強烈な風が吹いている。
我が家は低層マンションの最上階、しかも周辺に高い建物が一切ないので、
まともに風をうける。
おかげで終日、た、台風?と思わんばかりの状態。


夫はいえで仕事をすることにしたようなので
昼ごはんを食べに一緒に外に出る。

きっと外の木の一本や二本は倒れているだろうと思いつつ歩いてみると
実際はそこまで風は強くなかった。

意外と平気だねえ、と夫といいながら歩く。


一旦、帰宅してから「煙草がない」という夫と
煙草を買いに外に出る。
一日にひとはこ少々喫煙する夫(本当はやめてほしいんだけど)、
1カートンに2箱くらいを「隠し煙草」にしておいて、と私に託す。
雨だったり深夜だったりに煙草が切れてしまったときのための予備、ということだそうで、
自分で隠すと喫ってしまうから意味がないらしい。
そこで毎回夫に頼まれて、そこかしこに隠し煙草、をしているのだが、
そもそも限られた空間なので隠し場所にも限度がある。

地球儀の裏、文房具入れのなか、本の後ろ・・・いろいろと隠し場所を探すのだがなかなかどうして毎回新しい「隠し場所」を見つけるのは難しい。

それに私としては「これは見つからないな!」と思う、椅子のうえに乗ってやっと隠した棚のうえなどの隠し場所だったりしても、

背の高い夫には丸見え、らしく、「ばればれや」と毎回夫は笑う。

今回もそれで、隠し煙草はいつのまにか喫いつくされていた。まったく。


夜、W杯特番を見る。
予選の最初のころのゲームなんて、もう遠い昔のことのようだ。
多くは旅行先で見ていたので「あれはあそこのバーで見た」「これはあのホテルで見た」などと
夫といいあう。楽しい旅行やったね、と夫。そして私。


つづけてカンブリア宮殿も見る。

孫さん、やはりすごい人だ・・・。


つかこうへいさんの訃報を聞く。

残念に思う。

つかこうへい=いつか公平なよのなかに

そんなふうな願いでつけられたペンネームと聞いた。

つかさんはどうおもっていたのだろう?この世の中について。




朝ごはん。
夫は紫蘇おにぎり、キャベツの味噌汁。
私は蒸しパン。ラスト。


昼ごはん。
中華で餃子、タンメン、から揚げ。


晩ごはん。
おまぜ蕎麦、水キムチ、筋ポック。
今回のおまぜは、とろろ、釜揚げしらす、青紫蘇、ねぎ、ひきわり納豆。
ごまをすったのと、きざみのりをたっぷりのせて食べる。美味。






にちようび、高校の同級生と会う。

長野から上京してくるので、東京駅で待ち合わせ、駅のそばのカフェでランチをしつつお茶を飲む。


彼女は高校2年と3年のクラスが同じだった。

私が通っていた高校は、高校2年になるときにクラス替えがあり、それ以降は持ち上がりでクラス替えがない。

ただし同じクラスのなかでも、進学志望コースによって選択教科が異なるので・・・たとえば国立理系、とか私立文系とかによって・・・同じクラスでも授業が全然一緒にならない子ももちろんいる。

彼女とはコースが一緒だったことや、またそれ以外の部分でも共通するところが多かったから自然と仲がよくなった。

その後、彼女は現役で東京の某有名女子大に合格し、私は地元で浪人生活をしてから一年遅れで東京に出てきて、また彼女は卒業と同時に地元の県で教員になるため帰郷し、一方で私は地元での就職、というのを1ミリも思い浮かべることなく東京にいまもいる。

数年前から思うところあって(と彼女はいった)教職を辞めて、教育学の勉強をしている。

いまは大学院の博士課程だ。

教職の傍ら大学院を受験し、しかも最高学府に入学しちゃうんだから、なんだかすごい話だ。

地元で結婚していることもあり、月に1度か2度、東京に遠距離通学している。

そうして私はまだ東京にいる。


そんなわけで教室で机を並べなくなってから15年以上経ついまも、

1年や2年会わないこともざらにあるものの、

思い出したように連絡がきて、食事をする。そんな関係が続いている。

お互いにとしをとったなあと思うけれども

会えば20年前にも戻れる、旧友というのは素晴らしいものだ。


そんな彼女とのランチはとても楽しかった。

私が結婚してからははじめて会ったので(お祝いに100本の薔薇の花束などをいただいていた)、

主に私の結婚にまつわる話。

結婚式や親族との関係や新婚旅行や子どもについて、など。


彼女は結婚10年目だが子どもがいない。

数年前から治療を続けていて(彼女の場合は旦那さんに問題があるそうだが)、

いまは体外受精をしている。

1クール30万円もするので(!)年に2回しか受けられないこと(少子化問題とかいってるならこういうところを助成してくれないと・・・)、

2年間続けているけれどもまだ授からないこと、40歳まで続けるけれどもそれで無理なら「あきらめる」こと。

本音をいえば、そこまで子どもが欲しいと思っていたわけじゃない、

でも旦那さんのことを考えると、どうしても子どもが欲しい・・・。


そんなことを教えてくれた。

その話の前に。

「RとかMとかに会ってる?」と、地元に残っている共通の友だちの名前をあげると、

「・・・うーん。会ってないよ。あそこって小さい子どもいるじゃない?だからちょっとね、辛いんだよ」と

長い沈黙のあとに彼女はいった。


友だちに子どもがいることは祝福したい。その気持ちは嘘じゃない。

でも目の前に子どもに囲まれて幸せそうな友だちをみるのは辛い。


そういう気持ちは、私にも少しはわかる。

といっても私が「子ども」については真剣に考えはじめたのはここ1ヶ月くらいのことで、

だから「子どもがいる友だち」は、単純にいいな、幸せそうだな、というハッピーモードが100%だ。

私が「わかる」のは、自分がまだ結婚していなくて、でも結婚したくてたまらなかった30代になったばかりのころの、「幸せな結婚生活を送っている友だちへの羨望」だ。

それを「子ども」に置き換えるのは違うのは承知だけれども、「祝福したい、でも辛い」という気持ちは、

その頃の私の気持ちにすこし、似ている部分がある気がする。

(私の場合は当時は恋人だった夫と同居することによって、結婚願望というのがどんどんなくなっていったので、本当に必要だったのは結婚ではなく夫との暮らし、だったのだということがわかる)


そうして実際に自分が結婚して、また年齢を重ねることで、

子どもが欲しい、という友だちや、また同じ状況にある近しいひとの想いについて、

いまはもっとわかるようになった。


数年前、まだいまほど友だちが深刻ではなかったころに、

「きっと“授かるべきとき”に授かるよ、いまはまだそのときがきていないだけなんだよ、だからだいじょうぶ」というようなことを私は彼女にいっていて、

その言葉にすごく救われた、ありがとう、と彼女はこたえてくれた。

でもいまはどうだろう?状況はすこしすすんでいる。


“授かるべきとき”が早くくるといいなと思う。

「一緒につくって子どもを預けあおう!」と笑いあいながら彼女とわかれた。


これからフジイフミヤのファンクラブ限定コンサートなんだよね~と照れくさそうに笑っている彼女。

ええっ?フミヤって好きだったっけ?あんなに仲がよくてもそういうことって意外と知らないもんだね、というと

高校の頃は照れくさくていえなかったんだと思うけど、実は小学校の頃からファンクラブに入っている、と彼女は笑っていた。

でも明日は大学院に行くんだけどね!と、言い訳をしながら。


お互いにお互いのいまを生きている。

ときとして交わりながら、なにかを確認しながら、

笑ったり泣いたりして

そうしてまたお互いの日常に戻っていく。

本当に旧友っていいなあと思う。

いまのことを話せる旧友、というもの。


お土産にもらった沢屋のジャムとともに帰宅。

雨が降り出していて、夫は昼寝をしていた。

心配していた洗濯物も入れてくれていてほうっとする。


夜、食事をしてから仮眠。

深夜に起き出してW杯の決勝戦を観戦。

息の詰まる凄絶な闘い。激闘、という印象。

両者に差はほとんどなかったと思うが、スペインが結局、勝利。

そうしてMVPはなんとウルグアイのフォルラン!ブラボー。

にぎやかだった1ヶ月が終わり。淋しい気持ち。

今年はたくさん試合見たねえ、楽しかったね、と夫といいあう。



朝ごはん。

夫はごはん、あさりの味噌汁。

私は蒸しパン。


昼ごはん。

「PAUL」でランチ。


晩ごはん。

海老ともやしと韮の中華炒め、水キムチ、しらすおろし、トマトのカプレーゼ。





今日は雨だと確かに昨日の天気予報で言っていたのだが
思いっきり晴れている。

逆よりは良いのだが、でもねぇ。


今日も早起き。
しかし夫は既に朝食を終えていた。
掃除や夫が食べたものの片付けを終え、ひとごこちついてもまだ9時である。
早起きっていいかも。

夫はマッサージに出かけていき、
私はその間に朝食を済ましたり、
つくりおきをしておく惣菜をつくったりする。

マッサージに行くと1時間で帰ってくる夫、
今日はずいぶんと遅い。
どうしたのかと思ったら、なんのことはない、朝早いし空いていると踏んだ療養所が、
同じく早起きのご老人でめちゃくちゃ混んでいたのだそうだ。なるほど。

帰宅後、昼過ぎまで夫は昼寝をし、
私はさらに料理やら風呂掃除やらを済ませ、
夫が起きたタイミングでランチに出る。

暑いし、ということで、駅に近い鰻屋さんで鰻を食べ、
久しぶりに「さかこし珈琲店」へ。
ゆっくりと珈琲を飲む。満足。
夫は手塚治虫さんの「ブラックジャック」を読んでいて、
どうしてこんなに一話一話に感動できるんだろう、と感慨深げにいう。
そういわれても私は読んだことがないのでわからない。

へぇそうなんだ、さすが手塚治虫さんだねーというと、
あれまさか、読んだことないとか?と夫。
ないよ、火の鳥とアドルフに告ぐ以外は。とこたえると、
えええまじで?ナオは絶対ぜんぶ読んでると思ってたのに!とびっくりされてしまう。
(なぜ?藤子さんのをたくさん読んでいるからかしら?)

だって手塚治虫さんてさ、読む機会なくない?子どもの頃にジャンプとかで連載してたわけじゃないし?
と食い下がると、
そういうもんじゃないやろう、と一蹴された。

そうして夫は、手塚さんの作品は、手に入るものはすべて読んだことがあるんだとか。
今回のブラックジャックももちろん再読。
私からすれば、夫が全作品読んでいたことのほうがびっくりなのだが、
手塚さんを読まずして漫画は語れない、というものらしい。
そうなのかー。ううむ。すみません。


夕方、夫はフットサルへ。
駅まで見送り、スーパーマーケットで買い物をしてから帰宅。
それにしても、わが家はふたりしかいないのに、毎日やたらと食材を買っている気が。
無駄にしているわけではなく殆どすべて食べきっているのもすごい。
夫は「いつのまに“腹出てキャラ”になったんやろう」とお腹をおさえながら言っていた。
夫はもともとは痩せすぎていて、いまは一般的なんだけれども、
夫のいいかたがおかしくて暫くふたりで笑う。


いえに帰ってから、ふと思い立ち、屋上でおやつの煎餅をかじる。
ふきぬける風がとても気持ちがいい。
まわりに高い建物がないから、空がとてもひろい。
きらきらした夕焼け雲。街のざわめき。遠くのいちばん星。


つぎに晴れたら、今度は夫と屋上へいこう。
ふたりでおやつを食べよう。
きっと空は大きいだろう。気持ちよい風がそのときも吹いているだろう。

そんなことを思う。

夜、夫の帰りを待ちながらなんとはなしに蒸しパンと水キムチの下ごしらえ。

蒸しパンのレーズンは、ラム酒にひたして大人風味に。
水キムチは先日つくった分がすぐに終わってしまったので、倍の量の野菜でつくることにし、
まずは大量の野菜たちの水揚げをする。
明日の朝には水があがっていることだろう。


朝ごはん。
夫はカレーうどん。
私はハムエッグとトースト。

昼ごはん。
鰻。

晩ごはん。
夫は外ごはんになったので、残っていた水キムチと蒸したての蒸しパンという変なとりあわせでいただく。



サッカーもないせいで今日は早起き。

それもとても早起き。

珍しく7時半に目覚める。

いつもは8時半なので、1時間も早い。得した気分。

もちろん夫はもっと早く起きていたのだが、朝ごはんはまだのようだったので

ふたりでご飯を食べる。

といっても寝起きの私は横に座って白湯を飲んでいるだけだけれども。


仕事部屋に設置するエアコンのようなものが届く日なので今日は駅まで夫を送れない。

おことわりしておくと、この「駅までお見送り」というのは夫が求めているわけでもなんでもなく、

私はいえで仕事をすることが多いため、夫の見送りがてら「外にでる」「買い物に行く」「用事を済ます」ほうが主眼なのである。


さてそんなわけで今日は

玄関で行ってらっしゃいをすませ、

しばらく待つ。

と、思っていたよりも早くモノが届いた。


夫に「ついたよ?」と電話をする。

今夜は大学院の日なので、設置するのは夜になってしまうのだが

それでもうれしそうな夫。よかったよかった。


ジムへ。

しかし!Tシャツを忘れていることに気づく。

前々回は靴下とシューズを忘れた。

ここのところ忘れ物が多い。

仕方ないのでジムはやめてプールだけにし、水中ウォーキング30分、スイム15分でお茶を濁す。

からだが冷えそうなのでジャグジーに15分くらいつかる。

その間、近くのブースで若い男の子が思いっきり眠っていてびっくりした。

もしかして体調が悪くて倒れている???と思ってしまうくらいの睡眠のとりようで、

ただしときどき寝返り!を打っているので、彼が寝ているだけだとわかる。

それにしたってすごい眠りっぷりである。


今日もまたホームセンターで買い物。

途中、「ウナカメラリーベラ」に寄る。

ここは日替わりのカフェのお店なのだが、

しばらく行かないでいたら、すべての曜日のカフェがチェンジしていた。

以前はもっと落ち着いて・・・つまり半年とか、一年とかの単位で曜日が固定していたのだが、

ここのところ入れ替わりが激しい。

あまりに入れ替わりが激しいのもつまらない。

「今日は火曜日だからあのカフェにまた行ってみよう!そしてあのおいしかったランチを食べよう!」と思っていっても、いつのまにか違うカフェになっているのだもの。


ホームセンターで暫く買い物。

帰宅すると、階段でニャーニャー猫が座っている。

「うあああびっくりした!」とひとりごとをいうと「ニャーニャー」と鳴いていた。

ごめんよ、うちに入れてあげることはできないのだ!といいのこして

部屋に戻る。ごめんね、だってうちのマンションはペット不可なんだもの。


片付けなどをしているとまもなくひとあし違いでかなりの大雨が降ってくる。

慌てて開け放していた窓をぜんぶ閉めたものの、リビングのカーペットが濡れてしまった。

夫は大丈夫だろうか。

濡れていないといいのだけれども。


朝ごはん。

夫はカレーののこり(まだある)と水キムチ。

私はトーストにジャムを塗って食べる。あとはヨーグルト。


昼ごはん。

なし。


晩ごはん。

夫は大学院のためひとりごはん。


三田誠広センセイの「永遠の放課後」を再読する。

そういえば三田センセイはまだ教鞭をとられているのだろうか?



夜遅く、というか朝早くまでサッカーを見ていたせいで

また寝坊。

10時に目覚める。


しかしこんな生活、もあと残すところ1日。

スカパー!と契約していないので、3位決定戦(ドイツ×ウルグアイ)は観戦できない。

またそのためだけにスポーツバーに行くような時間帯でもないので(何しろキックオフが3時半)、

決勝戦(オランダ×スペイン)のみがライブで見られる残試合なのである。


起きたらすっかりと梅雨の晴れ間。

このあとの天気予報はずうっとくもり、または雨なので

慌てて布団を干す。


事務所に行く夫を見送りに駅まで行く。

途中、郵便局へ行くというのでそれにもついていく。


途中、昨日、ボス猫らしき猫を見た、と夫。

「でも倍はなかったから違うかもしれないけど、見ていたらじろりとにらまれた」という。

倍、というのはボス猫がふつうの猫よりもすごく大きいため「ボス猫は大きいんだよ、ふつうの猫の倍はあるよ!」と私がいつもいっているせいだ。その態度からして夫が目にしたのはボス猫に間違いないと思う。

たぶんそれボス猫だよ、というと、でも倍はなかったからなあ、と夫。

以前は道行く猫やらいぬやら道端の花なんかには目もくれないひとだったが

いちいち「犬!」だの「ねこ!」だのいう私に感化されたらしく、

最近では夫のほうが「動いているもの、おもしろいもの」を発見して教えてくれる。

変われば変わるものである。感慨深い。


郵便局は前に住んでいたあたりにあるので、

「なつかしの街や」という夫と、なつかしの街を歩いた。


駅で夫を見送り、

ホームセンターに寄っていくつか買い物をし、

さらにホームセンターのそばにある業務用の生肉店で牛筋を購入。

筋ポックと牛筋のスープをつくる用、である。

どっかりとした牛筋の袋をふたつ、はかりに乗せると、

「1.6キロもありますけど、大丈夫ですか?」とお店のひとに心配されたので、

「ハイ、大丈夫です」とにこやかに答えておいた。


帰宅後、しばらく仕事。

午後、「キッチンことぶき」でランチ。

今日は秋刀魚の開きをいただく。おいしい。

魚も味噌汁もご飯も小鉢も(今日は大根の煮物ときゅうりのぬか漬け)、

すべておいしかった。満足。


その後、区役所と郵便局で所用を済ませ、

スーパーマーケットに寄ってからふたたび帰宅。

結構歩いたせいか足が痛い。


しかし今日、アレルギーの病院に行っておくと明日が楽だ。

布団を入れてからのこりの体力を振り絞るように(おおげさ)、

代々木の病院へ行き、ついでに新宿のハンズと紀伊国屋と高島屋に寄る。


へろへろになりながら帰宅してひとやすみしていると、

もしかしたら今日は早く帰ってくるかも?と思った夫が本当に早く、

それも「はらへった~」といいながら帰ってきた。

慌てて晩ごはんの準備をする。

といっても、カレーもあるし水キムチもあるから準備はそんなに手間取らない。

水キムチは意外と日持ちが長く、1週間くらいは食べられるので重宝。

この夏はたくさんつくることになりそうだ。


体力の限界がきていたらしく、

23時に就寝。

日付をまたぐ前に眠るなんて、いったいどれくらいぶりだろう?



朝ごはん。

夫はカレーののこり、もやしの味噌汁。

私はチーズトースト、ヨーグルト。



昼ごはん。

「キッチンことぶき」にて。


晩ごはん。

カレーののこり、水キムチ、あさりの味噌汁、エビフライ、イカリングフライ。


森絵都さんの「宇宙のみなしご」を読了する。



忘れないうちに、先日読んだ姫野カオルコさんの「終業式」の言葉。


その人を励ませるのは、その人も自分を励ませる人だから。


私がキミを励ませられなくなったのはとても残念なことだ。とても。

でもいつかまたわかりあえたらいいなと思う。