年明け早々、
激烈な風邪を引いた。
元来、私は殆ど風邪を引かない。
頭痛が酷く、アレルギー体質であることを除けば
たぶんとても丈夫なほうではないかと思う。
しかし。
今回の風邪には
ほんとうにやられた。
たぶんこれが中野区を席巻したという噂の
胃腸炎なのではないかと思う。
私の場合はおなかは殆ど壊さなかったのだが
吐き気が酷く、
また吐く前になにも食べられなくなった。
だがむしろ、いま思えば、
なにも食べないでいたために
戻す回数も少なく、
さらには回復も早かったのではないかと思う。
ともあれ渦中にあるときは
寝ていることしかできなかった。
といっても2歳7カ月の動きたいさかりの子どもとふたりきりでは
寝ている=眠っている、というわけにはいかず、
ソファで倒れながら
のしかかる子どもをいなしつつ、
という感じではあった。
仕事に出た夫が
私の具合を心配して
(龍晴の面倒を見るために)
早く帰ってくるように、
もしくは体調どうや?という連絡をくれるように
(その段階で、帰ってきて、と伝えるために)
ものすごく祈っていたのだが
そこまで私が倒れているとは思っていなかったようで
待てど暮らせどまったく連絡がない。
もう無理・・・というところまで待って連絡をすると
慌てて帰ってきてくれた。
文字通り倒れている私を見て
さすがに夫も驚いたらしく
いろいろと手を貸してくれた。
(しかし龍晴は夫がごはんをあげようとすると
母さんがいい!と泣き、
今日は父さんとお風呂に入ろうねというと
母さんじゃなきゃいやだ!!と泣いた。
仕方ないので私と夫が服を着たままでお風呂に入り、
龍晴がひとりで浴槽に入るのでどう?
と提案すると、それでいい!と妥協してくれた)
龍晴の寝かしつけとともに
私も倒れるように眠る。
ようやっと体調が整ってきたのが
今日の今日、
である。
そんなこんなで時間が経ってしまい
年末から年始にかけての日記を
書く気も時間も損じてしまったように思う。
まあこんなときもある。
年末は恒例の京都帰省である。
今年はいちにち、バッファを設け、
ホテルに一泊し、翌日から桂へ。
京都のホテルは日航プリンセスである。
このホテルは年末年始に京都に滞在するときに
主に利用している。
サービスもいいし、設備も悪くないし、
何より立地が優れている。
立地、というのは、夫にとっての立地、という意味。
というのも、年末は京都うまれ京都育ちの夫が
幼馴染と明け方まで飲みに行くので、
繁華街から近いホテルであるほど便利、ということなのである。
その事情がなければ、ブライトンのほうが好きだし、
ウェスティンの和室も良かった。
旅館、ということなら、俵屋にいつかまた泊りたいなあとも思っているが
それはずっと先のことになるだろう。
さて京都である。
14時に着き、まずはレストランで食事。
それから宿へ行き、
荷物をおろすだけおろしてから
急いで知恩院へ行く。
しかし16時の閉門ぎりぎりとなってしまい、
おおきな鐘は見られなかった。
が、金色の仏像を見られて龍晴は大満足。
ぶつぞう!びーっぐ!!!
と大興奮し、
参拝客用にいくつか置いてある木魚を叩いて喜ぶ。
こんなに喜ぶのだもの、連れてきて良かったなあとほんとうに思う。
桂の婚家に泊るだけだと、
さすがになかなかお寺には連れて行ってあげられない。
夫の案内で山を降り、
公園を歩いてから八坂を抜ける。
人力車がいくつかあり、
龍晴はじんりきしゃに乗りたい!というので
みんなで人力車に乗る。
龍晴は以前、家族で行った箱根旅行以来、
人力車が大好きだ。
ホテルに戻り、
龍晴は持ってきたおべんとう。
夫は友だちに会いに行き、
私は龍晴が寝てから
ルームサービスをとってゆっくりと食べる。
これはこれで悪くない。
夫は思っていたよりも早く、
でも深夜よりも遅い時間に戻る。
2日目は眠っている夫を置いて
龍晴とふたりでホテルで朝食を食べてから
もういちど知恩院へ行きたい、という龍晴のリクエストで知恩院へ行き、
(今回は鐘も見られた)
それから清水へ足を伸ばしてから、
ホテルへ戻る。
目覚めた夫は仕事中で、
龍晴はうれしそうに見てきた仏像の報告をしている。
今度京都へ行くときは、
東寺の仏像を見せてあげたい。
夫と龍晴と、気に入りのカフェで軽いランチとお茶。
龍晴はそれから昼寝。
眠った龍晴を抱っこのまま、
夫が河原町をさんぽしたいというので
ずうっと歩いてまわる。
デパートで正月の花などを買物をしてから
タクシーで桂方面へ。
途中「萩」というハンバーガーがおいしいカフェに寄り、
食事。
龍晴は早く桂へ行きたくてやきもきである。
夕方前には桂へ。
龍晴は従兄姉たちとたくさん遊び、
私はチヂミを焼く。
いつもの桂の光景。
今回は先日の法事が近かったため、
やってくる親戚も少ない。
正月料理も、だからさほど多くなく
早めに準備が終わる。
やれやれ。
夜、いつもより1時間半ほど遅くに
龍晴は就寝。
夫は階下で近くに住む夫の兄と話している。
夫が戻ってくるまで起きて待っていようと思ったのだが
どういうわけか強い睡魔に襲われ、
眠る。
目が覚めたらもう12時半を過ぎていて
夫も眠っていた。
除夜の鐘をきかずに
年が明けたのは小学校以来である。
翌日は三々五々、
親族が集まり正月の宴。
龍晴は従兄姉たちとたくさん遊んでもらう。
「ショー」があるから見に来て、とせかされて行ってみると、
としかさの従兄姉たちが倒立や側転をし、
龍晴がでんぐりがえしたくさんをする、という
5分ほどのショーを見せてくれた。
とても楽しく、かわいらしい。
動画で撮影し、何度も見る。
夜には夫の姉夫婦が飼いはじめた犬を連れて来てくれた。
龍晴はごはんをあげてとてもうれしそう。
翌、正月二日は東京へ戻る日。
午前中早めに桂を出て、
新幹線で帰京。
新幹線のなかで夫とたくさん話をする。
とてもたいせつなことを話してくれて
私もいろいろと考えさせられた。
が、それはまた別の機会に
ゆっくりと書こうと思う。
翌三日は夫のたんじょうびである。
午前中は新井薬師へ初詣。
家族の健康と幸いを願い、
おまいりをし、
おみくじをひき、
おまもりを買う。
午後は夫のリクエストで浅草へ。
バスで上野まで行き、
アメ横でアメ横焼きとケバブを食べてから
銀座線に乗る。
龍晴はバスのあいだずうっとお昼寝。
浅草寺はものすごく混んでいて、
参道は入場規制がかかっている。
午前中に参拝を済ませていたこともあり、
お参りはなしにして
あちこちをぶらぶらとさんぽする。
中野に戻り、
これまた夫のリクエストで鍋を食べる。
龍晴が眠ってから
ケーキにキャンドルをたてて
お祝。
夫は37歳になった。
37歳。
夫のはじめてのたんじょうび祝いは
確か27歳のときにした記憶があるから
あれから10年経った、ということだ。
10年。
翌日はスイミングの振替。
夫は仕事。
午後はフットサルへ。
このころから体調を崩し、
いまに至る。
そんなこんなで
今年もお正月、である。
よいいちねんになりますように。
激烈な風邪を引いた。
元来、私は殆ど風邪を引かない。
頭痛が酷く、アレルギー体質であることを除けば
たぶんとても丈夫なほうではないかと思う。
しかし。
今回の風邪には
ほんとうにやられた。
たぶんこれが中野区を席巻したという噂の
胃腸炎なのではないかと思う。
私の場合はおなかは殆ど壊さなかったのだが
吐き気が酷く、
また吐く前になにも食べられなくなった。
だがむしろ、いま思えば、
なにも食べないでいたために
戻す回数も少なく、
さらには回復も早かったのではないかと思う。
ともあれ渦中にあるときは
寝ていることしかできなかった。
といっても2歳7カ月の動きたいさかりの子どもとふたりきりでは
寝ている=眠っている、というわけにはいかず、
ソファで倒れながら
のしかかる子どもをいなしつつ、
という感じではあった。
仕事に出た夫が
私の具合を心配して
(龍晴の面倒を見るために)
早く帰ってくるように、
もしくは体調どうや?という連絡をくれるように
(その段階で、帰ってきて、と伝えるために)
ものすごく祈っていたのだが
そこまで私が倒れているとは思っていなかったようで
待てど暮らせどまったく連絡がない。
もう無理・・・というところまで待って連絡をすると
慌てて帰ってきてくれた。
文字通り倒れている私を見て
さすがに夫も驚いたらしく
いろいろと手を貸してくれた。
(しかし龍晴は夫がごはんをあげようとすると
母さんがいい!と泣き、
今日は父さんとお風呂に入ろうねというと
母さんじゃなきゃいやだ!!と泣いた。
仕方ないので私と夫が服を着たままでお風呂に入り、
龍晴がひとりで浴槽に入るのでどう?
と提案すると、それでいい!と妥協してくれた)
龍晴の寝かしつけとともに
私も倒れるように眠る。
ようやっと体調が整ってきたのが
今日の今日、
である。
そんなこんなで時間が経ってしまい
年末から年始にかけての日記を
書く気も時間も損じてしまったように思う。
まあこんなときもある。
年末は恒例の京都帰省である。
今年はいちにち、バッファを設け、
ホテルに一泊し、翌日から桂へ。
京都のホテルは日航プリンセスである。
このホテルは年末年始に京都に滞在するときに
主に利用している。
サービスもいいし、設備も悪くないし、
何より立地が優れている。
立地、というのは、夫にとっての立地、という意味。
というのも、年末は京都うまれ京都育ちの夫が
幼馴染と明け方まで飲みに行くので、
繁華街から近いホテルであるほど便利、ということなのである。
その事情がなければ、ブライトンのほうが好きだし、
ウェスティンの和室も良かった。
旅館、ということなら、俵屋にいつかまた泊りたいなあとも思っているが
それはずっと先のことになるだろう。
さて京都である。
14時に着き、まずはレストランで食事。
それから宿へ行き、
荷物をおろすだけおろしてから
急いで知恩院へ行く。
しかし16時の閉門ぎりぎりとなってしまい、
おおきな鐘は見られなかった。
が、金色の仏像を見られて龍晴は大満足。
ぶつぞう!びーっぐ!!!
と大興奮し、
参拝客用にいくつか置いてある木魚を叩いて喜ぶ。
こんなに喜ぶのだもの、連れてきて良かったなあとほんとうに思う。
桂の婚家に泊るだけだと、
さすがになかなかお寺には連れて行ってあげられない。
夫の案内で山を降り、
公園を歩いてから八坂を抜ける。
人力車がいくつかあり、
龍晴はじんりきしゃに乗りたい!というので
みんなで人力車に乗る。
龍晴は以前、家族で行った箱根旅行以来、
人力車が大好きだ。
ホテルに戻り、
龍晴は持ってきたおべんとう。
夫は友だちに会いに行き、
私は龍晴が寝てから
ルームサービスをとってゆっくりと食べる。
これはこれで悪くない。
夫は思っていたよりも早く、
でも深夜よりも遅い時間に戻る。
2日目は眠っている夫を置いて
龍晴とふたりでホテルで朝食を食べてから
もういちど知恩院へ行きたい、という龍晴のリクエストで知恩院へ行き、
(今回は鐘も見られた)
それから清水へ足を伸ばしてから、
ホテルへ戻る。
目覚めた夫は仕事中で、
龍晴はうれしそうに見てきた仏像の報告をしている。
今度京都へ行くときは、
東寺の仏像を見せてあげたい。
夫と龍晴と、気に入りのカフェで軽いランチとお茶。
龍晴はそれから昼寝。
眠った龍晴を抱っこのまま、
夫が河原町をさんぽしたいというので
ずうっと歩いてまわる。
デパートで正月の花などを買物をしてから
タクシーで桂方面へ。
途中「萩」というハンバーガーがおいしいカフェに寄り、
食事。
龍晴は早く桂へ行きたくてやきもきである。
夕方前には桂へ。
龍晴は従兄姉たちとたくさん遊び、
私はチヂミを焼く。
いつもの桂の光景。
今回は先日の法事が近かったため、
やってくる親戚も少ない。
正月料理も、だからさほど多くなく
早めに準備が終わる。
やれやれ。
夜、いつもより1時間半ほど遅くに
龍晴は就寝。
夫は階下で近くに住む夫の兄と話している。
夫が戻ってくるまで起きて待っていようと思ったのだが
どういうわけか強い睡魔に襲われ、
眠る。
目が覚めたらもう12時半を過ぎていて
夫も眠っていた。
除夜の鐘をきかずに
年が明けたのは小学校以来である。
翌日は三々五々、
親族が集まり正月の宴。
龍晴は従兄姉たちとたくさん遊んでもらう。
「ショー」があるから見に来て、とせかされて行ってみると、
としかさの従兄姉たちが倒立や側転をし、
龍晴がでんぐりがえしたくさんをする、という
5分ほどのショーを見せてくれた。
とても楽しく、かわいらしい。
動画で撮影し、何度も見る。
夜には夫の姉夫婦が飼いはじめた犬を連れて来てくれた。
龍晴はごはんをあげてとてもうれしそう。
翌、正月二日は東京へ戻る日。
午前中早めに桂を出て、
新幹線で帰京。
新幹線のなかで夫とたくさん話をする。
とてもたいせつなことを話してくれて
私もいろいろと考えさせられた。
が、それはまた別の機会に
ゆっくりと書こうと思う。
翌三日は夫のたんじょうびである。
午前中は新井薬師へ初詣。
家族の健康と幸いを願い、
おまいりをし、
おみくじをひき、
おまもりを買う。
午後は夫のリクエストで浅草へ。
バスで上野まで行き、
アメ横でアメ横焼きとケバブを食べてから
銀座線に乗る。
龍晴はバスのあいだずうっとお昼寝。
浅草寺はものすごく混んでいて、
参道は入場規制がかかっている。
午前中に参拝を済ませていたこともあり、
お参りはなしにして
あちこちをぶらぶらとさんぽする。
中野に戻り、
これまた夫のリクエストで鍋を食べる。
龍晴が眠ってから
ケーキにキャンドルをたてて
お祝。
夫は37歳になった。
37歳。
夫のはじめてのたんじょうび祝いは
確か27歳のときにした記憶があるから
あれから10年経った、ということだ。
10年。
翌日はスイミングの振替。
夫は仕事。
午後はフットサルへ。
このころから体調を崩し、
いまに至る。
そんなこんなで
今年もお正月、である。
よいいちねんになりますように。