なりあやの韓国シネマ留学記 -3ページ目

なりあやの韓国シネマ留学記

2017年、3度目の韓国留学。
ソウルの大学院で映画を勉強します!

ここからは、白頭山の話。

 

 

「登頂できるか分からない」と、何度もガイドさんに言われましたが、できました口笛

 

12月31日、まずは西ルートから。

 

ほとんど歩かずに登ったので、あんまりえらそうなことは言えないけど、海抜2470メートルって、意外に低いね。

富山に住んでた人間からすると、3000メートル超の山にも登ってた(これも言うほど歩かないけど)ので。

でも、寒いのは、ほんとに寒い。

 

ホテルから白頭山に向かう道は、こんな感じでした↓

 

 

頂上を目指す前に、ちょいと寄り道。

鏡餅みたいな雪だるま。

 

 

そして、これは何でしょう?

 

 

キツネかと思ったけど、よく考えたら翌日が新年で戌年だから、犬!

わたくし戌年ですわん。

 

実はわれわれ、なぜ寄り道しているのか、この時知らされてませんでしたが、西ルートの階段が雪で登れないからこの日は登頂断念ということでした。

 

1300段くらいの階段を登るルートだったのですが…

 

晴れてきたので、スノーモービルで登れる!ということになって、急きょスノーモービルの乗り場までバスで。

ラッキーすぎる照れ

バスの車窓から。

こんな映画みたいな風景が見られるとは!

 

 

スノーモービルは運転士さんと、二人が後部に連なって乗る形。

わたしは運転士さんのすぐ後ろでがっしりつかまって。

けっこう怖い。

そして、寒い。

ゴーグルないと死んでました。

 

着いたところは、天池!

 

 

これ、もう、天国ですね。

こんなにきれいに晴れわたって見えることは、ほぼないと、ガイドさんいわく。

生まれて今まで見た景色で一番きれいでした。

 

 

せっかくの天池での写真も、誰か分からない……わたし、わたし。

 

 

この裏側の写真も手をまわして撮ってる人がいて、ハングルで조선(朝鮮)と書いていました。

ここがまさに北朝鮮との国境なんですね~

 

帰りは、天池が見れたうれしさで、みんなテンション高め。

 

予定外に寄り道したりして、お昼ごはんが大幅にずれて午後4時に。

そしてその1時間半後にまた晩ごはんを食べるというおかしなことに。

 

「天池が見れたんだから、これくらいはがまんしないと。晩ごはんはデザートと思って食べて」と、ガイドさん。

 

おおみそかなので、カウントダウンパーティーも、しました。

 

 

延辺のマッコリだそうです。

わたしはちょっとすっぱくて苦手だった。

 

パーティーでは、神父さんのはからいで、尹東柱の詩『新しい道』をわたしが日本語で、韓国の中学の国語の先生が韓国語で朗読しました。尹東柱をしのびつつ、新たな年を迎えました。

尹東柱ゆかりの地を巡ったのが、誕生日の当日の12月30日ですが、この日の写真が一番多い。

というのは、この日だけちゃんと一眼レフのカメラで撮って、あとの白頭山はスマホ。

リュックにカメラは入れてたんですが、寒すぎて取り出す気にならなかった。

カメラマンはさすがですね、どんなに寒いところでも、果敢に撮ってました。

 

正直、30日も十分寒かった。

白頭山ほどではないにしても、ソウルよりは圧倒的に寒い。

大阪&高知人のわたしには、寒すぎる。

 

という中でがんばって撮ったから、ブログに載せてます(笑)

前回でほとんどですが、残りをもうちょっと。

 

明東村からちょっと離れて、尹東柱の通った中学校にも行きました。

 

ここにもやっぱり立派な詩碑が。

 

そして写真は撮らなかったけど、この近くにも尹東柱が暮らした跡地がありました。

といって、特に整備されてなく、専門家と一緒のツアーでなければ絶対分からないような所。

実はここで書いた詩が多いらしく、今後整備が必要という話でした。

 

でも、どこで一番たくさん書いたのか、本当はよく分からないですよね。

実は京都かもしれない。期間が短いからそれはないかな。あるいは獄中。書くものがなかったかな。

 

京都で逮捕された時の持ち物は押収されて行方不明なので、遺された詩は東京時代が最後なんですよね。それも、祖国の友達に手紙と一緒に送っていて、その友達がまたちゃんと大事にとっていたから、わたしたちが読めるわけで。

 

そう考えると、押収された物が、本当に惜しい。

あの、遺った写真では最後に撮られたという宇治川での学友との遠足とか、詩や日記になってたかもしれない。なんて、想像してみたりしてるうちに、お昼の食堂へ。

 

釜山石鍋飯。

バスで隣に座ったのが、釜山から来られてる大学の先生で、「え?ここまで来て釜山?」って戸惑ってました(笑)

 

今回、4泊5日のほとんどが、ちょっと中国風の韓国料理のような感じで、これは延辺が朝鮮族が多いから地元の人も食べる料理なのか、それとも韓国人観光客向けなのか、よく分かりませんでした。

さんざん韓国でおいしい韓国料理を食べてるわたしには、ちょっと物足りなかったかな。

ガイドさんはどこに行っても、「この辺りでは一番いいホテルと食堂」と言ってましたが。

 

午後は基本は移動移動。翌日に登る白頭山の近くのホテルへ。

ホテルでは、日中韓の記念行事「尹東柱と彼の時代」が開かれました。

 

大先生方にまじって、わたしも、いち尹東柱ファンとして語りました。

 

この話はこの話で書きたいけど、あまりにも膨大な話をどうまとめていいのやら。

 

韓国語ですが、ハンギョレ新聞の記者さんが書かれた記事のリンクを貼っておきます。

 

http://www.hani.co.kr/arti/culture/book/826985.html

 

紙面にどれだけ載ったのか確認してないけど、長い記事ですね。

ありがとうございますニコニコ

やっぱり日本でも移動が多くて書けませんでした。

遅すぎる続き。

 

延辺2日目は、朝から尹東柱ゆかりの場所を巡りました。

 

明東(ミョンドン)村。尹東柱の「東」はここからきてるとか。

 

村の入り口。「明東・尹東柱生家」って書いてます。

 

小さな村なんですが、尹東柱人気のおかげで、韓国からけっこう来ているようです。

生家あたり、どんどん整備されて立派になってるという話。

 

これが生家。

 

わたしは初めてなので、比較のしようがないですが、これでもか、というぐらいいっぱい詩碑が建ってます。

 

生家の前では100周年の誕生日のお祝いと追悼の祈りを捧げました。

尹東柱はクリスチャンでした。

 

近くには、いとこで生涯の友、宋夢奎の家も。

 

明東村で生まれ育ち、同じく福岡刑務所で亡くなった二人。

ほんとに生と死を共にした二人。

 

お墓もやっぱり隣同士にありました。

尹東柱が詩を遺したからこそ、独立運動家だった宋夢奎にも光が当たったんですよね。

二人は本当に互いに照らし出す存在のようで、映画「空と風と星の詩人 尹東柱の生涯(동주)」は、二人が主人公だからこそ成り立った気がします。

 

村のもう一つの見どころは、尹東柱が通った明東学校跡地に建つ記念館。

尹東柱のみならず、偉人を多く輩出した明東村の歴史がわかる。

 

ご存知の方も多いと思いますが、尹東柱の明東学校時代の友達に文益煥牧師がいて、民主化運動家としても知られる方ですが、俳優のムン・ソングンは、その息子なんですね。映画では、尹東柱が尊敬する詩人として鄭芝溶が登場しますが、これをムン・ソングンが演じてます。

 

鄭芝溶も同志社に留学していて、尹東柱の詩碑の隣に、鄭芝溶の詩碑があります。二人の関係はというと、尹東柱を世に知らしめたのが、鄭芝溶です。当時、京郷新聞主幹だった鄭芝溶は、1947年2月、尹東柱が亡くなって2年後に、紙面で『たやすく書かれた詩』を紹介します。

 

その後、1948年に詩集『空と風と星と詩』が出版された時にも、鄭芝溶が序文を書いています。

 

マニアックですみません。わたし自身がこのへんがつながった時、ちょっと快感だったので照れ

続きはまた~