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ぴいなつの頭ん中

殻付き。そにっくなーすが言葉を地獄にかけてやる

職場の人にもし見られていたらかなりまずいので極秘にですがポーランドに来ています。8日間。

アウシュビッツをこの目で見たかったのです。
わたしはこの旅で謙虚になることを学んでいます。
身の丈に合わない付け焼き刃は通用しないことを実感しています。
コミュニケーションとは何か、はっきり言うとはどう言うことかも学んでいます。
そして今まで、いかに自分が「死にたい」という言葉に甘えて、苦しみそれぞれと向き合うことをサボっていたかを実感しています。
あと太る食べ方をしているということも。笑。

強制収容所で、たくさんの人が、無理矢理に殺害された。2度と繰り返してはならない恐ろしいことです。感想は言葉にすると平板すぎて、何を言っていいかもわからないけれど、遺された7000kgの髪の毛の山、名前の大きく書かれたスーツケース、たくさんの靴や眼鏡や義足・杖、可愛らしい普段使いのカップやポットがボロボロになって廃棄されている様子が、「そこに人がいたんだ、生の人間がたくさんいて、殺されたんだ」という実感をさせ、涙を堪えるのに必死でした。
全て見てやる、証拠として残ってやる、と気合を入れすぎてメモをする手が震えました。

いまはホテルに戻って、本当に見て来たんだなあとただぼんやりとするばかりです。

ポーランドへは直通で行けるうえ、国交100年目ということもあってか、最近ポーランドへ行く日本人は増えているようです。観光地には日本語表記のものもわずかですが見られました。
日本語版のアウシュビッツ・ビルケナウ写真集もあり、購入。翻訳はあの中谷さん(アウシュビッツ唯一の日本人ガイド)。

流されるままに反発もできずに、騙されたような形で殺害されたユダヤ人やロマ、ソ連捕虜、そして障害者たちの叫びに耳を傾け、わたしは自分の国の未来は自分たちで決めていかなければならないと思いました。選挙も大事。

障害者たちに関する記述は博物館の解説にもガイドさんの話にもなかったですがわたしは知っています。第三帝国実現のためにヒットラーが障害者たちに何をしたかを。

第二次大戦の生き証人は加齢により減少していると聞きます。
このような歴史は、足を運び、目にし、耳を傾け、たくさん写真を取り、記録を読み、後世に伝えていくべきことなのだと思います。
今回の鬱。
長かった。
今回は本当に長かった。
利用者さんで10数年鬱があってその後の躁がどえらいやばかった(例えばマンションをポコポコ買ったり)という人がいたが、そりゃあ10数年間鬱だったら元気取り戻した途端色々やりたくなるわな、と思ったのだった。

今回わかったことでいちばん大きかったことは、音楽も映画も本も、ド鬱の時は自分を救ってくれないということだった。

ていうか、音楽や映画や本で救われるのって回復期をかなり上がってきた時か、通常の気分の落ち込みの時ぐらいだなと思う。無理な時は何かを楽しむこと自体が無理。常にじっとしていたいし、寝ること以外できないし、本を1ページ開くのすら億劫で、友達との楽しい約束も義務になってつらいうえ、映画で感情がちっとも動かないし(座ってられない・集中できないでかなり上の空になる)、音楽は雑音になるし、何か大きな動きをしだす時って自暴自棄な時だけ。

本当になにもできないのだ。
ここまでなにもできないんだなって驚いたくらいだ。
20代前半の時の鬱と全然違う。あの時はまだ心を動かすことはできた。今回のに比べたらあんなのなんともないと思う。
憐れみを欲するあまり偽の鬱を作り出していたのではないかと思うほど。
喉元過ぎれば熱さを忘れるというので、もしかしたら忘れているだけかも知れないけれど。

なのでいま、鬱がこんなに苦しいんだな、とわかった上でできる、患者さん(利用者さん)への言葉かけやケアがあることに気付き始めている。
薬を飲みながらの生活は通常の3倍の重りを背負って生活しているようなものと中井久夫先生が書いておられたが、これは本当にそうだった。マジで縦になり続けていられずに横になるしかない苦痛や、どうしても眠くて仕事に集中できないのが一日中続く苦痛は、なってみて初めてわかった。

新人の頃はわりと簡単に「ストレングスを伸ばすのだ!」「気分転換の引き出しを増やすのだ!」と呪文のように唱えていたが、それは心身のエネルギーが極度に低下している最中の患者さんにはものすごく負担だったのではないかと思う。

身を以てじゃないとわからないのは専門家としてどうなのかと思うが、身を以てわかったことは多分ずっと忘れない。
せっかく看護師で鬱になったのだからうまく利用してひとのこころを細やかにわかる人になりたいところだ。

9/27

太腿が脳みそだったらいいのにたくさんの身が詰まってますよ


9/28

慣れた頃にはさよならね、吾が職場楽しいところ今更わかる


9/29

ほぼ未使用ペニーのスケボー1万で売るわ暗いところで光るよ


9/30

洗っても取れない汚れは傷だから、なじんだ色を上から塗る


10/1

花の蕾拾って袋に詰めてあのひとはどこへ行くんだろう


10/2

擦れ違う短髪美女の白いシャツ『最終面接、社長とランチ』


10/3

夏には蝉、秋には蟋蟀が愛をくださいとせがんでうるさい

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10/4

機械油の匂い鼻に残ってつぶつぶみかんの味が消える


あなたが読んだ本を読む図書館であなたのようになりたくて秋


たまに来る読み返したくなる時があなたが書いた「私を読んで」


あなたの日記は自死で終わりわたし年齢だけ追い越してしまった


掲示板に書かれた長文眺め精神の置いてけぼり食らう


不幸ばかり想像してるわたしに幻想を与えてくれたのは

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10/5

ルル飲んで同じ名の犬思い出す まっしろでふわふわだった友達


瞼の裏赤や黄色のまるしかくくるくる回り375

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10/6

悲しみで潰れないためさよならの予防線たち張り巡らせた


忘れ貝握りつ記憶な消えそと3粒飲み込むイチョウ葉の錠


噛んだ氷の紙めいた味思いひとり苦しむ雨のひるすぎ


雨粒が色を残したサドルには幾重にも降る水玉模様

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10/7

洗車中ホースから出る水でつくる虹が好きだったお兄ちゃん


10/8

噛むよ噛む噛まないかもよやっぱ噛む機嫌の悪い赤い嘴


10/9

声を出さないようにただそっと泣く。本握りしめ沈黙のカフェ


10/10

泣き帰り化粧落としもままならずお金に換へし命見つめる


10/11

カフェイン188mgよく飲めるよね翼授かれ


10/13

生きるとは何か 思い出した鳥の滞空時間急に長くて


…毎日なのに10/12だけ抜けてしまったの地味に悔しいね。。。

これからもツイッターにて毎日短歌チャレンジやっていきます。

コンセプトは短歌素人で短歌が下手なわたしが毎日短歌を詠むというもの。

だんだん上手くなっていくといいな!

益山さんの朗読の感想。


ワンマンライブで音楽付き、テロップ付きの詩の朗読ライブというの自体珍しいと思うのだけど、わたしが「よく行く朗読ライブと違った感じで」と言ったら益山さんは「俺変わってるんで」と笑顔で言った。詩人は独特と言われるのが好きだ、わたしも好きだし、でもなんか詩人同士の仲間意識?みたいなのがあって、中身のことより詩のスタイルの話をしてしまいました。


わかりにくくないやさしいことばで幻想的な風景が紡がれる。ときに自身のこと、ときに写真からインスピレーションを受けたこと、ときに、テーマに沿って。

箱?の中から見た景色は、いつでも黄金に輝いていて、愛に溢れていて、美しい。平易だけどなんか、寒かったりうわべだったり嘘くさかったりしない美しさをもっている。

わたしも学生の頃、自分がクラスのみんなを見ているとき、テレビのカメラみたいな、自分が完全に他者になってしまうような見方をしていることに気づいたときがあって、それと似ているのかなと思った。

でも詩の中で益山さんはその幻想的な光景たちに対して「他者」ではなかったな。見つめる目は常にその景色と共にあって包み込まれていた。


音楽が付いているから、「ふざけているようでも(詩の中で)悲しい場面があって、そういうところを音楽が演出できる」的なことを音楽担当の石田さんがおっしゃっていた。まさにと思った。音楽がつくことで詩は化学変化を起こす。詩の表現は音楽に甘えてはいけないとわたしは自分の作品について思っているんだけれど(意地を張っているともいう)うまい具合にまっちしていてとてもよかった。


病状が安定しながら芸術をやることができない人も多いと思う。トークでもそういう話あったけど、音楽家なんてそういうかたが多いと思う。わたしの受け持った患者さんでも、入院当初はひたすら薔薇の花を描いていたのに、元気になったら「描く必要がなくなったから」とパタリとやめてしまったという人がいた。勿体無いなと思ったけれど、芸術や創作がその人にとって癒しか日常かによって変わるのかもしれない。


歌のシーンもよかったなぁ。急にカラオケやったりして。

水曜日に誰でもきていいミーティングがあるらしいから、またこんど連絡してから行ってみようかな。


『なんで嫌な思いをしたなんて言ってしまうの?なんでそんなにやけになるの?なんでそんなに頑張れないの?』

お姉さんはややイラつきを隠しきれずに少女に問うた。

『教えない。ごはんも食べさせてくれなかったくせに。わたしがいまこんなに泣いてるの、わからないの?ずっと痛い思いをしているのがわからないの?』

少女はここ半年間くらいずっと泣きじゃくっている。病院に連れて行ってとても大きな心の傷が見つかって、通院して処置を受けている。

『美味しいもの食べさせてあげたじゃない。』

お姉さんはかなりイラついている。思い通りにいかない少女を持て余しきって感情をコントロールするすべを失ったみたいに。

『でもお腹が空きすぎたずっと後のことだもん。我慢して我慢してすごくつらかったもん。悲しくて死にたくなっちゃったんだもん。
今日は絶対おふろに入らないからね!』

少女は駄々をこねた。
お腹が空いている時に食べ物をもらえなかったことが大きな原因らしい。

『あの人もこの人も嫌いだし気に入らない!もう仕事にもいかない!』

お姉さんは答えた。

『仕方ないでしょう、近くに食べ物なんてなかったじゃない。朝ごはんを食べないのがいけないのよ。
お仕事はやらなきゃいけないことだし、おふろは入らないと明日仕事に行く時恥ずかしいでしょう。働かないとアイスやご本も買えないのよ。』

『やだ!やだ!やだ!死んでやる!!!』

少女は自暴自棄になって暴れ出し、自殺企図行動までは起こさなかったが落ち着かずに家を出てみたりすぐ帰ってきたと思ったら家中のものを倒したり冷蔵庫中のものを漁ってばくばく食べたりした。

『そんなんしてると太ってしまうじゃない…』

お姉さんは完全に負けていた。弱々しく、しかし確実に痛いところをつくように少女にさとした。

『太るのやだ!お姉さんなんか嫌いだ!バカバカバーカ!死んじまえ!こないだ友達とバカみたいな話してたの聞いちゃったもんね!バカバカバーカ!そんなだから働けないんだよ!バカバカバーカ!』

少女はまた駄々をこねた。もうその言葉は無意味同然でただのいちゃもんだったが、この言葉もまた、お姉さんの心に深く傷をつけた。

『勝手にしろ!バカガキが!』

お姉さんはついに不貞腐れてしまった。少女は気持ち悪くなるまで食べ続けたし、おふろにも入らず、歯も磨かずにベッドに入ってゴロゴロしていた。もうお姉さんもどうすることもできなかった。少女が体を洗わず歯も磨かないということは、同じ体を持っているお姉さんもおふろに入れないし歯も磨けないということだった。立ちのぼる不快感を見ないふりをして、お姉さんは必死に耐えた。これもわたしの罪なのだ、と、間違った方向に自分を責めながら。

この少女にどうしてあげたらいいのか、わたしにはわからない、とお姉さんは泣いた。たくさん撫でたし、たくさん話を聞いてやった。お腹が空いたとわめけば、なるべく早くに食事を用意したし、おもちゃが欲しい、ご本が欲しい、とわめけば、なるべくそれを与えてきた。少女の面倒を見るのにかなりのお金を使った。お姉さんには子供がいなかったが、子供を育てているようないっぱいいっぱいの気持ちだった。
同じ体を持つ者としてここまで我儘な少女のことを認められず、許すこともできず、強いエネルギーでどんどん体を引きまわす少女にほとほと疲れ果てていた。

どうすれば少女に言うことを聞かせられるんだろう、どうすれば少女はわかってくれるんだろう、どうすれば、少女と仲良くなれるんだろう…。