「ここだけが狂っている」、そこに正直さがある時、そこに触れにいく | 奏鳴する向こうに。

奏鳴する向こうに。

18の頃から集めたクラシックのCDを、それに合わせた絵や本とともに聴いていく、記録。と、イッカピ絵本。

イッカピ戯画

時計草のからみつく錆びきったジャングルジムにたまたま閉じ込められて、ミカヅキを負ったミッカは世界の終わりに立ち合うこととなる。起きていることの意味はまだない。賭けカードやイカれた公式が何かを暗示するゲームなのだすべては。ゆえに泣いている必要はない。虹のこちら側で、まずは一切を感じとることから始めて、世界に一切を読み聞かせながら、何も見ていないその眼を、ゆっくりと閉じさせていく。

つづく



大天使ミカエルの記念日に寄せるバッハのカンタータ第50番(断章)と130番。



マンハイム四重奏団員とノイネッカー他によるモーツァルトのオーボエ四重奏曲とホルン五重奏曲。



ミュンヒンガーとウィーンフィルによるハイドンの「時計」交響曲。




鐵百合奈によるベートーヴェン、ソナタ第13、14番。

ベーゼンドルファーの響きを録音で掬い上げるのはおそらく至難なのではないだろうか。

この茫洋とした響きで凛とした時間を構築していくのだから凄い。

「ここだけが狂っている」

奏者自身によるライナーの言葉には常にどこかドキッとさせられる。学者過ぎず、ピアニスト過ぎず、詩人過ぎない、しかしそのすべてである絶妙の加減。



カザルス他による1953年のシューベルト弦楽五重奏曲。



クングスバッカ トリオによるシューマン、作品56(キルヒナー編)



レーゼル独奏マズア指揮によるシューマン、作品92。素晴らしかった。



ロッシーニ「老いの過ち」より「謝肉祭の葬送」ほか全3曲。



朝比奈隆指揮札幌交響楽団による1982年のブルックナー、0番。



アルベニスの歌曲より。



ノイマン指揮による1993年のマーラー、第5番。



イヴラギモヴァとティベルギアンによるシマノフスキ、作品9のソナタニ短調。



チッコリーニによるセヴェラック、1907年頃作曲の小品5曲。



フレッシュ四重奏団によるコルンゴルト、第1番。



ヒッコクス指揮によるレスピーギ、「ボッティチェリの3つの絵」



ムター他によるペンデレツキと、カリアー「タイムマシン」



中谷佐和子によるラモーとスカルラッティ。