晴れると聞いていたのだが

そこまで天気はよくないように思う朝。


ヨガはさぼり、起きる。

夫は既に起きていて、カレーをあたためている気配。

毎食よくカレーを食べられるね、といったら

毎食ってまだ二日だけやん、といわれた。十分です。


午前中、体調がかんばしくないのでごろごろしているも、

夫が事務所に行くというのでお見送りをかねて外出。

腹減ってきた、という夫と「パスタキッチン」へ。

体調はかんばしくなくてもお腹は空く私。


お母様がお亡くなりになった後に、

はじめて会うオーナー。

ひげを綺麗に剃られていて、5~6歳は若く見える。

といっても実年齢は知らないんだけど。

お母様、大変でしたね、というと、

もう年でしたからね、とオーナー。


私の母方の祖母などはいま94歳、10年以上前から重度の認知症で介護施設にいる。

自分のことも誰のことも10年以上前からわかっていなくて、ずうっと寝たきりだ。

母は朝晩2回、車で30分ほどの介護施設に行って食事の介護をしている。

本当はそういうことはしてはいけないという施設のルールがあるのだが

(だって実際に他の入所者さんの家族が毎日行けるわけではないから。食事の介助は介助スタッフの仕事だ)

完全無視で「自分のやりたいこと」を貫き通している。

私はそういう母を見ていると、すごく複雑な気持ちになる。

母の気持ちはわからなくもないが、寝たきりで自分では食べることもできない祖母に無理やりに自宅から持ち込んだ(これもルール違反)、ゼリー状ドリンクやチョコレートなどを飲ませて、今日はたくさん食べたとか今日は全然食べてくれなかったとか言っては一喜一憂している母。

介護士さんや看護師さんの態度が悪いと憤る母。

ルール違反をしているのは自分なのに!?

ここ数年は、祖母の容態ひとつですべての用事はキャンセルだ。

たとえば父と母が二人で行く予定の海外旅行も、前日にいきなりキャンセルしたりする。それも年に何度も!熱が出た、食欲がない、ということで。

父は優しいひとなので、そういう母を仕方ないと容認しつつ、実際は私と同じ心境だったりする。

たまの帰省では必ず父と二人で少しだけでも話す時間を設けているのだが、父はあきらめたようにそういう話をする。

(何しろ私の母は変わっていて、いつからか、私が父に直接電話をしたりメールをしたりするとすごく怒る。だから父とはあまり話すことができない。なんと父は私からのメールや電話の着信履歴は全部消しているのだ!父に対するやきもちと、私に対するやきもち、両方あるらしい。私にはそういう母の気持ちがちっともわからない。私にだけやきもち、とかならまだわかるんだけど)

もちろんそんな父のことを母は思いやる気持ちがない。

私の結婚式の日程が決まったときも、「おめでとう」よりも前に「でもお母さんは、おばあちゃんの体調次第で行けないから」と言っていた。さすがにこれには驚いた。きっと本人は忘れていることだろう。

母は祖母は認知症なんかじゃないと今でも言っている。

そもそも認知症の症状が出始めたときにもそう言い張って、絶対に病院などに連れて行こうとしなかった。

初期に病院に行っていれば、少しは遅らせることができただろう。

そういうことは、でも、全然思えないのだ。母は。

こういう一連のことは・・・私の感情を含めて・・・肉親どうし、家族どうしだからこそ難しいと思う。

そうしてきっと母は祖母が120歳でも150歳でも生きていて欲しいと願うだろう。


帰省の度に祖母に面会に行くのだが、祖母を見ていると、

ひとの死に際、死にどき、についてとても考えてしまう。

私は冷たいのかな?きっとそうなんだろうな、とも思うけど。


さて「パスタキッチン」に話を戻そう。

先週はオーナーがいらっしゃらなかったので、野菜のひとなどが繰り上がりで調理をされていた。

頑張っているのはわかるけれども、

やはりオーナーとは味が違う。たぶんほんのちょっとの火加減、塩加減、なんだけれども

その積み重ねがやはり歴然と違ってしまうのだ。

オーナーは偉大だ!今日はとても満足をすることができた。


夫を見送り、ホームセンターへ。

ビオラを買ってきて、帰宅後、余っている鉢に寄せ植え。

玄関の前に置いてあった夏の花をベランダにし、ビオラを玄関側に置く。


夫はそとごはんなので夜はGOVINDA'Sへ行くことにした。

野菜をたっぷり食べて満足して帰宅すると、

にゃーにゃー猫がマンションの前にいる。

話しかけて(猫に)からその場を離れると、前方からご夫婦らしきお二人が通りかかり、

「あれ、ちーちゃん、こんなところにいるよ」

「本当だ、ちーちゃんだ」

とにゃーにゃー猫に声をかけているではないか!


ええ、この猫はちーちゃんっていうんですか。

にゃーにゃー猫はお腹を見せて喜んでいる。

しかしお二人の飼い猫というわけでもないらしい。


ちーちゃんというのは、お二人が勝手に(つまりわが家の「にゃーにゃー猫」のように)

呼び習わしているだけなのか、

それとも本当にそういう名前なのか?謎である。



朝ごはん。

夫はカレー、しじみの味噌汁。

私はハニートースト、シチュー。


昼ごはん。

「パスタキッチン」にて。


晩ごはん。

「GOVINDA'S」にて。




少し寝坊。


午前中、ちらほらと仕事。


仕事部屋にいる夫、

何か静かだなあ、仕事が大変なのかな?と思っていたら、

なんとウイルスに感染してしまったという。

競合サイトの調査をしているときに、急にファイルダウンロード状態になり、

思わず「イエス」を押してしまったんだとか。


とりあえずPCに入れている、セキュリティソフトの会社に電話をしてみたら?という。

たぶん詳しいと思うし。


早速電話すると「システムの復元」をしてみたらどうかとすすめられたという。

試しに、と、インストール前のさらにずうっと前の日の状態に復元してみると、

あっけなくウイルスが撃退された(らしい)。

ウイルスってそういうものなの?

なんにせよよかったよかった。


昼過ぎ、夫は打合せへ。

私は駅まで夫を送る。

やっと雨が上がってうれしい。


スーパーマーケットに寄り、帰宅後、

仕事のつづきをいくつか。


夕方、ヨガール。



朝ごはん。

夫はカレーとシチュー、

私はシチュー。


昼ごはん。

夫はカレー、

私は鮭の塩焼き、しじみの味噌汁、ひきわり納豆、茹でブロッコリー。

夫はカレーだけかい!とお思いでしょうか、本人が「カレー食べたい」「カレーだけでいい」と言ったのです。


晩ごはん。

フライドポテト(!)

ああやってしまった・・・でもどうしてもどうしてもこれだけが食べたかったのですものー。


中島京子さんの「平成大家族」を読了する。

中島さんは好きな作家さんのひとり。

「ココ・マッカリーナの机」などのエッセイがいい。


「平成大家族」は、西武新宿線沿線に住む一家(多分、駅でいうと下井草か上井草あたりだと思う)の姿を描いた作品なのだが、

この一家がまたすごい。

事なかれ主義の歯科医の夫と妻、認知症の気がある90歳過ぎの妻の実母、そして高校生のときから引きこもりになった30歳の息子の4人暮らしの一家に、結婚して家を出た長女一家(長女と夫と息子)が夫が破産したことにより同居となり、さらに次女が離婚しさらに妊娠した状態で出戻ってきた、という設定なのである。

この家族ひとりひとりの設定は、平成の世に住む人間なら誰でも多かれ少なかれ、近しい、と思う部分があるのではないかと思う。

近しいからわかる、そうかこうすればよかったんだ、こうすればいいんだ、というような、そういうこと。

もちろんそこまで思惟的でなくても。


私がいいな、と思ったのは、

長女一家の息子、さとると、引きこもりの長男(3人姉弟の末っ子である)、克郎の、それぞれのエピソード。


長女一家の息子、さとるは、難関私立中学校の受験に成功するも、父の破産により公立高校への転校を余儀なくされているのだが、たとえば同居している叔母であるところの次女、友恵とのこんなくだり。


「なにしてたの?」(略)

「新しい学校でいじめに遭わないための戦略を練ってた」(略)

「いじめってさ、そこまで怖い?」

「怖いに決まってるでしょうが」

「私、けっこう中学んとき、いじめられてたけど」

「友ちゃんが中学のころと、二十一世紀とじゃ、いじめの質が違うから。下手すりゃ、死ぬよ、人は。いじめで」

「そうかもしれないけどさ。でもさ、自分しか自分を守れないってときに、『いじめられたら死ぬしかない』って思ってたら、ほんとに死ぬしかないじゃん」

「だよね」

「『そう怖いもんじゃない』と思うこと以外、自分を守る方法って、なくない?」


友恵にそういわれたからといって、そうだよね!と敢然とあるいは毅然と立ち向かっていくさとるではないのだが、

いくつかの出来事により、新しい自分と出会っていく。


克郎はいつのまにか「あちら側」にいくのが怖くなり、引きこもりを続けているのだが、

祖母の介護に来るカヤノと出会うことで、少しずつ、新しい世界へとドアを開いていく。


「ね、こうやって話してると、ぜんぜんふつうなのに、かっつん、どうして外に出られないの?」

「どうしてって。どうしてかな。そうだよね、カヤノさんにはそのこと話さなくちゃいけないって思ってたよ」

「聞くよ、なんでも。驚かないよ、なに聞いても」

それはね、と言って、「かっつん」は話し始める。

「こうしているときはふつうなんだけど、外に出るって考え始めると、ふつうじゃなくなっちゃうんだよ。たとえばね、たとえば中学の同級生に会うとか考えるとすごく怖い」

「なんで?いじめられっ子だった?」

「そうじゃないのに、怖い。人に見られると思うと際限なく怖いんだよ。それだけじゃないの。たとえばね、たとえばスターバックスが怖い」

「スタバ?」

「一度も行ったことがないから。ぜったい、うまく注文できないって知ってるから。想像もつかない。『あなたのドリンクを自由にアレンジ』なんて。ホームページでショットだシロップだコンディメントだフレーバーだって、何千回確認しても、自分がスタバ行って、そのめんどくさい注文をするって考えると、死んだほうがましな気がしてくる」

「誰もそんなことしてないよ。『ショートラテ』とか言うだけだよ」

「まったく同じ理由で、讃岐うどんチェーンも、怖い。床屋も怖い」

「かっつん、気にしすぎだよ」

「そうなんだけど。でも、だめなんだ」

そう言って、「かっつん」は、うなだれた。

やさしい「かっつん」。公園でお鍋食べさせてくれた「かっつん」。ちっともヘンじゃないのに。

「でも今日、出てきてくれたね。あたし、うれしかった」

「夜だから、やれるかなと思ったんだ。人に会わないし、それに」

(略)

「ねえ、かっつん。あたしはまたときどき夜の児童公園でデートしたい。かっつんが行かなくても、あたしがスタバでコーヒー買ってきてあげるよ」

「うん、でも」

「かっつんが、どっかに行ってみたくなるまで待つ。行きたくなったらあたしがいっしょに行ってあげる。夜、ちょっとずつ始めて、そのうち昼間も出られるようになるよ。ゆっくりやればいいよ。あたしはいそがないから」

ごくりっと、「かっつん」が唾を呑み込む音がした。


「かっつん」が、カヤノと会うために夜の児童公園に出てくること事態が大事件であり(何しろ15年ぶりの外出である)、

また、「そとで会いたい」、と「かっつん」にカヤノが想いを伝えることも大事件であるのだが、

そうした少しずつの大事件を乗り越えて、はじめて外で会ったふたりの、これがそのワンシーンである。


このシーンがすごくよくて、

3回ほど読み直し、3回とも涙が出てしまった。


誰でもに悩みや弱さはあり、

それはときにひとりでは乗り越えられないものだったりする。

そんなときそうっとよりそい、あるいは励まし、あるいはなにもせずとも。

家族や恋人、友だち、あるいはペットかもしれないし植物かもしれない。

インターネットの回路の先にいる誰かかもしれない。

そんなふうな誰か、に誰でもなりうるのだということ。

そうして常に、自分も悩みや弱さを持っている、持つ可能性がある、人間であるのだということ。それを自覚すること。


そんなことを思う。





朝ヨガ、10分。

もうすっかり寒くなってしまって気だるい。

ああ寒いのってやっぱり苦手なんだわ。


起きてからももぞもぞしていたら夫が

今日予定していた仕事(昨日のインタビューの続き)も休んで家におったら?と言ってくれた。

いつもの私ならまず自分のこと・・・自分の体調ややりたいことすらよりも、

夫優先、夫が実際に喜ぶこと優先なのだが

もうカラダは疲れたといっているので、その声を正直にきくことにして

「ありがとう、では休ませてもらうね」と素直にいえた。

よかった。進歩だ(いまさら?)。


夫にチーズトーストをつくり、私はトーストとハムエッグで朝食。

仕事に行く夫を見送り、家事。


午前中、母から電話。

先日送ってもらった桃と巨峰のお礼に、プリンやどら焼きなどを送った、そのお礼の電話。

ついでにいろいろと話す。


おそらく疲れているだろうに頑張って仕事をしている夫のために、と

好物のカレーと、あとは私用にシチューをつくる。

途中までは一緒で、最後のところが違うだけだけど。


いえでいくつか仕事。


夫、いつもより早く帰宅。

カレーの日は早い。わかりやすいひとだ。



朝ごはん。

夫はチーズトースト、

私はトースト、ハムエッグ。

人参とスプラウトと玉ねぎと昆布のサラダ。


昼ごはん。

牡蠣フライ(また買ってしまった)、ひじきの煮物、大根と舞茸の味噌汁、鰯の丸干し。


晩ごはん。

カレー、シチュー、キャベツのサラダ、プチトマト、焼肉、大根おろし。


万城目学さんの「ザ・万歩計」、

大島弓子さんの「グーグーだって猫である3」を読了する。




日曜日は朝から仕事。

デプスインタビューが朝から5本入っている。


夫とともにいえを出て、

打ち合わせがてら喫茶店で朝ごはん。


午前中からもりもりと仕事をこなし、

途中、ランチにラーメンを食べ(高田馬場の「道玄」。化学調味料完全無添加、オーガニック野菜利用のラーメン屋さんです)、

3人まで調査をしたところでどうにもからだが動かなくなってきた。


あまりにも疲れてしまったので、

夫とバトンタッチをし、私は帰宅。

駅に歩く元気もないのでタクシーで帰る。


いえでごろごろし、なんとか復調してきたのだが

晩ごはんをつくる元気もない。


仕事が終わった夫から電話。

疲れてしまったというと、そとでごはん食べよう、ということになり

疲れたわりに肉が食べたくなったので中野のステーキ屋さんへ。


外に出るとにゃーにゃー猫が雨のなか、

駐輪所で雨宿りをしていた。

私の姿を見るとにゃーと鳴く。


肉が食べたい!と思うことってすごく珍しい。

私は魚>肉。断然魚派なのである。


でもこういうときはこころとからだの声に素直にしたがい

もりもりと・・・といっても、夫とふたりで一皿だけど・・・

肉を食べ、帰宅。


やはりそとに出ると疲れる。

お風呂にゆっくりと入り、なんと10時半には寝た。ふうう。



朝ごはん。

喫茶店にてモーニングセット。


昼ごはん。

ラーメン。


晩ごはん。

ステーキ、ハンバーグ、トントロ塩焼きの盛り合わせ。


今日は三食そとごはんだった・・・なんとはなしに反省。



松尾たいこさん絵、江國香織さん文の「ふりむく」、

大島弓子さんの「グーグーだって猫である2」をそれぞれ読了する。

グーグーは再読。

グーグーの1巻がどこかにあるはずなのだが探しても見当たらない。





朝ヨガ、10分。
7時プラスマイナス1時間のあいだに必ず目が覚める状態が続いている。
しかもここのところマイナスが圧倒的。
冬になってもこの調子で目覚めたいものだと思う、冬に弱い私。

起きて夫と朝食。
トーストを焼こうと、以前、買って冷凍しておいたパンを出したら、すこーし黴が生えていることに気づいてしまった。
ショックだ。かなりショックだ。

致し方なく、またトースト気分満載になってしまっていたので、
喫茶店へ行く。
モーニングセットをいただき、
またまた漫画喫茶へ。
行き過ぎでは?
まあ夫の気分転換になるなら良いと思うことにしよう。

小一時間ほど過ごし、夫はマッサージへ。
私は掃除など。
宅配便が30分のうちに3件とやたらに届く。

帰宅した夫は昼寝、お腹が空いたので食事の準備。
起きた夫と昼ごはん。

昼食後、夫はまた昼寝。
すぐに眠れる体質は本当に羨ましい。
私はよほど眠くない限り、うとっと来ても目が冴えてしまうのだ。

寒くなってきたので、冬の布団をだし、
秋物に衣替えもする。
秋仕様、万全。

さて明日はいちにち仕事。


朝ごはん。
喫茶店にて。

昼ごはん。
豚肉のしょうが焼き丼、野菜炒め、ひきわり納豆、プチトマト。

晩ごはん。
しらすおろし、スプラウトと人参と玉ねぎと昆布のサラダ、まいたけと玉ねぎと大根の味噌汁。

田辺聖子さんの「甘い関係」を読了する。