〜福島旅行2日目つづき〜


①この旅に行こうとしたきっかけ


②福島1日目はいわき


③双葉町へ


その続きからブログを始めます。


久しぶりにママチャリをこぎ、

双葉駅から海の方に向かっていきました。


いよいよ住居は廃墟しかなくなってきた



その代わり会社や工場が見えるようになった。



人こそ歩いてないけれど

車はそれなりに走っている。

トラックが多いなぁ。


それにしてもいい天気だ。

上下ヒートテックで汗ばんでる。


そして、ようやく着いた。


東日本大震災・原子力災害伝承館


〒979-1401 
福島県双葉郡双葉町大字中野字高田39
TEL 0240-23-4402 MAIL archive@fipo.or.jp
開館時間/9:00〜17:00(最終入館16:30)
休館日/火曜日(火曜祝日の場合は翌平日)・
年末年始(12/29〜1/3)

(HPより引用)


今回の旅の目的の、2つのうちの1つ。

もう1つは次の記事にします。


職員さんがいる。

ようやく人に会う。

ホッとした。


チケットを購入し

1番最初に通されたのが、真っ白な空間。



どうやらここで、この施設の趣旨や

そもそもあの日何が起きたのか

そういった内容の映像が流れるようだ。


しかし私は10時からの語り部講和が

どうしても聞きたかった。…あと5分。


それを理解してくださった職員さんが

"ひとまずここは後で見てもらうことにして

まずは語り部講和に行ってください"

と、機転利かせて案内してくださる。


そこで出会えたのが、語り部のKさん。


私はこの方の話を聞くことが出来て

本当によかった。


その時施設内のお客さんは

自分以外にまだ会ってなかった。


なので語り部講和はまさかのマンツーマン。


しっかり私の目を見て

私のためにお話してくれた。


あの日何が起きたか、

地震は宮城県沖で発生した。

津波で本当に大変な被害を受けた。

福島が甚大な被害を受けた理由は

そう、原発です。複合災害なんです。



笑顔を交えて優しく話してくださるその表情、

しごく穏やかな語調、冷静さを保つ姿、

私が無知なことに怒りもせず

知ろうとしてくれることが第1歩なんだと、

知識に合わせて丁寧に説明してくれること、

でも語るには未だに勇気がいる話題があること、

時折声が震えることもあり、

深呼吸してからお話してくださることもあり、

とにかく私に向かって話してくれた。


私はもう、その姿を見て聞いているだけで

溢れる涙を抑えることができませんでした。


語ることを選んだ人は

決して乗り越えきった人ではない。


今も必死に自分の傷と闘っていた。


原発が大変ことになってるなんて

嘘だと思っていたと。

だって昔から安心安全だと言い聞かされ

それによる恩恵も受けて栄えてきた。

まさか、いやまさか、

みんなそう思いながらも

ただならぬ雰囲気、警備、

そして見たこともない防護服に身を包む人たち。

まさか帰れなくなるとは思いもせず

とにかく車に乗って逃げた。

この道はずーっと渋滞で

信じられない時間がかかった。



あれから何年も経ち指示は解除されても

じゃあ人が戻ってくるかと言ったら

そんなに簡単なことではない。

ここまで長期にわたると

みんな他の土地で生活を始めている。


そこで子供たちがはしゃいで遊んでいる

1枚の写真を見せてくれた。


震災前はこうやって

神社に子供が集まって

明るい声が響き渡っていた。


本当の復興というのは

また子供の声が響くことなんじゃないかな。


私はずっと泣いてしまった。


時間ギリギリ、

なんならオーバーして

私にたくさんの話を聞かせてくれた


双葉町の被害の規模や

周辺の町や原発との位置関係

地震が起きる前と後の人口の変化

そういった事実としての情報も

本当にたくさん説明してくれて

ようやく頭に入ってきた。





講和が終わってから、反芻した。


私は語り部をしているという設定の役。

今回、人々に語るシーンがある。


その時に、私自身はKさん側になるのだ。


中身があった上で冷静さを保ちながら、

それでも伝えたい思いがありながら、

自分の傷とも闘いながら、

伝えることを選んだ人の強さ、


あぁこれは生半可な気持ちで

このシーンを演じてはいけないと

強く思いました。


本当に、この日実際に

語り部の方の講和を聞けたのは

あまりにも得がたい経験でした。


Kさん、貴重なお話を

本当にありがとうございました。


そこからエントランスに戻り

最初の映像を見る。


そして道順に沿って、

年表を見ながらグルっとした通路を進む。


短い間隔で、小部屋が現れる。



ああ。今なら分かる。そうだよな。

私には分からなかった配慮だ。


そこから展示を見て回った。









案内の方がいらっしゃって

その方が口頭でいろいろ説明してくださった。




画像の枚数に限界があるようなので

次の記事に書きます。


"同じように考えてもらえたら

誰かに伝えてもらえたら嬉しいです。"

と、そこで話した多くの方が仰っていた。


自分の言葉として書けるようになったら

必ずブログに書きたいと思っていました。


またもや、こんなに長くなってしまった。

でも、書きたかったんです。

1人でも

私にも伝えられたらなぁと、願いをこめて。


読んでくれた方、ありがとうございます。


橋本菜摘