土岐頼芸
令和2年NHK大河ドラマ『 麒麟がくる 』はもっくんの斎藤道三怪演もあって話題ですね確かにカッコ良い。
その道三の息子である斎藤高政はイケメンの伊藤英明さんが演じております。
十兵衛(明智光秀)と竹馬の友って設定になっていて、「ともに美濃を麒麟がくる国に」と語って身分を超えて友好深めてますが・・・
その先の歴史を知ってるだけに展開をどうするのかチョー気になっております
さて、その斎藤家の主君 土岐頼芸(ときよりのり)を尾美としのりさんが演じてますが、(よくありがちな)凡庸で絵が好きな貴族趣味な殿さんかと思わせておいて、凄みを見せるもっくん斎藤道三に物怖じせず噛み付くという気概を隠し持っている武将として描かれているのが萌えました
道三さんと龍興さんは書いたことあったのでチョッと土岐頼芸さんをカキカキ
もっくん道三に圧されてるようで尾美さんの頼芸の決め顔もかっこよかったンですょ
お絵描きの方は土岐頼芸さんの肖像の素襖姿も見たいなぁとカキカキまだラフなので気が向けば更新するかも
(ちょっと書きかけでアップしてない絵とか話が多くて更新滞ってるので今年は拙速であげるようにしてみようかと~)
肖像の雰囲気からも尾美さんはイメージに近い気がしました
土岐 頼藝(ときよりなり/よりのり/よりあき)
齋藤道三の傀儡といわれる。
天文十九年(1550)十月、室町幕府は土岐氏宛に美濃国の沙汰を命じてきた(室町幕府御内書案)。少なくともこの時までは頼藝が守護として美濃に在国していたことが確認される。
そして齋藤帯刀左衞門尉利茂も天文十七年の時点でなお守護代の地位を保持していたことが確認される(天文日記)。
道三に美濃の支配権は掌握されていたことは間違いないが、名目上はなお国主は土岐頼藝であり、また、それを支える権力機構もなお存在していた。
天文年二十一(1552)年頃、終に国外に追放された。その後は妹 慈光院の夫である近江の大名六角義賢を頼ったようだ。
なおこの頼芸さんのよみがなですがぁ
結構昔から色々な説が取り上げられていたのですが
最近の傾向としては「よりなり」が大勢をしめてきていましたがぁ
『麒麟がくる』では「よりのり」の呼び名を採用したようですねこのあたりの裏話もききたいです
→資料見つかる!
個人的戦国期の近江/美濃の武将に興味が凄くあるのでぇ
今回の大河『麒麟がくる』では青年期を美濃中心で進めるようなので、どんな武将がでてくるか毎回楽しみにしたいとおもっております
<ネタもと>