1/6(月)
まだ体調がすぐれない。
まず食事がまったくとれない。
正月に(たぶん)ふとったぶんを取りもどせる!と
ほくそ笑めるのは
もっと回復してきてからのことであろう。

夫はもはや仕事である。
さすがに立場上、仕事はじめの午前中から休めるわけもなく
頼めるわけもなく
いろいろなところに鞭を打って
とにかくがんばる。

午後になってやっと体調が落ち着いてきた。

龍晴が私のことを慮ってくれて
おおいに助かる。
2歳7カ月ともなると
いろいろとわかってくれるのだな。
ありがとう。


1/7(火)
やっとそとを歩けるくらいになってきた。
もうそろそろ痺れを切らしてきたであろう龍晴と
午前中は新井薬師の公園へ。

それでも立っていることはつらいので
殆どベンチで座っている。
たって!となんどか龍晴は言ったのだが
ごめん、母さん、具合が悪い・・・というと
わかってくれたらしい。

帰宅後、お昼ごはん食べてから
お昼寝。

午後になってめきめきと体調がよくなってきた。
ほうっとする。

明日から完全復活できそうな予感。


1/8(水)
やっと復活!
からだも軽いし、食欲も出てきた。
ほうっとする。

龍晴にも夫にも、
この風邪はうつっていないらしい。
かさねがさね、ほうっとする。

午前中は新井薬師へ。
今日は縁日。
お堂のなかに入れる!と勇んでお寺まで
ストライダーを走らせた龍晴だが、
お堂まで行ったらお正月期間は入れません、とお坊さんに断られる。

りゅうー、今日は入れないんだって。
ざんねんだけどまたこようね、と
靴をぬぎかけていた龍晴にいうと、
それを聞いたらしい別のお坊さんが(今日はお坊さんが10名くらいいた)
短い時間でよければいいですよ、と
快くなかに入れてくれた。
こういう配慮はほんとうにうれしい。
杓子定規でないところ。ないひと。

龍晴ははいれるって!とおおよろこびし、
いろいろな仏像を眺めたり
神妙に正座をしていたりする。
別のお堂にある像の名前がわからずに
(龍晴に聞かれたのだが私がこたえられず)
質問をすると、
どれのことだろう?とひとりの方が一緒に見に行ってくださり、
龍晴に丁寧に説明をしてくれた。
(奪衣婆というそうだ)

ひとしきりお寺を楽しんでから
公園へ。
今日は三輪車に乗ったり、黄色のバイクに乗ったり
滑り台をすべったりする。
龍晴よりいっさいしたの、ハルカちゃんという子がアンパンマンのコンビカーを押したり乗ったりしていんるのが気になったらしく
暫く一緒に遊ぶ。

ポーコアポーコさんでランチ。
帰宅中にお昼寝。

雨が降りそうなので
午後はいえでずうっと遊ぶ。

龍晴は久しぶりにキッチンで水仕事。
いろいろなものをたくさん洗い、
満足の様子。

夜、雨が降りはじめる。


1/9(木)
思いのほか雨ではない時間が長い。
しかしいつ冷たい雨が降るともわからない天気では
行動範囲も狭まってしまう。

午前中は近くのスーパーマーケットへ。
まとめていろいろと料理をしたかったので
それ以外の時間はいえで過ごす。
龍晴は一緒に料理を楽しんでいる。

お昼寝後は別のスーパーマーケットへ行きつつ、
いくつかの用事を済ませる。

線路沿いのウォールアートを見ながら
歩いて帰りたい、というので
乗っていたストライダーを私が持ち、
龍晴は歩いて帰宅。
坂道を走り降りて遊ぶ。

帰宅後、玄関の掃除をしていたら
龍晴が代わりたい、というので
つづきをやってもらう。

ここのところ龍晴の食欲が旺盛だ。
ずうっと以前はぜんぜん食べない子で
とてもこころを痛めていたのだが
臼歯が生えそろってきたあたりから
たくさん食べるようになり
それからはひとなみからひとなみ以上くらいには
食べるようになっていた。
それが正月明けくらいから
炸裂、という感じに食べまくっている。

レーズンパン1枚、バナナはんぶん、みかん2個。
これは、昼食にうどんと肉団子を食べたあとに食べたものだし、
それから2時間後には
おおきめのコロッケサンド1個、米粉のパンをはんぶん、
さらに追加で食べ、
その1時間後には晩ごはんを食べていた。
ちなみに今日の晩ごはんは
豚肉のチーズ巻きを3個、コロッケはんぶん、野菜たっぷりスープ、ごはん1膳、コーンポタージュスープ、トマト大1個、ゆでたまご。さらにデザートにいちごを10個。

おかげでずうっとほっそりしていた龍晴のかおが
すこしふっくらとしてきて
ますますかわいらしくなっている。
ふわふわの薔薇色のほうっぺた。

あまりそとで遊ばなかったせいか
今日はなかなか寝付かず。

O教授のブログに、子育てに関して・・・
子どもの幸福と親のエゴイズムについて記載されていた。
しばしば考えることであり、それを文章化していただいた感じ。
メモに残す。


1/10(金)
体調もかんぜんによくなり(私の)、
天気もよくなった。

どうぶつえん日和だ。

龍晴は年末からずうっと、
上野動物園にぞうさんをみにいきたい!と主張していたが
龍晴が体調を壊したり
京都へ帰省したり
正月だったり
私が体調を崩したりして
ずうっと行けないでいた。

どうぶつえんはお正月だからお休みなんだよ?
と龍晴にはその度に言っていて、
いやだ!と半泣きになるそのたびに
でもそういうことは、母さんではなくて園長先生が決めることだからねえ、というと、
えんちょうせんせい?と
それならば仕方ない、と思うらしく
なんとか納得を重ねてきた龍晴である。

満を持してのどうぶつえん。
どういうわけか今日は
ベビーカーびより、と龍晴は言って、
いつもは押したがるベビーカーにずうっと乗りつづけている。
体調でも悪いのか?眠いのか?と心配になるほどだったが
まったくそういうことではなく
ほんとうにベビーカーに乗っていたいだけらしい。
いつもは龍晴任せで駆け足のどうぶつえんを
今日はそれも手伝い、いろいろなどうぶつを見ながらすすむ。

きりんさんがみたい!と朝は言っていたのに
りゅうはきりんはあまり好きくない!と、
きりんの厩舎が近づくと言ったりしておかしい。

体験コーナーで、
今日はあひるやうさぎやはつかねずみにも触れることができた。
あひる、実は私も初めて触ったのだが
羽根が思っていた以上にものすごーくやわらかくて驚く。
ふわふわ!と龍晴は感じ言ったようにいって
なんども撫でている。
龍晴はふわふわ!なものが好きなのだ。
(たとえば私のほうっぺたをふわふわ!といって寝ているあいだにずうっと触っている)

たくさんのどうぶつを見て、触れて、
モノレールにも5回ほど乗って、
それでもまだ帰りたくない、と言っていたが
ここでも園長先生、に登場していただき、
園長先生がそろそろどうぶつえんを閉めるから、
帰らないといけないんだって!といって説得する。
どうして?というので、
園長先生もお姉さん(体験コーナーにいる)も、いえに帰らないといけないでしょう?ごはんを食べたり寝たりするものね?とこたえると
納得した様子。

ところで龍晴は
今日から俄かになぜなぜ星人になり、
いままでと段違いになんで?を連発する。
それにこたえるのもなかなかおもしろい。
(いまのところ)

O教授のブログに、卒業した大学の文学部のキャンパスのスロープにある
メタセコイアの木が工事のためすべて伐られたことが写真つきで記載されていた。
衝撃を受ける。

そのメタセコイアの巨木は私が学生の頃からあり
さらには教授が学生の頃からもあり
つまり文学部の、おそらくは多くの学生にとって
シンボルツリーであっただろう。

ああ。あの木はもうないのだな。
次にスロープをあがるとき。
もうあの並木はないのだ。
これからもずうっと。

こころのなかにあった確かな光景がふっとゆらぐ。
確かで、あたたかい。

今日も寒い日。


1/11(土)
葉山のダイちゃんが来るから
明日は平和の森へいこうか、と
寝る前に言っていたら
朝、目が覚めるなり
きょうはやまのダイちゃんがくるひ?と
龍晴はたずねる。
そうだよ?とこたえると
満足そうに笑う。

葉山のダイちゃんは龍晴よりも2歳うえで
兄貴分のような存在だ。
龍晴にとって。

会葬がある夫と途中でわかれ、
朝からストライダーで平和の森公園へ。

寒い冬の朝。
公園には霜柱がたくさん立っている。

りゅう、みて?霜柱。
そういうと、
ん?と龍晴は興味深げに霜柱に触ったり
足で踏んだり投げたりしている。

しもばしらってなに?
どうしてたつの?
そんなことを聞かれ、
それぞれこたえる。
なになに星人と話をするのはなかなかおもしろい。

葉山のダイちゃんがポーコアポーコさんのご主人とやって来たので
みんなで芝生広場に移動し、
ご主人はお店に開店準備に戻り、
残ったみんなで遊ぶ。

今日は紙飛行機を飛ばす会?のおじさまがたがたくさんいらしていて
見学をしていると、
紙飛行機と飛ばすための棒をプレゼントしてくれた。
みんなでひとしきり、飛行機を飛ばす。

ポーコアポーコさんでランチ。
今日は読み聞かせの会。

眠くなってきた頃合いで失礼し、
龍晴は抱っこでお昼寝。
いえに着いてから程なく目覚め、
もういちどポーコアポーコさんへ行きたいというので
またまたストライダーに乗って出かける。
私はひたすら走る係りである。

今日はたくさん子どもたちがいて・・・
葉山のダイちゃん、ご近所のユキちゃんは小学校1年生、ユキちゃんのお兄さん、小学校4年生のハナちゃん・・・龍晴はみんなとたくさん遊ぶ。
私のそばでユキちゃんとダイちゃんが一緒に遊び、
ユキちゃんのお母さんのそばで龍晴とハナちゃんが遊ぶ、
なんてことも多々あり、
こういうお店ならではの素敵な世界だなあと思う。
もちろん子どもたちだけでもたくさん遊んでいる。
このお店に来る子どもたちは
みんな小さな子ともたくさん遊んでくれる。
ご主人がそのようにはからい続けて下さった成果であろう。
ありがたいことだ。

夕方、帰宅。
帰っていた夫に龍晴はいちにちの報告をしている。

夫はフットサルヘ。

そういえば昨晩龍晴は、
ものすごーくおおきな声で、
できた!
おちないよ!!
自動!!!
と言って笑っていた。
いったいなんの夢を見ているのだろう。
本人に聞いたら、くるまのゆめ、と言っていたのだけれども。


ところで。
京都から東京に戻って10日近く経つ。
体調を悪くしたのがおおきくて
なかなか考えたり思ったりする時間がとれなかった。

ここのところ・・・年末くらいから私はずうっと
鷺沢萠さんの本を読み返している。
いまどきのひとたちは鷺沢さんの存在を
知らないのではないかと思う。

彼女の本を最初に読んだのは大学生のころだ。
私より5~6歳年上の、つまりほぼ同時代の作家で、
彼女は幾人かの小説家と同じように
私にとって、作品が出れば読む小説家、のひとりであった。
どうして過去形なのかというと。
彼女が若くして自らの命を絶ったからである。
(余談だが、鷺沢さんの作品は、「つづき」、あるいは「続編」を読みたくなる小説であると思う。それは登場人物が魅力的、ということなのか、
それとも不安定さ、あるいは未完成感があるせいなのか私にはわからないのだけれども。
恐らくはそのどれもが要因であるように思う)

暫くぶりにすべての小説を読み返す。
特に在日韓国人の心象に関するものを
私は初読のころよりもずうっと、
ああわかるなあ、と思いながら読めておもしろい。

ずうっと、というよりもいっそ。
初読のころは殆どわからなかった、
といっても良いかも知れない。

鷺沢さんは私の夫と同じ在日韓国人三世で、
夫との違いは、
自身が在日韓国人三世であることを、
小説家になり、取材対象として自らの過去を見直すときまでまったく知らなかったこと、
である。
以降、彼女の作品の多くは、在日韓国人、の心象を描くものに変わっていく。

在日韓国人には、4通りあるように思う。
在日韓国人であることをまったく知らない場合。つまり外国人登録もしていない。この場合、もはや在日韓国人、というよりはルーツが、というべきかも知れない。
在日韓国人であることを知っているが、日本人の名前を使い(通名という)、日本に帰化もしている場合。
在日韓国人であることを知っていて、日本人の名前を使っているが、帰化をしていない場合。
在日韓国人であることを知っていて、韓国人の名前を使っており(読み方は日本の読みにしている場合を含む)、帰化していない場合。

鷺沢さんは最初のパタンで、
夫は最後のパタンだ。
そして当然、というべきか、アイデンティティは前者から後者のグラデーションでまったく異なる。
ちなみに夫の親族も夫の幼馴染も、殆どが最後のパタンである。
そもそも幼馴染は民族学校の仲間だから、道理であるのだが。

そんな夫と、「帰化」について、
ずうっと以前、話しをしたことがある。
それは結婚か、龍晴を妊娠したころまで遡ることだったと記憶している。

夫は在日韓国人であることを誇りに思っていると私は思っている。
そうしてそれは実際に間違いないことであるのだが、
一方で、だからこそ、帰化について考えている、とはまったく思っていなかった。

しかし夫は、いずれ帰化をしようと考えていたのである。

国籍、というのは紙一枚のことで、
たいせつなものやだいじにしていることが変わるわけではないから、揺らぐわけではないから、
というのが夫の言いたいことで、
それは私もとてもよくわかるし、その通りだと思う。
ただ私は、自分が自分のルーツをたいせつに思っているように、
夫にも夫のルーツをたいせつにして欲しいから、
帰化をしなくてもいいのではないか、とそのときに思った。
そのことも憶えている。

今回、東京駅までの新幹線の車内で。
夫と私はいくつかたいせつな話をしたのだが。
そのなかで、たまたま「帰化」に関する話しが出た。

夫は龍晴が小学校にあがる前に帰化するつもりだ、という。

え、そんなに早く?と驚いてたずねると。
夫は、龍晴が親の国籍のことでつらいめに遭うことは避けたいことなのだと話したうえで、
(それは自身の体験に基づくことであり、実際に体験をしたものでないとおいそれと意見をできないようなものである。
ちなみに鷺沢さんの小説には、差別するような人間は差別してしまっていいのだ、というくだりが出てきたりするのだが、
この問題に関してはとても難しい。
私は龍晴を、だからいろいろな意味で強い子どもに育てること、転んでも必ず立ち上がる子どもに育てることを、いちばんたいせつにしている。それが私が龍晴の子育てについて、唯一明確に決めていることだ)
さらにこう付けくわえたのである。

それに、いつ戦争になるかもわからんやん。

戦争。
戦争?

いま日本と韓国のあいだには。
韓国と日本のあいだには。
不穏な空気が流れていることは私も感じているし
多くのひとも感じていることだろう。

でもこんなにも、
戦争になる可能性について、
それを身近なこととしてとらえていることに。
自分ともっとも近しい存在である夫が
そう思っていることに。
私は強い衝撃を憶えた。
強い。そして深い。

戦争になったら、
もしかしたら俺も徴兵されるかも知れへん。
やから早めに帰化したほうがええと思うねん。

夫はそう続けていう。

現在、在日韓国人は、法律により徴兵を免れている。
でもその法律がいつ変わるかわからない。
100万人の在日韓国人を兵力として捉えることも
ないとはまったく言えない・・・

そうなのか。
私は平手で頬を張られたような
拳で頭を殴られたような
そんな気持ちになった。

それにそうやから、
早めにたくさん金を貯めておきたいねん。
いざとなったらみんなを連れて(第三国へ)逃げられるくらいには。

・・・。

私はなんてのんきなことだろう。
そんなことをまず私は思った。

のんきな妻のその横で
夫はこんなことまで考えて。
日々生きていたなんて。

ああだから。
夫はこんなにも仕事をしているのか。
もちろんこのためだけにしているわけではないのだけれども
そういうことも考えて
会社を動かし、おかねを産んでいるのか。
産み続けているのか。

そうしてそれが、
在日、であるところの夫、なのだ。

夫の覚悟。

それを聞いて私は。
なんともいえない気持ちになった。
いま現在、この国で
ここまでの思いを持っているひとは
果たしてどれくらいいるだろうか。

夫を夫たらしめている
在日韓国人三世、という立場と状況。

夫の覚悟を
おおげさな、と私は笑い飛ばせない。
それはいま現在、という意味だけでなく
将来にかけてもまた。

ナニジン、ということではなく
いつどこでなにをしてでも生きていける
願わくば楽しく生きていける
そんな糧を持っていなければと思う。

それはおかね、ということではなく(ということだけではなく)
さまざまなことにおいて。
そしてもちろん。
そんな覚悟が登場しなくてもよい世の中であることを祈って。

このあたたかくまるい龍晴の
薔薇色の頬っぺたに
ずうっと笑みがうかぶ世の中であることを祈って。

そんなふうに思う。


1/12(日)
思い立って、井の頭動物園へ行くことにした。
夫と龍晴と3人で、
「龍晴がとても行きたい場所」へ行くことはあまりない。
そういう場所はにちようびはたいてい混んでいるから、というのが
おそらく主な理由なのだが
(夫は混んでいる場所がとてもきらいだ)
でも龍晴に「父さんと一緒もたのしい」と思ってもらえるのは
そういうところへ一緒に行くこと、も、
ひとつの手段なのではないかと思う。

ということで、午前中から井の頭動物園へ。
ここのゆうえんちコーナーが龍晴のお気に入りであり、
ここのところ行きたい行きたいといっていた場所である。

たいていどうぶつえんをすこし見てから
ゆうえんちへ行くのだが
今日は最初からゆうえんちコーナーへ走っていき
(しかも自分の足がもどかしくなったらしく夫に抱っこをせがんでいた。
龍晴は足が速いから自分で走ったほうが早い気がするんだけど)
5回乗る!と意気込んでいた新幹線コーナーのチケット売り場に
自ら並んでいた。

主に夫と、ときどき私と、あるいは3人で
たくさんののりものに乗る。
新幹線、ゴーカートのようなもの、
そらを飛ぶもの。

このさいごの遊具が曲者で、
くるま酔いをしやすい私はあっという間に酔ってしまう。
今日もすぐに酔ってしまい、
ごめんだけど母さんはもう乗れないから、
父さんとふたりで乗ってくれる?というと、
最初は不安そうにしつつも
ベンチで手を振る私ににこにこと手を振り返したりしながら
なんかいもなんかいも列に並んでは乗っている。

どうしてこれが好きなの?とあとでたずねると、
そらを飛んでいる感じがするから!とこたえていた。
なるほど。
ヘリコプターみたい、ともいっていて、
なるほど、と思う。
そらを飛ぶ体験、というのは
なかなかできないものね。

途中、おべんとうとお昼寝タイムをはさみ、
夕方近くまでどうぶつえんで遊ぶ。

たのしいいちにち。


1/13(月)
昨日、「父さん」といっしょでとても楽しかったらしく、
龍晴は夫が仕事に出かける前から
今日、父さんずうっといる日?とたずね、
今日は仕事やで、とこたえると
ずうっといっしょにいる日がいい!と半泣きになっていた。
かわいいなあ。
そして作戦成功。

夫を見送りがてら
新井薬師の公園へ。
お寺をぶらぶらしてから
公園へ行き、たくさん遊ぶ。
滑り台や岩の築山など。
龍晴はここのところ「工事のおじさん」「カフェのおじさん」「車掌さん」によくなるのだが、
(どうしてか「おじさん」が好きである)
岩の築山を工事現場に見立てて、
ずうっと「工事ごっこ」をして遊んでいる。
私が下手に通ろうとすると、
そこはつうこうどめですよー!もどってくださいー!!などと注意される始末である。

午後はいえの近くのお店とホームセンターを梯子。
帰りに神社に寄り、
平均台のようなものや滑り台で遊ぶ。

どんどんと寒さが増している。
来週半ばには雪が降るらしい。
龍晴はゆきだるまをつくる、と
張り切っている。


年明け早々、
激烈な風邪を引いた。

元来、私は殆ど風邪を引かない。
頭痛が酷く、アレルギー体質であることを除けば
たぶんとても丈夫なほうではないかと思う。

しかし。
今回の風邪には
ほんとうにやられた。

たぶんこれが中野区を席巻したという噂の
胃腸炎なのではないかと思う。
私の場合はおなかは殆ど壊さなかったのだが
吐き気が酷く、
また吐く前になにも食べられなくなった。
だがむしろ、いま思えば、
なにも食べないでいたために
戻す回数も少なく、
さらには回復も早かったのではないかと思う。

ともあれ渦中にあるときは
寝ていることしかできなかった。

といっても2歳7カ月の動きたいさかりの子どもとふたりきりでは
寝ている=眠っている、というわけにはいかず、
ソファで倒れながら
のしかかる子どもをいなしつつ、
という感じではあった。

仕事に出た夫が
私の具合を心配して
(龍晴の面倒を見るために)
早く帰ってくるように、
もしくは体調どうや?という連絡をくれるように
(その段階で、帰ってきて、と伝えるために)
ものすごく祈っていたのだが
そこまで私が倒れているとは思っていなかったようで
待てど暮らせどまったく連絡がない。
もう無理・・・というところまで待って連絡をすると
慌てて帰ってきてくれた。

文字通り倒れている私を見て
さすがに夫も驚いたらしく
いろいろと手を貸してくれた。

(しかし龍晴は夫がごはんをあげようとすると
母さんがいい!と泣き、
今日は父さんとお風呂に入ろうねというと
母さんじゃなきゃいやだ!!と泣いた。
仕方ないので私と夫が服を着たままでお風呂に入り、
龍晴がひとりで浴槽に入るのでどう?
と提案すると、それでいい!と妥協してくれた)

龍晴の寝かしつけとともに
私も倒れるように眠る。

ようやっと体調が整ってきたのが
今日の今日、
である。

そんなこんなで時間が経ってしまい
年末から年始にかけての日記を
書く気も時間も損じてしまったように思う。

まあこんなときもある。


年末は恒例の京都帰省である。
今年はいちにち、バッファを設け、
ホテルに一泊し、翌日から桂へ。
京都のホテルは日航プリンセスである。
このホテルは年末年始に京都に滞在するときに
主に利用している。
サービスもいいし、設備も悪くないし、
何より立地が優れている。
立地、というのは、夫にとっての立地、という意味。
というのも、年末は京都うまれ京都育ちの夫が
幼馴染と明け方まで飲みに行くので、
繁華街から近いホテルであるほど便利、ということなのである。
その事情がなければ、ブライトンのほうが好きだし、
ウェスティンの和室も良かった。
旅館、ということなら、俵屋にいつかまた泊りたいなあとも思っているが
それはずっと先のことになるだろう。

さて京都である。
14時に着き、まずはレストランで食事。
それから宿へ行き、
荷物をおろすだけおろしてから
急いで知恩院へ行く。
しかし16時の閉門ぎりぎりとなってしまい、
おおきな鐘は見られなかった。
が、金色の仏像を見られて龍晴は大満足。
ぶつぞう!びーっぐ!!!
と大興奮し、
参拝客用にいくつか置いてある木魚を叩いて喜ぶ。
こんなに喜ぶのだもの、連れてきて良かったなあとほんとうに思う。
桂の婚家に泊るだけだと、
さすがになかなかお寺には連れて行ってあげられない。
夫の案内で山を降り、
公園を歩いてから八坂を抜ける。
人力車がいくつかあり、
龍晴はじんりきしゃに乗りたい!というので
みんなで人力車に乗る。
龍晴は以前、家族で行った箱根旅行以来、
人力車が大好きだ。

ホテルに戻り、
龍晴は持ってきたおべんとう。
夫は友だちに会いに行き、
私は龍晴が寝てから
ルームサービスをとってゆっくりと食べる。
これはこれで悪くない。

夫は思っていたよりも早く、
でも深夜よりも遅い時間に戻る。

2日目は眠っている夫を置いて
龍晴とふたりでホテルで朝食を食べてから
もういちど知恩院へ行きたい、という龍晴のリクエストで知恩院へ行き、
(今回は鐘も見られた)
それから清水へ足を伸ばしてから、
ホテルへ戻る。

目覚めた夫は仕事中で、
龍晴はうれしそうに見てきた仏像の報告をしている。
今度京都へ行くときは、
東寺の仏像を見せてあげたい。

夫と龍晴と、気に入りのカフェで軽いランチとお茶。
龍晴はそれから昼寝。
眠った龍晴を抱っこのまま、
夫が河原町をさんぽしたいというので
ずうっと歩いてまわる。

デパートで正月の花などを買物をしてから
タクシーで桂方面へ。
途中「萩」というハンバーガーがおいしいカフェに寄り、
食事。
龍晴は早く桂へ行きたくてやきもきである。

夕方前には桂へ。
龍晴は従兄姉たちとたくさん遊び、
私はチヂミを焼く。
いつもの桂の光景。

今回は先日の法事が近かったため、
やってくる親戚も少ない。
正月料理も、だからさほど多くなく
早めに準備が終わる。

やれやれ。

夜、いつもより1時間半ほど遅くに
龍晴は就寝。

夫は階下で近くに住む夫の兄と話している。

夫が戻ってくるまで起きて待っていようと思ったのだが
どういうわけか強い睡魔に襲われ、
眠る。

目が覚めたらもう12時半を過ぎていて
夫も眠っていた。

除夜の鐘をきかずに
年が明けたのは小学校以来である。

翌日は三々五々、
親族が集まり正月の宴。
龍晴は従兄姉たちとたくさん遊んでもらう。
「ショー」があるから見に来て、とせかされて行ってみると、
としかさの従兄姉たちが倒立や側転をし、
龍晴がでんぐりがえしたくさんをする、という
5分ほどのショーを見せてくれた。
とても楽しく、かわいらしい。
動画で撮影し、何度も見る。
夜には夫の姉夫婦が飼いはじめた犬を連れて来てくれた。
龍晴はごはんをあげてとてもうれしそう。

翌、正月二日は東京へ戻る日。
午前中早めに桂を出て、
新幹線で帰京。

新幹線のなかで夫とたくさん話をする。
とてもたいせつなことを話してくれて
私もいろいろと考えさせられた。
が、それはまた別の機会に
ゆっくりと書こうと思う。

翌三日は夫のたんじょうびである。

午前中は新井薬師へ初詣。
家族の健康と幸いを願い、
おまいりをし、
おみくじをひき、
おまもりを買う。

午後は夫のリクエストで浅草へ。
バスで上野まで行き、
アメ横でアメ横焼きとケバブを食べてから
銀座線に乗る。
龍晴はバスのあいだずうっとお昼寝。

浅草寺はものすごく混んでいて、
参道は入場規制がかかっている。
午前中に参拝を済ませていたこともあり、
お参りはなしにして
あちこちをぶらぶらとさんぽする。

中野に戻り、
これまた夫のリクエストで鍋を食べる。

龍晴が眠ってから
ケーキにキャンドルをたてて
お祝。

夫は37歳になった。
37歳。

夫のはじめてのたんじょうび祝いは
確か27歳のときにした記憶があるから
あれから10年経った、ということだ。
10年。

翌日はスイミングの振替。
夫は仕事。
午後はフットサルへ。

このころから体調を崩し、
いまに至る。

そんなこんなで
今年もお正月、である。
よいいちねんになりますように。

12/24(火)
朝。
牛乳が飲みたい、と目覚めるなり龍晴はいう。

うーん。
昨日の夜、寝る前に嘔吐してからは
いちども戻していないが・・・
案じつつも牛乳を持ってくると
よほどおいしかったらしく
コップ一杯ぶんをまるまる飲んでしまった。

案の定、少ししてから
すべて嘔吐する。

ああ今日も体調が悪いのか。
かわいそうに・・・。

具合が悪くて泣く龍晴を抱っこしながら
そう思う。
早く良くなりますように。
そのぶん。私のからだが悪くなっていいから。

子どもが具合が悪くなると
いつだってそう思う。

(でもその話を、知り合いにしたら、
実際にお母さんが倒れたら大変よ~と
おっしゃった。
確かにそれはそうなんですけどね)

どうかよくなりますように。

それでもそのあと、
龍晴はめきめきと体調を戻す。
無理にいろいろ食べずに、
でもおなかが空いたというたびに
うどんやらなにやら
消化によいものを少しづつだけあげたのが
よかったかも知れない。

それからいちども戻すことなく
夜になった。

ほうっとする。

午後、いちどだけ
出かけたいという龍晴のリクエストで
抱っこをして本屋さんまで行き、
クリスマスプレゼントに
本を買う。

どれでも一冊、選んでいいよ?
これは母さんからのプレゼント、
というととてもうれしそうにする。

明日はクリスマス。
トナカイがひくそりに乗ってやってくるサンタクロースさんのために
龍晴は、ベランダの鍵を開けて眠る。



12/25(水)
朝、目が覚めて
牛乳が飲みたい。
とここ数日、龍晴は最初にいう。

牛乳をごくごくと飲んだあと今日は
サンタさんは?とさらにたずねる。

サンタさん、来たんじゃないかな?
ベランダの鍵を開けておいたもの。
(龍晴はベランダを見て、!、という顔をする)
探してみる?

と龍晴にいうと
いこう!と私の手をとって
いえのなかをあちこち探し始める。

ねえねえ、
まくらのところじゃないかな?
サンタさんはまくらのところにプレゼントを置くと言っていたし?
と付け加えると、
いこういこう!と寝室へ。

これだ!と龍晴はまくらもとに置かれたプレゼントを見つけ、
さっそく開けはじめる。

なかから出てきたのは
サンタクロースさんへ手紙を書いてお願いをしていた
東西線のプラレールの模型である。

早速つなげて走らせる龍晴。

よかったね。

うれしそうな龍晴を見ると
私もうれしくなる。
とても。

サンタクロースさんからの手紙(代筆はもちろん母である)を
読むと
龍晴は神妙に、ふうん、という感じで聞いていた。

体調はだいぶもとに戻っているようだが
いちにち、様子見にだいじに過ごす。

午前中は近くのホームセンターへ。
ベランダ用に新しい花を購入。
いろいろと悩んで、すみれを龍晴と一緒に選ぶ。

帰宅後、お昼ごはん。
それからお昼寝。
眠くない!と主張していたものの
10分もせずに眠る。

午後はマルイへ。
ojicoのフェアを暫く前からやっていて
いつもなんとかごまかして?通っていたのだが
今日はなぜかそこにストレートに向かい、
どうしてもこの服が欲しいと主張する。
確かにとてもよいものだったので
まあいいかと購入。

カフェでお茶をし、
時計を見てからマルイを出て、
花屋さんへ。
室内用の鉢植えを見繕いに。
ベコニアを買いたかったのだが
龍晴はシクラメンが欲しいというので
シクラメンにする。
私はこの花があまり好きではないのだけれども。

帰宅後、クリスマスの飾り付けを片づけ、
正月の飾りを準備する。

今日はいちにち、吐き戻すこともなく
過ごしたのだが、
なにかというと龍晴は
おなかがいたい、と主張する。
ほんとうに痛いのか、甘えているだけなのか
判然としなくてとても困る。

痛いなら痛いといってね、
でも痛くないのに痛いというのはやめてね、
母さんはそれでは困るし、
(なぜなら痛いと病院に行ったり、薬を飲んだりしないといけないからだよ)
抱っこしてほしいなら抱っこといってね、
抱っこされたいからという理由で
痛いというのはやめてね、

といちにちに何度も言うはめに。
しまいには龍晴に、
じかんかかる!(その話はもう何度もきいたしわかったよ、という意味と思われる)と
いわれた。
が、私に何度も言わせているのはキミでは・・・。


12/26(木)
ここのところ龍晴が目覚めるのは
6時くらいである。
ときどき5時などに起きて
私を震撼とさせているのだが
平均的には6時から6時半のあいだというところ。

寒くなる前は5時台がふつうだったので
1時間ほど遅いことになる。

わが家の朝ごはんは7時から7時半のあいだに
はじまる。

したがって龍晴が冬モードになってからは
起きてから→朝ごはんをつくって食べはじめる
までの時間がとても短くなった。

龍晴はそれがとても不満のようだ。

1時間ほど私と遊び、
満足したところで
母さんごはんつくるねー!だとゆるせたものを
朝、起きてから、まだ全然遊んで(甘えて)いないのに
どうしてもうごはんつくるの?
りゅうを放っておいて!?
いやだいやだいやだ!!!!
抱っこして抱っこして抱っこしてー!!!!

と、龍晴の気持ちを翻訳するとこんなところだろう。

もはや毎朝、龍晴とはバトルである。

なんとか気持ちをしずめる。
しずまらないときは
20秒だけ抱っこね!といったりなんだりして
もちこたえさせる。

こんなとき、
もう少し夫と龍晴が仲良しだったらなあと思う。
具合が悪いとかどこかにぶつけたとかではなく
朝のひとこまなので
生命線である母親でなくても
私が食事の支度をするほんの15分くらい
過ごせるのではないだろうか。ふつうは。
やれやれやれやれ。

そんなわけで
今朝もバトル、
そしてとくに今日は虫の居所が悪かったらしく
龍晴は大号泣である。
やれやれ。

朝の7時からこれだものね。
ふう。

でも前よりは私はだいじょうぶになっている。
だいじょうぶになるようにしている、
というべきか。

もちろん、
わがままが過ぎたときに叱らない、ということではなく、
私の精神がフラットである、という意味で。

まだ体調が本調子ではなく見えるので
(食事がなかなか進まないのがその証拠だ)
午前中はのんびりとしつつ、
マルイへ買物に行く。

ojicoのTシャツで気になるのがあったので
それを購入したかったのだが、
しかし龍晴と相談した結果、
今年の夏も着ていたものの、サイズアップのものになった。
まあ龍晴が気に入ることが大事なので
よしとする。

マルイの公園ですこし遊んでから
帰宅。

いえでお昼ごはんを食べ、
ポーコアポーコさんへ歩いていく途中に
龍晴は昼寝をする。

お店に着いて暫く本を読んだり
のんびりお茶をしたりしようと思っていたのだが
30分ほどで龍晴はお目覚め。

それでもおいしい珈琲とサンドウィッチとスープをいただき
満足する。

今日はポーコアポーコさんにお願いしておいたものを
(お店が冬休みのあいだの、龍晴のお昼ごはんをいくつか)
テイクアウトする。

いえに帰ってまたひとしきり遊び
(龍晴が遊ぼう!といって、食事の支度をさせてくれなかった)
満足したところで晩ごはん。

いつもより甘えてくるのは
体調が本調子ではないからだろう。

いつも思うのだが、
子どもって、体調が悪いときよりも
回復していくときに甘えが強くなるように思う。

夕方、京都の烏丸にある「亜樹」さんというレストランに連絡。
今度のげつようから京都に行くのだが、
「亜樹」さんが開いているかを確認する。

幸いお店は年内最終営業日で開いているとのことだが、
新幹線が京都に着くのが14時ちょうど。
それから烏丸のお店に着くのは14時半くらいになってしまう。
(「亜樹」さんは中休みで14時くらいにはお店を閉めてしまうことが多い)
しかし「亜樹」さんの奥さんが、
どうしてもうちに食べに来たい、という気持ちがうれしいから、
何時であっても、たとえ14時にお店を閉めてしまっていたとしても、
入ってきてくれていいですよ、と言ってくださる。

うれしい。
ほんとうにうれしい。

夫も私も、「亜樹」さんよりもおいしい洋食屋さんに
まだ出会えずにいる。
夫との結婚が決まって、京都に帰省やらで出向くようになってから
昔からよく行っている、おいしいお店、ということで
夫に連れて行ってもらったのがはじめて。
以来、京都に行くたびに必ず立ち寄るようになっている。

しかし龍晴が産まれてからは
やはりなかなか行けず、
ようやく龍晴と外食も同伴できるようになってからは
「亜樹」さんのお休みとうまくかみ合わなかった。
それが今回、
まるまる3年ぶりくらいにお邪魔できることになったのだ。

私の気に入りは、ポタージュスープとハンバーグだ。

「亜樹」さんに行けると思うと
口福で胸があたたかくなる。

亜樹さんのこころづかいに感謝。


12/27(金)
もう今年も残すところあと数日である。
数日!

今年もとても早かった。
すばやく過ぎすぎて、
どきどきとしてしまう。
いま思い返しても。

うれしいこととたのしいことがたくさんあった。
今年も。
そうでないことももちろんいくつかあったけれども
それでもやっぱり
今年もよいいちねんだったなあと思う。
来年もよいとしになるようにと思う。

龍晴にとって。
夫にとって。
私にとって。

らいねん?
と龍晴は訝しそうに尋ねる。
その定義を伝えることはとても難しい。

今日はいちにち雨らしい。
午前中はブロードウエイに久しぶりに行き、
龍晴には新幹線のかたちのお弁当箱を買う。
スーパーマーケットに寄ったりしてから、
中野通りに面したスターバックスでお茶をしていたところ、
目の前のサンプラザに入っているボーリングに行きたい、と
龍晴はいう。

龍晴はボーリングを見るのが好きだ。

いいよ?といって
ふたりでいそいそと出かけると
冬休みだけあって、
子ども連れがとても多い。

りゅうもやる!と張り切る龍晴だが、
そろそろおひるごはんの時間である。

それならいちど、いえに帰って、
ごはんを食べてねんねんしてからまたこようね?
というと、
納得したので一旦、いえに戻る。

昼寝から目覚めた龍晴は、
ボーリングいこうか~とご機嫌にいうので
再びサンプラザへ。

しかし大会が行われているとかで
レーンがかなり埋まってしまっており、
空いているレーンも予約席。
ううむ・・・
龍晴はやる気まんまんのため、
こういうときは簡単に引き下がってはくれないのだ。

それなら高田馬場のボーリングへ行こうか?と
代替案を提示すると。
そうしよう!というので
高田馬場へ。

ビッグボックスのボーリング場へ行く。
こちらは空きレーンもいくつかあったので
すぐに案内され、早速、初ボーリングである。

子ども用の靴を履いて、
軽めのボールを持って、
えいっ!とボールを転がしたり
投げたりする龍晴は
とてもかわいらしい。

しかし言うなればボールをただ投げるだけ、の
龍晴にとって、
最初のうちは目新しいものの、
そのうち飽きてきたらしい。
頃合いを見て、そろそろいく?とたずねると、
まだいる!と、毎度のように反対のことばを唱えるが、
なんどかそれを繰り返すうちに、
もういく!と返事。

でもはじめてのボーリング、
楽しかったよね。

帰りは西武線で新井薬師まで行き、
バスで帰宅。
スーパーマーケットに寄る。

京都帰省の荷造り開始。

先日のブログの内容について、
O教授からていねいなアドバイスのメールをいただく。
感謝。


12/28(土)
今日はポーコアポーコさんで餅つき。
10年以上前から毎年、年末に行われる行事で、
常連さんやご近所さんが集まって
みんなで餅をつき、食べる、という会である。
ご近所に配られる方の分もつくので
かなりの量があること、
また若い男手が少ないことから、
夫を含めての召集がかかっている。
齢もうすぐ36歳の夫も、
「若い男手」にカウントされているのである。

朝9時半に集合。
三々五々集まる、と聞いていたのだが
もうみんな集まっている。

ご主人によるメンバー紹介のあと、
(わが家のような新参者もいるため)
早速、それぞれの持ち場にわかれて餅つき開始である。

しかし龍晴は、はじめて見る
杵と臼と知らない男性たちによる迫力に
恐れをなしたらしく
かあしゃーん!と泣いて離れない。
私はつかれた餅を調理する係なのだが、
そんなわけでまったく戦力外である。
すみません・・・。

しかし年末のひとときを、
知っているひとも知らないひとも
みんなでわいわいと集まって
餅をついたり食事をしたりするのは
とても楽しいものだった。

ありがとうございました。

お昼過ぎに帰宅。
餅つきは夜近くまで行われるのだが、
龍晴は昼寝があるため
失礼する。

抱っこひもで1時間ほど眠る。

夕方、夫はフットサルへ。

O教授のブログに、
私にメールを送ったことが記載されていた。
なんだかとても心配をかけてしまっていたようで
私は良くも悪くも感情の浮き沈みが大きいので
日記を書いた内容や文体から
おおきな心配をされてしまったようである。

が、良くも悪くも浮き沈みが激しいため
浮上スピードもかなり早いため、
わああ、こんなに心配されていたんだ!と
あとから赤面すること多々である。
まあそんな私も先生はご存知のうえでの
メールでありブログなのですが。

とはいえ
昨日に引き続き申し訳なくなる。
と同時に、たくさんの感謝。

夜、長野に電話。
明日以降、ちょっとばたばたとしそうなので
早めに良いお年を、を伝える。


12/29(日)
さあもうすぐ年越しである。
早い。

明日から京都へ行くので
今日は龍晴に無理をさせないように過ごす。

午前中は龍晴のリクエストで
夫を見送りがてら
近くのスーパーマーケットへ。
傍のカフェにも立ち寄る。

買物をしてから
帰宅。

お昼ごはんを食べたあと、
お昼寝。
今日は1時間半ほど。

目覚めてから
出かけようか迷ったものの
龍晴もそといこう!と言ったものの
夫の帰宅時間も迫ってきていたので
いえにいることにし
いえでたくさん遊ぶ。

たのしいいちにち。

さて明日から京都。

今年もいろいろあったのだけれども
総じて楽しく素敵ないちねんだった。

龍晴に。
夫に。
すべてのたいせつなひとたちに。
たくさんの感謝を。

よいお年を。

12/16(月)
朝5時前に龍晴が目覚めて
あっちのへやいきたい!と泣き、
さすがにうわーと思ってしまった。

だって冬の朝5時前ですよ、5時前。

まだ暗いっつうの。
夜だっつうの。
寒いっつうの。
(以上、こころの声)

毎朝、早く起きての
あっちのへやいきたい!というのは
恒例なのだが、
それでも朝5時前、というのは
夏はともかく冬はしんどい。

しかもここ2ヵ月ほど、
龍晴は眠りが浅くなると私の顔や首筋をさする。
爪を立てた状態だったり、
あるいはすごい力だったりするし、
一方でどんなにやさしくさすられたところで
そんなことをされていては眠れないだろう(私)。
というわけで睡眠不足は相変わらず続いている(私の)。

つまり、そんななかでの朝5時、である。

仙人の気持ちになりきれない私は
寒さにがくがく震えながら
もういい加減にして・・・と思ってしまう。
思ってしまうのだ。あああ。

でもソファでがくがくしながら思うのは
龍晴には「冬の朝5時前」が
多くの人間にとって、
母にって、
どんなに過酷な時間帯なのかわからない、のは当たり前で、
それをつらい、とか
やめてほしい、とか
思うのはやっぱりよくないのかなあということである。
ああ母はつらいよ。

さすがにそんな時間から起きていた龍晴は
ここのところスイムの前には昼寝をしなかったものの
今日は10時半にはあっさりお昼寝。
1時間ほど寝てからスイムへ。

寒いせいもあり
この季節のクラスの参加者は半減する。
つまり月曜日クラスは多くて6組しかいないので
今日は3組である。

龍晴は得意のダンスのキレもよく踊りまくり
水中遊具で体操しまくり
水に顔をつけて泳ぎまくり
楽しそうにしている。

スイム後、観覧席でおべんとう。
担当の先生が大人クラスのレッスンをしており、
それを見つけた龍晴は
せんせーい!とおおきな声でなんども呼ぶ。
先生も気付いてくれて
(決してガラス張りの観覧席からの声が聞こえたわけではなく、
あそこでよくランチしているんですよ、と今日、たまたま話をしたので
気を使って見てくれたのである)
手を振って下さり、
龍晴もにこにこと手を振り返していた。

マルイで時計を見て、
買物をしてから帰宅する。

いえで鋏でいろいろな紙を
いろいろなかたちに切って遊ぶ。


12/17(火)
なんだか自分自身に歯止めが利かなくなっている。
怖い。
泣きながら思う。
これではだめだ。だめになる。

もうほんとうに今日で終わりだ。
終わりにしよう。

午前中は城山公園へ。
ストライダーで出かけると、
ちょうど1歳うえの男の子がやはりストライダーで途中からやってきて、
一緒に乗りまわして遊ぶ。
公園のなかの道なきところを
ふたりで乗りまわし、とても楽しそうだ。

帰宅後、お昼ごはんを食べてすぐに
お昼寝。
2時間ほど。
城山公園へ行った日は
たいていとてもよく、深く、長く、眠る。
今日みたいに。

目覚めるなり、唐突に
きょうどこいっこか~?どうぶつえん!
とにこにことしながら言っていて、
どうぶつえん?(いまから?だってもう14時だよ・・・)と問い返すと、
ひさしぶりに、うえのどうぶつえんいこう~!
とさらに言う。
どうして?とたずねると、
ぞうさんが見たい!と龍晴。

象さんかあ。
見せてあげたいものの、この時間から行っても
すぐに帰宅しないといけないので
気をそらしそらしで違うことをして過ごす。

本屋さんと龍晴の好きな洋服のセレクトショップに寄り、
(龍晴は新幹線の下着を買い、うれしそうに持ち歩いていた。しかも袋から出して)
スーパーマーケットに寄り、
傍の広場で追いかけっこをたくさんしてから帰宅する。

いえで鋏と糊を使い、
工作。

龍晴はいろいろと工夫をしていた。


12/18(水)
私が日記を書くのは
いちにちのいろいろが終わった・・・
龍晴が眠り、
晩ごはんを食べ終わり(私の)、
それの片づけやら
明日の準備やらがほとんど終わった、
あるいは目処がついた、
頃である。

誰に求められるわけでもなく
したがってほんとうなら日記を書く必要はないのだが
(これとは別により育児日記的な日記を・・・そちらは手書きなのだが・・・
毎食の龍晴の献立や昼寝や就寝、起床時間、排泄回数やその時間も含めて書いている)
この日記を書くことで自分自身の気持ちを整理したり
あるいは自分自身への道しるべをつくったりするのに
役立っていると思う。

誰に求められているわけでもないものの
誰か、は、見ているし読んでいるし
ときに感想を送ってくださったりすることを
私は知っていて、
つまり半公共的なメディアであるところのこのブログという形態の効用を
私はそのように利用している、ということである。

さてどうしてそんなことを改めて書いたかというと。

私はここでひとつ、
私自身への道しるべを書いておこうと思ったからだ。また。
そうしてこれから書くことをほんとうに書くかどうかは
ものすごく悩んだし迷った。

それはこのメディアが半公共的なものであり
一方で私のことを名前も顔も知っている、
そういう意味で私的なものでもあるからだ。
自分の非を晒すのは堪える作業だ。
それも私自身をよく知っているひとに対して。

それでも私はしなければならない。
と思った。

それでも私は。
それでも。

私自身への道しるべとしてやはり書いておこうと思う。
そう。思うのだ。

道しるべ。


ここ数日の・・・先週の半ばくらいからの日記を読まれている方のなかには
きっと気付いている方もいると思う。

そのとおり。
私はここのところ、龍晴とうまくいっていなかった。

年端のいかない子どもと
「うまくいかない」という表現はおかしいかも知れない。
もっと直截的に言うと、
私はここのところ、龍晴に苛々とすることが多かった。
龍晴とうまくいかない、というより
龍晴に対しての自分の気持ちや態度に
コントロールが利かなくなってきていた。

それは私の動物的なバイオリズムに依るところもあるし
体調が実際に悪かったうえに
寝不足が続いているせいもあるだろう。
でもそれだけでは(そのせいにしては)
私自身が私を赦せない。

龍晴はいま、子育てでいうところの
「第一次反抗期」「イヤイヤ期」の真っ最中である。
私は「イヤイヤ期」ということばが嫌いなので
「怪獣」ということばを使ってそれを表現している。

でも世の中の多くの話に出てくる
怪獣っぷりに比べると
龍晴の怪獣なんてかわいらしいものではないかと思うし
実際、その通りだと思っている。

それでも私はこころが狭くおとなげなく
自己中心的な性格のまま大人になり
さらには母親になってしまっているので
その怪獣を寛大に受け止めてあげることが難しい。

まったくできない、わけではさすがにないと思う。
こんな私でもなるべく
龍晴のことばに耳を傾けて
龍晴の視線でものを見て
龍晴のこころで考えるようにしている。
少なくとも努力している。

でも、私が理想とするように、は、
できていない。

先日、一緒に旅行に行った友だちに
私は聞いてみたのだ。

龍晴よりも2歳上の女の子の母である友だちは
「いちどもおおきな声で叱ったことがない」といっていた。
それはその娘さんがまったく反抗期がなかったからではない。
むしろ、どうやら世間一般よりも過度の反抗期、ですらあったらしい。
それなのに、いちどもおおきな声で叱ったことがない、というのだ。
いちども。
なぜなら相手は子どもだから、だと。

私は本当に、心底、心底心底、
友だちを尊敬する。

相手が子どもなのは私もわかっている。
でも私は本当に出来の悪い人間で、
だから相手は子どもなのに
同じ土俵にどこか立ってしまうことが
少なからずあるし、
声を荒げることも一度や二度ではなく、ある。
龍晴は飄々と受け止めるタイプではないので
きっと私に声を荒げられたことは
記憶に刻まれていることだろうと思う。

それでもまだよかった。
これまでは。
まだましだった、というべきか。

なぜなら、私が声を荒げる場面は
少なくとも私にとって、
荒げるべきというか、荒げざるを得ないとき、
であったからだ。
それでも声を荒げた日は
ほんとうに嫌な気持ちになる。

砂を噛んでいるような
目の前が暗くなるような気持ち。
あああ、やっちゃった、というような。

声を荒げたあとは
いつも龍晴と話し合いをする。
私がどう考えても言いすぎた(声を大きくしすぎた)ときは
きちんと謝るし、
龍晴がやはりもう少しどうにかすべきだったときは
きちんと説明をする。

でも。
昨日は勝手が違った。

いや、正確に言えば、
違ったわけではない。

どうしてそうなの?
どうしてまたそうなの?
どうしていつだってそうなの?
という場面で、
(どうしてって、子どもだからそうなのだけれども
苛々が溜まっている私にはこうなるともはや
ひたすら苛々が高じてしまうだけである)
私は龍晴に暴力をふるってしまったのだ。

ついに。
ついにやってしまった。

顔を叩いたりしたわけではないし
つねったりとか
強くなにかをしたわけではないから
本人は痛くなかったと思う。
暴力を振るわれたことにも
気付かなかったと思う。
実際どこも傷になるような強さでもなかった。

でも私のこころには
ものすごく大きく深い傷ができた。
いまこれを書いているいままさに
呼吸が苦しくなるくらいの
それは傷だ。

一生消えない傷。
背負っていく傷。

なにがあっても手は出さないと決めていた。
だって相手は子どもなのだ。
わかってる。

わかってる。

わかっているのに
ついに手を出してしまった
私のこの醜い手。

いちど手を出してしまってから
はっとして
私は別の部屋に移動した。
龍晴は泣きながら追いかけてきて
ごめんなさい、と泣いた。

ことの発端は確かに龍晴が悪かった。
だから龍晴がごめんなさい、というのは正しいかも知れない。
でも私がいまこの部屋に移動してきたのは
龍晴のせいではない。

私は龍晴と同じ部屋にいられなかったのだ。

自分が怖かった。
つらかった。

かわいい龍晴。
かわいくてかわいくて
どうしようもなくかわいくてたまらない
ちいさな龍晴。

それなのに私のこの手は。こころは。
どうしてそんなことをしてしまったのだろう。
してしまうのだろう。

涙が止まらなくて
その涙を私は子どもに見せたくなくて
だから違う部屋に行ったのだ。

でも龍晴は追いかけてきて
縋るように私に抱きついて
でも私が泣いているのがわかって
さらに泣いた。

ごめんね、龍晴。
こんな母さんでごめん。
でも母さん、このままだとおかしくなっちゃうんだよ。

そういって龍晴を抱きしめながら
私は暫く泣いた。
龍晴も一緒に泣いた。

子どもの前では泣かない親でいようと決めていた。
マイナスの感情での、子どもが原因の涙は流すまいと。
でもいいやと思った。
いまこのときの
たくさんの汚い涙を流してしまえと思った。

母さんは龍晴と仲良くしたいの。
大好きなの。
でもごめんね、龍晴。
もう二度としない。
ぜったいにしない。

そう何度もいいながら
私はどうしようもなく苦しく
底にいた。

底。
ひかりなんて見えない。

昔は子どもに手をあげるなんて
当たり前だったよと
いうひとはいうだろう。

でも私は。
手をあげる人生を送りたくないのだ。
送りたくなかったのだ。

でも一度でも手をあげてしまった事実は消えない。

私の人生は
年端のいかない子どもに手をあげた人生
になってしまったのだ。

龍晴。

私のこころは
今日もまだ底にいる。
これから暫く底のままだろう。

でもこれが私の背負ったものだ。
自分自身で。

龍晴。
ごめんね。
こんな母さんでほんとうにごめんなさい。

でも本当に。
もう二度としない。
そう決めたし
決めたことを守るのは
これからの私の仕事だ。

もう二度と負けない。
私の醜いこころ。
私のこころのなかの鬼。


寒い朝。
今日どこ行こうか~と龍晴は
いつものようにうたうようにいう。

今日は新井薬師のお寺のなかに入れる日だよ?
とカレンダーを見ながらいうと
(「8」がつく日は縁日で、本堂のなかに入れるのだ)
いく!と龍晴は俄然張り切る。

先日買った虫取りあみを持っていきたい、というので
季節はずれではあるが虫取りあみを抱えながら出かける。

途中のポストで年賀状を投函。
今年のしごとがまたひとつ終了。

新井薬師の境内にはお堂が3つあるのだが
縁日の日はすべてが見られるようになっている。
山門のそばにあるふたつのお堂から順に眺め
(仏像が好きな龍晴は、あれはなに?に余念がない。
あれは阿弥陀如来、あれは閻魔大王、などと説明をする)
本堂へ。

本堂には薬師如来を中心に、
弘法大師となんとか大師が左右にいる。
左側のなんとか大師の名前をどうしても思い出せずに、
お寺のひとにきいてみようか?と龍晴にいうと
あれはなんてなまえ?と
お寺のひとに龍晴が質問していた。
(興教大師、というそうだ。中興の祖、なんだそうです)
しげしげと仏像を眺め、
仏像の名前をうれしそうに確認し、
1時間弱も、本堂を探検している龍晴に、
お寺の方々はみなさん口々に
あの子、まだ2歳なんだって!とか、
将来有望だねえ、ぜひここの就職してね、
なんていって笑っていた。

お寺を見たあとは
公園へ。
今日はパワーショベルのかたちのくるまに乗って
ものすごい勢いで走りまわっていた。

ランチはポーコアポーコさんへ。
暫く遊び、
帰宅。
龍晴は抱っこひものなかで眠る。

40分ほどで目覚めたが、
天気も悪くなってきたので
いえで過ごす。

昨日に続き、
糊やはさみでいろいろなものを切ったり貼ったり。
龍晴はお医者さまごっこ、を突然はじめ、
夫の仕事部屋の椅子に私を座らせ
(たしかに夫の椅子はお医者さまがよく使うような椅子に似ている)
ここをけがしてしまったのでおくすりください!
そうなんですか、はいどうぞ、
などとやりあって遊ぶ。

今日はいちにち、
落ち着いて過ごせた。
ほうっとする。

母さん、がんばるよ。
龍晴。
ぜったいに負けない。


12/19(木)
寒い。
雪が降ってもおかしくないが
それでもまだ霙もまじらずに雨が降る。

今日はいちにち、雨が降りつづけた。
真冬のつめたい雨。

よくしてくれる宅配便の方が
今日も配達にいらしたので
(龍晴は配達の方がくるといつも嬉々として出ていく。
はーい、こんにちは~といって玄関を開け、
ありがとうございました~といって閉める)
こんな天気ではたいへんですね、と話をすると
それでもまだ雪よりはましです、と笑っていた。

数年前にこの地域の担当になったころは
まだ仕事をはじめたばかりのオニイチャン、という感じのひとだったのだが
いまではすっかりと板についている。

どこかへ出かけようかとも思ったのだが
私の体調が優れないこともあり
いえ近辺で過ごすことにする。

午前中はいえでたくさん遊ぶ。
紙の切り張りや
病院ごっこ。

そとに出たがったので
レインコートと長靴で
近くのスーパーマーケットまで買物に行く。

お昼ごはんのあと、お昼寝。
今日は1時間。

目覚めてからマルイへ龍晴のブーツを買いに行く。
雪が降ったらそり遊びなどをしたいし、
来月あたり長野に帰省しようと思っている。
そうなると雪のなかでもはけるブーツは必須だ。

クロックスでかわいらしく比較的性能の高そうな黄色のブーツを見つけたので
龍晴と相談してそれを買う。

服や靴にものすごく強いこだわりのある龍晴は
これがいい!といって買ったものの
履いてマルイのなかを歩いているうちに
ここやらあそこやらが変!だの文句を言っていたが
いろいろと説明をし、
なんとか納得した様子。よかった。

スーパーマーケットなどに寄ってから
帰宅する。

いえでまた暫く病院ごっこなど。

今日もいちにち、
楽しく過ごす。

そとでたくさん遊ぶだけでなく
龍晴といえできちんと向かい合う時間を長くもつことが
いまの時期にはたいせつなのだろう。


12/20(金)
今日も寒いいちにち。

長野の母から、結婚4周年おめでとう、という内容の
メールが届いた。

そうか、そういえば。
今日が結婚した日、だった。

夫と私は確かに今日、
結婚式を挙げたのだが
入籍が12月25日で、
それならクリスマスと一緒にお祝いをすればええやん、と
(もちろん)夫が提案し、
それ以来、なんだかあやふやなものとなってしまっている。

しかしときどき誰かに
結婚して何年ですか?などと聞かれたときに
えーっと、3年?くらい?と私がこたえると
(私はこういうことを憶えるのがとても苦手だ)
○年、と夫はすぱっと正確な年数をこたえたりしているので
(そのたびに曖昧にしかこたえられなくて悪いことをしたような気持ちになる)
夫は忘れているわけではない、のではないかと思う。
忘れているわけではないが、どうでもいいこと、と
思っているだろうことは想像に難くないのだけれども。

どうぶつえんにいきたい!と龍晴は朝から主張したのだが
晴れのはずの予報がどう見てもそとは雨。
これでは連れて行ってあげたくても難しい。
半泣きの龍晴に、
それなら四谷の消防博物館へ行こうか?というと
いく!とやっと笑顔になった。

というわけで、
午前中は消防博物館へ。
しかし荒天のため外に展示してあるヘリコプター(操縦できる)は
入ることができなくて、
屋内展示のみ。
それでもヘリコプターや消防車を運転し、
消防士のコスプレを楽しみ、
満足した様子である。

お昼ごはんを休憩室で食べてから
中野に戻り、
(龍晴は途中で眠る)
カフェで抱っこしたまま本を読む。
1時間ほどで目覚めると、
今日もまたマルイへ行きたい!というので
マルイへ行き、時計を見てからカフェでお茶。

外はまた強い雨だ。
どうしようか迷ったものの
龍晴はそとへ行きたいというので
レインコートを着せてそとへ。
結局、ずうっと歩いていえまでたどり着けた。
よかった。

いえに着いてからたくさん遊ぶ。

今日もよいいちにち。
龍晴、ありがとう。
私も、ありがとう。

夜、うえの弟と電話。
7月に女の子が産まれたのだが
とてもよいお父さんっぷりに驚く。

曰く、
娘がかわいくて仕方がないので、
仕事はぜったいにしなくてはいけないことだけをして
あとはさっさといえに帰っている、
毎日、早く顔が見たくてたまらない、
とのこと。

・・・世の中のお父さんって、
みんなこんな感じなんですか!?
びっくり!
(というか、羨ましい・・・)


12/21(土)
今日も寒い。
冬なのだから当たり前なのだが
近年、いつまでもだらだらと暑く
蚊なんて11月初旬までいたりもするから
急に寒くなるとなんだか気持ちが追いつけない。
たぶんからだも。

だから寒いとびっくりとしてしまう。
最高気温も最低気温もヒトケタなだけで
ええっ!?なんて思ってしまう。

昔は・・・長野に住んでいたころは
いちにち中、氷点下なんてことも当たり前だったのに。
でも私が長野を出てから
もう20年以上経つのだ。
八方ぐるりを峻嶮な山に囲まれ
冬はずうっと晴れずに雪が舞うか曇っている長野。
私は長野を出たくて出たくてたまらなかった。
そんなことをからりと晴れた東京の空に思い出す。

私の叔母は川崎に住んでいるのだが
ずうっと以前、確か私が大学生のころ、
長野よりも東京が好きだ、
それは冬に晴れているから、というようなことをいったところ
ここだけの話だけどね、おばさんも長野にはもう帰りたくないんだよ、
だってこっちは冬なのに晴れているものね、といっていて
わかるわかる!といいあったことを憶えている。

そんな季節。

珍しく雨が続いたが
今日は東京の冬らしくすっかりと晴れた。
うれしい。

夫を見送りがてら
龍晴と新井薬師へ行く。
お寺を参拝してから公園へ。
今日は児童館で黄色いバイクを借り、
石の築山や木立のあいだを走りまわる。
1時間半ほど遊んでから
ポーコアポーコさんでランチ。
食べ終わったころに、新たにお客さまがやってきて
(若いご夫婦と子ども2人)
どこかで見た女の子だなあ、絶対この女の子知ってるよ、公園で会ったのかなあ?と顔を見ていたら
ナオさん!と奥さんのほうから声をかけられて
よく見たら中野仲間であった。
いつも眼鏡をかけているひとなので
今日はコンタクトレンズだったためまったくわからなかった。
ああびっくりした。

それにしても優しそうな、子煩悩そうなだんなさまだった。
9ヵ月になる弟さんを抱っこひもで連れていたのはだんなさまだったし、
お子さんをおおきなカメラに何枚もおさめたりしていた。

・・・世の中のお父さんって、
みんなこんな感じなんですか!?
びっくり!!
(というか、羨ましい・・・)
(昨日に引き続き)

中野仲間のYちゃんといろいろと話したり、
暫く子どもと遊んだりしてから
帰宅。

いくつか買物をしてから
いえに着くと、龍晴はすぐに目覚めて
にこにこしながら、
どこいこうか~?などと言っている。

どようびなので夫の事務所へ行くことにし、
バスで新井薬師前駅まで行き、西武線で高田馬場へ。
夫の事務所で1時間ほど滞在。
龍晴はそうじや植物の水やりや
ソファのうえで飛び跳ねて遊ぶなどする。

みんなで東西線で帰宅する。

今日もたのしいいちにち。


12/22(日)
今日は夫もいちにち休み。
24日と25日は平日なので
今日がわが家のクリスマス・イブ的な日、である。

午前中は代々木へ。
年明け早々が夫のたんじょうびのため
プレゼントを買いに行く。
フットサルのときに使う、厚手のウイドブレーカー、がリクエスト。
代々木のお店で探し、
良いものがあったと夫は喜ぶ。
よかった。

それから代々木でごはんを食べようと
目的のお店までさんぽ。
龍晴はたまたま通りかかったお店で
船のかたちのシーソーを見つけ
とてもうれしそうに乗ろう!と走り寄る。

りゅうがせんちょうさん、といいながら
いっとう前の席に座り、
夫と私が交代で指名され、
龍晴の船に乗る。

暫く海のなかを船はすすむ。
ちいさな船長さん。

目的のお店はお休みだったので、
たまたま近くのイタリアンに入る。
おおきな窓から明るいひかりが入る
とても感じのよいお店。
のんびりとランチを楽しむ。
さいごにカプチーノまでいただくほど
のんびりとランチをしたなんて
いったいいつぶりだろう?
クリスマスっぽくて良い感じだ。

龍晴を抱っこしてから、
新宿のデパートですこし買物をしてから帰宅。

中野に着くくらいに龍晴は目覚める。

午後はクリスマスパーティ。
ポーコアポーコさんで作っていただいた
ホールのシフォンケーキ(龍晴にあわせた特製)に、
フルーツを飾り、
キャンドルをたてる。

まだ明るいのだけれども、
ジングルベルをうたってから
龍晴がキャンドルを吹き消す。
なんども練習していただけあって
龍晴はじょうずに、楽しそうに
吹き消している。
じょうずに、うれしそうに。

みんなでおいしいシフォンケーキをいただき、
(龍晴はなんどもおかわりをしていた)
夜はクリスマスディナーを食べる。
龍晴もメインディッシュはクリスマス仕様だ。

龍晴は今日の公園がとても楽しかったらしく
寝るときにまでなんどか、
今日乗った船や船長さんの話をしていた。

12/23(月)
よもやの体調不良。
(龍晴が)

午前中までは元気だったが
どうも食欲がないなあと思っていたところ、
11時前から熱がではじめる。

からだが熱い。
計ってみると38度。
これからさらに上がりそうな予感がする。

抱っこ抱っこと龍晴は朝から言っていたのは
このせいだろう。

11時過ぎには眠る。
ますます怪しい。

お昼寝中、どんどん熱が上がっているのがわかる。

ふだんならこれくらいでは病院へ行かないのだが、
昨晩から何度か気になることを言っていたので
膀胱炎や腎盂腎炎などを併発していると怖いため、
お昼寝から目覚めてから
休日診療の小児科へ。

しかし行きのタクシーで嘔吐したため、
いえまで戻ってもらい、
着替えてからまた向かう。

連絡しておいた夫が
帰ってきてくれたのと
龍晴がとうさんも一緒にと泣きながらいったため
一緒に病院へ。

とても混んでいるだろうと思ったのだが
さほどでもなく
比較的すんなりと通してもらったのだが
龍晴は具合が悪いのと眠いのとが手伝い
号泣である。
病院好きなのに、以前、嫌な思いがしたことがある病院と
すこし雰囲気が似ていたのもまずかったようだ。
帰りたい帰りたいと泣くのを
こころを鬼にして無理やり押さえつけ
診察室へ。
途中でやっと泣きやみ、
診察はふつうにしていただけた。

結果、心配していたことはなく
いまちょうど流行っている胃腸炎だろうとのこと。
薬を処方してもらう。
薬局に寄ってから
歩いて帰宅。
龍晴は抱っこのまま眠る。

帰宅後、数回嘔吐。
龍晴は私から片時も離れないので
洗濯は夫がしてくれた。

夜には熱も下がる。
どうか早く良くなりますように。
どうか。
12/9(月)
帰省疲れが出ているものの
寝ているわけにもいかない。

今日はスイムである。

近くのスーパーマーケットへ買物に行ってから
スイムへ。

今日は3組しか出席者がおらず
ひろびろとしたプールで
龍晴はじゃぶじゃぶと泳ぎ
ダンスを踊りまくる。

いつものことながら
スイムのあとは3分ほどで眠る。

暫くカフェでお茶。

目覚めてからJRでチケットを発券し
(こんどは年末の京都行き)
マルイへ寄りたいという龍晴とマルイへ。

時計を見たあと、
カフェいこう~!という龍晴と
カフェでお茶。
龍晴はオレンジジュースを、私は珈琲をいただく。

暫くお茶をしてから
また時計を見て帰宅する。

晩ごはんのあと、
いろいろと片づけをしていたら
暫く・・・3分くらいだろうか、
遊んでいた龍晴の声が聞こえなくなった。

どうしたのだろう?と不安に思い、
耳を澄ますと、ちいさな声がお風呂のほうでしている。

・・・え?と思い
慌てて洗面所の先にある浴室を見ると、
浴室の鍵を自分でかけてしまい
開けられなくて泣いている龍晴を発見。

いつもなら号泣するところが
目に涙をたくさんためて
かあさんかあさんと小さい声でひっくひっくしている龍晴。

かわいそうに。
必死で鍵をあけようとしてあけられない、
恐怖でおおきな声も出せなかったのだろう。

とてもショックだったようで
夜、眠ってから、
ドアが開かない、と寝ぼけて泣いていた。


12/10(火)
荒天。
この季節には珍しい強い雨と風。
ときどき雷。

どうしようかなと考え、
今日はサンシャイン水族館へ行くことにする。
ちょうどトナカイも来ているし。

そう、サンシャイン水族館には
この季節に、ほんもののトナカイがいるのだ。
なぜ水族館なのにトナカイ・・・というのはおいておいて、
子どもにとってもその親にとっても
なかなか楽しいイベントではある。

バスに乗って池袋へ。
ちょうどいえを出るころに
ものすごく強い雨が降っていたが
どうしようか?とたずねると
いくー!と龍晴が主張するため
出かける。

サンシャイン水族館は予想通りとても空いていた。
龍晴はきれーい!とかおっきーい!とかいいながら
いろいろな水槽を眺めたり
走りまわったりする。

しかし!
楽しみにしていたトナカイはなんと荒天のため留守。
しかさんいない、と龍晴。
(なんど言い直しても龍晴は、トナカイではなくしかさん、という)

11時にはもうおなかが空いたというので
カフェで食事。
12時過ぎからカフェでおひるねをさせてもらう。
空いているしあたたかいしひろいソファはあるしで
とても居心地がよい。

2時間ほど眠り、
目覚めたところでまた水族館。

龍晴より1歳としうえという
タイチくんという男の子と龍晴が
意気投合して一緒に遊んだり
肩を組んで歩いたり
手をつないだりしているので
そのお祖母さま(といってもとても若々しい方だった)と一緒に
4人であちこち見てまわる。

私とふたりのときよりも
こういうときの龍晴はとてもいきいきとしていて
見ていてとてもうれしいしたのしい気持ちになる。

16時すこし前に帰ることにし、
結局、池袋の駅までタイチくんたちとも一緒に帰る。

タイチくんは池袋の駅に近づくと
さよならをするのがかなしくなったらしく
立ちどまってしまってかわいらしい。
3歳を過ぎるとこういう感情も産まれてくるのだな。

過ぎたときを惜しむ気持ち。
一緒にいたひとと離れたくないという気持ち。
淋しい気持ち。
そんなあたたかい気持ち。

バスで帰ろうか迷ったが
渋滞していると困るので
山手線と東西線を乗り継ぎ、
なんとか17時前には帰宅する。

龍晴は夜、
サンタクロースさんへてがみをかくー!といって
手紙を書いていた。
てつの「とうざいせん」をください、
とのこと。
(てつ=紙以外の素材のこと)

「東西線」、もらえるといいね。


12/11(水)
ものすごく寒い。
背中がぞくぞくする。
風邪かと思ってしまうが単純に外気が寒いだけのようである。

午前中は新井薬師へ。
お寺に参拝してから、
公園へ。
今日は三輪車やコンビカー、バイクなどを借りて
たくさん走りまわる。
保育園の子たちにも混じって
追いかけっこも。

お昼ごはんはポーコアポーコさんへ。
抱っこをして帰宅するが、
スーパーマーケットに寄り、いえに着いたら
眠りが浅くなっていたらしく
目が覚めてしまった。
うーむ。少しでいいから本を読みたかったなあ。
(そういえばここ暫く、最近読んだ本を書くのを忘れていたが
毎日着々と本だけは読んでいます)

と思っていても詮無いので
龍晴とたくさん遊んで過ごす。
ピアノを一緒に弾いたり
本を読んだり
新しい遊び(おやすみおはようという遊び)をしたりする。

ひとりで遊びはじめたのを見計らい、
いろいろとまとめてつくる。

今日はアボジが天に召された日。
こころ静かに祈る。


12/12(木)
もうもくようび。
いつにも増して今週は早く時間が過ぎるように思う。

今日は銀座の病院へ。
以前、勤めていた会社のすぐ傍にある内科へ
花粉症の症状を抑える注射をしてもらいにいく。
まだ花粉が飛ぶには早いが、
早めに注射をしておくと効果が高いのだ。

総武線でのんびり行こう、と
龍晴と相談して総武線に乗ったのだが、
なかなか遠いうえ、
どうもいつもより調子が悪い龍晴は
とおい!とつらそうにいう。
もうすこし、と秋葉原で乗り換え、
京浜東北線で新橋へ。
SL広場のSLをすこし眺めてからWクリニックへ。
数年ぶりのW先生は変わらずお元気そうである。
結婚してから来ていないつもりだったのだが
姓が変わったカルテをご覧だったので
どうも忘れていただけで来ていたらしい。

注射を打ってもらい、
しかしどうにも龍晴の調子が優れないので
元気だったら日比谷公園にでも行こうかと思っていたのだが
予定を変えて、タクシーで東京駅まで行き、
すぐに帰宅する。
中野駅に着いたくらいから龍晴はうとうと。
しかし眠り切らずにいえに着き、
おなかが空いた、とおひるごはんを食べる。
それから1時間お昼寝。

今日はいえでのんびりしようと思ったのだが
どうしても近くのホームセンターへ行きたいというので
また熱もなく、元気にもなっていたので
出かける。

いくつか買物をし、
インテリアコーナーでソファやベッドを見たりしてから
帰宅。

途中、神社の境内で遊ぶ。

夜、すこし龍晴を叱りすぎてしまった。
反省。


12/13(金)
いい天気。
ふとんを干す。

午前中はどこにも行かず
いえで過ごす。

お昼寝後の午後は
いえの近くの神社へ。
昨日たくさん遊べなかった場所で
龍晴のこころゆくまで遊ばせてあげたいという気持ちから
行ってみる。

境内に龍晴の胸くらいの高さの落ち葉の山があって
そこをかきわけていったり
平均台のようなベンチを歩いたり
滑り台やブランコをする。

今日は何度か龍晴を叱ってしまった。
そのどれもたいしたことではないのに。
昨日に引き続き反省。
今日は大反省。


12/14(土)
平和の森へ。
とても寒いが龍晴は元気だ。

プレイジムで遊んでいると、
今日、お邪魔すると連絡しておいた
ポーコアポーコのご主人からメール。
葉山のダイちゃんとお店にいるが、いまどこ?という内容。
平和の森で遊んでいます、と返信すると、
それならご一緒に、という返信がくる。
平和の森からポーコアポーコさんは徒歩5分ほどの距離である。

芝生広場に移動して少しすると、
りゅうせいくーん!という声とともに
葉山のダイちゃんとPさんが走ってきた。
Pさんはお店の準備もあるので戻られ、
ダイちゃんと龍晴と一緒に3人で遊ぶことにする。

追いかけっこをしたり
(龍晴が鬼になったりダイちゃんが鬼になったりし、
私が混ざろうとすると龍晴は母さんはあっちいって!などと生意気なことを言っていた)
しゃぼんだまをしたり
(これはいつも私が2つ持ち歩いている)
たき火をつくったり
(たき火、という名前の造形物をダイちゃんがつくり、
龍晴がダイちゃんの指示に従って一緒につくった)
いろいろと工夫をしてふたりで遊んでいる。

1時間ほどしてからポーコアポーコさんへ戻る。

ランチをしてからすこし遊ぶが
龍晴は眠さマックスでものすごく機嫌が悪くなり
(子どもの機嫌の悪さはときとして執着に変わる)
お店から帰りたくない、と大号泣。
しかし眠いのはわかっているので
なんとか抱っこひもに入れ
(ご主人と私の二人がかりで!)
帰宅する。

そんなこんなのなかで
またしても私は苛々。

ああここのところ苛々が多い。

それは私自身の器量の小ささから来ているものであり
日々日々日々日々
反省していることであるのだが
その舌根もペン先も乾かぬうちから
また同じことを繰り返してしまうのだ。

ほんとうにリセットしないといけない。

よし、明日から。
(今日はもう龍晴は寝てしまったから)
ほんとうにリセットしよう。

よし。


12/15(日)
そんなわけでこころ新たに臨むいちにち。
しかし如何せん怪獣期の龍晴でもあるので
奥歯をぎゅうっと噛みしめるような気持ちのときもある。

子育ては修行のようなもの、といった友だちがいたけれども
まさにそうだなあと今日なんかは思ったりする。

寒い朝。

久しぶりに四季の森公園へ行く。
今日は夫も一緒。

ここの公園は南側におおきなビルがあるので
冬場はまったく日があたらない。
寒いだろうなあと思いながら行ったのだが
やはり寒かった。

傍にある、
あたたかい杉並区の児童公園へ移動し
暫く遊んでから
四季の森に戻り、ランチ。
龍晴は持ってきたおべんとうを食べる。
(おべんとうではなく、私や夫が頼んだものをあげたいのだが
ひとくち食べてはいらない!おべんとうがいい!というのである。とほほ)

食後も暫く遊び、
抱っこをして帰宅。
帰宅途中に眠る。

目覚めてからまたさんぽ。
また四季の森へ行きたいというかなと思ったのだが
バスに乗って阿佐ヶ谷へ行きたいというので
サンプラザまで行き、バスに乗る。
阿佐ヶ谷の街を暫くぶらぶらとし
駅のショッピングモールですこし買物をしてから
帰宅する。

きょうはひさしぶりにとうさんとおふろにはいる~!
と、晩ごはんのときに言っていたのだが
実際に入る段になると
すぐに撤回し、
かあさんとはいる!
と半泣きになっていた。
やれやれ。

頼んでおいた「東西線」が届いたので
クロゼットの奥深くにしまう。
しかし龍晴は
もうとうざいせんはいらない!
と不届きなことを言っていた。
さてクリスマス、どうなることやら。