12/30(木)
京都へ帰省の日。今日はホテル泊。
朝ごはんは新幹線で、おいしそうなサンドウィッチをどこかで買って行って食べよう!といっていたのだが、さっさとお腹が空いてしまった夫。
中野駅のそばの喫茶店でフライング朝ごはん。
そのまま東京駅へ移動。
東京駅はとても混雑。
昼過ぎ、京都に到着。
京都駅もとても混雑。
なんだか去年より混んでへん?と夫。確かにそうかも。
四条烏丸にあるNという最近気に入っているホテルにチェックイン。
眺めのいい部屋に、というリクエストを通していただき、東山がよく見える部屋に。
いつもはホテルをなかなか出たがらない夫だが、お腹が空いたせいかすぐに出かけよう!と珍しいことをいう。
百万遍のそばにある、夫も私も大好きなラーメン屋さんへ。
おいしいおいしいといいながら全部食べた。ああ全部食べられた!なんて幸せなんだろう。
つわりが終わってきて本当によかった・・・としみじみと思う。
食後、腹ごなしもかねて阪急の駅まで歩き、三条で降りてからお茶。
あんなに食べたのに食後のデザートは必ず食べる夫。
それで標準よりやや痩せているのだからうらやましい体質である。
錦市場を散策。
といってもさすが年末だけあって立錐の余地もない。
雰囲気は味わえたので途中から裏道にそれ、ホテルまで歩く。
今回の滞在中は、冷えるといけないのでお寺などには行かないことにしている。
おいしいものだけ食べて、あとはホテルでのんびりと過ごす一泊二日。
夜は冬休みに入ってしまった洋食屋さんのA(こちらも京都に行くときは必ずお邪魔する店)には行けなかったので、同じく洋食屋さんで人気があるPという店へ。
しかしうーん、ちょっといまいちかなあという内容。
夫も私もいまいちなものを食べているときはやたらと口数が少ない。
残念だったねえ、やっぱり次に京都に帰省するときは、Aが空いているときにしようね!と誓いあって店を出る。
ホテルに戻り、本を読んでいるうちに夫は眠ってしまった。
疲れていたのだろう。
明日からは夫の実家に帰省だ。
マンゴープリンが夜中に大騒ぎ(大暴れ)して全然眠れない。
元気な子だなあ。
12/31(金)
朝、一面の雪。
どんどん降り続ける雪がとてもきれい。
雪の京都なんて、何年ぶりだろう?
夫も、こんなに雪が降る京都はひっさしぶりや!といっている。
滑らないように気をつけつつ、朝ごはんを食べにMへ。
ホテルに泊まり、朝ごはんをMで食べる、というのが京都の定番。
やっぱりおいしいねえ、Mが東京にあればいいのに!と夫といいあいながらゆっくりと食事をし、ホテルに戻り、さてタクシーで夫の実家へ!というときになって、なんとホテルの車寄せにタクシーが全然いないという事態に気がついた。
この雪で多くのタクシーはスタッドレスタイヤを履いておらず、流しのタクシーも全然いないし、京都駅にすらタクシーはまったくいない、という。
夫の実家のある桂までは電車を乗りついでいけなくもないが、荷物がたくさんある状態で雪の中を歩くのは怖い。
何時になってもいいからという気持ちでタクシーをリクエストし、待つこと2時間。
やっと順番がきて乗った個人タクシーの運転手さんがとてもいいひとで、すごくいい気持になった。
タクシーに乗っているあいだに4歳の甥っ子から電話。
「ナオさんいまどこや?」
「タクシーやで、あと10分くらいで着くよ」
という、そんなやりとりも楽しい。
さて桂に到着。
オモニが雪の中、そとまで迎えに出てくれていた。
よくきたね、だいじょうぶやったん?と優しい姉もちびたちを連れて登場。
あれだけ電話をしてきた甥っ子、なぜか夫と私の顔をみるとはにかみはじめ、2歳半の姪っ子もさらにはにかみはじめる。子どもっておもしろいなあ。
30分もするといつものちびたちに戻ったけれども。
疲れたやろ、しばらく休み?といわれ、
本当は全然疲れていなかったのだがいわれるままに休ませてもらっているうちに2時間も眠ってしまった。
起きてから正月料理の手伝い。
なにもせんでええよ、とオモニも姉も言ってくれたのだが、なにもしないのも落ち着かない。
ということで私は今年はもっぱらチヂミを焼く係りに。これだと座りながらもできるから。
牛肉の薄切り、白菜、にら、甘鯛、車海老と5種類のチヂミを焼く。
この正月料理のチヂミ、イメージとしてはピカタに近いもの。
韓国料理店によくあるような、いろいろな具が入っているものとは違い、1つの具につき1つの衣をつけて焼く。
保存食ではあるのだがなにしろ焼き立てがいっとうおいしいので夫もやってきてみんなでつまみ食いをしながらたくさん焼く。
そうこうしているうちにアボジや兄(姉の夫)が帰ってきて、
挨拶をしたりお茶を飲んだり、その間もずっとちびたちがナオさんナオさんとまとわりついてきたりと騒がしい。
姪っ子はお土産にプレゼントしたマイメロディのピンク色のバッグを片時も離さずに持っているし、甥っ子は
「オレな~オレな~」といつの間にやら偉そうにお兄ちゃん風を吹かせているし。
なんでもいまは「お兄ちゃんっぽい感じ」に憧れているんだそうだ。かわいいなあ。
夫は終始、私が手伝いをしているそばにはりついて
そろそろ休み?とか、座ってやりい?とかいう役目をしてくれた。ありがたい。
晩ごはんは焼き肉。しかも半端ない量。
夫と二人、または私ひとりで食べるのがいつもの食事なのに
ここではアボジとオモニ、夫の兄夫婦、その子どもたち2人の6人の食卓がふつうなのだ。
にぎやかな食卓。にぎやかで、なつかしい。
甥はうれしくてはしゃいで私に話しかけたりふざけたりするし、姪は夫に食事を食べさせてもらいたがるし(いつもは自立心旺盛で自分で食べるのに!)
食べられるかな?と思ったのだが意外と食べられてほうっとする。
しかしやはりすすめられるままに食べていて食べすぎたらしく、夜は気持ちが悪くなってしまった。
晩ごはん後、夫は友だちと忘年会へ。
夫は毎年大晦日に、小学校から高校まで一緒だった10人くらいの男の子たちと忘年会に行くのが恒例。
結婚するまでは朝までずっと飲んだり初詣に行ったりしていたと聞いている。
でも私は大晦日と元旦は家族で過ごすもの、と思っているので、大晦日の夜に出かけてしまう夫、というのを快く思っていなかった。
しかも夫の両親は早寝早起きなので大晦日でも22時には寝てしまうし、兄一家は2階の自室に行ってしまうし、
つまり夫がいないと私はひとりきり。それも6畳の、パソコンしかない部屋に!
去年はその仲間たちが私たちの結婚を祝ってくれたので二人で出かけられたからよかったのだが、それでも結婚祝いが終わると夫は私を桂に送り届けて、2次会だといって仲間たちとまた飲みにいってしまった。早く帰ってきて、といったら確かに数時間で帰ってきてはくれたけどね。
そうしてそのことを知ったアボジと兄は夫に激怒し、メヌリ(嫁)を置いて出かけるのがどこにある!とかなりの勢いで叱ってくれたものの、やっぱり今年も出かけるという。
そうか、やっぱり出かけちゃうんだ、と知ったのは昨日のことで、
今朝、私はこの不愉快だという気持ちを抱えたままで夫の妻としてこれからの毎年を過ごすのではなく、きちんと自分の思いを夫に話しておいたほうがいいなということで、夫に思うところ、を進言した。
つまり、大晦日と元旦は家族で過ごすものだと私は思っていること。いま私たちの関係において「家族」というのは、アボジとオモニと夫のことではなく、夫と私とこれから産まれてくる子どもの3人が「家族」の最小単位なのであること。あなたが高校生や大学生だったら友だちと過ごしてくれていてもいいのだけれども、いまはあなたは私の夫であり、来年は父であること。これまでとはもう違うのだということ。もちろん友だちは大事にしてほしいこと。私も友だちはとてもたいせつにしているから。でもやっぱり一年の締めくくりであるときに家族を置いてでかけてしまうひとであってほしくないこと。ほかの仲間は全員独身だからわからないかもしれないけれども、だとしたらあなたがきちんと働きかけて、来年からは別の日・・・たとえば29日とか30日とか2日とかに、みんなで会うように変更してほしいこと。そういう日だったらそれこそ朝まで飲んでいてくれても私は構わないこと。
そういうことを静かに話すと、夫はずうっと黙ってきいていて、最後に、
わかった、確かにそうやし、来年からは別の日に変えてもらうように今日、話をしてくる。
と約束してくれた。
だから今日は夫を快く送り出した。
そうして22時くらいに出て行った夫は、なんと0時3分前くらいに帰ってきた。もっと遅いと思っていたのに!
よかった、ちょうど間に合った、ちょうど12時や!あけましておめでとう、
とにこにこいう夫に、
ああ頑張って帰ってきたんだな(だってみんなはまだ飲んでいるわけだし、夫はひとづきあいをとても大事にしているから)ととてもうれしい気持ちになった。
あけましておめでとう、今年もよろしくお願いします、と夫に新年の挨拶をする。
マンゴープリンは今日も元気だ。
1/1(土)
元旦。
6時に目が覚めてトイレに行くと、なんと出血していた。
それも鮮血。
しゅ、出血・・・しかも鮮血・・・。
もっとも怖れていたことがいま起きている。
かかりつけの病院がない、しかも元旦の朝の京都にて。
どうしようどうしようと焦ったが、お腹の痛みはないし、出血量も少ない。
少し様子を見て、あと何度か出血が続くようなら病院に行こうと決めて
部屋に戻り、気配で目覚めた夫に、出血をしてしまったと伝える。
焦る夫。
でも少し様子を見ようと思う、と伝えると、いますぐ病院にいかんでええの?といいながら、パソコンで病院の検索をしてくれた。
何度かトイレに行くが、追加で鮮血が出るようなことはない模様。
血の残りが混ざることはあるが、たぶん大丈夫。
朝8時、みんなで新年の挨拶をする。
全員で輪になって立ち、クヮーセアニョンハシミニカ、と言いながら正座し、手を畳につけた状態で頭を畳にすりつける、というような感じのものが正月の挨拶である。
それから正月の朝食をとったり、両親やちびたちにお年玉をあげたり、お茶をしたりしてしばらく過ごす。
姉にだけこっそり出血の話を伝えると、なにもせんで座ってて、というので、少しお運びをする以外は甘えさせてもらう。
すると姉からオモニに出血の話が伝わり、さらにアボジに伝わり、これはあかん!やっぱりいまこちら(京都)に来るのが無理やったんや(アボジもオモニも今年は帰省しなくていいよと言っていた)、いますぐ寝てなさい、ということで寝室に引きこもっていることを厳命されてしまった。
だいじょうぶですよーというと、大丈夫いうても出血が起きてからでは遅いんや、とにかくナオさんは起きてきたらあかん!いますぐ寝なさい、とみんなに諭され、わけもわからずまとわりついてくるちびたちもナオさんの部屋に入ったらあかん!といって引き離され、まあ確かにそうかもということでありがたく横にならせてもらった。
せっかくみんなと過ごせるのに残念だなあ、と思いながらも、一昨日からあまり眠れなかったせいか気がついたらぐっすりと眠ってしまった。
今日は夫の親族が三々五々、新年の挨拶にやってくる日。
夫の実家は京都市内の桂(桂離宮のすぐすば)だが、そこから1時間半やら2時間やらかかる福知山や木津川やらからぞくぞくと親族が集まってくる。
夫の親族はにぎやかであたたかく人好きのするひとばかりで私はみんなと会える機会をとても楽しみにしているのだが、今回は「挨拶とご飯を食べるとき以外に顔出したらあかん」ということで本当に挨拶(新たな親族がやってくるたびに輪になって例の挨拶をする)だけであとは引きこもり状態のまま過ごした。残念。オモニと姉の手伝いもたくさんしようと張り切っていたのに。
でもいまいちばん大切なのはおなかの赤ちゃんとナオさんの健康なんやで、おなかの子を守れるのは母親しかおらんのやから、そのほかのこと(手伝いとか)と順番を勘違いしたらあかんのやで、と口をそろえていうオモニや姉や親戚のコムちゃんやイモちゃんたち(どちらもおばの意。母方か父方かで呼び方が異なる)に、そのとおりだな~やっぱりみんな母だから説得力あるな~と感じ入った。
引きこもり部屋には夫が何度も様子を見にやってくる。
眠れない床のなかでO教授の日記を読んだら、昨年1年間の毎月のニュース、のところに私が登場していてびっくりとした。びっくりとしてうれしかった。私も誰かの1年に深く刻まれることがあるんだなということ。
夜22時ころ、やっとすべての親族が引き揚げて静かになった。
みんなが楽しんでいそうでよかった。来年は子連れで輪に入れることがうれしい。
胎動が外側からも感じられるようになった。
夫に触ってもらうが夫はわからないという。まだそういうものかも。
1/2(日)
桂最終日。
甥と姪とたくさん遊ぶ。
本を読んで?というので本を読んでいると、次々と持ってきて、甥と姪で「ナオさん」の奪い合いになる。
2人が喧嘩しないようになんとか1冊の本をみんなで楽しみながら読む、という芸当をおこなう。
男女も違うし年齢も2歳違うのでこれがなかなか難しいがおもしろい。
甥も姪も「ナオさんのおなかには赤ちゃんがいる」ということに興味津々で、
4歳の甥は遠慮しているのか(もう?)「触ってみる?」といわないと触らないが、2歳半の姪っ子はおなかみせて!と言っては服をめくって「あかたん!」などどいっている。
2人に「やさしくなでなでしながら声をかけてね」というと、本当にそうっとなでながら2人でおなかの子に声をかけている。あたたかいちいさなてのひら。
子どもって本当にかわいいなあと思うのはこんなとき。
もちろん自分の子どもだったら24時間一緒で、腹が立ったりすることもたくさんあると思うのだけれどもね。
そういえば甥っ子は「オレ」なんて自分のことを呼ぶようになったり戦隊ごっこに明け暮れているくせに「かわいいもの」に目がない。
いつも甥にはトーマスものや乗り物ものなど、姪にはぬいぐるみなどを買っていくのだが「オレにはぬいぐるみがひとつもない」と淋しがっていると姉が密告してきた。
男らしい姪っ子(近所の猫をやっと触れるようになったと思ったら次のアクションは「蹴る」だとか、まだ2歳半なのに滑り台で頭から滑り降りるとか)が、もう遊ばなくなった猫のぬいぐるみ(最初に夫のいえを訪れたときにプレゼントしたもの)は、いまは甥っ子の所有物と化しているのだそうだ。
そんな甥っ子に、ナオさんかわいい髪形にして!といわれて、かわいい髪形ってどんなの?とたずねると、マイメロディちゃんの髪形!とか、プリキュアのなんとかちゃんの髪形!とかさんざんリクエストされ、そのたびに絶対に似合わない2つにわけて耳のあたりで結んだり、頭のうえで結んだりした髪形を各種つくっては甥っ子に見せ、どう?というと、甥っ子はすごーくでれでれしながら「かわいい~」という。何度もいうが全然私には似合わない(当たり前)なのだが・・・。男の子って。不思議。
この甥っ子はまた、私の結婚式の写真を見るのが大好きだ。今回もどこからかアルバムを引っ張り出して、これナオさんとか、ナオさんなんで泣いてるの?とか品評された。
午前中いっぱい、2人とさんざん遊んで、さてそろそろ東京に帰らなきゃ!と準備をはじめると、
それまでにこにことまとわりついていた2人が急に無口になってしまった。
駅まで送ってもらった車の中でもひとこともしゃべらずに、じゃあねバイバイ!と手を振っても涙目になって下を向いている。ううう、なんてかわいいんだろう!
そういえばこういう感じ、自分にもすこし憶えがある。
また新しい楽しいことがあればすぐに忘れちゃうんだけれども、優しかった誰彼の記憶、楽しかった雰囲気はずうっと残る。きっとそんな感じ。
かわいいねえ、と夫といいながら、京都駅へ。
京都駅はものすごーく混んでいて、もうびっくりしてしまうくらい。
時間があったので昼ごはんを食べようと、駅の近くの有名なラーメン屋さんへ行く。
また駅に戻りお茶。
みんなと一緒も楽しいけれども、夫と過ごす時間は私にはとても必要なものだ。
新幹線で東京へ。
中野の街は数日しか離れていないのに1週間くらいの違和感がある。
新幹線の車内でほんの少量出血。
たぶんこれは昨日の鮮血の残りだ。
マンゴーが元気だから大丈夫だろう。
1/3(月)
夫の誕生日。34歳。おめでとう。
午前中、新井薬師へ初詣。
そうや!おみくじ引いてない、と夫。
夫はまったくもって信心深くないくせに毎年おみくじだけはひきたがる。
いつぞや川崎大師に初詣に行ったときなど、境内があまりに混みあっているからとおみくじだけ引いて帰ろうとしたくらいである。やれやれ。
夫、お線香の煙でお腹をなでてくれる。
おかえしに夫のあたまをなでると夫も私のあたまをなでた。
お詣り後、おみくじを引き(夫も私も末吉だった。私の「出産」は「多少難ありも大丈夫」というようなことが書いてあった。多少でよかった~と胸をなでおろす)、お守りを買う。
夫、赤ちゃんっぽいやつがええやろ、といって選んでくれたのは開運厄除のピンク色のお守り。
そうだね、これにしよう!というと、2つ、といって自分のぶんもピンク色のかわいらしい、夫いわく「赤ちゃんっぽい」お守りにしていた。こういうところが夫の好きなところのひとつ。
ほかのひとにはわからなくても、私が夫をとても好きだと思うところのひとつ。
新井薬師のそばにあるケーキ屋さんでケーキを購入。
昼ごはんは鮨を食べる。
鮨!
つわり以来の初鮨である。
鮨を食べたいと思えるようになった私。ああ元気になってよかった。
といってもまだ2皿しか食べられなかったけれども。
夫、運だめしのパチンコへ。
夫は毎年一度だけ、年明けに「今年の運を試す」といってパチンコに行く。
勝ったら「今年はいい年」で、負けたら「ここで負けておいたから今年はいい年」なんだそうだ。
私はパチンコを含めすべてのギャンブルにまったく興味がないが、夫が好きなら好きにすればいいと思っているので(そもそも年に一度だし)、今日は誕生日だけどな~と思いはするけれども、今年は休みが短いから今日しか行ける日はないしということで快く送り出した。
私は誕生日パーティの買い出しへ。
帰宅後、しばらく本を読んでから準備。
なに食べたい?と今日は誕生日だから好きなものつくるよ、候補はハンバーグ、鶏の唐揚げ、海老フライかなーと夫にたずねると、
唐揚げと栄養ありそうだから牡蠣フライと、あ、でも唐揚げとフライだと工程違うから大変じゃないの?(大変じゃないよ、大丈夫)、あと久しぶりにカレー!あ、でもやっぱいいや、カレー作るの大変やし、という夫。
大丈夫、カレーなんて全然大変じゃないよ、つくるよカレー、とこたえると、
いやホントいいやまた体調が万全になったらで、唐揚げと牡蠣フライだけに決定!といっていた夫。
カレー食べたいんだな、だったらカレーもつくってあげたいし。
ということで、カレーと鶏の唐揚げと牡蠣フライが今夜のメニュ。
手羽元の唐揚げを特製たれに漬け込み、牡蠣を洗ってタルタルソースをつくって、そのあいだに炒めたカレーの具材を圧力なべで煮込んで・・・料理って本当に楽しいなあ。ああそう思えるだけ体調が復活してよかった!
19時過ぎ、夫から申し訳なさそうに、もう少しだけやらせて・・・というやや気弱な雰囲気漂うメール。
こりゃーきっと負けてるんだ、と思い、一年に一度だし気が済むまで打ってきて、と返信すると、ありがとう、とすぐに返信がかえってきた。
結局、21時過ぎに「終わった」と電話がくる。
「ちょい負け」したという夫。じゃあ今年はいい年になるね、運を使い果たさなかったし!と笑いあう。
電話を切ったあとに、揚げ物スタート。
ちょうど揚げ終わるタイミングで夫が帰宅。
カレーもつくったよ、というととてもうれしそう。
お腹のマンゴーも入れれば、3人で祝うはじめての夫の誕生日だ。
カレーと唐揚げと牡蠣フライを堪能する。
お腹がいっぱいになってしまったので、ケーキは明日に持ち越し。
1/4(火)
夫は仕事始め。
朝早くから事務所へ。
夜は早めに帰ってきたので(ケーキを食べるから早く帰ってきてと言っていたせいもある)、
お祝いのケーキを食べる。
大きいキャンドルを3本、小さいキャンドルを4本を無理やり小さなケーキに刺したらあまりにも歪で笑ってしまった。
灯りをともして、ハッピーバースディの歌をうたってお祝い。毎年の恒例。
確か27歳か28歳の誕生日を最初にお祝いしたから、今年で6回目か7回目のお祝いということだ。
そういうことだね、と夫にいうと、ほんまや、なんかすげえ!と夫。
ずいぶん時間が経ったんだね。
1/5(水)
妊婦検診へ。
今日は夫も同席。しかしどうも元気がない夫、聞けば体が重く、体調が悪いとのこと。
夫は年末年始や夏休みなどのまとまった休暇のたびに熱を出す。
風邪ではなく疲れからくるもの。
今回は熱が出なかったので珍しいなと思ったら、休み明けにきた。
大丈夫?帰る?ときくと、大丈夫やというのでそのまま検診に同席してもらう。
(風邪だったらほかの妊婦さんのためにも帰ったほうがいいのだけれども、そうではないので)
お腹のマンゴープリンちゃんは、ふだんは元気に暴れるくせに
病院にくるととてもおとなしい。
今回も同じで、なかなか動いてくれない。せっかく夫が見に来たのだからおおいに暴れてほしいところだった。
動かないから性別もわからない。
しかし心臓が動いているところや、全体の雰囲気は見られたので夫も満足した様子。
今回の検診時にマタニティスイムの同意書をいただこうと思っていたのだが、
医師に確認すると、あなたはスイムはしちゃだめ!とのこと。
子宮頚癌の手術歴があり、かつ胎盤が下がり気味で、かつ出血まであったとなれば許可するわけにはいかないから、と助産師さんとともにおっしゃる。
子宮頚癌、こんなところまで引っ張るのか。意外とあちこちに影響がある病気なんだな。
またさらに現段階では同じ理由でヨガもウォーキングもしちゃだめ!と厳命された。
この2つについては、1ヶ月後の次回検診時に胎盤が上がっていればやってもいいけれども、現段階では日常生活以外の運動は絶対にしないでくださいという結果に。
運動するぞー!と張り切っていたのでとても残念なのだけれども、おなかの子のために運動をすることよりもしないことのほうがよいという診断なのだからそれに従おうと思う。
夫、体調がかなり悪いらしく、事務所に行かず多くの時間を眠って過ごした。
しかしこんなときでも仕事の電話はたくさんくるし、そのたびにパソコンに向かって作業はしているしでかわいそうになる。
夜になって食欲が少し出てきた夫、
葱や大蒜をたくさん入れたサムゲタンを作ったら、それをお椀に一杯だけ食べられた。
よかった。
早く元気になるといい。
マンゴープリン、自宅に戻るや大暴れである。
病院で暴れてくれよ~。
1/6(木)
夫、体調がかなり回復。
よかった。
これまでのパタンだと3日は熱が続くのだが今回は高い熱が出る前のところでとどめられたようだ。
朝、昨日の残りのサムゲタンにお米を入れてお粥にしたものを食べ、からだを温めさせる。
昼から仕事に行くというので(寝ていればいいのに!)、年初めのパスタキッチンへ。
ふだんどおり食べている夫。
きっと元気になるだろう。
オーナーと新年のご挨拶。
昼過ぎ、東京駅の大丸まで出て、ローマからクリスマス休暇で帰省している友だちに会う。
夫の体調次第で会えないかなと思っていたのだが、なんとか会うことができた。うれしい。
私はもうすぐ20週、彼女は18週くらいと週数もほとんど変わらない妊婦同士。
ちょうど1年ぶりの再会。
2歳半になる娘は預けてきたというので(彼女の夫はベルギー人。彼女もモデルさんのようにきれいな子なので、さらにその二人のいいところをとってきたうえにハーフである娘はそれはそれはかわいらしく、子ども連れで会うとみんなが娘を見る)、2人でゆっくりとお茶をしながら妊婦話で盛り上がる。
正月に出血した、といったら、どうして病院にすぐいかないの?信じられない!と怒られ、次は絶対にすぐに病院に行くようにと約束させられた。はい、すみません・・・。
加えて彼女と私は「親」というものに対する考え方、接し方、距離のとりかたがとても似ているので、そうそうそうだよねー!といいながらかなり共感しあい、そうしてお互いにここまでの話をできる相手はなかなかいないからねえといって笑いあう。
ローマからかわいい指人形やベビー用品のお土産を買ってきてくれて、私も娘用に選んだ苺模様のパーカーをプレゼント。
イタリア製だけあって色遣いがやっぱり全然違う。すごくビビッドで、モチーフのどうぶつの顔も日本のものと違う。かわいい。
次に会うときはお互い子連れだね、出産頑張ろう!といってさよならする。
いつか私も彼女のいるローマ(その頃はローマじゃないと思うけど)に、子連れで会いにいけたらいい。
帰りの電車から夫にメールすると、体調は相当いいとのこと。
安心する。
夜、不意に鮭の塩焼きが食べられるかも知れない!という気分になる。
つわり以来、大好物だった焼き魚が一切食べられず、想像するだけでノーサンキューという状態だったのだが、
はじめてそういう気持ちになった。
最後の晩餐は鮭の塩焼きとごはんとみそ汁、といってはばからなかったのに、つわりというやつは本当に恐ろしいなあ!と思っていたのだが、ついについに、食べられそうな予感。
そんなわけで晩ごはんはストックしておいた鮭を焼いてみた。
久しぶりの焼き鮭。ああ食べられる!食べられるよ、私!!
なんだかめちゃくちゃうれしかった。
食後、夫用にナムル(ほうれん草、人参、もやしの3種)をつくっていると、
いつもより早めに夫が帰宅。
つくったばかりのナムルをビビンパにしてぱくぱく食べていた。
よかった。きっともう体調は治っただろう。
夫に友だちからもらったプレゼントを見せると、
めっちゃかわいいやん!と大喜びしていた。
お腹のマンゴーは相変わらず元気だ。
1/7(金)
今日から20週。
夫の朝ごはん(中華風の粥)に七草を入れて炊く。
私は朝はパンなので、夜はお粥にしようと思う。
年前に胎盤を上げるためにも役立つ妊婦帯を買ってあったので、今日からそれをしめることにした。
多少面倒でも、子どもがおなかのなかで楽にいられて、お産がひどくなくなるならそれに越したことはない。
夫は事務所へ。
天気もいいしウォーキングなぞしたいところだがぐっと我慢。
近くのスーパーマーケットとお薬師さんの商店街で買い物をするにとどめる。
早く胎盤が上がるといい。
今日もマンゴープリンは大暴れ。
絶好調のようである。
そろそろマンゴーという名前では足りないからだになってきたので、
メロンちゃんにでも改名しようかしら。
そのままではつまらないから(?)、メロンパン・・・メロンパンナちゃんにでもしておこう。
新年の目標をまだ立てていない。
毎年1月1日に必ずしも立てているわけではないが、年始というか、1月の中旬くらいまでには決めている。
大学時代の恩師、O教授の教えを忠実に(たぶん)遂行し、おかげで私は自分のライフコースを自分で決定し、歩んできた感、が強い。これは人生を生きるうえでとてもたいせつな「後味」、のように思う。
誰かに振り回された人生ではなく、自分で決めた人生。いいことも、悪いことも、だから受け入れられる。肯定できる。つまるところ簡単にいうと自分を好きに、自分に満足できる。
他者から見てすごいかどうかではなく、自分にとってどうかということ。
しかし子どものことがあると、目標というのはこれまでとすこし毛色が違ってくる気がしている。
というのは、これまでの人生は、立てた目標を実現するもしないも自分次第、というところが非常に大きかったから。
もちろん外的要因で目標を途中で下方あるいは上方修正したり、軌道を変えたり、目標を目標とすることを止めたりする、ということはある。
でもそれも達成できる/できないは、やっぱり自分のちから、に依るところが大きかった。
たとえば去年、3つ立てた大目標のうち、2つは実現したが1つは実現できなかった。
それは子どもができたからだ。もちろん子どもは欲しくてつくったわけなので、目標が実現できなかったのは、結局は自分理由ではあるが、やはりこれまでの1年とは少し毛色が違うものになった。
そうして今年の私はやっぱり子どもを産むことと、産んでからあとのことが大きな目標として「今年の目標」に入ってくることになるだろう。これまでのそれまでとはさらに格段に違うだろう。
達成度の多くは自分の「せい」であり自分の「せい」だけではない。
たとえば自然の摂理、たとえば自分の子とはいえ、それがゼロ歳児とはいえ、自分ではない他者であること。
さて今年の目標、どうしようかな。
今週になってから、「空腹になると気持ちが悪い」という症状が再燃。
どうしたものか。
今週読んだ本。
伊坂幸太郎さん「ゴールデンスランバー」
西加奈子さん「窓の魚」
角田光代さん「予定日はジミー・ペイジ」(これは再読)。
「予定日はジミー・ペイジ」、前に読んだときは妊娠がわかったすぐ後だったのだが、
妊娠中期のいま読み返すとまた違う感懐がある。
伊坂さんは小説を書くのがとてもうまいひとだと思う。
西さんの本は新境地?好きな作家さんなのでがんばってほしい。