今の会社に入ってからは連休はそれほど多くはない。証券取引は暦通りだからだ。その代わりに休みは比較的取りやすい。誰もが月に二日程度の計画有休を取ることができる。私も月に1、2回は休みをとっている。
月に1回、茨城県鹿島市に行く。昨年の6月に母が亡くなり父が施設に入った。母は90歳で亡くなったが、父は今92歳。歩くのは自由にできないが、食が細いわけではなくまだまだ元気。90を過ぎて塗り絵にハマり「ワシの作品じゃ」とか訳のわからぬこともいうが、まあこの年で好きな趣味にで出会うというのは貴重なことだと思う。
思い返せば昨年の今頃は、母の危篤で仕事どころではなかった。幸いなことに今の会社は、福利厚生が充実していて親の介護で5日の休みが取れる。両親が二人とも要介護となったので二人分で10日の休みが取れた。そのほか、有休付与の以外で6日のリフレッシュ休暇もあり、非常時には過去に無効となった年休が4日使えたりで実質的に有休残日数に響かなかった。
おかげで母に寄り添えたのはよかったと思う。
最近、世の中には”静かな退職”という言葉があるという。理由は様々だが会社にいながら最低限の仕事しかしないことを指すらしい。そんなことができるのか? と思う人もいるかもしれないが、実際にそうした選択をする人もいるとのこと。静かな退職を選択した人の理由は、会社の繁忙期で親の死に目に会えなかったから、というのがあった。
私の場合、父親との確執があって、距離を置いておいたということがあった。それでも、母の死で父との関係がすっかり変わったのだ。今なら大声で言えるが、仕事よりも親との関係が大事だと言える。だから会社の繁忙で親の死に目に会えなかったことで静かな退職を選ぶというのは理解できる。理解できるのだが、これは実に残念なことだと思う。
親の死に目lくらいは会社が休めるようであってほしい。というか、昭和、平成の起業文化では、こういう時に休みが取れたと思う。それができないということは、常に不安を抱えたまま仕事をしなければならないということだ。それで社員のパフォーマンスは保持できるだろうか。
昨年の4月は新人研修をほったらかしにして、5月は半月以上出社はせずに鹿島のホテルに泊まり込んで病院に通った。6月は母の死と葬儀、父の入所の手続きでやはり10日くらい休んでいたが、それでもその後は無事に仕事に復帰して現在に至っている。あの時に自由に休みが取れない状況にあれば、退職という選択肢しかなかったはずだ。
今は月に1回くらいの休みで父に会うこともできる。父も年齢的なこともあるからか昔に比べるとすっかり気性が丸くなり、お互いを労われるようになった。こうしたことができるようになったのも今の会社の福利厚生のおかげだ。
企業の福利厚生は単なる社員へのサービスではなく、働くための安心材料なのである。今の会社の人事はそれがよくわかっていて他社よりもしっかりとした福利厚生を作りあげている。これが単なる社会実験ではなく、こうして社員にとっての安心材料となり、働く活力も、愛社精神も育むことにつながっている。
このことに社会全体が気が付かないのは、もしかすると日本の危機かもしれない。現に静かな退職ということを生み出してしまった。今の日本に景気回復の兆しが見えないのは、こういう社会背景になるのかもしれない。

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