やっぱり日本でも移動が多くて書けませんでした。
遅すぎる続き。
延辺2日目は、朝から尹東柱ゆかりの場所を巡りました。
明東(ミョンドン)村。尹東柱の「東」はここからきてるとか。
村の入り口。「明東・尹東柱生家」って書いてます。
小さな村なんですが、尹東柱人気のおかげで、韓国からけっこう来ているようです。
生家あたり、どんどん整備されて立派になってるという話。
これが生家。
わたしは初めてなので、比較のしようがないですが、これでもか、というぐらいいっぱい詩碑が建ってます。
生家の前では100周年の誕生日のお祝いと追悼の祈りを捧げました。
尹東柱はクリスチャンでした。
近くには、いとこで生涯の友、宋夢奎の家も。
明東村で生まれ育ち、同じく福岡刑務所で亡くなった二人。
ほんとに生と死を共にした二人。
お墓もやっぱり隣同士にありました。
尹東柱が詩を遺したからこそ、独立運動家だった宋夢奎にも光が当たったんですよね。
二人は本当に互いに照らし出す存在のようで、映画「空と風と星の詩人 尹東柱の生涯(동주)」は、二人が主人公だからこそ成り立った気がします。
村のもう一つの見どころは、尹東柱が通った明東学校跡地に建つ記念館。
尹東柱のみならず、偉人を多く輩出した明東村の歴史がわかる。
ご存知の方も多いと思いますが、尹東柱の明東学校時代の友達に文益煥牧師がいて、民主化運動家としても知られる方ですが、俳優のムン・ソングンは、その息子なんですね。映画では、尹東柱が尊敬する詩人として鄭芝溶が登場しますが、これをムン・ソングンが演じてます。
鄭芝溶も同志社に留学していて、尹東柱の詩碑の隣に、鄭芝溶の詩碑があります。二人の関係はというと、尹東柱を世に知らしめたのが、鄭芝溶です。当時、京郷新聞主幹だった鄭芝溶は、1947年2月、尹東柱が亡くなって2年後に、紙面で『たやすく書かれた詩』を紹介します。
その後、1948年に詩集『空と風と星と詩』が出版された時にも、鄭芝溶が序文を書いています。
マニアックですみません。わたし自身がこのへんがつながった時、ちょっと快感だったので
続きはまた~