100年前の人の賢者の叡智にふれる。 | 渡辺繁一のブログ

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演出の効果を設計する

伝わる事のレベルは大きく分けて2つのレベルがある。

1.言葉として理解をしている。
これはきわめて浅いレベル、文章を読んで日本語としての意味を理解をしただけの状態。
1.のレベルは、「言葉」という「記号」で理解をしている。ことでそれ以上の掘り下げがなされていない。
しかしながら、1のレベルの理解者は、それで充分な理解を得たと考えてしまう事がある。
知識と言う事も言える。


2.何故?その理論が生まれたのかを理解する。
言葉になった事で、伝えたい内容は「記号化」されている。記号化は一瞬で沢山の人に同じ概念を与える事については非常に有効な手段ではあるが、その反面、「慣用される」リスクを伴う、つまり、その「慣用化」された言葉についてそれ以上の深い意味を掘り下げるような努力生まれない怖さのだ。

名文や名言がある、それらは、言葉の結晶なのだ、結晶されたものは美しい、鑑賞に耐えうる、逆の言い方をすると近寄りがたいイメージもある。ただそれを文章として記号としての理解をしているとそれ以上の理解が得られない、ちょうど、氷の塊(結晶)だと考えるとわかりやすい、時間をかけて氷と溶かし、中の成分や構成を知る。そうする事で本当の意味を解釈する事ができ、その文章の生まれた発想に接する事ができると考えている。

先日、既に亡くなられた岡本太郎氏の著書を読んだ、一度読みだけでは「記号」としての理解が頭にインストールされるだけなのだが、2度目では「芸術は爆発だ!」と言っている著者の内面、考え方に触れることができた、夢にこそ出てこないが、太郎氏が講演するとこんな感じなのかな?とか、彼が建築物を創るとこんなものを創るのじゃないかな?と考えるのも楽しい。この理論だと、数100年前の人の賢者の叡智にふれる。そんな事も夢ではないのだ。