バーチャルでは不思議現象がまかり通る。
小さい会社なのだけど、大企業のイメージに出来る。
クライアントのフォローがメールマガジンで格段に向上。
読者が2,000人。
友達6,000人。
カナダの友人に話題に日本人がコメントを書き、数分後、また、フランス人がコメントを書く。
そして、フランス人とカナダ人が友達になる。
先日、友達との飲み会が田園都市線の「藤が丘」駅であった。最初、数人で飲み会をしようといったことが、FBを通じてコミュニケーションするうちに参加者は30人をうわまわる。
医師、弁護士、コンサルタント、証券マン、モデル、手品師、生命保険営業マン、セラピスト、デザイナー、大手企業の海外事業担当者、アパレル関連、外資系企業経営者などなど、さながら、昭和初期のレトロな雰囲気を醸し出す居酒屋「そうま」は、自然発生した異業種交流会ならぬ、偉業種交流会に・・・・
など、おおよそ「リアル」な世界では想像できなった事が・・・・
現実の起こっている。
このバーチャルな、リンク社会、バーチャルリンクソサエティは全く新しい「価値」を瞬間的に発生させる。
まか不思議な力を内包しているのだ。
この舞台照明業界での歴史がまた一つ変わった、そしてその瞬間に立ち会える事ができたのは。
大変意味のあるものだった。
知人が社長を25年勤め上げ、後任にその重席を譲る。
すばらしい、会だった、感動した。
いろんな難しい理論を振りかざす経営評論家は沢山いる。
また、経営について、解りやすく書かれている書物も沢山書店には反乱している。
マーケティング、マネージメント、組織論そのたぐいのセミナーも沢山ある。
でも、実際に実行すること、決断することの難しさ、時には、ダーティで理不尽な事もかいくぐりこともあったのだろう。
朴訥と喋る彼のスピーチの言葉と言葉の間に25年間の深みを感じた。
本当に25年間、一代で築きあげ、社員24数名を養うまでにいたる過程は、自分の想像を絶するに違いが無い。
もはや理屈ではなく、本質、本能、そう、経営本能というのかも知れない。
いろんな、人の話や、経営理論、スキル、組織論などを知る事は、テクニックとしては重要度が高い。
だが、もっともっと重要度高いのが、実践で、現場で、交渉の場で、
どう行動する事が良いのか?
企業の良い方向に結びつくのか?
会社として社会貢献ができる事?
それが常に、自信の信条として瞬間的に湧き起こる。
そんな姿勢を持つ人間となることではないだろうか?
大変意味のあるものだった。
知人が社長を25年勤め上げ、後任にその重席を譲る。
すばらしい、会だった、感動した。
いろんな難しい理論を振りかざす経営評論家は沢山いる。
また、経営について、解りやすく書かれている書物も沢山書店には反乱している。
マーケティング、マネージメント、組織論そのたぐいのセミナーも沢山ある。
でも、実際に実行すること、決断することの難しさ、時には、ダーティで理不尽な事もかいくぐりこともあったのだろう。
朴訥と喋る彼のスピーチの言葉と言葉の間に25年間の深みを感じた。
本当に25年間、一代で築きあげ、社員24数名を養うまでにいたる過程は、自分の想像を絶するに違いが無い。
もはや理屈ではなく、本質、本能、そう、経営本能というのかも知れない。
いろんな、人の話や、経営理論、スキル、組織論などを知る事は、テクニックとしては重要度が高い。
だが、もっともっと重要度高いのが、実践で、現場で、交渉の場で、
どう行動する事が良いのか?
企業の良い方向に結びつくのか?
会社として社会貢献ができる事?
それが常に、自信の信条として瞬間的に湧き起こる。
そんな姿勢を持つ人間となることではないだろうか?
ちょっとさぼっとしてまいました。
部屋の模様替えは、いろんな事に影響を及ぼすようで、普段と違う方向を向いて仕事をするだけで感覚が変わり、新しい感性を刺激してくれるようです。
パソコンを事務所の床において気づいたことは、その振動、ファンを伝わって、床、椅子とつたわり、身体で音を聞いている、椅子の固有振動周波数と、パソコンからの振動数が同期して起こっている、椅子に座らない事には音はしないのだが、以外とこれが不愉快なのだ、机の上にパソコンを移動するスペースは無いので、パソコンの下に防振性のゴムをひいてチェックするが、あまり効果が出ない、周波数によって通過するのだろう。なんか良い方法はないのだろうか?
愛用のアーロンチャアでは、この感覚が強い、ためしに他の椅子でおこなうがやはり振動がつたわる。
これは、骨伝導といわれるものなのだが、こんな事で体験できるとは思っていなかった。
できればもっと意味のある、もっと有意義なもので体験したかった。
人間、気にすると気になることがある。必要では無い物は、その情報が与えられているのにもかかわらず自動的に頭の中でフィルタリングされてしまう。この振動もその理論からすると「感じない」人もいると思う。でも、逆に言うと「不快であると感じる」事に何らかの意味があるのかも知れない、あるいはこの特定の周波数に何か意味があるだろうか?と考えることもできる。僕はその分野の専門家でもなんでもないのだが
僕は、椅子からの振動が不愉快な感覚の原因であるという原因について気づくことができた、オフィイスなどでは、いろんな機材があり、それが、もしかしたら身体に対して不愉快な振動を与え続けているかも知れない、この「音」は身体に伝わる「振動」なので、測定装置では測定する事ができない。
OA機器を長時間使用すると疲れるとかストレスがでるとかの問題が発生しているが、電磁波以外にも振動による身体に与える影響もあるのではないだろうか?
部屋の模様替えは、いろんな事に影響を及ぼすようで、普段と違う方向を向いて仕事をするだけで感覚が変わり、新しい感性を刺激してくれるようです。
パソコンを事務所の床において気づいたことは、その振動、ファンを伝わって、床、椅子とつたわり、身体で音を聞いている、椅子の固有振動周波数と、パソコンからの振動数が同期して起こっている、椅子に座らない事には音はしないのだが、以外とこれが不愉快なのだ、机の上にパソコンを移動するスペースは無いので、パソコンの下に防振性のゴムをひいてチェックするが、あまり効果が出ない、周波数によって通過するのだろう。なんか良い方法はないのだろうか?
愛用のアーロンチャアでは、この感覚が強い、ためしに他の椅子でおこなうがやはり振動がつたわる。
これは、骨伝導といわれるものなのだが、こんな事で体験できるとは思っていなかった。
できればもっと意味のある、もっと有意義なもので体験したかった。
人間、気にすると気になることがある。必要では無い物は、その情報が与えられているのにもかかわらず自動的に頭の中でフィルタリングされてしまう。この振動もその理論からすると「感じない」人もいると思う。でも、逆に言うと「不快であると感じる」事に何らかの意味があるのかも知れない、あるいはこの特定の周波数に何か意味があるだろうか?と考えることもできる。僕はその分野の専門家でもなんでもないのだが
僕は、椅子からの振動が不愉快な感覚の原因であるという原因について気づくことができた、オフィイスなどでは、いろんな機材があり、それが、もしかしたら身体に対して不愉快な振動を与え続けているかも知れない、この「音」は身体に伝わる「振動」なので、測定装置では測定する事ができない。
OA機器を長時間使用すると疲れるとかストレスがでるとかの問題が発生しているが、電磁波以外にも振動による身体に与える影響もあるのではないだろうか?
2.イメージを持つ力の衰え
こんな経験はないだろうか?
初めての修学旅行の1ヶ月前、ワクワク感が毎日続く、どんな事が待っているか?どんな新しい風景に出会える事ができるのだろうか?これから起こる未知のワクワクする出来事に対して様々な想像力が働く。そして自らその旅行を楽しむため、ワクワク感を増幅するために、いろんな情報を検索したり、仲のいい友達と話をしたりする。
そして、前日、ワクワク感がピークに達して興奮して眠る事ができない、想像したワクワク感が頭に中に洪水のように押し寄せる。
こういう経験はだれにでもあるものなのだ。想像力、イマジネーションの力はだれでも標準装備された能力ということが出来る。
ではなぜ?イマジネーションの力が衰えるのだろうか?
答えは簡単、想像するよりも早くその答えが世に中に氾濫しているからだ。具体的な答えがあるとそれについて疑わず、そのまま情報を鵜呑みにしてしまう。世の中は解りやすいこと、刺激があること、具体的であること、そんな表現や、演出が氾濫している。解りやすくなった事で人は短時間できわめて沢山の情報を受け入れる事ができ、記憶する事ができるようになった。良い事ずくめのような感じすらするのである。
でも、こんな考え方がうまれてくるのではないか?
答えがすぐにあると考える力が亡くなる。
疑問を持つ事をしなくなる。(疑う事をしなくなる)
考えが金太郎あめ的になる(問題の答えは一つしかない)。
なんか怖くない?
テレビ、インターネットは、人に知識を便利与えたが、知的達成感、やイマジネーション、想像力を奪ったのかも知れない。
僕が小学校の4年のころ、学校で飼っているにわとりの事を作文に書いた。「とさか」と言葉が解らなかったので、頭にある赤い王冠と書いた。先生は喜んでくれたのだが、その他大勢は「とさか」と言う言葉を知らない事は「間違いだ」と言ったのだ。僕は自分の文章が未熟であると感じ、その文章を書いた事を恥たものだ。
これは、些細な例かも知れない、でも、考えて欲しいのだ。答えは沢山あるという事を、そしてそれを否定する事をしてはいけない事である事を。
こんな経験はないだろうか?
初めての修学旅行の1ヶ月前、ワクワク感が毎日続く、どんな事が待っているか?どんな新しい風景に出会える事ができるのだろうか?これから起こる未知のワクワクする出来事に対して様々な想像力が働く。そして自らその旅行を楽しむため、ワクワク感を増幅するために、いろんな情報を検索したり、仲のいい友達と話をしたりする。
そして、前日、ワクワク感がピークに達して興奮して眠る事ができない、想像したワクワク感が頭に中に洪水のように押し寄せる。
こういう経験はだれにでもあるものなのだ。想像力、イマジネーションの力はだれでも標準装備された能力ということが出来る。
ではなぜ?イマジネーションの力が衰えるのだろうか?
答えは簡単、想像するよりも早くその答えが世に中に氾濫しているからだ。具体的な答えがあるとそれについて疑わず、そのまま情報を鵜呑みにしてしまう。世の中は解りやすいこと、刺激があること、具体的であること、そんな表現や、演出が氾濫している。解りやすくなった事で人は短時間できわめて沢山の情報を受け入れる事ができ、記憶する事ができるようになった。良い事ずくめのような感じすらするのである。
でも、こんな考え方がうまれてくるのではないか?
答えがすぐにあると考える力が亡くなる。
疑問を持つ事をしなくなる。(疑う事をしなくなる)
考えが金太郎あめ的になる(問題の答えは一つしかない)。
なんか怖くない?
テレビ、インターネットは、人に知識を便利与えたが、知的達成感、やイマジネーション、想像力を奪ったのかも知れない。
僕が小学校の4年のころ、学校で飼っているにわとりの事を作文に書いた。「とさか」と言葉が解らなかったので、頭にある赤い王冠と書いた。先生は喜んでくれたのだが、その他大勢は「とさか」と言う言葉を知らない事は「間違いだ」と言ったのだ。僕は自分の文章が未熟であると感じ、その文章を書いた事を恥たものだ。
これは、些細な例かも知れない、でも、考えて欲しいのだ。答えは沢山あるという事を、そしてそれを否定する事をしてはいけない事である事を。
携帯電話が世間に普及して、電話番号を記憶する事がなくなった。僕が会社員を始めた時はよくかける取引先、や友人の電話番号、住所などは結構覚えていたものだ。いまは、携帯が全て記憶してくれる、名刺もスキャンすれば、住所や電話番号の入力が簡単にできる。プロダクトメーカー達は、消費者のニーズの先読みをし、ハイパーなビジネスツールをサプライし続けている。
聞いた事の無い学術用語もグーグレばほぼ瞬間的にその「答え」が手に入る。
でもちょっと考えてみた。
漢字を忘れてしまったって事、ないだろうか?
ほとんどの情報伝達手段が電子的に行われるようになって、まだ15年程しか経過していないのに、これはある意味において進化イノベーションがもたらす、知的退化の現象と言えるのかも知れない。
知的な力仕事がメーカーのイノベーションで軽減され、ビジネスマンはクリエィティブな時間を手に入れたが、便利になった、今まで出来なかった事がすぐにできるようになった、時間が短縮できた、今まで以上に知的生産性がアップする環境が整いつつあるのだが・・・・・
電話番号を記憶する必要がなくなった。
漢字を忘れてしまう。
そんな退化以上にもっと大きなかつ重大な退化が始まっている。
1.解く力の衰え
ある教室で問題を先生が正面のホワイトボードに書いた。生徒はその問題を解くべく考える。「わかった人いますか?」先生が聞く、誰かが答えを発表する。本当の問題はこの瞬間だ、誰かが答えを言った瞬間、解らない人は考えるの停止してしまうのだ。
問題を考えている最中は脳はありとあらゆる手段を講じて前進全霊で問題を解こうと考えているが、答えを聞いた瞬間考えることを停止し、答えに集中してしまうのだ。答えの解説を聞くと問題をとけなかったその生徒は次からその問題を(一応)解けるようになるだろう。
でもそれは、「問題の解き方を記憶しているだけ」で
「問題の解決する力(発想)」が伴っていない。
結果のみで人物の評価をする便利なツールが試験である。
解き方を数多く記憶している人も、解く力がある人も結果で判断されているのだ。
この違いわかっただろうか?
僕はこの「解く力」が安易に答えが手に入る環境で退化しているのではないかと考えている。
2.イメージを持つ力の衰え
歳が知れるが僕がものごごろつく頃はテレビはまだ一般の家庭にまで普及していなかった。小学校でようやくテレビが家にやってきた(笑)。
(続く)
聞いた事の無い学術用語もグーグレばほぼ瞬間的にその「答え」が手に入る。
でもちょっと考えてみた。
漢字を忘れてしまったって事、ないだろうか?
ほとんどの情報伝達手段が電子的に行われるようになって、まだ15年程しか経過していないのに、これはある意味において進化イノベーションがもたらす、知的退化の現象と言えるのかも知れない。
知的な力仕事がメーカーのイノベーションで軽減され、ビジネスマンはクリエィティブな時間を手に入れたが、便利になった、今まで出来なかった事がすぐにできるようになった、時間が短縮できた、今まで以上に知的生産性がアップする環境が整いつつあるのだが・・・・・
電話番号を記憶する必要がなくなった。
漢字を忘れてしまう。
そんな退化以上にもっと大きなかつ重大な退化が始まっている。
1.解く力の衰え
ある教室で問題を先生が正面のホワイトボードに書いた。生徒はその問題を解くべく考える。「わかった人いますか?」先生が聞く、誰かが答えを発表する。本当の問題はこの瞬間だ、誰かが答えを言った瞬間、解らない人は考えるの停止してしまうのだ。
問題を考えている最中は脳はありとあらゆる手段を講じて前進全霊で問題を解こうと考えているが、答えを聞いた瞬間考えることを停止し、答えに集中してしまうのだ。答えの解説を聞くと問題をとけなかったその生徒は次からその問題を(一応)解けるようになるだろう。
でもそれは、「問題の解き方を記憶しているだけ」で
「問題の解決する力(発想)」が伴っていない。
結果のみで人物の評価をする便利なツールが試験である。
解き方を数多く記憶している人も、解く力がある人も結果で判断されているのだ。
この違いわかっただろうか?
僕はこの「解く力」が安易に答えが手に入る環境で退化しているのではないかと考えている。
2.イメージを持つ力の衰え
歳が知れるが僕がものごごろつく頃はテレビはまだ一般の家庭にまで普及していなかった。小学校でようやくテレビが家にやってきた(笑)。
(続く)