透析患者、親の介護をする | 現在と未来の狭間

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文芸と自転車、それに映画や家族のこと、ときどき人工透析のことを書きます。

なんだろう、「患老介護」という言葉は無いが、そういうことになるんだろうか?

まだ本格的に始めたわけではないが、始まったのは確かだと思う。年末の30日と31日は高速バスに乗って東京から2時間、茨城県鹿嶋まで移動し、親の様子を見てきた。

きっかけは現地の地域包括支援センターのケアマネジャーからの電話で、母親の体力がかなり低下していて、歩行にも支障があること、また少し認知が入っているとの連絡があった。

まずは様子を見てきたに過ぎない。あとはケアマネさんとの相談もしたのだが、まずケアマネさんの話は半分くらいしか理解ができなかった。自分が知らない言葉が多いのである。

この連休で少し勉強しようと書籍を購入し、昨日と今日で半分くらい読み進んだ。

読んでいるのは『遠距離介護の幸せなカタチ』著者はタレントの柴田理恵さんである。

この本のタイトルを見て、ああ、自分が取り組むのはまさに「遠距離介護」と言うのか、と気が付いた。

この本を読みながら、言葉を拾いメモを取っていく。ヘルパー、ケアマネージャー、要介護、介護費用、介護保険、特養、デイサービス等。

親の介護に真剣に取り組むと、その分、自分が疲弊したり、場合によっては親との間で気持ちの距離が離れることがあるということが心に留まった。真剣に取り組む人に限って「介護離職」ということにもなり、経済的な損失に陥る人も少なくない。

頑張りすぎると自分が疲弊してしまうし、それに介護というのはある種の「撤退戦」で、力を入れた分何かの効果が出るとは限らず、疲弊しない距離感を冷静に見定めることが大事だとこと。なるほど。確かに自分が陥りそうなことでもある。

できることは限られている。今は本を読んで情報を集めたり、実家の方で必要な家財道具などの検討をしている。

実家に帰ってみて驚いたのは、まず台所がものすごく汚れていたこと。少し使えるように生ごみを捨てたり、家事道具を洗っておいた。一応、食べることはできるくらいにしたが、使えない家事道具もあり気がついたところから新しいものと取り換える必要がある。

父親は耳の問題もあるが、今回らくちんヒヤリングを使って「聞こえる」ことが確認できたのでそこはまず前進した。しかしあれは少し小さすぎて装着が難しい。自分でつけるのはムリである。イヤホンタイプの少し大きめの収音機が無いか探してみよう。

小さすぎて装着ができないということは、もっと身近なところで言えばどうやら箸も使いにくいようである。父は先割れスプーンを使って食べていたが、もう少し使いでの良いモノを探してみたい。

今は思いつくまま、両親に必要なものを探したり、本を読みながら情報を集めている段階である。焦りすぎてもいけないし、まだ患者が行う遠距離介護は始まったばかりである。

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