尹東柱ゆかりの地を巡ったのが、誕生日の当日の12月30日ですが、この日の写真が一番多い。
というのは、この日だけちゃんと一眼レフのカメラで撮って、あとの白頭山はスマホ。
リュックにカメラは入れてたんですが、寒すぎて取り出す気にならなかった。
カメラマンはさすがですね、どんなに寒いところでも、果敢に撮ってました。
正直、30日も十分寒かった。
白頭山ほどではないにしても、ソウルよりは圧倒的に寒い。
大阪&高知人のわたしには、寒すぎる。
という中でがんばって撮ったから、ブログに載せてます(笑)
前回でほとんどですが、残りをもうちょっと。
明東村からちょっと離れて、尹東柱の通った中学校にも行きました。
ここにもやっぱり立派な詩碑が。
そして写真は撮らなかったけど、この近くにも尹東柱が暮らした跡地がありました。
といって、特に整備されてなく、専門家と一緒のツアーでなければ絶対分からないような所。
実はここで書いた詩が多いらしく、今後整備が必要という話でした。
でも、どこで一番たくさん書いたのか、本当はよく分からないですよね。
実は京都かもしれない。期間が短いからそれはないかな。あるいは獄中。書くものがなかったかな。
京都で逮捕された時の持ち物は押収されて行方不明なので、遺された詩は東京時代が最後なんですよね。それも、祖国の友達に手紙と一緒に送っていて、その友達がまたちゃんと大事にとっていたから、わたしたちが読めるわけで。
そう考えると、押収された物が、本当に惜しい。
あの、遺った写真では最後に撮られたという宇治川での学友との遠足とか、詩や日記になってたかもしれない。なんて、想像してみたりしてるうちに、お昼の食堂へ。
釜山石鍋飯。
バスで隣に座ったのが、釜山から来られてる大学の先生で、「え?ここまで来て釜山?」って戸惑ってました(笑)
今回、4泊5日のほとんどが、ちょっと中国風の韓国料理のような感じで、これは延辺が朝鮮族が多いから地元の人も食べる料理なのか、それとも韓国人観光客向けなのか、よく分かりませんでした。
さんざん韓国でおいしい韓国料理を食べてるわたしには、ちょっと物足りなかったかな。
ガイドさんはどこに行っても、「この辺りでは一番いいホテルと食堂」と言ってましたが。
午後は基本は移動移動。翌日に登る白頭山の近くのホテルへ。
ホテルでは、日中韓の記念行事「尹東柱と彼の時代」が開かれました。
大先生方にまじって、わたしも、いち尹東柱ファンとして語りました。
この話はこの話で書きたいけど、あまりにも膨大な話をどうまとめていいのやら。
韓国語ですが、ハンギョレ新聞の記者さんが書かれた記事のリンクを貼っておきます。
http://www.hani.co.kr/arti/culture/book/826985.html
紙面にどれだけ載ったのか確認してないけど、長い記事ですね。
ありがとうございます