渡辺繁一のブログ -49ページ目

渡辺繁一のブログ

演出の効果を設計する

これをしたいと言う心の声がある、時にはそれに従って行動をし、

ある程度の成果がでるようなことがあると、「これは自分の実力では無い」と違和感を感じる事がある。

みんなのちからが結集されたものだと思うようにしている。

謙虚さが必要であると。

最近、いろんなセミナーや会合を通じて、人と話したり、自分の考えを喋る事がある。

そこで喋る事と考えていることに大きな矛盾がある事を自覚する。

自分が何を目的として生きているのだろうか?

とあるセミナーで自己表現し、それを紙にかいてみたものの、その目的を達成することに対して、

全くわくわく感が感じられなくなってしまう。

未だに目的が定まらない。もしかしたら一生そんな状態になるのかも知れない。

自分の考えの根底には、人の言うことを守っている事がどこか無難であると考えているところがある。

自分自身の世界で何かを追求したいという強い欲求はあるのだが、そのことに専念する事で会社に売上げや友人関係を失ってしまう事が非常に恐怖であると考えてしまうところがあるのだ。

本当にこれを押し進めていいのだろうか?

だから、志、途中で確認し、人の意見に耳を傾けてしまう。

「すごいですね」「すばらしい」とか単純にほめてほしいという欲求もある。

またちょっとしたアドバイスもある、「これはいいのだが、もう少しこうすればもっと良くなるよ」

そのアドバイスに気持ちが動かされることで、だんだんと自分の目的とするものと異なったものになっていくことが
ある。

それで、その行動そのものに情熱を感じなくなってしまうのだ。

めんどくさくなってしまう。そして無難な、当たり障りのない物達が世の中に出て行く。

それでも、だれがなんと言おうとこれだ。嫌われる事を恐れない、売れなければそれはそれでいい。(たしか岡本太郎さんがそんな事を言ってたと思うのだが)

という強い芯があれば・・・・・


自我が無いだろうか?

中途半端でめんどくさい人間なのか?
今、貴方が行うべき「努力」どういう方向だろうか?

○○しないと偉くなれない、××の本で読んだ事を実行しないと行けない。

未来の自分を想像する、

成功する為には「やらないと行けない事」が多すぎる。



人は、本来、自分が居心地が良い状況に対して放置しておけば自動的に、あるいは強制的に

「戻る」生き物だ。

だから、絵に書いたり、毎日、毎日唱えたり、目標の設定が大事なる。

でも、発想を180度変えて見よう。

今、現在我々が生活しているのは。居心地の悪い状況であるという事を強烈に思うのだ。

例えば、年収2000万を得たいと強く思うのでは無くて、

年収2000万がコンフォートゾーンであり、自分がそこに現在いるのであるというきわめて強い意識を持つ事が

必要だといえる。既に手に入れた、目標、自分がどのようにふるまうことがふさわしいのだろうか?

そういう位置に自分を持っていき「演じる」こと。そうすることで、2000万の年収が「普通」でいまの年収の

状態が「異常」な状態であると感じ、考える事を24時間、365日。

「普通」で居心地の良い状態「コンフォートゾーン」に導いていく力を利用しようとする。

実際に年収が2000万クラスの人は結構いると思う、その人は、2000万円の年収が「普通」なのだ。

だからその人と同じように振る舞い、考え、判断し、行動することが「普通」にできるはずなのである。


先日、事務所兼、自宅を大規模的に処分した、いらないものを「捨てる」のでは無く、いるものを「残す」ことにフォーカスし、必要なものだけ残した。そうすると面白いことがおこった、片付けないと行けないと思うのでは無く、片付けてある状態が「コンフォートゾーン」に変化した。

通常の状態「整頓されている状態(これが普通)」であると考える事ができた。

異常な状態「あまりキチンと整理されていない状態(これが異常)」であると感じる、意識を得た事になる。

以前は、後者のほうだったので、たまに来客があると人目に触れる部分を重点的の付け焼き刃的に整理するわけだ、自分の整理整頓におけるコンフォートゾーンは「あまりキチンと整理されていない状態」だったので努力せずに無意識にその状態に戻る訳のだ(笑)

それと同じことが、自分の目標でも言えるのでは無いかと感じた。何故?努力するのか?それが「コンフォートゾーン」であることで、無意識にその状況に持っていけると感
自分の直感について勇気を持つこと。

アップルのCEOスティーブ・ジョブズが語った一部のコトバだ。

また、昨日、友人で尊敬する岡田氏のブログで

あなたはあなたの考えで生きる。
それだけなのです。
正しい事を追及して疲弊するより、
あなた自身の“楽しさ”を追いかけて下さい。
何をしていたらワクワクするか、
誰といたらドキドキするか。

というコトバが自分の気持ちに刺さった。

-----------------------------------------------------

最近、解った、腑に落ちた、インストールされたなどと心で感じている事・・・・

だった事は、実は頭で理解し、分析してだけだったのでは無いかと疑問が湧いてきている。

自分の夢、目指すものがこれで、将来どうしたいのか?

その形をいちおうは紙に書いてはみたものの・・・・・

自分を駆立てる、ワクワク感や楽しさが無いのである。

自分は他の人は少し違う感情のロジックがあるようだ。

楽しむ事に罪悪感を感じる事すらある。

楽しんでそれをひけらかす、自慢する、それは良く無い事だと。

小さいころはもっと自由に発言し、行動していたような気がする。

絵を書くのが好きだったのを思い出した。小学校では、たしか学校に張り出された思い出がある。

美術だけは、時間を忘れたような思い出がある。

ある時、版画をつくった、先生が結構褒めてくれた覚えがある。

気持ちも心も絶頂感だった時に、「有頂天になるな」と友人から厳しい指摘をいただいた。

それが始まりでは無いのだろが、賞をもらう、褒美をもらう事に対して、違和感があるのだ。

そろばん塾の授業である成績をあげた時、帰り際に判子を手帳に押してもらうことができ、たまると何か特典がもらえるような事があったと思う。自分はその判子を押してもらう事に全く興味が無かった。

具体的には覚えていないが自分が楽しいという感情を得、他の人に比べ優位になるとその賞を辞退する。そんな考えが自分にはある、それを美化するつもりも無い。ただ、ふさわしく無いと感じてしまう。

秋葉原の通り魔事件をみて、事故に遭われた人に両親が泣き叫んでいるのを見て、前途ある若者の変わりに自分が変わることができればなぞと考えがよぎったことがある。

毎日、いろんな人の苦しんでいるというのに、自分だけが楽しむ事は良く無い事だと。

しかし、セミナーや研修にでて自分のやりたい事が少し解ってきたりすると、

自分はブレーキが効かなく事があるようだ。

先日、自分が覚えたマーケティングの

理論をある会社に吹聴した、そのことが、あまり良く無い印象をつくってしまった。

ところかまわず理論を喋ることで「頭でっかち」な存在にクライアントから見えてしまった。

その会社に対する対応であることを知らされる事になった。

クライアントが私に言った事は「知るものは語らず、知らぬものは語る。」

結局、浅いのだ。

やることなすこと考えることが中途半端なのです。
某、デザイン事務所との打合せ、中国の富裕層向けのマンションギャラリーのデザインをしているという。中国国内の案件を日本から責任施工しようとしてもコスト的に厳しいものがある。という訳で今回はプランだけを建てるということでの打合せだった。

ショールームの平面図を渡され、照明計画のプランをするのだが、情報がなにも無い。

今回販売するものは分譲か?

賃貸か?

販売金額は?ここにくるターゲット(富裕層)の種類は?

ショールームの狙いは?

展示物を見る時間は?

ショーのシナリオは?

ソフト的な事は全く情報が無いのだ、これでは、プランの書きようが無い。

意見を求めるが、無いものは無いのだ。

それでも、デザイン事務所や設計事務所は図面を書いたり、プレゼンしたりする。

そういう話が着々と進んで行ったりする。ある意味、想像を超えた世界がある。

それをサポートする設備業者もノーコンセプトで、図面を書き、予算を出し、プレゼンしている。

何の為にそれらの設備が使われ、それがどういう効果をお客様が手に入れるかを伝える事が出来ない。

その設備を導入しなかった時にどんなデメリットがあるのか?

実際に使用され、運用されるレベルにおける

提案が盛り込まれていない、それも当然である。

お客様の事を理解をしていないからだ。

さっきのようなお客様がその設備を導入したことにおける効果やベネフィットをアドバイスすることが

プレゼンだと思えるのだが、ノーコンセプトの状況下のプレゼンは、

単なる設備の特徴や、性能を「説明」しただけけのものであって、

その話はクライアントに睡眠薬を与えるようなものなのかも知れない。


それは、ちょうど官僚的伝達方式(軍隊的な命令形式)の商習慣のDNAを払拭する事ができない、そんなイメージがするのだ、上からの命令は絶対である、その事を忠実に守らなければならない、余計な質問はNG。この伝達形式が成立する組織は今や化石かガラパゴスなんだ。

今でこそ、携帯や、インターネット、情報伝達にかかる時間が短く、経済的に利用できるツールも広がってきている、

が・・・・・・

頭とメンタルがガラパゴスになっている、そんな業界はまだまだある。珍しいものは希少価値であるという理論が存在するが、この構造的なガラパゴス状態は産業界に根強く、数多く残っているのだ。

例え話としはあまり美しくないのだがあえて書きたいと思う

ナベの底のこびりついた焦げ跡、なかなかこすってもとる事ができないものだ、その「こびりついたもの」をきれいに削除せずにまたそのナベで料理するとどういうことが起こるだろうか?

「こびりついたもの」で味が変わったかどうかは解らないのだ。

でも、なにか違うと気づくことが出来る人は、その原因について考え、調査し、成長する事できる。

解らないという事に気づくことが無いと進化しない「ガラパゴス」になってしまう。

解らないのが問題であることを感じないといけない。