落ちこぼれの理論 | 渡辺繁一のブログ

渡辺繁一のブログ

演出の効果を設計する

問題の答えを考える時、1分で解ける時、10分で解ける時、3時間で解ける時、あるいは、1日、3日費やして問題の答えを考える、なんてことが昔はあったものだが、現在はスピードを要求されている時代である、人より早く答えを出す、ゆっくり考える暇などない、スピード、スピード、スピードの時代。


パズルを熱心に考えてようやくその答えを発見した時の快感。難解文章に内容を理解できた瞬間。何度も失敗しながら初めて自転車を操縦できるようになった瞬間。頭から煙がでるほど考えてようやく答えをだした。それが、集団の社会にはいるとその環境がかわってしまう、周りを取り巻く環境はスピード感や、結果のみをその人物の評価であるかのように考えてしまう。「時勢」「教育」がその創造の瞬間の快感させも奪ってしまったのではないか?

こんな思い込みがあるのでは無いだろうか?

「人に遅れる事が恥である」
「結果がその人物の評価である」
「問題は制限時間に解かないと意味が無い」

自分は学校教育時代、いわゆる「落ちこぼれ」だった。人より考える方向性が違う、人より考えるのが遅い、人より走るのが遅い。給食を食べるのが遅い(笑)。

このような状況にあっては、自分の感情を客観的に考えることなど不可能なのだ。
「落ちこぼれ」は自分の周りに起こる出来事全てを自分の全身全霊で受け止め、そして、みんなの仲間に入りたいが為、努力をする、があまりうまく行かないのだ。当然である、考えるのが遅いのでみんなについて行く事ができない。中途半端な判断で仲間に加わろうとする。それが軋轢をうむ。
変な話だが、努力して人格を殺す。そんな理不尽な思考パターンが「落ちこぼれ」の判断基準には存在する。人格イコール能力、この連鎖にはいると、登校拒否、うつなどの症状にエスカレートするのだと思う。


学校や会社で行われている「試験」は学校や会社で役に立つスキルや知識に応じて「分類」する尺度であってその人の「人格」を測るものではない。

と私は思うのだが、そういう解釈をしている人がどれだけいるのだろうか?