昨年度、岡山の高校、京都の高校、そして私の勤務校でコラボしてきた、3校連携協同学習プロジェクトの到達点として、公開授業の話です。

 このプロジェクトは、「平家物語」を共通教材として、3つの学校の教員がそれぞれの切り口と授業方法で授業をしている、その様子をビデオに撮り、お互いに教師も生徒たちも他の学校の授業の様子を見合うことで、自分たちの授業のコンセプトや意図、目的、自分たちの学習のあり方を相対化(メタ認知)することで、自分たちを知らず知らずに規定している「枠組み(スキーム)」を認知していくこと、そうすることによって、「枠組み」を知った上で乗り越えたり、活用したり、自分自身の活動や成果を明確に捉えられたりできるようになることを目論んでいます。
 

 自らの枠組みを認知する態度やスキルは、他人のそれを認知する態度やスキルに通じますし、自己や他者を規定する枠組みを知ることで、自分自身をはじめ他者や世界への認識が可能になります(構成主義的ですが)。...
 グローバル化とか言われている時代に必須の態度やスキルです。

 これまでの協同学習は、ほとんどが、学校の中で行われるか、同世代同士での協同であったり、どちらかが従属的であったり、協同による成果のクリエイティブや自己の揺さぶりがない、といったものであるように思います。(私が体験した中ではOECD東北スクールはそうではありませんでした)。

 そうではないものに、少し長い期間おこなう国際交流プログラムがありますが、十分な意思疎通と議論ができないところにもどかしさがあります。

 やはり、日本人同士で十分な意思疎通と議論をして考えや認識を深めたいと強く感じていました。それもあってこのプロジェクトを企画しました。昨日はじめて生徒たちが出会ったわけですが、この「はじめて出会った人間と意思疎通と議論をする」というのがよかったです。はじめて出会った人たちで協同するのがグローバル化、フラット化していく今後、どんどんなされると思うからです。
 

 議論や発表もよかったです。特に生徒たちの考えがどんどん深まっていく(しかも勝手に自分たちで!)のをほとんど感動してみていました。






 生徒たちは「枠組み(スキーム)」を「箱」と例えました。

「自分たちは学校や授業という先生が作った箱に入っているけど、このプロジェクトまでは箱に入っていることすら意識していなかった」とか、「箱から出て箱を眺められたと思ったら別の箱に入っていることに気づいた。どこまでいったら箱から出られるのか?出られないのでは?」とか、「箱のふたを開けてはじめてその箱がいいか悪いかわかる」とか!

面白いよ君たち!





 しかも、「こうして箱の話している自分たちがこのプロジェクトを作った先生たちの箱の中で動いているよね。チッ!」とか素晴らしい。


 そのモヤモヤ感をぜひ持ち続けて教師を凌駕してほしいと願っています。


 公開授業では、協同の成果物として新聞の一面を作りました。各学校で書いた記事、コラム、社説、広告の群を読み比べて、どれを一面のトップに持ってくるのか、それはなぜか議論して決めていき、なぜそう決めたのか発表して問い直されるという活動です。

 4人組の4グループでそれぞれ新聞を作りましたので、4種類の新聞ができました。記事などの内容はこのプロジェクトについてのものでしたので、プロジェクトへの理解も深まりました。
何より、グループの構成員がそれぞれ違った記事をイチオシしているので、どの記事にするかで価値判断がわかれます。価値判断をぶつけ合い、合意形成していく、それをさらにほかのグループから問われる、という活動ができる点で優れた活動です。この学習過程もとても面白いものでした。楽しかった!


 私は、MOONBlockを授業で使っていますが、それは「論理性とは何か?」を、「部分の集合で全体が成り立つ、すなわち部分に瑕疵があれば全体が崩壊する」という考え方と、「全体の中で部分の瑕疵は補われバランスは保たれる」という考え方を実体験を通して理解してもらい、最終的には、ものを創り出すことへとつなげてもらいたいからです。(授業の見た感じは、教科書内容理解と「プログラミングに親しむ態度の涵養」に見えます。そうでないと喝破された為田 裕行さんの眼差しの鋭さ には脱帽です m(_ _)m )。




「二田の問いの意図を問う」のも、目の前の授業者という、児童生徒のみなさんがもっともたくさんの時間、たくさんの授業というコンテンツを「与えられる」存在のスキーム(知の枠組み、価値観)を分析、解釈することが、最も効率的で機会の豊富なスキームの相対化の訓練になるからです。しかも、それがどの学校でもなされれば、日本全国のすべての少年少女がスキームの分析、解釈の訓練機会と、みずから意識的にスキームを創り出す基礎的なリテラシーを得られる可能性があります。
ただし、授業者の...授業のデザインが分析、解釈に耐え得るものである必要があります。自分のそれが耐え得るかといえばまぁ頑張るしかないですね。

昨今のアクティブラーニングもラーニングの過程を評価するパフォーマンス評価も、授業のデザインを鋭く問われるという点で、21世紀の学力を伸ばすことに直結するのだと見ています。
この辺を議論できる機会がつくれると面白いなぁと思います。

教育へのICT活用について、とてもおもしろいとてもおもしろい分析 分析、しかもデータ分析に基づくエビデンスをきちんと出そうという姿勢での分析です。

武雄市の取り組み「スマイル学習」については、わたしはまったく知らないので、意見を述べることはできません。

自分自身のICT活用の取り組みや考え方から、いくつか意見を述べてみます。また、以下の「 」内の指摘にも答えてみます。

...

「文部科学省の検証データで、わかっていることだが、国立大学の附属校の場合、ICT教育による学力伸長が著しい。それは、もともと優秀な子がいるからではなくて、選抜試験によって、ある一定の学力の集団を形成しているからだと考えられる。同質な子供たちは、学力的にもお互いが身近な存在で、頑張れば容易に手の届くライバルだから、「個別学習」であれば負けじと競争するし、「協働学習」であれば、意見を戦わせ、お互いに刺激し合って成長することができる。だから、「習熟度別クラス編成」の学習塾・予備校や、受験によって選抜された公立高校・私立学校のように、「均質な学力の集団」では、今後、「反転授業」「個別学習」「協働学習」によって、学力を飛躍的に伸ばす可能性がある。だから、国立大学付属でICT教育に携わっている教師は、学内の成功事例を発表するだけでなく、そろそろ、公立学校とのタイアップによる研究を始めてはいかがだろうか。」

まずは、ICT活用、この場合は主に反転学習についてですが、基礎的な知識やスキルを学校の授業時間以外での学習でおこなってもらい、学校ではそれらの知識やスキルを児童生徒たちが共有している状況で発展的な学習や、知識やスキルの原理を考えていくようなアクティブラーニングをおこなうこと、が期待されているように思います。また、きっと学校の授業時間内で集団での一斉授業では知識やスキルの習得が十分にできなかった児童生徒がそれを補うために学習をするといった「個に応じた学習」が期待されているのでしょう。

 したがって、教師には「学校という場を離れても学習に向かう姿勢を児童生徒にこれまで以上にもたせる工夫」が必要とされることになります。そうでなければ、「この学習をしなければ自分自身に大きな不利益がやってきて、それはとてもマズイことだ」と児童生徒に強く観念させる工夫やシステムを作る必要があります。あるいは、「先生がやっておいでね、と言ったことは当然やるべきで疑う余地もやらない余地もない」という意識を児童生徒にも保護者にももっていただくか、です。

 以上の3点を意識して授業をデザインする必要があるので、それをみんなやれるかどうかに「学力向上」(何を学力としているかよくわからないのですが)がかかっています。けっこうたいへんですが、やってみる価値は十分にあります。
 児童生徒がマスで大きく変わり、学校が変わり、社会が変わる可能性があるからです。
 ここで、「システムが悪い」「端末が悪い」「やってこない児童生徒が悪い」になると、元の木阿弥です。

 わたしが取り組んでいるICT活用では、「正解のない課題」に自分なりに取り組み、意見を述べることを多く求めています。たとえば教育用SNSに意見を述べてもらい、みんなで共有するというような使い方です。それは「自分一人では解決できない課題のほうが世の中には多くって、だから、衆知を集めて解決しよう!そのためには自分の意見がたとえ拙いと思っても投稿することが重要。意見の内容がみんなの役に立つこともあれば、あなたが投稿したことが他の誰かの投稿をうながすから。チームに貢献できるから。」というようにしています。これが、私の教育用SNS活用での主要なインセンティブの1つになっています。

 つぎに、国立大付属についての指摘についてです。
 この指摘はあたっている部分とあたってない部分があります。それはどうでもよいのです。そういうものですよね。

 私が強く感じるのは、目の前の生徒のみなさんは、総じて「学ぶことには価値がある」とどうも思っているようで、それが学びへのインセンティブになっているようだ、ということです。だから、「難解で抽象的な課題」への解決意欲が非常に高いです。「わからないから考える」「わからないから人の意見を聞きたい」「なんかわかったからおもろくなった、発言しようかな」という感じです。あまり、競争的な感じは感じません。
 それが、学習を支えてくれていると感じます。だから、基礎的な知識やスキルの習得は必要でもちろんやるのですが、授業のデザインの中に、「抽象度の高い課題」を配置します、というか、そこにアプローチする道筋を用意するようにしています。
 「この学習活動や知識は、何のためになぜ必要なのか」も明示する必要があります。これは誤解を生みそうなのできちんと説明しますが、今の生徒たちには「噛んで含める説明」が必要なのではないのです。「何のためになぜ?」の解説は、わたしという授業者の「スキーム」を明確に提示するということです。それをたたき台にして、生徒たち自身が自分自身のスキームを作り出したり、あるいはわたしのスキームをパクったりして、社会や知の世界にさまざまにある「スキーム」に対峙する態度と力を得ていくことが必要だと思っているということです。

 さいごに、公立学校とのコラボについてですが、やろうとするならば、国立大付属教員の授業半分以下に減らして、研究時間を与える必要があるでしょう。同じ時間帯に授業をしているからです。
 放課後は?公立学校では部活動をしているし、みなさんなんらかの仕事をなさっています。
 長期休業や休日は?
 いつ休むのでしょう?

 現実的には、国立大付属の教員の昼間の時間をあける工夫をするか、現在もっている「隙間の時間」や「授業の時間」を使って、自分の学校にいながらにしてコラボする工夫が必要です。それこそ、ICTが得意とする「距離が離れていてもコミュニケーションできるツール」であることが力を発揮するでしょう。
 Skypeでお互いの教室を結んで発表しあって、感想を言う、というようなものではダメです。教員同士がコンセプトや学習活動を一緒にデザインしておこなう共同学習をICTを活用して実施することで、それが可能になります。
元公立高校教員として、国立大附属教員からの教えを請う図式とかはまったく意味がないと思っていますので、フラットな関係で一緒に創るが重要だと思います。
 このような国立・私立・公立・小中学校を問わない遠距離間に離れながらにしておこなう共同学習には、ちょっとだけ取り組んでいます。めっちゃ面白いです。

 いろいろ書きましたが、もと記事がよいからです。これもFacebookのようなソーシャルメディアのおかげです。