あじさいの花が咲き始めました。もう六月です。時の流れが早く、薄色ながら大輪のあじさいを見て、初夏の訪れを実感致します。身体を動かすのには良い季節になりました。
さて、堅苦しく『人間形成』など表題に書きましたが、メンターとして色々な方にお会いしておりますと、その方が生まれてから成人に達する迄、どんな環境で生きて来たのかが良く解り、育った過程で人格や人間性が培われるのを見ておりますので、人間形成にはその過程が如何に大切かを知ります。今出来ている性格や考え方が一人だけのものか、両親や家庭の影響なのか、それぞれ生き難く問題を抱えて御相談に来られる訳ですから、私としてはその人に最も強い力を差し上げたい、その前進の為に一つのヒントとして捉えるのです。
二・三分もお話をすれば大抵解りますが、育った環境に依って人がつくられるのは確かな事だと思います。不思議な事ですが、人間と云う生物はあらゆるものを良し悪しに拘わらず吸収して仕舞うものなのでしょう。筋の通った良い雰囲気の中で子供を育てたいものであります。「ひねくれ」「頑固」も『甘え』も考えてみますと原因が解って来ると思います。良く、あなたはお父様似ですか?お母様似ですか?の会話がなされますが、それは顔や姿だけではなく、性格や事象への考え方に当てはまる話のひき出しだろうと思います。親の作った家庭と云うものの環境や、小中高の成人に達する迄を受け持った教師の思考、教室内の空気等、人間の形成はその辺りから出来るものだと思います。
何もさせず、甘やかして育てた子供は、長じて自分が何より大切で、トラブルが起きたりアクシデントがあると、皆人のせいにしたがり、根本を考えて解決に努める事を致さない人が多くあります。自分の子は誰よりも可愛いもの、しかし礼節や責任やけじめ、人への心配りを教えるのは親の義務であり、豊かに甘やかすのを愛情とは云いません。
また父母や教師の叱責を始終受けて育った子は、常にそこから逃げる事を考えるのでしょうか。自信のない眼をし、人を信用すると云う事を知りません。まず、心を開放して思う事を言葉に出来る習慣が常になるのを教えねばなりません。どんな人間でも必ず良い部分がありますし、驚く様な才能を持っている場合もあります。それを見出し、道を展いてあげるのが親や教師の役目だと思うのですが、世の中にはそれをなし得ない人が沢山おられる様です。
私はメンターと云う職業柄、普通の方に比べ数十倍の人にお会いしておりますが、どんな人にも必ず一つ得難い才能があると思っております。優等生ではなくても、乱暴者でも、身体も気も弱い人でも、ここを伸ばせばとか、この部分をなくせば素晴らしいと思う人が沢山おられます。尤もアドバイスを素直に受けとるかどうかにもかかりますが、それも人間次第でしょう。しかし一般の人達は表面に表れた性格や言葉しか信じません。心の中まで視て育てる余裕は今現代では中々望めないと思います。
それなら、自分できちんとした「人間」を形成して行きましょう。その大基には「自覚」が最も必要であります。自分の欠点を、生を受けた時から見詰めて、それを改めるのは誰でもない自分しか出来ない事を知るのです。ジェラシーが活力に繋がるのであれば、自分の心の中で燃やして活力にするのです。人を羨むだけのジェラシーは下衆の勘ぐりと同様だと心得る事であります。
自分で自分を作る、「人間形成」は後々まで誇りになります。他人が幸せに見えたら、文句なく祝う、それも学びであります。これは一つの個人事業かもしれません。