渡辺繁一のブログ -53ページ目

渡辺繁一のブログ

演出の効果を設計する

文章や言葉が溢れ出る泉のように出てくる時と、混沌として全く頭から出てこない事がある。

いや、正確に言うと出てこないのでは無く、出てくる情報をコントロールできない状態といえるかも知れない。今日はこの事を書こう、でもこの言い方は伝わるだろうか?あまり面白くないな・・・。まとまりがつかない状態であることが毎日ブログを書く習慣をつけてから解ってきた。文章を書くという創造的な行為は、自己表現の手法の一つという事も言えるが、まず、相手に何を読んだ後に伝えるのか?それによって相手の感性にどんな刺激を与える事ができるのだろうか?恐らくプロのライターは「伝わる」事にフォーカスをおくのだと思う、そのあたりがプロとアマの違いだろうか?

伝える内容によるが、伝える事で「何」を相手に与えるのか?
どんな価値を相手に与える事ができるか?

「伝える」事で「与える」事ができる。


昨日、マーケティングの勉強会の2回目を開く事ができた。この勉強会に参加した人にどんな価値を与える事ができれば良いのか?そんな事を昨日、勉強会が終わってから考えていた。

「伝える」文章を読む事、文章を「理解」する事。

「与える」新しい考え方を取り入れる準備を頭の中でつくる事。それを日々違った角度から行う事で行う事で受け入れる柔軟性が生まれる。

伝わる事のレベルは大きく分けて2つのレベルがある。

1.言葉として理解をしている。
これはきわめて浅いレベル、文章を読んで日本語としての意味を理解をしただけの状態。
1.のレベルは、「言葉」という「記号」で理解をしている。ことでそれ以上の掘り下げがなされていない。
しかしながら、1のレベルの理解者は、それで充分な理解を得たと考えてしまう事がある。
知識と言う事も言える。


2.何故?その理論が生まれたのかを理解する。
言葉になった事で、伝えたい内容は「記号化」されている。記号化は一瞬で沢山の人に同じ概念を与える事については非常に有効な手段ではあるが、その反面、「慣用される」リスクを伴う、つまり、その「慣用化」された言葉についてそれ以上の深い意味を掘り下げるような努力生まれない怖さのだ。

名文や名言がある、それらは、言葉の結晶なのだ、結晶されたものは美しい、鑑賞に耐えうる、逆の言い方をすると近寄りがたいイメージもある。ただそれを文章として記号としての理解をしているとそれ以上の理解が得られない、ちょうど、氷の塊(結晶)だと考えるとわかりやすい、時間をかけて氷と溶かし、中の成分や構成を知る。そうする事で本当の意味を解釈する事ができ、その文章の生まれた発想に接する事ができると考えている。

先日、既に亡くなられた岡本太郎氏の著書を読んだ、一度読みだけでは「記号」としての理解が頭にインストールされるだけなのだが、2度目では「芸術は爆発だ!」と言っている著者の内面、考え方に触れることができた、夢にこそ出てこないが、太郎氏が講演するとこんな感じなのかな?とか、彼が建築物を創るとこんなものを創るのじゃないかな?と考えるのも楽しい。この理論だと、数100年前の人の賢者の叡智にふれる。そんな事も夢ではないのだ。
FBでお友達になった旅館経営者が破格値のキャンペーンをしているのでシェアしたします。

青空男のお宿 『伊香保温泉福一』 がなんと 50%OFF!!

年間に何本も出せない衝撃プライスです♪

今がチャンス!

み~~~~んなで伊香保にお泊りしよう~\(^o^)/

今すぐポンパレにGO!

http://ponpare.jp/shinjyuku/deal/0016061.html?vos=dealfacebook0001


昔の女性の家事労働は大変だった。掃除、洗濯、食事の準備。
産業界がこの過激な家事労働を肩代わりする事で、女性が自由に使える時間は飛躍的に増加した。
自由に使える時間は、人間的な豊かさを高める行動の為に費やされたり、女性が社会に進出する事のベースと成っている事も言えるだろう。

しかし、昨日受けたセミナーは必ずしもいい面ばかりでは無いという事に気かされた。

人間の機能はものすごく合理的にできている。重たいものを持つ事が多ければ、苦労せずに持てるように筋肉がつく。走る事が多い人は足の筋肉と、肺から酸素を取り込む機能が強化される。暗算がいきなり旨くなる人はいない、学習する事でその計算能力はアップする。つまり、人間の可能性には限界が無い。

しかし、その逆のありうるのだ、重たいものを持つ事が無い腕の筋肉は衰える、走る事の無くなった人の肺の機能は通常の生活レベルで必要な酸素摂取量に戻るだろう、計算能力は小さい時に覚えたものは忘れにくいが、やはり使わないと能力は上昇して行かない。


怖いのは、体力、知力、精神力は、使わないと瞬く間にさびついて使えなくなってしまうという事だ。
そして、もっと怖いのはその事に気づかない事なのかも知れない。


便利なモノは人に役立つのだが・・・・・
それによって負の進化をしてしまった。(退化という解釈もある)
その負の部分を補うような医療が増えてきた。
岡野眞規代さんはその事を吉村医院に5年間婦長として勤め、気づいたという。

人間の本来持つ、本能の力を発揮する環境をつくり、自然なお産を促す。
お産を通じて吉村先生は人の人生を創っている。
2008年の2月ごろ、トンでもない仕事を引き受けていた。

あるプロジェクトのリーダーをしていた。


それは、神戸にある商業施設のリニューアル工事、元々突貫工事だったのだが、ある不具合が元で引き渡しは出来ず、延長戦に突入していた。

作業は夜23時から翌8時、不具合の箇所を直す対策も同時に講じていたので、そのあと朝一で大阪に移動して不具合の是正の対策を立てる。その夜、特急で作らせた金具やパーツが出来上がる、そして23時現場にはいり機材を施工する。そして朝、また対策をたて、大阪に移動、こんなことを5日ほどぶっ通しでやり、やれ2度目の引き渡しだという時に、映像製作チームが映像が納品できない事態が発生。2度目に引き渡しも出来ない。そんな事態を招いていた。

そのときだ、初めて睡眠不足でモノが黄色に見える症状になったのは。睡眠はだいたい電車の移動時間で取っていた、ある日、電車で目が醒めると電車の蛍光灯が黄色になっていた。しばらくすると色な元の色に戻るので最初はびっくりしたが、それもなれてきた、別に死ぬ訳ないし。
それでも、不具合を是正する策がたたない。

わらにもすがる思いでいろんなスキルをもった人や、エンジニアに指導を求めるが、お金だけがかかって適切なるアイデアが出てこない。その状況は文字通り、「忙しい」状況だったと思う、ただそれは「本人だけが」忙しいだけで、他の人はそれが解らないものなのだ。忙しい人はその事すら理解できない、自分の今ある目の前の問題解決の事しか頭に無いのだ。だから、少しでも的外れなイメージの回答があると、攻撃的な反論を翻したりしてしまう。関係があるかないかは他の人がどう思うかだ。自分よりもっとチャンクの広い立場から物事を見ている人がその立場から適切なアドバイスをしたのだが、それが悲しいかなその状況にいた過去の「忙しい自分」はそのことが理解し汲み取ることができなかったのだ。また、いろんな人は様々な立場から適切なアドバイスをしてくれていたと思う。その事も「忙しい自分」気づく事がなかったのだ。そして、いろんな事の気づく感性のアンテナもボコボコに折れていた。これは、文字通り、「心を亡くしていた」。状況と言える。

極端な言い方をしてしまうと、この「忙しい自分」は人間の心を持たぬ野獣だったかも知れない。
野獣になると頭に角(つの)が生えてくる。その角(かど)をとると丸くなる。