三宅島キッズサマースクール☆2日目のお昼前。
山から下ったあとは、溶岩原の見学に行きました!
ここは昭和58年の噴火によって流出した溶岩で、集落が埋まってしまったところです。
『阿古小中学校跡 溶岩遊歩道』
赤黒い溶岩があたり一面を埋め尽くす様子は、圧倒されます。。。
ゴツゴツした溶岩が10m近く、埋め尽くしています。
ここは当時、温泉があり、港にもほど近く、民宿もたくさん立ち並ぶ、島で一番大きな集落でした。
約500世帯が集まっている集落でした。
そこが一夜にして、真っ黒い溶岩に埋め尽くされてしまいました。
当時の小学校、中学校の中に、溶岩がぶっ詰まっている様子、体育館の屋根の鉄骨がグニャグニャに曲がってしまっている様子を見学しました。
真っ黒い溶岩原だけど、すこしずつ緑も根を張り始めています。
溶岩などの荒地にまっさきに根を張る、パイオニア植物
この植物たちのやがてもっとお落ち葉がたまっていくと、溶岩のゴツゴツしたところに“土壌”が生まれます。
そうして、緑が復活し草原になり、やがて樹木が育って森になっていきます。
このように、三宅島の自然はかならず復活します。よみがります。
人もです。
これほどの集落が飲み込まれ、家が埋まってしまっても、人々はまた集落を再建させてきました。
そういったお話を伺いに、次は“風の家”に向かいました。
伝統技法で作られた木造りでかやぶき屋根の、趣のある建物です。
ここは、島の方々の憩いの場として集会所のような形で利用されています。
そこで、この日は島のお年寄りの方々にお集まりいただき、噴火当時の様子や
島の暮らしについて、いろいろ伺いながら、一緒にお昼のお弁当を食べました。
風の家の中は、名前の通り風が良く通って涼しい~なんか居心地が良くて楽しく会話も弾みます。
「もう私は4回も噴火を経験しているんだよ」というお年寄りの方も。
「なんでこんな噴火が起こる島に住んでいるの?」と聞くキッズ。
「やっぱり三宅島が好きだからだね~」と答えが。
お話いただいた中から~~
~~
噴火は恐ろしいものです。
人の力では、どうすることもできないものだからね。
でも、そのたびに人の温かさに触れてきました。
三宅島の地域の人はみんな、いつも声を掛け合って仲良く暮らしています。
だから、噴火の時もすぐに助け合って、だれも死んでしまうこともありませんでした。
そして、島の外の人からもとても助けられてきました。
とくに、2000年の噴火のときは、約5年間も島の外に避難しなくてはならなかったけど、
そのとき、内地の人々がみんな本当によくしてくださって。
今日来ているみんなはまだ生まれたばかりくらいだったけど、
みんなのお父さん、お母さんもきっと三宅島のことを助けてくれて、応援してくれていたでしょう。
みなさんのおかげで、三宅島の島民はなんとか避難生活を送ることもできたし、
とても励まされたんです。そしてまた三宅島に帰ってくることが出来ました。
だから、島民はみんな、あの時の皆さんにとっても感謝しています。
おうちに帰ったら、ぜひ伝えてくださいね。
~~~~
“風の家”の皆さん、貴重なお話ありがとうございました!
そうなんです。
三宅島の島民は噴火と共に生きています。
噴火に対する心構えは、お年寄りから子どもに伝えられていきます。
噴火のときはみんなで助け合うんだよ、と。
そして助けられた人達に対する感謝の気持ちを忘れちゃいけないよ、と。
また、三宅島の豊かな自然の恵みは火山島だからこそのものです。
森は焼かれてしまっても、またいつか必ず蘇ります。
海の中も溶岩が流れ込んで、複雑な地形に生き物たちが集まってきます。
このたくましさが、三宅島の魅力なんだと、私は思います。
雄山の様子を見て、溶岩の跡を見て、島の方からお話を聞いて、
キッズたちの心にも、そういったことが伝わっていったのではないでしょうか。
さてさて、午後からはお楽しみの海へ!!