こんばんは。



この冬は2、3日の周期で気温が変わるのね😓
体調管理が大変だから、寒いか暖かいかどっちかにして欲しい。



先日、愛しのロビンさまの夢を見て…嬉しかった❤️
なかなか、ロビン熱が冷めないnatsunekoです😺


実は病んで寝込んでいた間は音楽を聴くことが出来ず、
もっぱら「名探偵ポワロ」を観て?いや、流して寝ておりました。
私は昔から「名探偵ポワロ」が大好きでセリフを覚えるほど観ております(笑)
私の眠りの波長に合うみたいで、寝る時は必ず観ております😅→まるでミステリーではないみたい。


そして私は病んだアタマで密かに思っておりました。
「あ、もしかして私のBee Gees熱は冷めてしまったの?」って。

いくら心地よい音楽でも、私にとってはBee Geesはアドレナリンが出てしまう音楽なので、興奮しては風邪が治らないって思っておりまして、そして、しばらくBee Geesを聴かなければ熱も冷めるとそう思っておりました。


ところが、これは違いました。
元気になって来たら、やっぱりまた聴きたいんですよね!


私、本当に好きなんだって我ながら感心しております(笑)


若いですな😊


さてさて、またまた前置きが長くなりました。
ずっとブログをアップしたい気持ちを抑えておりました。
だけどこの記事は時を選ぼうと思っていまして。


なぜなら、本日、1月12日はMaurice Gibb(モーリス・ギブ)のご命日。
2003年ですから、もう丸16年前ですね。
仏教でいう所の17回忌。


私はその頃、どうしてたかな?
当時は京都に住んでおりました。

モノに溢れた家で苦しんでおりました😅


私の父はこの2年後の2005年に亡くなりましたので、後2年で我が父も17回忌と言うことに!
それがリンクして、本当に月日が経つのは早いものだとしみじみ感じます😢



またまた脱線しましたが、モーリスを偲んで今日はモーリスについて書きたいと思います。



モーリスの死は突然やって来ました😭😭😭


家族でランチを取った時も全く普通だったそうです。
当時のウエイトレスさんは「小さなダイナーに来ては美味しそうに食べ、誰に対しても感じが良く、自己紹介したり、とてもフレンドリーでとってもあたたかな人柄でした。」と言っておられたそうです😭😭😭


やっぱり、ステージの上でのモーリスはそのままの人柄だったんですね❗️
裏表のない人だったんだ❗️
そう思うと、とってもうれしくて😍



今日は「モーリス・ギブの検視報告書」より、抜粋させて頂きました。



2003年1月8日(水)午後5時半
モーリスは腹痛を訴えて病院に入院します🏥

この日の昼食時にモーリスは腹痛を感じたのですが、その時は特に何もしなかったと言います。
でも、この時に感じた痛みは生命に関わるものだったのです。

夕方入院したものの、モーリスの意識ははっきりとしていた為、モルヒネで痛みを抑え手術は翌日にすることになりました。


2003年1月9日(木)午前4時
心停止状態に陥る。蘇生、緊急手術の開始。手術で腸閉そくが見つかり、生まれつきの腸管回転異常症だったことが判明。ふつうは子どものころに直るのだが、大人になっても直っていないと命にかかわる危険な症状。母体内で小腸は胎児の体外で発達、複雑な回転を経て体内に落ち着く。この段階で問題が生じると小腸は異常な位置に移動してしまう。回転異常が見過ごされると激痛を伴う腸ねん転の原因となる。 通常は子どものころに直るので、成人後も直っていないのは100万人に1人の稀なケース。



2003年1月10日(金)

バリーが到着。こん睡状態のモーリスに回復の兆し。家族の話ではモーリスは足の指を動かして娘のサムの手を握ったとい う。イギリスにいたふたごの兄ロビンは事態が改善するものと信じていた。



2003年1月11日(土)
ロビンがイギリスから到着し、家族と一緒に枕元に付き添う。夕方早い時間にバイタルサインが低下。
同午後11時 
脳の活動がほとんど停止。家族は生命維持装置停止を決意。



2003年1月12日(日)午前12時10分
モーリス逝去。
モーリスの死の翌日、ふたりの兄ロビンとバリーは病院の対応に不備があったと告発するが、数日後にこれを取り下げる。


以上ここまで抜粋。



あっという間の短い期間でモーリスは亡くなってしまいました。

何より彼はどこから見ても健康そのものだったそう。

彼はペイントボールが趣味で、大好きだったようです。それが高じて鍛えられ、体型も引き締まっていたそうです。


記事には他のいろんなことも掲載されており、モーリスのよくない面も書かれていました。

私はそのことについては触れません。

どうしたって人間はどんなに大スターでも弱い生き物。

成功の陰には大きなプレッシャーを感じることも多かったのではないでしょうか。

だって人間だもの!

人は間違ったり、失敗したりする。

そんなの私だってそうだし。

若気の至りもあるはずだ。


ただ、早すぎる死には人はとやかく言いたいものなんだなぁって思います。


モーリスは優しい人だった、優しいゆえに抱えることも多かったのではないでしょうか?




彼は本当にBee Geesの要だった。



以下ウキペディアより。

モーリスはメロディとアレンジを担当していた。彼はハーモニーとバックボーカルを歌い、そして様々な楽器を演奏した。

ステージでは、ミュージシャンやエンジニアと調整するバンドリーダーの役割を果たした。

ソングライターとしては、主にメロディを完成させることに貢献していた。彼の楽曲に対する貢献を確認するのは難しいが、モーリスが兄弟のソロ活動でもその役割を継続していることにより、彼らが彼をいかに信頼していたかを示している。

モーリスは1アルバムにだいたい1曲、メインボーカルを務めた。彼はグループの中では比較的陰に隠れた存在だったが、よくファンと話して彼らを楽しませていた。モーリスが野心的な2人の兄弟をおとなしく安定させているという評判は、彼の生涯を通して続いた。


以上、抜粋させていただきました。



彼の功績は消えません。

その他、多くの舞台やアーティストのプロデュースを行いました。

最後の大仕事は娘さんのレコーディングだったそうです。

またモーリスには他にも息子さんがいるのですが、娘さん、息子さんは今ではバリーと一緒にツアーに出たりしているそうです。


モーリスもバリーもマイアミ在住。

そういう意味では距離は近かったのかも?



バリーは晩年の弟たちとはうまく行ってなかったことを後に告白していますが、姪や甥と一緒に活動していることは、やはりモーリスの供養になってる気がします。



モーリスの死は後にロビンが病になったときに、バリーの行動を変えたと思います。



それではBee Gees3人としては最後のLIVEとなった「Live by Request」より。



「Man in the Middle」をどうぞ。



今日は亡きモーリスに思いを馳せて、たくさん書いたり、ググってコピペさせて頂きました。



私は色々と記事を読んで、大泣きしたり、Live映像から垣間見えるモーリスの素顔に思いを馳せました。

何を語っても答えは全て、Bee Geesの音楽の中にあります。

あの美しいメロディー&ハーモニー。

親しみやすい歌の数々。

ずっと人々の心に残って、私のように彼らの音楽に魅了され続けている人もたくさんいる。



それがBee Geesの音楽の答えだし、モーリスだったと思います。



バリー、ロビンの思いはまたお伝えしたいと思います。



今回も超長文となってしまいました💦

お付き合いくださり、本当にありがとうございました😢




まだまだBee Geesでお付き合い頂けますようお願い申し上げます🙇‍♀️





最後に兄弟の仲の良さが際立つメドレーを。

以前も掲載したかも知れませんが。


モーリスのお茶目さが大クローズアップ。


ロビンとバリーの歌の時、ちょっとさみしそうだけど、自分も歌う時にはチョー張り切る所とか、バリーと二人の「Island in the stream」の時は一生懸命に歌う姿が印象的。

とっても楽しそうに歌う彼の姿が胸を打ちます😭😭😭



お茶目ないたずらっ子、モーリス。

今はロビンと二人でやっぱり歌っているかしら❓





謹んでMaurice Gibbのご冥福をお祈りします🙏

natsunekoでした🐈




最後までお読みくださり、本当にありがとうございますm(__)m



※尚、全ての映像、画像はお借りしております。