今日は僕の戦力外通告の話をしよう。ま、通告すらなく、静かに契約終了した、という方が正確だけれどもね(笑)

 

AKB48チームK公演「最終ベルが鳴る」に、僕が作曲した「ごめんね ジュエル」という曲を使っていただいたのは、2008年のことだ。大島優子さんと宮澤佐江さんが中心のユニットで歌うパワーポップナンバー。衣装もキュートで二人にとても似合っていた。しかも、研究生時代の指原莉乃さんや北原里英さん達がバックダンサーとして踊っていたんだよ。

 

実はあの歌、FOUR TRIPS時代に作ったものなんだ。メロディは全く変わっていない。

 

1998年に西荻のアパートで作った曲が、10年後にこんな形で日の目を見るのか、と運命のいたずらに唖然としたよ。

 

僕は思う。若い音楽家たちには、簡単にあきらめないで、自分を信じて欲しい。とね。

 

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98年の1月、僕たちFOUR TRIPSの3rdシングル「STAY」が、ひっそりと発売された(笑)TOKYO FMのヘビロテに選ばれたのにも関わらず、全く話題にもならなかったのでやはり曲として弱かったんだと今は思う。だけれども、僕にとってとても愛おしい曲であることには変わりはない。

 

当時の僕の日常は、週に一度のFM Fujiの生放送と、Kiss FMの番組収録以外は、やはり相変わらず曲を作ることだけだった。

 

所属レコード会社のファンハウスにBMGとの合併の話が持ち上がったのもこの頃で、僕たちの次のリリースの雲行きも怪しくなってきたのは、何となく感じていたんだ。

 

それでも田中プロデューサーは諦めず、次のリリースを視野に入れながら、僕のデモを聴いては、アドバイスをくれていた。その中の一曲にのちに「ごめんね ジュエル」になる曲があったんだ。大好きなチープ・トリックみたいな、ご機嫌なパワーポップを作りたくて。

 

 

残念ながら、田中さんの反応は芳しくなくて(「成瀬が今、歌う歌じゃないだろう?」と言われたね。もっともだと思うよ。)結局使われることはなかったんだ。フォートリのライブで演ることもなかったね。

 

2007年、AKB48に「BINGO!」を使っていただいた流れで(この顛末はまた時間をとって、ゆっくりあなたに話したいな)「他にもっと曲ありませんか?」と作家事務所に言われた時に、この「ごめんね ジュエル」の原型の曲のことを思い出して、ささっと歌ってデモを作って出したら、秋元さんの素敵な歌詞がついて、世に出ることになったって訳です。

 

光が見えなくても、その場でベストを尽くしていれば、なんとかなるものだ。と、身銭を切って僕は体験させていただいたんだよ。なんて幸運な男だろうね。

 

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結局、FOUR TRIPSの4枚目のシングルはリリースされなかった。ファンハウスとも所属事務所とも、契約終了となる。

 

でもね、ここで得た経験は、本当に何ものにも代え難いものだ。さっちゃんと友達になれた事。ロサンゼルスでの珍道中。現場で覚えるしかなかったレコーディング。取材、テレビ、ラジオ。ほんの一瞬だけだったけど、僕たちは輝けたかもしれない。そうでもないかもしれない(笑)

 

なんと言っても、ヒットチャートに名前を残すことが出来た。ポテンヒットかもしれないけど(笑)それが後々、僕の大切な心の拠り所になるんだけど、それはまた別の話だ。

 

そして、なんと僕たちを拾ってくれる事務所が現れたんだ。

 

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いつもありがとうございます!!

成瀬英樹

http://www.hidekinaruse.com