にちようび、高校の同級生と会う。

長野から上京してくるので、東京駅で待ち合わせ、駅のそばのカフェでランチをしつつお茶を飲む。


彼女は高校2年と3年のクラスが同じだった。

私が通っていた高校は、高校2年になるときにクラス替えがあり、それ以降は持ち上がりでクラス替えがない。

ただし同じクラスのなかでも、進学志望コースによって選択教科が異なるので・・・たとえば国立理系、とか私立文系とかによって・・・同じクラスでも授業が全然一緒にならない子ももちろんいる。

彼女とはコースが一緒だったことや、またそれ以外の部分でも共通するところが多かったから自然と仲がよくなった。

その後、彼女は現役で東京の某有名女子大に合格し、私は地元で浪人生活をしてから一年遅れで東京に出てきて、また彼女は卒業と同時に地元の県で教員になるため帰郷し、一方で私は地元での就職、というのを1ミリも思い浮かべることなく東京にいまもいる。

数年前から思うところあって(と彼女はいった)教職を辞めて、教育学の勉強をしている。

いまは大学院の博士課程だ。

教職の傍ら大学院を受験し、しかも最高学府に入学しちゃうんだから、なんだかすごい話だ。

地元で結婚していることもあり、月に1度か2度、東京に遠距離通学している。

そうして私はまだ東京にいる。


そんなわけで教室で机を並べなくなってから15年以上経ついまも、

1年や2年会わないこともざらにあるものの、

思い出したように連絡がきて、食事をする。そんな関係が続いている。

お互いにとしをとったなあと思うけれども

会えば20年前にも戻れる、旧友というのは素晴らしいものだ。


そんな彼女とのランチはとても楽しかった。

私が結婚してからははじめて会ったので(お祝いに100本の薔薇の花束などをいただいていた)、

主に私の結婚にまつわる話。

結婚式や親族との関係や新婚旅行や子どもについて、など。


彼女は結婚10年目だが子どもがいない。

数年前から治療を続けていて(彼女の場合は旦那さんに問題があるそうだが)、

いまは体外受精をしている。

1クール30万円もするので(!)年に2回しか受けられないこと(少子化問題とかいってるならこういうところを助成してくれないと・・・)、

2年間続けているけれどもまだ授からないこと、40歳まで続けるけれどもそれで無理なら「あきらめる」こと。

本音をいえば、そこまで子どもが欲しいと思っていたわけじゃない、

でも旦那さんのことを考えると、どうしても子どもが欲しい・・・。


そんなことを教えてくれた。

その話の前に。

「RとかMとかに会ってる?」と、地元に残っている共通の友だちの名前をあげると、

「・・・うーん。会ってないよ。あそこって小さい子どもいるじゃない?だからちょっとね、辛いんだよ」と

長い沈黙のあとに彼女はいった。


友だちに子どもがいることは祝福したい。その気持ちは嘘じゃない。

でも目の前に子どもに囲まれて幸せそうな友だちをみるのは辛い。


そういう気持ちは、私にも少しはわかる。

といっても私が「子ども」については真剣に考えはじめたのはここ1ヶ月くらいのことで、

だから「子どもがいる友だち」は、単純にいいな、幸せそうだな、というハッピーモードが100%だ。

私が「わかる」のは、自分がまだ結婚していなくて、でも結婚したくてたまらなかった30代になったばかりのころの、「幸せな結婚生活を送っている友だちへの羨望」だ。

それを「子ども」に置き換えるのは違うのは承知だけれども、「祝福したい、でも辛い」という気持ちは、

その頃の私の気持ちにすこし、似ている部分がある気がする。

(私の場合は当時は恋人だった夫と同居することによって、結婚願望というのがどんどんなくなっていったので、本当に必要だったのは結婚ではなく夫との暮らし、だったのだということがわかる)


そうして実際に自分が結婚して、また年齢を重ねることで、

子どもが欲しい、という友だちや、また同じ状況にある近しいひとの想いについて、

いまはもっとわかるようになった。


数年前、まだいまほど友だちが深刻ではなかったころに、

「きっと“授かるべきとき”に授かるよ、いまはまだそのときがきていないだけなんだよ、だからだいじょうぶ」というようなことを私は彼女にいっていて、

その言葉にすごく救われた、ありがとう、と彼女はこたえてくれた。

でもいまはどうだろう?状況はすこしすすんでいる。


“授かるべきとき”が早くくるといいなと思う。

「一緒につくって子どもを預けあおう!」と笑いあいながら彼女とわかれた。


これからフジイフミヤのファンクラブ限定コンサートなんだよね~と照れくさそうに笑っている彼女。

ええっ?フミヤって好きだったっけ?あんなに仲がよくてもそういうことって意外と知らないもんだね、というと

高校の頃は照れくさくていえなかったんだと思うけど、実は小学校の頃からファンクラブに入っている、と彼女は笑っていた。

でも明日は大学院に行くんだけどね!と、言い訳をしながら。


お互いにお互いのいまを生きている。

ときとして交わりながら、なにかを確認しながら、

笑ったり泣いたりして

そうしてまたお互いの日常に戻っていく。

本当に旧友っていいなあと思う。

いまのことを話せる旧友、というもの。


お土産にもらった沢屋のジャムとともに帰宅。

雨が降り出していて、夫は昼寝をしていた。

心配していた洗濯物も入れてくれていてほうっとする。


夜、食事をしてから仮眠。

深夜に起き出してW杯の決勝戦を観戦。

息の詰まる凄絶な闘い。激闘、という印象。

両者に差はほとんどなかったと思うが、スペインが結局、勝利。

そうしてMVPはなんとウルグアイのフォルラン!ブラボー。

にぎやかだった1ヶ月が終わり。淋しい気持ち。

今年はたくさん試合見たねえ、楽しかったね、と夫といいあう。



朝ごはん。

夫はごはん、あさりの味噌汁。

私は蒸しパン。


昼ごはん。

「PAUL」でランチ。


晩ごはん。

海老ともやしと韮の中華炒め、水キムチ、しらすおろし、トマトのカプレーゼ。