1/6(月)
まだ体調がすぐれない。
まず食事がまったくとれない。
正月に(たぶん)ふとったぶんを取りもどせる!と
ほくそ笑めるのは
もっと回復してきてからのことであろう。
夫はもはや仕事である。
さすがに立場上、仕事はじめの午前中から休めるわけもなく
頼めるわけもなく
いろいろなところに鞭を打って
とにかくがんばる。
午後になってやっと体調が落ち着いてきた。
龍晴が私のことを慮ってくれて
おおいに助かる。
2歳7カ月ともなると
いろいろとわかってくれるのだな。
ありがとう。
1/7(火)
やっとそとを歩けるくらいになってきた。
もうそろそろ痺れを切らしてきたであろう龍晴と
午前中は新井薬師の公園へ。
それでも立っていることはつらいので
殆どベンチで座っている。
たって!となんどか龍晴は言ったのだが
ごめん、母さん、具合が悪い・・・というと
わかってくれたらしい。
帰宅後、お昼ごはん食べてから
お昼寝。
午後になってめきめきと体調がよくなってきた。
ほうっとする。
明日から完全復活できそうな予感。
1/8(水)
やっと復活!
からだも軽いし、食欲も出てきた。
ほうっとする。
龍晴にも夫にも、
この風邪はうつっていないらしい。
かさねがさね、ほうっとする。
午前中は新井薬師へ。
今日は縁日。
お堂のなかに入れる!と勇んでお寺まで
ストライダーを走らせた龍晴だが、
お堂まで行ったらお正月期間は入れません、とお坊さんに断られる。
りゅうー、今日は入れないんだって。
ざんねんだけどまたこようね、と
靴をぬぎかけていた龍晴にいうと、
それを聞いたらしい別のお坊さんが(今日はお坊さんが10名くらいいた)
短い時間でよければいいですよ、と
快くなかに入れてくれた。
こういう配慮はほんとうにうれしい。
杓子定規でないところ。ないひと。
龍晴ははいれるって!とおおよろこびし、
いろいろな仏像を眺めたり
神妙に正座をしていたりする。
別のお堂にある像の名前がわからずに
(龍晴に聞かれたのだが私がこたえられず)
質問をすると、
どれのことだろう?とひとりの方が一緒に見に行ってくださり、
龍晴に丁寧に説明をしてくれた。
(奪衣婆というそうだ)
ひとしきりお寺を楽しんでから
公園へ。
今日は三輪車に乗ったり、黄色のバイクに乗ったり
滑り台をすべったりする。
龍晴よりいっさいしたの、ハルカちゃんという子がアンパンマンのコンビカーを押したり乗ったりしていんるのが気になったらしく
暫く一緒に遊ぶ。
ポーコアポーコさんでランチ。
帰宅中にお昼寝。
雨が降りそうなので
午後はいえでずうっと遊ぶ。
龍晴は久しぶりにキッチンで水仕事。
いろいろなものをたくさん洗い、
満足の様子。
夜、雨が降りはじめる。
1/9(木)
思いのほか雨ではない時間が長い。
しかしいつ冷たい雨が降るともわからない天気では
行動範囲も狭まってしまう。
午前中は近くのスーパーマーケットへ。
まとめていろいろと料理をしたかったので
それ以外の時間はいえで過ごす。
龍晴は一緒に料理を楽しんでいる。
お昼寝後は別のスーパーマーケットへ行きつつ、
いくつかの用事を済ませる。
線路沿いのウォールアートを見ながら
歩いて帰りたい、というので
乗っていたストライダーを私が持ち、
龍晴は歩いて帰宅。
坂道を走り降りて遊ぶ。
帰宅後、玄関の掃除をしていたら
龍晴が代わりたい、というので
つづきをやってもらう。
ここのところ龍晴の食欲が旺盛だ。
ずうっと以前はぜんぜん食べない子で
とてもこころを痛めていたのだが
臼歯が生えそろってきたあたりから
たくさん食べるようになり
それからはひとなみからひとなみ以上くらいには
食べるようになっていた。
それが正月明けくらいから
炸裂、という感じに食べまくっている。
レーズンパン1枚、バナナはんぶん、みかん2個。
これは、昼食にうどんと肉団子を食べたあとに食べたものだし、
それから2時間後には
おおきめのコロッケサンド1個、米粉のパンをはんぶん、
さらに追加で食べ、
その1時間後には晩ごはんを食べていた。
ちなみに今日の晩ごはんは
豚肉のチーズ巻きを3個、コロッケはんぶん、野菜たっぷりスープ、ごはん1膳、コーンポタージュスープ、トマト大1個、ゆでたまご。さらにデザートにいちごを10個。
おかげでずうっとほっそりしていた龍晴のかおが
すこしふっくらとしてきて
ますますかわいらしくなっている。
ふわふわの薔薇色のほうっぺた。
あまりそとで遊ばなかったせいか
今日はなかなか寝付かず。
O教授のブログに、子育てに関して・・・
子どもの幸福と親のエゴイズムについて記載されていた。
しばしば考えることであり、それを文章化していただいた感じ。
メモに残す。
1/10(金)
体調もかんぜんによくなり(私の)、
天気もよくなった。
どうぶつえん日和だ。
龍晴は年末からずうっと、
上野動物園にぞうさんをみにいきたい!と主張していたが
龍晴が体調を壊したり
京都へ帰省したり
正月だったり
私が体調を崩したりして
ずうっと行けないでいた。
どうぶつえんはお正月だからお休みなんだよ?
と龍晴にはその度に言っていて、
いやだ!と半泣きになるそのたびに
でもそういうことは、母さんではなくて園長先生が決めることだからねえ、というと、
えんちょうせんせい?と
それならば仕方ない、と思うらしく
なんとか納得を重ねてきた龍晴である。
満を持してのどうぶつえん。
どういうわけか今日は
ベビーカーびより、と龍晴は言って、
いつもは押したがるベビーカーにずうっと乗りつづけている。
体調でも悪いのか?眠いのか?と心配になるほどだったが
まったくそういうことではなく
ほんとうにベビーカーに乗っていたいだけらしい。
いつもは龍晴任せで駆け足のどうぶつえんを
今日はそれも手伝い、いろいろなどうぶつを見ながらすすむ。
きりんさんがみたい!と朝は言っていたのに
りゅうはきりんはあまり好きくない!と、
きりんの厩舎が近づくと言ったりしておかしい。
体験コーナーで、
今日はあひるやうさぎやはつかねずみにも触れることができた。
あひる、実は私も初めて触ったのだが
羽根が思っていた以上にものすごーくやわらかくて驚く。
ふわふわ!と龍晴は感じ言ったようにいって
なんども撫でている。
龍晴はふわふわ!なものが好きなのだ。
(たとえば私のほうっぺたをふわふわ!といって寝ているあいだにずうっと触っている)
たくさんのどうぶつを見て、触れて、
モノレールにも5回ほど乗って、
それでもまだ帰りたくない、と言っていたが
ここでも園長先生、に登場していただき、
園長先生がそろそろどうぶつえんを閉めるから、
帰らないといけないんだって!といって説得する。
どうして?というので、
園長先生もお姉さん(体験コーナーにいる)も、いえに帰らないといけないでしょう?ごはんを食べたり寝たりするものね?とこたえると
納得した様子。
ところで龍晴は
今日から俄かになぜなぜ星人になり、
いままでと段違いになんで?を連発する。
それにこたえるのもなかなかおもしろい。
(いまのところ)
O教授のブログに、卒業した大学の文学部のキャンパスのスロープにある
メタセコイアの木が工事のためすべて伐られたことが写真つきで記載されていた。
衝撃を受ける。
そのメタセコイアの巨木は私が学生の頃からあり
さらには教授が学生の頃からもあり
つまり文学部の、おそらくは多くの学生にとって
シンボルツリーであっただろう。
ああ。あの木はもうないのだな。
次にスロープをあがるとき。
もうあの並木はないのだ。
これからもずうっと。
こころのなかにあった確かな光景がふっとゆらぐ。
確かで、あたたかい。
今日も寒い日。
1/11(土)
葉山のダイちゃんが来るから
明日は平和の森へいこうか、と
寝る前に言っていたら
朝、目が覚めるなり
きょうはやまのダイちゃんがくるひ?と
龍晴はたずねる。
そうだよ?とこたえると
満足そうに笑う。
葉山のダイちゃんは龍晴よりも2歳うえで
兄貴分のような存在だ。
龍晴にとって。
会葬がある夫と途中でわかれ、
朝からストライダーで平和の森公園へ。
寒い冬の朝。
公園には霜柱がたくさん立っている。
りゅう、みて?霜柱。
そういうと、
ん?と龍晴は興味深げに霜柱に触ったり
足で踏んだり投げたりしている。
しもばしらってなに?
どうしてたつの?
そんなことを聞かれ、
それぞれこたえる。
なになに星人と話をするのはなかなかおもしろい。
葉山のダイちゃんがポーコアポーコさんのご主人とやって来たので
みんなで芝生広場に移動し、
ご主人はお店に開店準備に戻り、
残ったみんなで遊ぶ。
今日は紙飛行機を飛ばす会?のおじさまがたがたくさんいらしていて
見学をしていると、
紙飛行機と飛ばすための棒をプレゼントしてくれた。
みんなでひとしきり、飛行機を飛ばす。
ポーコアポーコさんでランチ。
今日は読み聞かせの会。
眠くなってきた頃合いで失礼し、
龍晴は抱っこでお昼寝。
いえに着いてから程なく目覚め、
もういちどポーコアポーコさんへ行きたいというので
またまたストライダーに乗って出かける。
私はひたすら走る係りである。
今日はたくさん子どもたちがいて・・・
葉山のダイちゃん、ご近所のユキちゃんは小学校1年生、ユキちゃんのお兄さん、小学校4年生のハナちゃん・・・龍晴はみんなとたくさん遊ぶ。
私のそばでユキちゃんとダイちゃんが一緒に遊び、
ユキちゃんのお母さんのそばで龍晴とハナちゃんが遊ぶ、
なんてことも多々あり、
こういうお店ならではの素敵な世界だなあと思う。
もちろん子どもたちだけでもたくさん遊んでいる。
このお店に来る子どもたちは
みんな小さな子ともたくさん遊んでくれる。
ご主人がそのようにはからい続けて下さった成果であろう。
ありがたいことだ。
夕方、帰宅。
帰っていた夫に龍晴はいちにちの報告をしている。
夫はフットサルヘ。
そういえば昨晩龍晴は、
ものすごーくおおきな声で、
できた!
おちないよ!!
自動!!!
と言って笑っていた。
いったいなんの夢を見ているのだろう。
本人に聞いたら、くるまのゆめ、と言っていたのだけれども。
ところで。
京都から東京に戻って10日近く経つ。
体調を悪くしたのがおおきくて
なかなか考えたり思ったりする時間がとれなかった。
ここのところ・・・年末くらいから私はずうっと
鷺沢萠さんの本を読み返している。
いまどきのひとたちは鷺沢さんの存在を
知らないのではないかと思う。
彼女の本を最初に読んだのは大学生のころだ。
私より5~6歳年上の、つまりほぼ同時代の作家で、
彼女は幾人かの小説家と同じように
私にとって、作品が出れば読む小説家、のひとりであった。
どうして過去形なのかというと。
彼女が若くして自らの命を絶ったからである。
(余談だが、鷺沢さんの作品は、「つづき」、あるいは「続編」を読みたくなる小説であると思う。それは登場人物が魅力的、ということなのか、
それとも不安定さ、あるいは未完成感があるせいなのか私にはわからないのだけれども。
恐らくはそのどれもが要因であるように思う)
暫くぶりにすべての小説を読み返す。
特に在日韓国人の心象に関するものを
私は初読のころよりもずうっと、
ああわかるなあ、と思いながら読めておもしろい。
ずうっと、というよりもいっそ。
初読のころは殆どわからなかった、
といっても良いかも知れない。
鷺沢さんは私の夫と同じ在日韓国人三世で、
夫との違いは、
自身が在日韓国人三世であることを、
小説家になり、取材対象として自らの過去を見直すときまでまったく知らなかったこと、
である。
以降、彼女の作品の多くは、在日韓国人、の心象を描くものに変わっていく。
在日韓国人には、4通りあるように思う。
在日韓国人であることをまったく知らない場合。つまり外国人登録もしていない。この場合、もはや在日韓国人、というよりはルーツが、というべきかも知れない。
在日韓国人であることを知っているが、日本人の名前を使い(通名という)、日本に帰化もしている場合。
在日韓国人であることを知っていて、日本人の名前を使っているが、帰化をしていない場合。
在日韓国人であることを知っていて、韓国人の名前を使っており(読み方は日本の読みにしている場合を含む)、帰化していない場合。
鷺沢さんは最初のパタンで、
夫は最後のパタンだ。
そして当然、というべきか、アイデンティティは前者から後者のグラデーションでまったく異なる。
ちなみに夫の親族も夫の幼馴染も、殆どが最後のパタンである。
そもそも幼馴染は民族学校の仲間だから、道理であるのだが。
そんな夫と、「帰化」について、
ずうっと以前、話しをしたことがある。
それは結婚か、龍晴を妊娠したころまで遡ることだったと記憶している。
夫は在日韓国人であることを誇りに思っていると私は思っている。
そうしてそれは実際に間違いないことであるのだが、
一方で、だからこそ、帰化について考えている、とはまったく思っていなかった。
しかし夫は、いずれ帰化をしようと考えていたのである。
国籍、というのは紙一枚のことで、
たいせつなものやだいじにしていることが変わるわけではないから、揺らぐわけではないから、
というのが夫の言いたいことで、
それは私もとてもよくわかるし、その通りだと思う。
ただ私は、自分が自分のルーツをたいせつに思っているように、
夫にも夫のルーツをたいせつにして欲しいから、
帰化をしなくてもいいのではないか、とそのときに思った。
そのことも憶えている。
今回、東京駅までの新幹線の車内で。
夫と私はいくつかたいせつな話をしたのだが。
そのなかで、たまたま「帰化」に関する話しが出た。
夫は龍晴が小学校にあがる前に帰化するつもりだ、という。
え、そんなに早く?と驚いてたずねると。
夫は、龍晴が親の国籍のことでつらいめに遭うことは避けたいことなのだと話したうえで、
(それは自身の体験に基づくことであり、実際に体験をしたものでないとおいそれと意見をできないようなものである。
ちなみに鷺沢さんの小説には、差別するような人間は差別してしまっていいのだ、というくだりが出てきたりするのだが、
この問題に関してはとても難しい。
私は龍晴を、だからいろいろな意味で強い子どもに育てること、転んでも必ず立ち上がる子どもに育てることを、いちばんたいせつにしている。それが私が龍晴の子育てについて、唯一明確に決めていることだ)
さらにこう付けくわえたのである。
それに、いつ戦争になるかもわからんやん。
戦争。
戦争?
いま日本と韓国のあいだには。
韓国と日本のあいだには。
不穏な空気が流れていることは私も感じているし
多くのひとも感じていることだろう。
でもこんなにも、
戦争になる可能性について、
それを身近なこととしてとらえていることに。
自分ともっとも近しい存在である夫が
そう思っていることに。
私は強い衝撃を憶えた。
強い。そして深い。
戦争になったら、
もしかしたら俺も徴兵されるかも知れへん。
やから早めに帰化したほうがええと思うねん。
夫はそう続けていう。
現在、在日韓国人は、法律により徴兵を免れている。
でもその法律がいつ変わるかわからない。
100万人の在日韓国人を兵力として捉えることも
ないとはまったく言えない・・・
そうなのか。
私は平手で頬を張られたような
拳で頭を殴られたような
そんな気持ちになった。
それにそうやから、
早めにたくさん金を貯めておきたいねん。
いざとなったらみんなを連れて(第三国へ)逃げられるくらいには。
・・・。
私はなんてのんきなことだろう。
そんなことをまず私は思った。
のんきな妻のその横で
夫はこんなことまで考えて。
日々生きていたなんて。
ああだから。
夫はこんなにも仕事をしているのか。
もちろんこのためだけにしているわけではないのだけれども
そういうことも考えて
会社を動かし、おかねを産んでいるのか。
産み続けているのか。
そうしてそれが、
在日、であるところの夫、なのだ。
夫の覚悟。
それを聞いて私は。
なんともいえない気持ちになった。
いま現在、この国で
ここまでの思いを持っているひとは
果たしてどれくらいいるだろうか。
夫を夫たらしめている
在日韓国人三世、という立場と状況。
夫の覚悟を
おおげさな、と私は笑い飛ばせない。
それはいま現在、という意味だけでなく
将来にかけてもまた。
ナニジン、ということではなく
いつどこでなにをしてでも生きていける
願わくば楽しく生きていける
そんな糧を持っていなければと思う。
それはおかね、ということではなく(ということだけではなく)
さまざまなことにおいて。
そしてもちろん。
そんな覚悟が登場しなくてもよい世の中であることを祈って。
このあたたかくまるい龍晴の
薔薇色の頬っぺたに
ずうっと笑みがうかぶ世の中であることを祈って。
そんなふうに思う。
1/12(日)
思い立って、井の頭動物園へ行くことにした。
夫と龍晴と3人で、
「龍晴がとても行きたい場所」へ行くことはあまりない。
そういう場所はにちようびはたいてい混んでいるから、というのが
おそらく主な理由なのだが
(夫は混んでいる場所がとてもきらいだ)
でも龍晴に「父さんと一緒もたのしい」と思ってもらえるのは
そういうところへ一緒に行くこと、も、
ひとつの手段なのではないかと思う。
ということで、午前中から井の頭動物園へ。
ここのゆうえんちコーナーが龍晴のお気に入りであり、
ここのところ行きたい行きたいといっていた場所である。
たいていどうぶつえんをすこし見てから
ゆうえんちへ行くのだが
今日は最初からゆうえんちコーナーへ走っていき
(しかも自分の足がもどかしくなったらしく夫に抱っこをせがんでいた。
龍晴は足が速いから自分で走ったほうが早い気がするんだけど)
5回乗る!と意気込んでいた新幹線コーナーのチケット売り場に
自ら並んでいた。
主に夫と、ときどき私と、あるいは3人で
たくさんののりものに乗る。
新幹線、ゴーカートのようなもの、
そらを飛ぶもの。
このさいごの遊具が曲者で、
くるま酔いをしやすい私はあっという間に酔ってしまう。
今日もすぐに酔ってしまい、
ごめんだけど母さんはもう乗れないから、
父さんとふたりで乗ってくれる?というと、
最初は不安そうにしつつも
ベンチで手を振る私ににこにこと手を振り返したりしながら
なんかいもなんかいも列に並んでは乗っている。
どうしてこれが好きなの?とあとでたずねると、
そらを飛んでいる感じがするから!とこたえていた。
なるほど。
ヘリコプターみたい、ともいっていて、
なるほど、と思う。
そらを飛ぶ体験、というのは
なかなかできないものね。
途中、おべんとうとお昼寝タイムをはさみ、
夕方近くまでどうぶつえんで遊ぶ。
たのしいいちにち。
1/13(月)
昨日、「父さん」といっしょでとても楽しかったらしく、
龍晴は夫が仕事に出かける前から
今日、父さんずうっといる日?とたずね、
今日は仕事やで、とこたえると
ずうっといっしょにいる日がいい!と半泣きになっていた。
かわいいなあ。
そして作戦成功。
夫を見送りがてら
新井薬師の公園へ。
お寺をぶらぶらしてから
公園へ行き、たくさん遊ぶ。
滑り台や岩の築山など。
龍晴はここのところ「工事のおじさん」「カフェのおじさん」「車掌さん」によくなるのだが、
(どうしてか「おじさん」が好きである)
岩の築山を工事現場に見立てて、
ずうっと「工事ごっこ」をして遊んでいる。
私が下手に通ろうとすると、
そこはつうこうどめですよー!もどってくださいー!!などと注意される始末である。
午後はいえの近くのお店とホームセンターを梯子。
帰りに神社に寄り、
平均台のようなものや滑り台で遊ぶ。
どんどんと寒さが増している。
来週半ばには雪が降るらしい。
龍晴はゆきだるまをつくる、と
張り切っている。
まだ体調がすぐれない。
まず食事がまったくとれない。
正月に(たぶん)ふとったぶんを取りもどせる!と
ほくそ笑めるのは
もっと回復してきてからのことであろう。
夫はもはや仕事である。
さすがに立場上、仕事はじめの午前中から休めるわけもなく
頼めるわけもなく
いろいろなところに鞭を打って
とにかくがんばる。
午後になってやっと体調が落ち着いてきた。
龍晴が私のことを慮ってくれて
おおいに助かる。
2歳7カ月ともなると
いろいろとわかってくれるのだな。
ありがとう。
1/7(火)
やっとそとを歩けるくらいになってきた。
もうそろそろ痺れを切らしてきたであろう龍晴と
午前中は新井薬師の公園へ。
それでも立っていることはつらいので
殆どベンチで座っている。
たって!となんどか龍晴は言ったのだが
ごめん、母さん、具合が悪い・・・というと
わかってくれたらしい。
帰宅後、お昼ごはん食べてから
お昼寝。
午後になってめきめきと体調がよくなってきた。
ほうっとする。
明日から完全復活できそうな予感。
1/8(水)
やっと復活!
からだも軽いし、食欲も出てきた。
ほうっとする。
龍晴にも夫にも、
この風邪はうつっていないらしい。
かさねがさね、ほうっとする。
午前中は新井薬師へ。
今日は縁日。
お堂のなかに入れる!と勇んでお寺まで
ストライダーを走らせた龍晴だが、
お堂まで行ったらお正月期間は入れません、とお坊さんに断られる。
りゅうー、今日は入れないんだって。
ざんねんだけどまたこようね、と
靴をぬぎかけていた龍晴にいうと、
それを聞いたらしい別のお坊さんが(今日はお坊さんが10名くらいいた)
短い時間でよければいいですよ、と
快くなかに入れてくれた。
こういう配慮はほんとうにうれしい。
杓子定規でないところ。ないひと。
龍晴ははいれるって!とおおよろこびし、
いろいろな仏像を眺めたり
神妙に正座をしていたりする。
別のお堂にある像の名前がわからずに
(龍晴に聞かれたのだが私がこたえられず)
質問をすると、
どれのことだろう?とひとりの方が一緒に見に行ってくださり、
龍晴に丁寧に説明をしてくれた。
(奪衣婆というそうだ)
ひとしきりお寺を楽しんでから
公園へ。
今日は三輪車に乗ったり、黄色のバイクに乗ったり
滑り台をすべったりする。
龍晴よりいっさいしたの、ハルカちゃんという子がアンパンマンのコンビカーを押したり乗ったりしていんるのが気になったらしく
暫く一緒に遊ぶ。
ポーコアポーコさんでランチ。
帰宅中にお昼寝。
雨が降りそうなので
午後はいえでずうっと遊ぶ。
龍晴は久しぶりにキッチンで水仕事。
いろいろなものをたくさん洗い、
満足の様子。
夜、雨が降りはじめる。
1/9(木)
思いのほか雨ではない時間が長い。
しかしいつ冷たい雨が降るともわからない天気では
行動範囲も狭まってしまう。
午前中は近くのスーパーマーケットへ。
まとめていろいろと料理をしたかったので
それ以外の時間はいえで過ごす。
龍晴は一緒に料理を楽しんでいる。
お昼寝後は別のスーパーマーケットへ行きつつ、
いくつかの用事を済ませる。
線路沿いのウォールアートを見ながら
歩いて帰りたい、というので
乗っていたストライダーを私が持ち、
龍晴は歩いて帰宅。
坂道を走り降りて遊ぶ。
帰宅後、玄関の掃除をしていたら
龍晴が代わりたい、というので
つづきをやってもらう。
ここのところ龍晴の食欲が旺盛だ。
ずうっと以前はぜんぜん食べない子で
とてもこころを痛めていたのだが
臼歯が生えそろってきたあたりから
たくさん食べるようになり
それからはひとなみからひとなみ以上くらいには
食べるようになっていた。
それが正月明けくらいから
炸裂、という感じに食べまくっている。
レーズンパン1枚、バナナはんぶん、みかん2個。
これは、昼食にうどんと肉団子を食べたあとに食べたものだし、
それから2時間後には
おおきめのコロッケサンド1個、米粉のパンをはんぶん、
さらに追加で食べ、
その1時間後には晩ごはんを食べていた。
ちなみに今日の晩ごはんは
豚肉のチーズ巻きを3個、コロッケはんぶん、野菜たっぷりスープ、ごはん1膳、コーンポタージュスープ、トマト大1個、ゆでたまご。さらにデザートにいちごを10個。
おかげでずうっとほっそりしていた龍晴のかおが
すこしふっくらとしてきて
ますますかわいらしくなっている。
ふわふわの薔薇色のほうっぺた。
あまりそとで遊ばなかったせいか
今日はなかなか寝付かず。
O教授のブログに、子育てに関して・・・
子どもの幸福と親のエゴイズムについて記載されていた。
しばしば考えることであり、それを文章化していただいた感じ。
メモに残す。
1/10(金)
体調もかんぜんによくなり(私の)、
天気もよくなった。
どうぶつえん日和だ。
龍晴は年末からずうっと、
上野動物園にぞうさんをみにいきたい!と主張していたが
龍晴が体調を壊したり
京都へ帰省したり
正月だったり
私が体調を崩したりして
ずうっと行けないでいた。
どうぶつえんはお正月だからお休みなんだよ?
と龍晴にはその度に言っていて、
いやだ!と半泣きになるそのたびに
でもそういうことは、母さんではなくて園長先生が決めることだからねえ、というと、
えんちょうせんせい?と
それならば仕方ない、と思うらしく
なんとか納得を重ねてきた龍晴である。
満を持してのどうぶつえん。
どういうわけか今日は
ベビーカーびより、と龍晴は言って、
いつもは押したがるベビーカーにずうっと乗りつづけている。
体調でも悪いのか?眠いのか?と心配になるほどだったが
まったくそういうことではなく
ほんとうにベビーカーに乗っていたいだけらしい。
いつもは龍晴任せで駆け足のどうぶつえんを
今日はそれも手伝い、いろいろなどうぶつを見ながらすすむ。
きりんさんがみたい!と朝は言っていたのに
りゅうはきりんはあまり好きくない!と、
きりんの厩舎が近づくと言ったりしておかしい。
体験コーナーで、
今日はあひるやうさぎやはつかねずみにも触れることができた。
あひる、実は私も初めて触ったのだが
羽根が思っていた以上にものすごーくやわらかくて驚く。
ふわふわ!と龍晴は感じ言ったようにいって
なんども撫でている。
龍晴はふわふわ!なものが好きなのだ。
(たとえば私のほうっぺたをふわふわ!といって寝ているあいだにずうっと触っている)
たくさんのどうぶつを見て、触れて、
モノレールにも5回ほど乗って、
それでもまだ帰りたくない、と言っていたが
ここでも園長先生、に登場していただき、
園長先生がそろそろどうぶつえんを閉めるから、
帰らないといけないんだって!といって説得する。
どうして?というので、
園長先生もお姉さん(体験コーナーにいる)も、いえに帰らないといけないでしょう?ごはんを食べたり寝たりするものね?とこたえると
納得した様子。
ところで龍晴は
今日から俄かになぜなぜ星人になり、
いままでと段違いになんで?を連発する。
それにこたえるのもなかなかおもしろい。
(いまのところ)
O教授のブログに、卒業した大学の文学部のキャンパスのスロープにある
メタセコイアの木が工事のためすべて伐られたことが写真つきで記載されていた。
衝撃を受ける。
そのメタセコイアの巨木は私が学生の頃からあり
さらには教授が学生の頃からもあり
つまり文学部の、おそらくは多くの学生にとって
シンボルツリーであっただろう。
ああ。あの木はもうないのだな。
次にスロープをあがるとき。
もうあの並木はないのだ。
これからもずうっと。
こころのなかにあった確かな光景がふっとゆらぐ。
確かで、あたたかい。
今日も寒い日。
1/11(土)
葉山のダイちゃんが来るから
明日は平和の森へいこうか、と
寝る前に言っていたら
朝、目が覚めるなり
きょうはやまのダイちゃんがくるひ?と
龍晴はたずねる。
そうだよ?とこたえると
満足そうに笑う。
葉山のダイちゃんは龍晴よりも2歳うえで
兄貴分のような存在だ。
龍晴にとって。
会葬がある夫と途中でわかれ、
朝からストライダーで平和の森公園へ。
寒い冬の朝。
公園には霜柱がたくさん立っている。
りゅう、みて?霜柱。
そういうと、
ん?と龍晴は興味深げに霜柱に触ったり
足で踏んだり投げたりしている。
しもばしらってなに?
どうしてたつの?
そんなことを聞かれ、
それぞれこたえる。
なになに星人と話をするのはなかなかおもしろい。
葉山のダイちゃんがポーコアポーコさんのご主人とやって来たので
みんなで芝生広場に移動し、
ご主人はお店に開店準備に戻り、
残ったみんなで遊ぶ。
今日は紙飛行機を飛ばす会?のおじさまがたがたくさんいらしていて
見学をしていると、
紙飛行機と飛ばすための棒をプレゼントしてくれた。
みんなでひとしきり、飛行機を飛ばす。
ポーコアポーコさんでランチ。
今日は読み聞かせの会。
眠くなってきた頃合いで失礼し、
龍晴は抱っこでお昼寝。
いえに着いてから程なく目覚め、
もういちどポーコアポーコさんへ行きたいというので
またまたストライダーに乗って出かける。
私はひたすら走る係りである。
今日はたくさん子どもたちがいて・・・
葉山のダイちゃん、ご近所のユキちゃんは小学校1年生、ユキちゃんのお兄さん、小学校4年生のハナちゃん・・・龍晴はみんなとたくさん遊ぶ。
私のそばでユキちゃんとダイちゃんが一緒に遊び、
ユキちゃんのお母さんのそばで龍晴とハナちゃんが遊ぶ、
なんてことも多々あり、
こういうお店ならではの素敵な世界だなあと思う。
もちろん子どもたちだけでもたくさん遊んでいる。
このお店に来る子どもたちは
みんな小さな子ともたくさん遊んでくれる。
ご主人がそのようにはからい続けて下さった成果であろう。
ありがたいことだ。
夕方、帰宅。
帰っていた夫に龍晴はいちにちの報告をしている。
夫はフットサルヘ。
そういえば昨晩龍晴は、
ものすごーくおおきな声で、
できた!
おちないよ!!
自動!!!
と言って笑っていた。
いったいなんの夢を見ているのだろう。
本人に聞いたら、くるまのゆめ、と言っていたのだけれども。
ところで。
京都から東京に戻って10日近く経つ。
体調を悪くしたのがおおきくて
なかなか考えたり思ったりする時間がとれなかった。
ここのところ・・・年末くらいから私はずうっと
鷺沢萠さんの本を読み返している。
いまどきのひとたちは鷺沢さんの存在を
知らないのではないかと思う。
彼女の本を最初に読んだのは大学生のころだ。
私より5~6歳年上の、つまりほぼ同時代の作家で、
彼女は幾人かの小説家と同じように
私にとって、作品が出れば読む小説家、のひとりであった。
どうして過去形なのかというと。
彼女が若くして自らの命を絶ったからである。
(余談だが、鷺沢さんの作品は、「つづき」、あるいは「続編」を読みたくなる小説であると思う。それは登場人物が魅力的、ということなのか、
それとも不安定さ、あるいは未完成感があるせいなのか私にはわからないのだけれども。
恐らくはそのどれもが要因であるように思う)
暫くぶりにすべての小説を読み返す。
特に在日韓国人の心象に関するものを
私は初読のころよりもずうっと、
ああわかるなあ、と思いながら読めておもしろい。
ずうっと、というよりもいっそ。
初読のころは殆どわからなかった、
といっても良いかも知れない。
鷺沢さんは私の夫と同じ在日韓国人三世で、
夫との違いは、
自身が在日韓国人三世であることを、
小説家になり、取材対象として自らの過去を見直すときまでまったく知らなかったこと、
である。
以降、彼女の作品の多くは、在日韓国人、の心象を描くものに変わっていく。
在日韓国人には、4通りあるように思う。
在日韓国人であることをまったく知らない場合。つまり外国人登録もしていない。この場合、もはや在日韓国人、というよりはルーツが、というべきかも知れない。
在日韓国人であることを知っているが、日本人の名前を使い(通名という)、日本に帰化もしている場合。
在日韓国人であることを知っていて、日本人の名前を使っているが、帰化をしていない場合。
在日韓国人であることを知っていて、韓国人の名前を使っており(読み方は日本の読みにしている場合を含む)、帰化していない場合。
鷺沢さんは最初のパタンで、
夫は最後のパタンだ。
そして当然、というべきか、アイデンティティは前者から後者のグラデーションでまったく異なる。
ちなみに夫の親族も夫の幼馴染も、殆どが最後のパタンである。
そもそも幼馴染は民族学校の仲間だから、道理であるのだが。
そんな夫と、「帰化」について、
ずうっと以前、話しをしたことがある。
それは結婚か、龍晴を妊娠したころまで遡ることだったと記憶している。
夫は在日韓国人であることを誇りに思っていると私は思っている。
そうしてそれは実際に間違いないことであるのだが、
一方で、だからこそ、帰化について考えている、とはまったく思っていなかった。
しかし夫は、いずれ帰化をしようと考えていたのである。
国籍、というのは紙一枚のことで、
たいせつなものやだいじにしていることが変わるわけではないから、揺らぐわけではないから、
というのが夫の言いたいことで、
それは私もとてもよくわかるし、その通りだと思う。
ただ私は、自分が自分のルーツをたいせつに思っているように、
夫にも夫のルーツをたいせつにして欲しいから、
帰化をしなくてもいいのではないか、とそのときに思った。
そのことも憶えている。
今回、東京駅までの新幹線の車内で。
夫と私はいくつかたいせつな話をしたのだが。
そのなかで、たまたま「帰化」に関する話しが出た。
夫は龍晴が小学校にあがる前に帰化するつもりだ、という。
え、そんなに早く?と驚いてたずねると。
夫は、龍晴が親の国籍のことでつらいめに遭うことは避けたいことなのだと話したうえで、
(それは自身の体験に基づくことであり、実際に体験をしたものでないとおいそれと意見をできないようなものである。
ちなみに鷺沢さんの小説には、差別するような人間は差別してしまっていいのだ、というくだりが出てきたりするのだが、
この問題に関してはとても難しい。
私は龍晴を、だからいろいろな意味で強い子どもに育てること、転んでも必ず立ち上がる子どもに育てることを、いちばんたいせつにしている。それが私が龍晴の子育てについて、唯一明確に決めていることだ)
さらにこう付けくわえたのである。
それに、いつ戦争になるかもわからんやん。
戦争。
戦争?
いま日本と韓国のあいだには。
韓国と日本のあいだには。
不穏な空気が流れていることは私も感じているし
多くのひとも感じていることだろう。
でもこんなにも、
戦争になる可能性について、
それを身近なこととしてとらえていることに。
自分ともっとも近しい存在である夫が
そう思っていることに。
私は強い衝撃を憶えた。
強い。そして深い。
戦争になったら、
もしかしたら俺も徴兵されるかも知れへん。
やから早めに帰化したほうがええと思うねん。
夫はそう続けていう。
現在、在日韓国人は、法律により徴兵を免れている。
でもその法律がいつ変わるかわからない。
100万人の在日韓国人を兵力として捉えることも
ないとはまったく言えない・・・
そうなのか。
私は平手で頬を張られたような
拳で頭を殴られたような
そんな気持ちになった。
それにそうやから、
早めにたくさん金を貯めておきたいねん。
いざとなったらみんなを連れて(第三国へ)逃げられるくらいには。
・・・。
私はなんてのんきなことだろう。
そんなことをまず私は思った。
のんきな妻のその横で
夫はこんなことまで考えて。
日々生きていたなんて。
ああだから。
夫はこんなにも仕事をしているのか。
もちろんこのためだけにしているわけではないのだけれども
そういうことも考えて
会社を動かし、おかねを産んでいるのか。
産み続けているのか。
そうしてそれが、
在日、であるところの夫、なのだ。
夫の覚悟。
それを聞いて私は。
なんともいえない気持ちになった。
いま現在、この国で
ここまでの思いを持っているひとは
果たしてどれくらいいるだろうか。
夫を夫たらしめている
在日韓国人三世、という立場と状況。
夫の覚悟を
おおげさな、と私は笑い飛ばせない。
それはいま現在、という意味だけでなく
将来にかけてもまた。
ナニジン、ということではなく
いつどこでなにをしてでも生きていける
願わくば楽しく生きていける
そんな糧を持っていなければと思う。
それはおかね、ということではなく(ということだけではなく)
さまざまなことにおいて。
そしてもちろん。
そんな覚悟が登場しなくてもよい世の中であることを祈って。
このあたたかくまるい龍晴の
薔薇色の頬っぺたに
ずうっと笑みがうかぶ世の中であることを祈って。
そんなふうに思う。
1/12(日)
思い立って、井の頭動物園へ行くことにした。
夫と龍晴と3人で、
「龍晴がとても行きたい場所」へ行くことはあまりない。
そういう場所はにちようびはたいてい混んでいるから、というのが
おそらく主な理由なのだが
(夫は混んでいる場所がとてもきらいだ)
でも龍晴に「父さんと一緒もたのしい」と思ってもらえるのは
そういうところへ一緒に行くこと、も、
ひとつの手段なのではないかと思う。
ということで、午前中から井の頭動物園へ。
ここのゆうえんちコーナーが龍晴のお気に入りであり、
ここのところ行きたい行きたいといっていた場所である。
たいていどうぶつえんをすこし見てから
ゆうえんちへ行くのだが
今日は最初からゆうえんちコーナーへ走っていき
(しかも自分の足がもどかしくなったらしく夫に抱っこをせがんでいた。
龍晴は足が速いから自分で走ったほうが早い気がするんだけど)
5回乗る!と意気込んでいた新幹線コーナーのチケット売り場に
自ら並んでいた。
主に夫と、ときどき私と、あるいは3人で
たくさんののりものに乗る。
新幹線、ゴーカートのようなもの、
そらを飛ぶもの。
このさいごの遊具が曲者で、
くるま酔いをしやすい私はあっという間に酔ってしまう。
今日もすぐに酔ってしまい、
ごめんだけど母さんはもう乗れないから、
父さんとふたりで乗ってくれる?というと、
最初は不安そうにしつつも
ベンチで手を振る私ににこにこと手を振り返したりしながら
なんかいもなんかいも列に並んでは乗っている。
どうしてこれが好きなの?とあとでたずねると、
そらを飛んでいる感じがするから!とこたえていた。
なるほど。
ヘリコプターみたい、ともいっていて、
なるほど、と思う。
そらを飛ぶ体験、というのは
なかなかできないものね。
途中、おべんとうとお昼寝タイムをはさみ、
夕方近くまでどうぶつえんで遊ぶ。
たのしいいちにち。
1/13(月)
昨日、「父さん」といっしょでとても楽しかったらしく、
龍晴は夫が仕事に出かける前から
今日、父さんずうっといる日?とたずね、
今日は仕事やで、とこたえると
ずうっといっしょにいる日がいい!と半泣きになっていた。
かわいいなあ。
そして作戦成功。
夫を見送りがてら
新井薬師の公園へ。
お寺をぶらぶらしてから
公園へ行き、たくさん遊ぶ。
滑り台や岩の築山など。
龍晴はここのところ「工事のおじさん」「カフェのおじさん」「車掌さん」によくなるのだが、
(どうしてか「おじさん」が好きである)
岩の築山を工事現場に見立てて、
ずうっと「工事ごっこ」をして遊んでいる。
私が下手に通ろうとすると、
そこはつうこうどめですよー!もどってくださいー!!などと注意される始末である。
午後はいえの近くのお店とホームセンターを梯子。
帰りに神社に寄り、
平均台のようなものや滑り台で遊ぶ。
どんどんと寒さが増している。
来週半ばには雪が降るらしい。
龍晴はゆきだるまをつくる、と
張り切っている。