渡辺繁一のブログ -51ページ目

渡辺繁一のブログ

演出の効果を設計する

問題の答えを考える時、1分で解ける時、10分で解ける時、3時間で解ける時、あるいは、1日、3日費やして問題の答えを考える、なんてことが昔はあったものだが、現在はスピードを要求されている時代である、人より早く答えを出す、ゆっくり考える暇などない、スピード、スピード、スピードの時代。


パズルを熱心に考えてようやくその答えを発見した時の快感。難解文章に内容を理解できた瞬間。何度も失敗しながら初めて自転車を操縦できるようになった瞬間。頭から煙がでるほど考えてようやく答えをだした。それが、集団の社会にはいるとその環境がかわってしまう、周りを取り巻く環境はスピード感や、結果のみをその人物の評価であるかのように考えてしまう。「時勢」「教育」がその創造の瞬間の快感させも奪ってしまったのではないか?

こんな思い込みがあるのでは無いだろうか?

「人に遅れる事が恥である」
「結果がその人物の評価である」
「問題は制限時間に解かないと意味が無い」

自分は学校教育時代、いわゆる「落ちこぼれ」だった。人より考える方向性が違う、人より考えるのが遅い、人より走るのが遅い。給食を食べるのが遅い(笑)。

このような状況にあっては、自分の感情を客観的に考えることなど不可能なのだ。
「落ちこぼれ」は自分の周りに起こる出来事全てを自分の全身全霊で受け止め、そして、みんなの仲間に入りたいが為、努力をする、があまりうまく行かないのだ。当然である、考えるのが遅いのでみんなについて行く事ができない。中途半端な判断で仲間に加わろうとする。それが軋轢をうむ。
変な話だが、努力して人格を殺す。そんな理不尽な思考パターンが「落ちこぼれ」の判断基準には存在する。人格イコール能力、この連鎖にはいると、登校拒否、うつなどの症状にエスカレートするのだと思う。


学校や会社で行われている「試験」は学校や会社で役に立つスキルや知識に応じて「分類」する尺度であってその人の「人格」を測るものではない。

と私は思うのだが、そういう解釈をしている人がどれだけいるのだろうか?
ビジネスマスタリーでは、商品の秋の時代、いわゆる収穫の時期、同様な商品が沢山ちまたにあふれ、価格が一段と低くなり、発売時における高級感や、希少価値的なイメージは無い、商品が大量に販売されることでその利益を発生させる仕組みと成っている。マーケッターはこれを商品のコモデティ化と言ったりする。これらは大企業が、行う戦術と言える。マーケットのシェアが比較的高いメーカーでは、商品を早く秋の収穫に持って行くかが、収益を増大す為の理想的なモデルになる。

零細企業でもスキルや発想力がずば抜けいている企業はあるのものだ、しかし、悲しいことに彼らが最初に市場に対して投入したそれは、コモデティ化の遥か前に行ったのにもかかわらず、市場のおけるポジショニングを確保する事無しに終息してしまう。気合いを入れてコンベンションに出展しても大手企業にアイデアをパクられて同等の商品が大手から発売される、全くの新製品として、その場合、特許、実用新案はあまり有効な対抗手段とはいえない、アイデアに知的所有権は存在しないのだ。


大手が手をつける事が出来ない、領域(スモールマーケット)を確保し、その領域においてクライアントの価値を高める事ができる環境を構築する事が必要であると思う。大手は商品のコモデティ化に走るが、零細企業は、コモデティ化の中での価格競争の仲間には入れないし、間違っても入ろうとも思わない事だ。限られたユーザーはコモデティ化、システム化された、商品やサービスに興味を示さないようになって来ているのは現状ではないだろうか?「そんな事を言っても 競合がコストを落としてくるので・・・・」という関係の中で価格のとめどない下落につきあっていると正常な企業活動ができなくなってしまう。


自らの企業が利益を生み出すのは「何を売っている」のか?この本当の意味を知って質問に答える必要がある。この答えが抽象的であれば、あなたの会社の存在も抽象的なイメージなのだ。他と同じようなものであれば、他と同じようなものを提供しているだけで、特別な「あなただけ」の「売り」は無い状態だ、他と同じものを他と同じように売っていたのでは「コモデティ化」されるか「終わるか」どっちかの選択肢しか無い。
最近、いろんなところでいろんな人と合う。

すごく人間力のある人、すごい技術のある人、ノーベル賞を辞退した人、著名な作家、芸能人、

これだけ多くの人と合うのは近年なかった事だ。

あの人はすごい、すばらしい感動した。そんな日々を送る事は刺激があって楽しい。

その状況を完全に受け身に感じて、自分からなんの行動も起こしていないのなら。

なんの進歩も、成長も得る事ができない。

たゆみなく訪れるチャンスにチャレンジする事無く。ただ眺めているだけに過ぎない。

自分はあった人に何ができるのか?

そしてどんな良い刺激を与える事が出来るだろうか?
「理解ってもらうことが出来なければ、それで良い。
それもまた、その人、その会社の考え方だから・・・」

とあるフリーで仕事している方がおっしゃった。
まさに、職人気質な思考原理と言えるだろう。

しかし、本当にそれでいいのだろうか?

理解出来ない理由はとしては

1.相手のスキルがそこまで追いついていない場合。

2.説明がわかりにくい。

3.相手が説明を理解する意欲が無い。

4.理解しているのだが、その意見に対して異論があるので理解していないふりをしている。

のいずれに該当しているか分析する必要が在るかも知れない。

そして、もっとも怖いのが

解ってもらっていないと言うことは

「無い事と同じ」と言えるだろう。

まず発信側。説明側はそれが存在する事からの説明なので、存在する事が前提だが・・・・

そして受信側。受け手は、説明からその存在を理解する必要があるので、
理解しないことには・・・

「それは存在しない」と同等の意味に成る。という事をこの歳になって理解する事ができた。


改めて説明と理解の難しさを実感しました。
すごい!新しいアイデアを思いついた。これはおもしろい、発想がユニークだ、注目されるに違いない。

しかし、そのアイデアを別のフェーズから考慮する必要がある、「で、それで?」というクエッションだ。

つまり、そのアイデアを運用した時の運用者が得る事が出来る価値(お金を出すに値する)イメージは何かという事だ。

それを具体的にする事が必要だろう。

それをちょっと古い表現では、対費用効果、と言ったりする。

クリエーターは自分のアイデアが実現された場合、その事でもたらされる「効果」をできれば測定が可能な情報で提案する事が望ましいと言える。

売り上げのアップ、集客人数の上昇など、客観的に「理解できる」数値で示し、導入後それを上回る効果を出す責任を保有しているという「意識」を持つ事がクリエーターが単なる「アイデア屋」で終わらない事につながると考えている。

あなたのそのアイデアはクリエーターのアイデアだろうか?

それともアイデア屋のアイデアだろうか?