なりあやの韓国シネマ留学記 -30ページ目

なりあやの韓国シネマ留学記

2017年、3度目の韓国留学。
ソウルの大学院で映画を勉強します!

遡ったついでに、もうちょっと遡っていいですか。

 

いつから韓国映画を観ていたのか、自分でも気になるので振り返ってみようと思います。

 

記憶している中では、最初は、

 

「風の丘を越えて/西便制」(1993 原題:서편제)

 

 

なんかすごい暗いポスターですね。

パンソリの映画と言ったらピンとくる人多いのでは。

 

日本では94年に公開されてるようです。

映画館で観た記憶はないので、たぶんビデオかなぁ。

でも90年代半ばに観たような気がします。

 

2013年に釜山国際映画祭でイム・グォンテク(임권택)監督の特集上映があったので、その時に直接インタビューさせていただきましたが、西便制の韓国での大ヒットは、監督自身、まったく予想していなかったそうです。ソウルだけで100万人動員したのは、韓国映画としては過去最多。当時、韓国の映画館で観たという人に聞くと、映画館で一緒に歌い踊る人たちがいっぱいいたんだそうです。

 

パンソリに「恨(ハン)」をこめるため、父親が強いて娘を失明させる壮絶な芸道もの。監督は「世間から捨てられつつあったパンソリの素晴らしさを国内外に知らせたい、という一心だった」と、おっしゃってました。

 

巨匠中の巨匠ですから、さすがに緊張しましたが、とーっても優しい方でした。全然偉ぶらないんですね。日本には特別の思いがあるそうです。監督の作品を最初に海外に大きく紹介したのが、映画評論家の佐藤忠男さんだったということもあり。

 

韓国映画を語るうえで、最も大事と言ってもいいくらいの存在。

これまで監督として100本以上撮っていて、国際映画祭での受賞も多数。

 

10本は観たかなぁ。

まだまだ観てないのいっぱいです。

目下、この本で勉強中。

 

「巨匠 イム・グォンテクの世界」

 

 

釜山の特集上映でもらった本。

なかなか読みにくい(笑)

 

観た中では、「春香伝」(1999 原題:춘향뎐)、好きやなぁ。

評価はあんまり高くないようですが。

とにかく音楽と映像がきれいでした。

 

チョ・スンウ(조승우)が主演で。一番最初に好きになった韓国の俳優が、チョ・スンウです。

全然人気が出る前。韓国の友達に言っても、あぁ、へぇ、って感じで。

 

とにかくですね、たぶん最初に観たのが「西便制」で、その後も何作か観たんですが、2002年の留学前に観たのではっきり覚えているのは「シュリ」(1998 原題:쉬리)と「JSA」(2000 原題:공동 경비구역 JSA)。

 

韓国映画は、韓流ブームとはちょっと違う系譜だと思いますが、確実にこの3作品が日本で韓国映画が知られるきっかけとなった3作品です。例に漏れず、わたしも。

 

この3作品、実は共通点があって、今はなきシネカノンの配給でした。代表だった李鳳宇さんにもお会いして、インタビューしたことがあります。最近、お目にかかる機会があったのが、絶賛上映中の「弁護人」主演ソン・ガンホ(송강호)の会見でした。会社は変わりましたが、相変わらず、いい映画配給してますね~。

 

次回こそ、2005年の留学話にこぎ着けたいです(´・ω・`)

 

 


 

こんなにゆっくり年末年始を過ごすのは、入社以来初めて爆  笑

 

というわけで、ちょっと遡ります。

 

韓国映画にはまっていったのは、2002年、最初の韓国留学でした。

当時19歳。大学2年生を休学しての、語学留学でした。

行き先は高麗大学。

 

母の実家が映画館だったこともあり、それまでも、映画は好きでした。

韓国映画も少しは観ていて、それなりに好きな作品もありました。

 

でも、わたしにとって運命の作品は、

 

「おばあちゃんの家」(2002 原題:집으로...)

 

 

でした。

2002年4月公開。

4月からの留学で、韓国語がまったくできなかったわたしに友達が「ほとんどセリフないから、韓国語できなくても楽しめる」と、紹介してくれた作品です。

ほんとに、このポスターの通り、おばあちゃんと子どもの話で、とってもいい映画ですが、地味と言えば地味。

 

それが、立ち見でした。

 

その観客の映画愛に、ほれちゃいました。

いいなぁ~こういう映画が愛される韓国!って。

 

それまで日本で立ち見を経験したのは、宮崎駿のアニメと「タイタニック」ぐらい。

こういう一見地味だけど素晴らしい作品が、熱烈に支持されるということ自体が、新鮮な驚きでした。

 

わたしにとって特別な作品なんですが、わたしだけじゃないようです。

 

「東柱(동주)」(※去年韓国で公開、日本は今年夏公開予定)で刑事役を熱演した在日の俳優キム・インウ(김인우)さんも、韓国映画にのめり込んだきっかけの作品が、この「おばあちゃんの家」なんだそうです。

「映画に愛をもらったのは初めての経験だった」と、おっしゃってました。わんわん泣いたんだそうです。

 

「おばあちゃんの家」をきっかけに、映画館にも通いつめたし、ビデオも借りまくったし、映画漬けの留学生活でした。映画のセリフを聞き取りたくて韓国語を勉強したと言っても過言でないくらい。今も、「よく韓国語を維持してますね」と感心していただきますが、勉強という勉強は全然しなくて、もっぱら韓国映画を観て、韓国映画に関する雑誌やらネットの記事を読むことで維持してる気がします。

 

今振り返っても、2002年って、韓国映画がどんどんおもしろくなった時期だったんですよね。

 

中でも圧倒されたのは、「オアシス」(2002 原題:오아시스)。

 

これをリアルタイムで劇場で観られたのは、大きかった。鳥肌ものでした。劇場を出たときの興奮は今も忘れられない。

 

すぐにイ・チャンドン(이창동)監督の前作「ペパーミント・キャンディー」(1999 原題:박하사탕)も観ましたが、これは、同じくイ・チャンドン監督の「シークレット・サンシャイン」(2007 原題:밀양)と共に、マイベスト5に入るほど好きな作品です。

 

好きな作品は山ほどあるけど、誰か一人監督を選ぶとしたら、イ・チャンドン監督。

 

「ポエトリー アグネスの詩」(2010 原題:시)以来、なかなか監督作が生まれず、さみしいです。昨年の釜山国際映画祭では、「もうすぐ新作のクランクイン」とおっしゃってたので、楽しみにしていましたが、今ほどニュースを検索してみたら……

 

また、ダメになったようですガーン

カン・ドンウォン(강동원)、ユ・アイン(유아인)主演というウワサだっただけに、ほんとに残念。なんでダメになったんかなぁ。

 

2002年に話を戻すと、ほんの軽い気持ちで語学留学をしたわたしは、とても韓国抜きには生きていけないほど、はまってしまいました。「なんで?」と聞かれても、答えられない。

 

たぶん、付き合ってた韓国人の彼との別れもあったと思うけど(笑)、もぬけの殻のようになって帰国し、なんとか正気を取り戻した頃、次の留学(交換留学)を画策し始めました。

 

(まだまだつづく)

明けましておめでとうございます(´∀`)

待ちに待った2017年です。

3月から、3度目の韓国留学~

 

行き先は、ソウルのど真ん中に位置する、東国大学(동국대학교)。

私立です。

韓国の方なら、東国大学と聞いて、まず浮かぶのは「仏教」かと思います。

仏教系の大学です。

 

でも、わたしがこれから学ぶのは、映画。

映画映像学科の修士課程で、映画理論を専攻します。

「撮るの?」とよく聞かれますが、「観る」専門です。

 

東国大学は、かなりの映画人を輩出しています。

俳優では、挙げるときりがないですが、ベテランの方から、

 

チェ・ミンシク(최민식)

 

 

ハン・ソッキュ(한석규)

パク・シニャン(박신양)

ユ・ジュンサン(유준상)

キム・ヘス(김혜수)

イ・ミヨン(이미연)

イ・ジョンジェ(이정제)

チョン・ジヒョン(전지현)

チョ・インソン(조인성)

 

などなどなど。まだまだいるけど、疲れたのでこの辺で。

 

韓国は大学の映画教育が充実していて、その辺りも研究したいと思ってます。

 

そもそもなぜ東国大学を目指したのか、と言うと、ある先生のもとで学びたいというのが強くあったからです。

 

出会いは、2010年。

新聞記者としての初任地の奈良。

2010年と言えば、奈良は遷都1300年祭で色んな文化イベントが繰り広げられた年でした。一般的にはマスコットキャラクターのせんとくんで知られてると思いますが。

幸運にも、この年、わたしは奈良で文化担当記者でした。

 

そしてその一環で、「なら国際映画祭」の第一回を取材することになりました。

と言っても、紙面的にはそれほどべったり映画祭に参加する必要はなく、どうしても映画祭に長居したかったわたしは、考えました。

「通訳ボランティア」として参加して、それを体験ルポにしよう、と。

 

もちろん他の取材と並行してだったので、出たり入ったりでしたが、期間中のかなりの時間を映画祭のボランティアスタッフとして過ごしました。記者生活9年の中でも、忘れられない、幸せな時間でした。

 

その第一回の審査員長が、今度留学する大学院の担当教授です。

韓国から来ていたチョン・スワン(정수완)先生。

 

このお方です。

http://entertain.naver.com/read?oid=003&aid=0003164643

当時は全州国際映画祭の首席プログラマーでした。

 

なら国際映画祭の時は、あいさつ程度でしたが(わたしが通訳として担当したのは、別の韓国からの監督でした)、その後、取材でも、個人的にも、たびたびお会いしてお話うかがううちに、この先生のもとで学びたい!という気持ちがだんだん強くなってきました。

 

(つづく)