1996年の秋、僕たちFOUR TRIPSの4人は上京し、西荻窪で暮らし始めた。中央線で荻窪と吉祥寺の間に位置する、文化的な匂いに溢れた素敵な街。新宿や渋谷など都心へも20分ほどで行ける距離だ。

 

僕たちをメジャーに連れて来てくれた田中プロデューサーの事務所も西荻窪にあったからね。毎晩のようにそこに集い、今後の計画を練りながら、酒を飲んだりした。

 

田中さんは僕の書く曲に「普遍性」の萌芽を見つけてくれたのだと思う。だからこそ、少しでも時流におもねた曲を作ろうものなら、「これは成瀬が今、書くべき歌か?」と厳しくアドバイスされた。普段は穏やかな表情の、物腰の柔らかい方だったから、余計に心に響いたものだよ。

 

上京してから、4月のデビューまでは半年あった。曲作り、レコーディングの準備、西荻窪のライブハウス「ターニング」でライブを演ったりね。慌ただしかったけど、充実していたよ。

 

僕たちが主題歌を歌うことになっていたドラマの主演女優(ここでは親しみを込めて”さっちゃん”と呼ばせてもらうことにするね)について、少し話そう。

 

さっちゃんは、当時、大ブレーク中だった。NHKの朝ドラの主演から、ドラマ「高校教師」の名演技で、まさに「国民的女優」だった。掛け値なく。

 

彼女は、僕たちFOUR TRIPSと同じ事務所ということもあって、上京したばかりで不安げな4人のことを、気にかけてくれていた。彼女は、はっとするほど美しい、笑顔の素敵な、穏やかな、優しい人だった。

 

それでも、芯はとても強くてね。決してお世辞を言ったり、ごまかしをしたり言ったりしなかった。僕は彼女と話す時は、とても楽しかった反面、いつも気を張っていたとも言える。

 

時々、皆で食事をしたり、少しお酒を飲んだり。デビュー前に原宿で演った、僕たちのライブを観に来てくれたこともあった。

 

みんなで、彼女が出演したドラマ「未成年」を事務所で観たこともある。さっちゃんがビデオを持って来てくれてね。とても気に入った作品だったようで、珍しく饒舌に演技の話や、撮影のエピソードなど、いろんな話をしてくれました。

 

ある日は、さっちゃんと僕たち4人とで、渋谷に映画を観に行ったんだ。「トレインスポッティング」だ。みんなで山手線で渋谷に向かうことにした。

 

あいにく、山手線の車内は混んでいた。さっちゃんはその混み合った車内で、誰にも気づかれないように、帽子を目深に被り、小さくなっていた。そう、彼女自身の存在を、文字通り消そうとし始めたんだ。おそらくはとても自然に。ちょうど、野生の草食動物が敵から身を守る際に、自分の存在をそっと隠すように。

 

「しまった」と僕は思った。

 

幸いなことに、さっちゃんは誰に気づかれることはなかったんだけど、やはり一緒に山手線に乗るべきではなかったと反省した。あとで「ごめんね」って言ったら、首を横に振って、いつものように笑ってくれたから、僕は救われたんだけどね。

 

ドラマの主題歌でのデビューというプレッシャーに、僕は押しつぶされそうだった。ゴールデンの時間帯に自分の歌が流れる。レコード会社も期待をかけてくれている。そんな想いをある日、さっちゃんに何気なく、こぼしてしまった。

 

「なるちゃん」と彼女は言った。

「なるちゃんはこれから、全然知らない人にも’成瀬英樹’って呼び捨てて呼ばれるようになるんだよ」「今、プレッシャーをそんなに感じてたら、これからやって行けないよ」と、笑顔で優しく諭されたよ。僕は本当に、そんなことを彼女にこぼしてしまった自分が恥ずかしくなった。忘れられないよ。

 

さっちゃんは、何年か前に芸能界を引退したと聞いた。

今、どこかで、幸せな毎日を過ごしていることを、心から願っています。

 

 

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