渡辺繁一のブログ -52ページ目

渡辺繁一のブログ

演出の効果を設計する

文章になおした時、それを伝える人の感情は一旦弱まるものだ。

文章を読む人間の立場としてその文章を解釈するという事は、文章を書く時にどんな気持ちで書いたか?

そんな事を考慮しないといけない、その考慮にかけると、相手の事を本当の意味では理解していない事になる。

もし、あなたが違和感を感じるのあれば反発する気持ちを育んでしまう。

見なかった事にしたい気持ち。

反発する気持ち、見なかった事にする気持ちはその文章の解釈を歪んだ見方をさせてしまう。

一種の自己欺瞞だろう。自分の都合の良い事だけを自分の解釈のフィルターに通過させる。

そして、そのフィルターを通った情報だけで相手の事を理解した(と本人は思っている)が、本当はそうではない。

軽微な事は、日常起こっている。

相手は自分の行動や物の考え方に対して、
何が見えているのだろうか?
そして、何を感じたのだろうか?

そして何を伝えたいのだろうか?
本を書く時、できるだけ沢山の人に読んで欲しいと考えてしまいがちだがその考え方が全く間違っていた事に気づく事ができた。

書き手は、今、目の前にいる、人。その人はどんな人だろう。一人の人に焦点を当てると様々な情報がある事に気づく。

中年の男性。40代、中堅サラリーマン、家のローンが残っている、と同時に長男の教育問題、を抱える。
また、OL。読み本はVIVI、セシルが好き、ペットに凝っている。週末の飲み会は・・・・

そういう特定の状況下におかれている人に共感を与え、新しい刺激を与え、そして、読者に何らかの良い変化を促進するような文章を展開するのだ。

読者は自分の事、自分が共感できる事、そして、もやもやしてつかみ所の無い自分のやりたい事を発見させてくれる手助けを本を読む事によって手に入れる事ができるのだ。まるで少し冷たいが風のような心地よい感情の刺激、ワクワク感、そんな感情を本を読む事で感じてもらう。

特定の読者に特定の感情の刺激、ワクワク感を与える事ができれば、同じような特定の読者が「おお!これは自分のことだ!」と感動して読んでくれる。

昨日のアフターセミナー(飲み会)6名のうち、3名が出版関係者、非常にステートの高い良質の感動をいただいた。

また、この考えは、「出版」に限った事では無い、商品をデザインする時の考え方にも充分に応用が効く話である。


乱暴な表現をすると多様化するニーズの中では万人受けを狙う事は売れない事をがんばってやってるのと同じだ。マスで受けいられる言葉はちょうど使い古された目標や退屈なノルマのようなものにほとんどの人は刺激を感じなくなってしまっている。

もっとターゲットを絞りこんで特定のニッチな人々の気持ちに刺さる文章を書く。
人は本来、システムというものを信頼しないものだ、 システムは様々な状況や適用法に従って様々な意味を持つ物である。システムは個別対応を失わて誰もが同じようにルールに従って処理されてしまう。システムは社会システムを意味する事もある。時には大きな競合を意味するかもしれない。または、政府の方針かも知れない。人によっては人生がこんな風になってしまった事かもしれない。効率化が求められ、個別対応が失われ、システムがあまりにマニュアル化されている為お互いがお互いをコモデティに格下げしてしまったことかも知れない。この考え方は何もビジネスに限った事では無い。人生全般のおいて人類がコモデティになってしまったと感じてしまっているのである。だれもが自分がコモデティのように感じている。区別がつかない、目的が無い、つながりが無いと感じているのだ。現代はそういった社会なのである。そして、これは大きなチャンスであるとも言えた。

この会社は自分たちの事を平凡で満たされる事の無いノルマにとって変わる新しい選択肢に成りうるとみなしていた。人々が飽き飽きとした競合会社に対して彼らは、新鮮で個性ある選択肢に成りえたのだ。そして、多数派になることはコモデティになること考えているので、彼らは多数派になるつもりはなかった。多数派には個性が無く、価値観も無い。多数派の多くはシステムを導入しているが彼らは多くの人が本来、システムを信用せず怒りを抱えている事を知っていた。人はシステムが正しいのでは無く「皆さんのルールが正しいのですよ」と誰かに言ってほしいのだ。システムは必要なものではあるが人はシステムを毛嫌いしている。

そして、このジレンマの中にこそ、希望の持てるチャンス、誰も形に出来ていないチャンスが隠れていた。この成功した会社はこれを象徴する役割を担っていると考えていたのだ。彼らは様々な事に関する真実、もしくは知っておかなければ成らない事を、人々が知らされていないと言う事実を伝える基本的役割をも担っていた。例えば、ある商品の弱み、改善すべき事など、「知らない事を知らない」という事をクライアントに伝えたのだ。彼らは自分の役割を自覚していて。

「我々が知る限り、本当のところはこうですよと言う」
「これらのプログラムは一般的ですよ」
「これらのプログラムは特徴的ですよ」
「あなたは本当のところを知らされていないですよ」
「本当のところをお話しましょう」
と真実を誠実に語るのだ。多くの人は目の前に示されない事には何に焦点が当たっているのか解らないと彼らは信じていた。実際のところ私が思うに、この世界の実に多くの人がビジネスライフの真の意味。ビジネスの世界で生きて行くことの意味を理解しないままでいる。ちょっと思い出してほしい、漠然として相対的な話になってしまうのだが自分の心が何か、受け入れられたような、こころが包み込まれたような感覚、そういった感覚を思い出して自分自身に聞いてみて欲しい、どのようにしたら顧客、あるいは従業員、取引業者にも同じような感情を経験してもらえるだろうか?彼ら、つまり、成功した会社の人々がはたしている機能の鍵となる要素は人との絆で人々が次のステップを踏めるように手助けをすることであると彼らは感じていた、人々に情報を沢山与えたとしても、それを使って人々が何をしたら良いのか?何故それをするのか?本質的な部分で解らなければ意味が無かった、彼らの役割は点をつないで線を作り、人々に計画を立てさせ、次のステップを踏めるように手助けをし、保護者となる事だった。そしてそのステップを論理的で適切で明らかで簡単なものにすることであった。彼らの重要な役割は人々が明確に表現できなかったり、明快にできなったりした事を言葉にし、成長する事をサポートすることであると思っていた。あなたたち全員に伝えておく、声にはっきりと出して言葉にし、感じるという役割を担わないのは大きな機会の損失につながるという事を。伝えなければ解ってもらえないし、絆は構築できない、あなたがたは人間である。そして、人間はどんな環境にいようとも国籍を問わず、時代を超えて同じように感じるものだ。絆を構築するにはリーダシップを発揮し、クライアントの本質的な思いや「言葉」理解し、その理解を伝えて真実を語り、信頼にいたる保護者となることで成長を促す事だ。今まさに私があなたに見せたこの力学をあなたは何度も繰り返しあなたの顧客にも見せる事ができる。伝えることができる。これは同様に従業員、チームメンバー、取引業者、愛するもの、皆に対して出来る事であって、非常に強力なインパクトを生み出すものである、あなたにこの意味がわかっただろうか?
リーダーシップを売ることを自分自身の目的であるというマインドをセットせよ。
クライアントと精神的な結びつきを強くするために全力をかたむけよ。
そういう考えを持つ事で

ダンピング価格競争に巻き込まれる。
顧客の言われるがままに行動をしまう。
リーダーシップを発揮出来ずに人々を指導せず、放置してしまう。

そんな行動とは全く対局にある考え、マインドセットを手に入れる。

自分の専門分野においてのポジショニング(目的と役割)権威であること、ご意見番である、助言者としての影響力を発揮すること。

見込み顧客に「我々も同じように感じています」「あなたの悩みがなんであるか知っています」ということを(本当に)伝える事を重要であると考える。

単純に情報を与える事。
アドバイスを与える事。

この2つの大きな違いを認識する。

非常に納得できる、自分がその状況下でいるような具体的な環境で、その場合は○○の事を考慮しないといけないので、こういう方法がありますよ。という同じ目線、同じマインド、同じ知識のレベル、見込む顧客の心に具体的な未来を見せる。

解りやすい例を。

なんとなくもやっとした混沌している、ニーズ、あるいは意識、そして本当は何をしたいのか。様々な情報の砂嵐の中で、砂嵐をかけ分けるが全く進むべき、選択するべき形が見えない。

そんな時、砂嵐の中から二人のガイドが現れた。
一人目のガイドは自分が持っている装備や過去の実績を喋ったあと、近くに美味しいラーメン屋があるから行こうという。

二人目のガイドは砂嵐の中で先が見える特製のゴーグルとコンパス、そして地図を与えてくれた。

あなたはどっちを信用するだろうか?
でもこれを笑ってはいられない、しらないうちに一人目のガイドになってるかもしれないのだ。


言葉の使いかたについて考え方少し説明したいと思う。さながらコンセプト、コンセプトという言葉が幅をきかせると営業のツールとして一般化した言葉となってしまう事によってその言葉の本来持つべき意味(定義)が失われてしまう。きわめて、浅い意味での使われ方がされてきています。さながらオオカミ少年のように○○のコンセプト、××のコンセプトと聴かされると、その言葉とそれが本来持っている「言葉の意味」や「何故それを必要とするのか」がぼやけて、伝わらない、そんな現象が起こっているのではないかと思います。だから私は可能な限り、慣用句的な言葉を安易にもちいたり、カタカナを多用する事は避けようと思っています。なぜなら、その慣用句的な表現が以前どこかで使われていた場合、そのイメージによる影響が大きいと、伝えたい事が正確に伝わらないと考えているからだ。

カタカナ言葉や、慣用句を使う事は、言葉の意味をきちんと解り合っている人同士が使う、「記号」である。あるいは「暗号」という解釈もできる。専門家はその専門分野で専門家同士がコミュニケートする場合、専門用語を使用する。それはその専門以外の人は解らない。でも、少しわかったような気分で使うととんでもない誤解が生じたりする。だから安易に知っていないような言葉を用いるのは避けようと考えている。