかけてやる

ここのところ自殺した人の本を読むことがあって、
二階堂奥歯『八本脚の蝶』の読み返し(もう何回目になるんだろう?ページによっては覚えるほど読んだところもある)、南条あや『卒業式まで死にません』を読み返し。シーラッハ『刑罰』は6月に出た新刊コーナーで気になって買ってその日のうちに全部読んでしまったんだけど、あれも悲しい話ばかりだった。元気の出る小説ややる気の出る小説を読まなきゃ!と思ったけれど今のわたしの手元にあるのは、碧野圭『書店ガール』と森見登美彦『夜は短し歩けよ乙女』あたりだろうか。やる気出るか?うーん、イマイチかもしれない。職場の取締役がみんなに配った『覚悟の磨き方ー超訳 吉田松陰』はまあまあやる気出るけど、あれ持ち歩いたり通勤時に読むのもなんだか恥ずかしいし。
冒険譚よりもルポや日記の方が好き、ファンタジーよりも警察24時の方が好きだったわたしには、いま挙げたもの以外ではほぼ全部、カタルシスを誘う、こじらせるととても心が辛くなる文学しか手元にない。

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高校生の時に母親からメンヘラについて教わって、わたしはそれなんじゃないかなんて少しだけ思ったり思わなかったりして、でも人を異常に恐れていた高校生時代の自分の様子は、いま仕事で関わっている患者さんたちの病歴に書かれている発症のきっかけと酷似していたりもした。
わたしはなるべくして病気なんだろうか。悩みがほとんど病気のことや体のことになってしまう。考え事はぜんぶ悲観的な今後のことや、悲観的な過去のこと、通りかかる女性のファッションセンスがあるかないか(勝手に点数をつけるのが好きだ)、交通無法者やアイアムアルールな人々に対する呪詛、そんなのばかりだ。
不安にばかり身をやつしているとたぶん脳みそが縮んでいく。少しくらい減速したほうがいいかと思って自分の人生を低める努力をしてみるもそんなのは簡単に遂げられ、減速前の自分も大したことがなかったのだと今更にして気づかされる。
頭の中に言葉がいっぱいあったり、少しの刺激で性器がしっかりうるおったり、そういうのは加齢とともに変わっていくのですか?
今を生きるので精一杯とか言えないほど悲観的なことをたくさん考えていたのにもかかわらず、こんな未来は予想できてなかった。

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元気になれる本を読もうと思った。わたしは本棚をめちゃめちゃに漁った。しまうところがわからなくなりそうで、今ただでさえ仕舞われていない本がたくさんあるのにしまうところがわからなくなったらますますやばいという思いがあたまを過ったけれど、またいつでもしまい直せばいいと自分に言い聞かせた。いつでも、一旦ダメになると完全に全部がダメで突如タイキックで殺されてしまうんだという思考がどうしてもやまなかった。

江國香織『すいかの匂い』を取り出した。

ずっと好きなわたしのバイブル。

小学生の時に買ったのだ。新潮文庫のおまけのYonda?君のグッズが欲しすぎて、新潮文庫をいつでもチェックしていた。昔から読書家というわけではなかったわたしの当時の愛読書はアンネ・フランク『アンネの日記』と秋月さやか『細密 夢占い辞典』だった。

すいかの匂いのすごさは、生きている少女の感覚だと思う。偽りの、創作者と読み手たちの理想像の中でつくりあげられる「少女」ではなく、ほんものの生きた少女の生きた感覚がこの小説に出て来る女の子たちにはある。

手汗をスカートで拭いたり近所の落とし穴にひっかかってびしゃびしゃになった靴をくちゅくちゅ言わせながら泣いて帰ったり、給食の匂いや新幹線を大嫌いだと言ったりする。そして少女のまま不思議なものやうつくしいものや気持ち悪いものと出会う。身近なようでいて不思議なものたちと出会う。それはわざとらしい首の傾げとともに触れるものではなく、ほんものの少女らしい残酷さや好奇心で掴まれるかのように触れられる。

蕗子さんが読みたくて再度手に取った。蕗子さんは憧れの人だ。けどすぐに死んでしまいそうに思う。案外体力あるから大丈夫だろうか。

わたしはこの作品に出て来る、逃げた鳥たちやいじめられたものたちの逃げた先にできる共同体を『鸚鵡の国』だと思っていたが記憶違いで、『インコの村』だった。全然違う。やばい。今度の新作に『鸚鵡の国』って書いてしまった。わたしの考えた架空の国っていうことでいいか。どうりでググっても出てこないはずだ。(ググって出てこないことが最近ありすぎて困っている)


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本をきちんと読んでおきたくて、というか最近回復して本をきちんと読めるようになったので、爆速の勢いで読書している。読書したいと思って参考にするのが『八本脚の蝶』なのだから読書したいになるたび奥歯さんへの憧れが強まっていくのは当然の流れだ。そして化粧品や服や本にお金が費やされていく。

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マニアフェスタに出展されていた、メンダコのガラス細工欲しかったなあといまさら思う。


9/29でもまだ夏、18時には真っ暗でもまだ夏、蝉鳴いてるからまだ夏、と言い張る。

圧倒されたいと思っていた。
びっくりするような楽しみと驚きと芸術に触れたかった。
我を圧倒するのは自然のみだと思って科学博物館に行った。
蝶が見たかったのだ。
八本脚の蝶が。

蝶を必死になって探した。
ミイラやたくさんの張り巡らされた鉱石、菌類、それらをたくさん見通して、地球館でようやく見つけた。
以前見た時と趣は変わっているように感じたけれど、たくさんの綺麗な色の蝶がそこに磔にされていた。
人形になりたいのは1番の希望だけれど、2番目には標本になりたいかもしれない。
ヒトとして飾られる標本ではなく、わたしというひとりの人間として飾られる標本になりたい。
そしてたくさんの人にわたしの脳内を搾り取って見てもらいたい。
人からの興味だけで十分だろうか?
他の動物にわたしの脳内なんか理解できるだろうか?
愛する小鳥だけはわたしの意図をわかってくれるだろうけれど、それは生きた目と目を交わし合った状態でないと意味がない。

マニアフェスタに誘われて何の気なしに行ってみた。
いまのわたしを圧倒したのは他者の脳内だった。
まだ自然に頼らなくても、ヒトの思いだけで満足できるほどの渇き具合だったんだろう。
ひとつのものを集中して愛し続けること、ひとつのものにこだわり続けること、その根幹は、自分の好きなものに誇りを持つということ。
わたしにはまだできないこと。
少しずつ練習していること。
それらを楽しんでいる人たちがいる。
ひとつの何かを徹底的に愛するひとをたくさん見て、いろんな好きをお裾分けしてもらった気になった。
好きだったら楽しく頑張れるんじゃないかって日頃から思っている。
だから自然と頑張れるもの、自然と楽しめるもの、を探している。
探し方が減点方式で『なんとなくやりたい、なんとなく行きたい』みたいなのになってしまっているので、おのずと趣味への努力が減っていく。

『趣味へは全力尽くすに決まってるじゃん。趣味で手抜きしてどうすんの?』って言われたことがあった。

わたしは熱中して好きになれるものがまだないのかもしれない。
ちょっと楽しむくらいだったら誰にでもできる。
頭も悪くなってきているし、以前書いた自分の小説を読んで『これ最高!』って言っているだけ。当時の方がたぶん頭がよかった。
奥歯ちゃんみたいになりたいのに、歳をとればとるほど奥歯ちゃんから遠のいていく。仕事の昼休みに古書店に行ったりしたいし、メイクをきちんとしたいし、人形になることを望んだり本を読んだりしたいのに、どうしてこんなに違うのだろうと思うとかなしくなる。
以前は奥歯ちゃんの生きづらさみたいなものを日記から感じ取って、自分の生きづらさに寄せて考えてしあわせになれたのに。いまは、怖い。

ナマケモノすら日々頑張っているし、ヒトも意外と頑張っているのに、わたしはなにも頑張れない。歩くのが怖い。外に出るのも怖い。体を洗うことも怖い。しかもこの気持ちをまだ昇華しきれない。
くよくよ悩むことは楽な方にいってることだって奥歯ちゃんは書いている。
悩まないで動き出せればこんなに楽なことはないのに。
もしかしたらみんな、大変だけど楽しいことのために頑張るのだろうか?
ぼーっとするのが好きではいけないのだろうか?
真のナマケモノはわたしで、でも腰には脂肪がありったけついていて、苦しい苦しいと嘆く姿は全く美しくない。
きちんと努力している人はきちんと自分の体をコントロールしている。見せ方とかも。
ひとりでいると自分のことしか考えないのでよくない。
映画かライブか、人間のいるところにいかなくちゃ。
あなたの『嫌い』を見た
あなたの嫌いのうちいくつかはわたしに当てはまるなと思った

バーナム効果を発揮したのか
それとも自意識過剰か
わからない

わたしがつくることをやめたらあなたはわたしのことを嫌いになるのだろうか?
関係のない人になってしまうんだろうか?

半年ほど、寝たきりだった
回復は気持ちがいいしもう消えたくはないけれど
充電は気持ちいいしエネルギーの残量を見るのも楽しいけれど
あなたと一緒の世界に戻ってこれなくなるのが怖い。
わたしはあなたの嫌うタイプの人間だよ
それでも悪口を言ったりしないのは単に我々の生きる世界がおとなだからなんだろうか。
あなたの我慢を背負ってわたしは生きる
好き勝手にやっているように見えて好き勝手にやっている。
何も考えていないように見えて何も考えていない。
あなたに嫌われるのは怖い。
それはあなたが持っているスキルとは全く関係がない。


痩せると母親に似て、太ると父親に似る顔だった。

難病のナース?難病のギタリスト?難病のポエトロジスト?とか言えば聞こえはいいけれど、そんなのしつこく言ってるのもちょっと馬鹿らしい。恥ずかしいし。個人的に病気であることが恥ずかしくて隠したいのもあるし、自分でしつこく言ってるのって興ざめじゃないですか。
やっぱりデスクワークでイケる資格を取ればよかったんではとか考えて、なんで看護師の免許なんか取ったんだろう、と、今流行りの返納をしてみたいと思うようになった。(流行ってるのは高齢者ドライバーの運転免許の返納だろう)友達が『看護師免許は取ってよかったと思う、メリットしかないから』と言ってたのに励まされていまだに返納をせずズルズルと資格に甘えている。
何もない病人じゃない(何もない病人でもいいけど)何もない病人なんかいない(病人でも健常者でもモテるやつはモテるしモテないやつは残念)愛のために走ったりできなくなったし看護師なんかやめちまえと思ったけれど残念ながら脳は死んでいないのでこれからもやらしいことなど考えたりとかできるしゆっくり歩けばラブホテルにだってライブハウスにだって行けるのである。
エレベーター欲しいと思うけど今しか地下のライブハウス行けないからやっぱりちょっと焦ってる。ライブハウスみんなバリアフリーにしてくれ頼むで。
わたしはちゃんと整って話してるって思ってたはずなのにあんまり整ってなくて、顔に髭が生えまくって鏡でそれをみてる夢を見て、せめて顔だけでも整ったらいいけど難しいからとりあえず頭のメイクポーチにあるもの全部出して見た。
円背でよたよたの人生の先輩、
かれらもたぶん、笑顔のために目的地に向かうんだろう。
そう思うとよたよたの自分も元気が出る。