メモ)「役に立つとは?」科学と技術は違う。科学とは挑戦、知の広がりを楽しむ文化の1つ | 生ききるッ

生ききるッ

今って『宇宙的』に時代の大転換期
これからは「人生思い通り」

みんな早く氣付いて幸せになぁれ♪


…と言いつつ
内容は全部自分日記ヾ(≧▽≦)ノ

【出演】東京工業大学栄誉教授…大隅良典
(専門は分子細胞生物学 2016年にノーベル生理学・医学賞を受賞 大隈基礎化学生成財団を設立し基礎科学研究を支援)


ざっくり勝手メモ)ーーー


私が子供の頃は地球は大きく、可能性は無限に見えました。


(略)


地球が1つの限りのある星であることを感じます。


(略)


科学は知的好奇心という人間の本性に根ざした活動によって蓄積されてきた人類の知の総体なので原始時代に巻き戻す事は不可能です。


人類に未来があるとすれば科学の健全な発展と人々の中に科学的な考え方が広がる事しか解決の道はないでしょう。


まずお話ししたい事は科学と技術の関係です。


古典力学の法則、相対性理論、電磁気学の基本法則、人間のいわゆるセントラルドグマの発見などはまさしく科学の成果であり、今日の社会の発展の基礎を与えた事は言うまでもありません。


一方で、社会の変化の多くは技術の進歩によってもたらされてきました。


技術は科学の知識を土台として人工物を創造する活動で発明という言葉で表されます。


日本では明治時代に西洋科学をヨーロッパから導入し、富国強兵の国策として推進してきた頃からか今日までも政府の政策の中で科学技術という1つの言葉で語られます。


確かに今日両者の関係は密になり、その境界は曖昧になりましたが科学と技術はやはり違う概念だと思うのです。


日本で学生が、うちで科学研究の話をするとしばしば受ける質問はそれ何の役に立つの?という質問です。


それは科学研究にはそぐわない問いです。


科学は自然の法則性や構造を明らかにする活動ですからすぐに役に立つとは限りません。


私がオートファジーの研究を始めたのも純粋に細胞の中で起こるタンパク質の分解の機構に興味を抱いたからで、決してそれが将来顔や神経変性疾患などの克服につながると確信していたわけではありません。


オートファジーの基本的な機構の解明を契機に今日オートファジーの研究は世界中で展開され、そこからたくさんの新しい発見がなされ、医療等への応用研究が展開されています。


では、科学の話になるとなぜ「役に立つ」という質問が出るのでしょうか?


「人の役に立ちなさい」と言ったり、学生も「役に立ちたいので企業で働きたい」という声を耳にします。


しかし、役に立つとは何か?という事はあまり真剣に議論されていないように思うのです。


何か便利なものを作ること、病気を治せる薬を開発すること企業で利益を上げることでしょうか?


実は何が役に立つかどうかという事は長い時間をかけて検証が必要です。


便利だと思ったら後で害があったり、すぐに役に立たなくなる例がたくさんあります。


なので私は科学を役に立つという基準で評価してはいけないと思うのです。


純粋に知の広がりを楽しむ余裕のある社会が必要だと思います。そもそも人生は役に立つことだけを追求しているわけではありません。


素晴らしい音楽や絵画に感動したり文学を楽しんだり、スポーツ競技の美しさに感動するのと同じように私は科学も文化の1つ考えてほしいと思うのです。


科学は未知のこと、誰も知らないことへの挑戦です。


科学の発展は突然ある考えがひらめいた特殊な人が作る世界といったイメージがあるかもしれませんが、多様な考え方や専門分野を異にする研究者がいて初めて科学が進歩していくのです。


実は研究は偶然から学んだり失敗の連続なのです。思い通りの答えが得られないことが日常です。


うまくいかない結果から次のアイディアが生まれそれをまた検証するという作業の繰り返しです。


思い通りだったと言う事は、既に想像できていたと言う事という意味で画期的なことでは無いのかもしれません。


新しい概念の喪失は正しく思いもよらないことから生まれます。それを楽しむことが科学者の醍醐味だと思うのです。その楽しみには知りたいという気持ちを持ち続けることが大切です。


私はこのような、この年まで研究者を続ける幸運に恵まれたわけですが、最近強く思う事は科学が社会的な存在であり人間の歴史の中にあると言うことです。


私が学生時代に分子生物学に憧れて研究者を目指したのも酵母という優れた研究材料に出会ったのも私が生きてきた時代を反映しています。


さらに私がまだそれほど興味を持たれていなかった分解という現象に興味を抱いたのも大きな歴史の中にあると思うのです。


人は分解から興味を持つ事はあり得ず、それは合成の研究の後に来る課題だと思うからです。


確かに私は酵母で始めたオートファジーの研究は想像超える人々の興味や関心を呼ぶことになりました。


あまり注目されていない課題から今や年に1万報の論文が出されるような領域になってきました。


研究は広がり細分化されその応用面へと展開されていきます。新しい研究手法が開発されるとそこから新しい研究が生まれます。


科学の進歩は1000人の到達点を次の世代が乗り越えていく終わりのない過程です。


その意味で科学の世界に権威は不要です。


若者は先人の築いた知を学ぶ必要がありますが、それはたくさんの知識を得るためではなくてそこから何を考えるかが大切です。


現在パソコンの普及により昔よりはるかに素早くたくさんの情報を得ることができるようになりました。


何らかの情報を得たことで知っていると思ってしまい思考停止をすることが現代人の恐ろしさだと私は思っています。


自分の疑問を大切に育てて解くべき問いを持ち続けることこそが大切だと言うことを強調したいと思います。


今社会全体が内向きな思考になっているように思います。


その結果、基礎科学を志す若者が減ってきていると感じています。


最近私は財団を立ち上げたこともあって小中高生と話をする機会があります。


しばしば、どうしたら失敗しないか失敗した時どうしたかというような質問を受けます。


人生1回でも失敗が許されないという思いが大変強くなっているように思います。


私は若者が元気でない社会はいずれ衰退すると常々言っています。


失敗は発展の原動力ですし若者の特権です。


今日の話で私から若い皆さんへのメッセージは、日本の、更に人類の未来は君たちの手にあること。


そして人と違うことを恐れずに自分の人生を切り開いてほしいということです。