阿閉貞征/阿閉貞大 | ナツレのツレヅレなる何か

阿閉貞征/阿閉貞大

先日第二部が終了した【 信長のシェフ 】の録画見てたら~
第七話『敵は本能寺にあり!?明智光秀ついに陰謀!!食わず嫌いグルメで…信長を救え』タイトル長い に浅井長政の重臣 阿閉貞征(あつじさだゆき)さんがご子息 阿閉貞大(あつじさだひろ)さん引き連れ登場してビックリ

阿閉貞征・貞大父子はその裏切りで浅井氏へ引導を渡たす役どころなのですがこりゃまた渋い武将を出してきましたなぁと感激

その阿閉貞征役が西岡徳馬(にしおかとくま)さんともまた渋すぎて萌え萌え
ちなみに阿閉貞大さんを演じてるイケ面はダレだと思ったら主人公ケン役の玉森裕太(たまもりゆうた)さんと同じKis-My-Ft2(キスマイフットツー)メンバーの千賀健永(せんがけんと)さんでした
うわ~豪華

物語では主人公ケンが信長の浅井殲滅を阻止すべく、まずは浅井氏の本拠地 小谷城(おだにじょう)攻略の足がかりとなる要衝 山本山城(やまもとやまじょう)の阿閉貞征・貞大父子を織田陣営に引込うとするが、阿閉貞征は織田信長への不信感から子の貞大の離反は認めても自らは応じないそこでケンは信長を外から見ただけでは本質は解らない、それは食わず嫌いと同じだと、貞大が嫌いな鳥の皮を使った北京ダックと親子が敵同士にならないよう親子丼を用意して説得に当たるという展開でした

この回は前半は、将軍 足利義昭が元亀という年号にコダワりをもっているところをあえて亀料理を出すことで元亀年号の終焉・・・ひいては室町幕府の終焉を認めさせるというお話でしたがなかなか物語の筋立てが上手くて楽しめました



阿閉貞征(あつじさだゆき/さだまさ) 官途名:淡路守
永禄年中は近江淺井氏の武将として各地に転戦。この貞征の時、山本山城主となる。
元亀元年6月28日野村(姉川)の戦いで一軍を率いて参加。その後も山本山城を守備し信長と交戦をした(公記・淺井三代記)。
 天正元年(1573)8月8日子の貞大とともに織田信長に降った。この時人質として淺井氏に差し出していた10才の実子を串刺しにされ殺害されたという(総見記・当代記)。
 その直後の織田勢の朝倉攻めの先鋒を努めた(公記)。この功により、伊香一郡二万五千石を与えられたという(淺井三代記ほか)。しかし、浅井氏滅亡後の江北は羽柴秀吉(はしばひでよし)の一職支配が認められており、阿閉氏は伊香郡内の本領や淺井郡菅浦の地などを安堵されたに過ぎなかった(菅浦文書)。結果、秀吉の与力のような立場になったものと思われる。『渡邊官兵衞武功覚書』には“太閤様旗本”に名がある。

 天正5年(1577)より秀吉は播磨に赴き、以後中国攻めの旗頭となるが、阿閉氏は秀吉と行動を共にせず近江に残留。以降信長の旗本に組み込まれたらしい。
 同六年11月より始まる有岡城攻めには信長に従って参加した様子である。
 天正9年(1581)9月、伊賀攻めに参加。同9年、同10年1月15日の爆竹(サギツチョウ)でも近江衆としてまとまって行動している(公記・渡邊官兵衞武功覚書)。
 天正10年(1582)三月の武田攻めの時も信長に追従している(公記)。
 同年6月、本能寺の変がおきると惟任日向守光秀(これとうひゅうがのかみみつひで)方に加担。京極高次(きょうごくたかつぐ)と共に秀吉不在の長浜城を攻略した。
つづく山崎の合戦にも参戦したが敗退(太閤記)。降伏したが貞大らと共に殺された(淺野家文書)。『天正記(惟任退治記)』によれば磔刑にされたという

               

阿閉貞大(あつじさだひろ) 通称:孫五郎、万五郎、    
    阿閉淡路守貞征の子。阿閉氏は淺井氏の外戚の井口氏と縁が深く、貞大の生母は井口彈正忠經元(いのくちだんじょうのじょうつねもと)の娘であり、妻も井口越前守經親(いのくちえちぜんのかみつねちか)娘を娶っている。

 淺井長政に仕え野村(姉川)の戦い等に参加するなど歴戦。淺井氏晩期には、当主長政の感状に副状を発給するほどの地位にいた(小江神社文書・南部文書)。

 父貞征と共に山本山城を守備していたが、天正元年(1573)8月8日、信長に降った。これにより小谷城の防衛ラインは瓦解。前衛の月ヶ瀬城の維持が困難となったのをみた淺井長政は城将月ヶ瀬忠清(つきがせただきよ)へ城の放棄と小谷入城を命じ戦線を縮小している。これにより小谷城は完全に孤立し死命を制した。

 淺井氏滅亡後、山本山城と所領は安堵されたが、父子ともに江北に封じられた羽柴秀吉の与力とされたようである。同時に伊香郡における勢力を秀吉に押領されていった模様である。
 天正3年(1575)8月の越前攻めに従軍。
 同年8月16日、竹生島の寺領の押領のかどで信長へ訴えられる。貞大は同年10月17日、竹生島の禄の過半を秀吉に取られたためである旨を信長の側近 菅屋長頼(すがやながより)へ弁明している(石田文書・竹生島文書)。
 天正4年(1576)安土城普請の為の人足を徴発す(菅浦文書)
 天正6年(1578)8月15日の安土における相撲会の時、信長馬廻りたちに混じって奉行を務めている(公記)。
 天正9年(1581)5月、竹生島惣山中に北脇下野内十八石を寄進している(竹生島文書)。
信長二男の北畠信雄(きたばたけのぶかつ)に従い9月の伊賀攻めに参陣(公記)。

 天正10年(1582)6月、本能寺の変がおきると惟任日向守光秀(これとうひゅうがのかみみつひで)方に加担し、山崎の闘いに参加。敗戦後秀吉方に降伏したが結局は居城山本山城を宮部繼潤(みやべけいじゅん) ・ 中村一氏(なかむらかずうじ)らに囲まれ一旦は脱出に成功したものの捕らえられ、一族と共に殺された(淺野家文書)。


信長のシェフ 】のお話の中では木下秀吉には信をおいて味方する姿が描かれていましたが実際の阿閉貞征・貞大親子はその後北近江の支配者となった秀吉に所領を押領(おうりょう)されていったことに憤っていた様子がうかがえ恐らくその軋轢から後年明智光秀の謀反に積極的に加担し一族滅亡とあいなったようです
とくに旧北近江守護の京極高次(きょうごくたかつぐ)と呼応し秀吉留守中の長浜城を攻め、秀吉の愛嫁 寧が命からがら逃げ出すような事態を引きおこしたのが致命的でした

NHK大河ドラマ【 軍師官兵衛 】の「第28回 本能寺の変」で黒木瞳さん演じるおね様が敵に攻められ長浜城を一旦放棄するシーンがありましたがぁ
あの時攻め寄せてきたのは西岡徳馬さんと千賀健永さんだったのですねついで【 江~姫たちの戦国~  】で京極高次役だった斎藤工(さいとうたくみ)さんも当然居たはずと妄想膨らむ


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