12/16(月)
朝5時前に龍晴が目覚めて
あっちのへやいきたい!と泣き、
さすがにうわーと思ってしまった。

だって冬の朝5時前ですよ、5時前。

まだ暗いっつうの。
夜だっつうの。
寒いっつうの。
(以上、こころの声)

毎朝、早く起きての
あっちのへやいきたい!というのは
恒例なのだが、
それでも朝5時前、というのは
夏はともかく冬はしんどい。

しかもここ2ヵ月ほど、
龍晴は眠りが浅くなると私の顔や首筋をさする。
爪を立てた状態だったり、
あるいはすごい力だったりするし、
一方でどんなにやさしくさすられたところで
そんなことをされていては眠れないだろう(私)。
というわけで睡眠不足は相変わらず続いている(私の)。

つまり、そんななかでの朝5時、である。

仙人の気持ちになりきれない私は
寒さにがくがく震えながら
もういい加減にして・・・と思ってしまう。
思ってしまうのだ。あああ。

でもソファでがくがくしながら思うのは
龍晴には「冬の朝5時前」が
多くの人間にとって、
母にって、
どんなに過酷な時間帯なのかわからない、のは当たり前で、
それをつらい、とか
やめてほしい、とか
思うのはやっぱりよくないのかなあということである。
ああ母はつらいよ。

さすがにそんな時間から起きていた龍晴は
ここのところスイムの前には昼寝をしなかったものの
今日は10時半にはあっさりお昼寝。
1時間ほど寝てからスイムへ。

寒いせいもあり
この季節のクラスの参加者は半減する。
つまり月曜日クラスは多くて6組しかいないので
今日は3組である。

龍晴は得意のダンスのキレもよく踊りまくり
水中遊具で体操しまくり
水に顔をつけて泳ぎまくり
楽しそうにしている。

スイム後、観覧席でおべんとう。
担当の先生が大人クラスのレッスンをしており、
それを見つけた龍晴は
せんせーい!とおおきな声でなんども呼ぶ。
先生も気付いてくれて
(決してガラス張りの観覧席からの声が聞こえたわけではなく、
あそこでよくランチしているんですよ、と今日、たまたま話をしたので
気を使って見てくれたのである)
手を振って下さり、
龍晴もにこにこと手を振り返していた。

マルイで時計を見て、
買物をしてから帰宅する。

いえで鋏でいろいろな紙を
いろいろなかたちに切って遊ぶ。


12/17(火)
なんだか自分自身に歯止めが利かなくなっている。
怖い。
泣きながら思う。
これではだめだ。だめになる。

もうほんとうに今日で終わりだ。
終わりにしよう。

午前中は城山公園へ。
ストライダーで出かけると、
ちょうど1歳うえの男の子がやはりストライダーで途中からやってきて、
一緒に乗りまわして遊ぶ。
公園のなかの道なきところを
ふたりで乗りまわし、とても楽しそうだ。

帰宅後、お昼ごはんを食べてすぐに
お昼寝。
2時間ほど。
城山公園へ行った日は
たいていとてもよく、深く、長く、眠る。
今日みたいに。

目覚めるなり、唐突に
きょうどこいっこか~?どうぶつえん!
とにこにことしながら言っていて、
どうぶつえん?(いまから?だってもう14時だよ・・・)と問い返すと、
ひさしぶりに、うえのどうぶつえんいこう~!
とさらに言う。
どうして?とたずねると、
ぞうさんが見たい!と龍晴。

象さんかあ。
見せてあげたいものの、この時間から行っても
すぐに帰宅しないといけないので
気をそらしそらしで違うことをして過ごす。

本屋さんと龍晴の好きな洋服のセレクトショップに寄り、
(龍晴は新幹線の下着を買い、うれしそうに持ち歩いていた。しかも袋から出して)
スーパーマーケットに寄り、
傍の広場で追いかけっこをたくさんしてから帰宅する。

いえで鋏と糊を使い、
工作。

龍晴はいろいろと工夫をしていた。


12/18(水)
私が日記を書くのは
いちにちのいろいろが終わった・・・
龍晴が眠り、
晩ごはんを食べ終わり(私の)、
それの片づけやら
明日の準備やらがほとんど終わった、
あるいは目処がついた、
頃である。

誰に求められるわけでもなく
したがってほんとうなら日記を書く必要はないのだが
(これとは別により育児日記的な日記を・・・そちらは手書きなのだが・・・
毎食の龍晴の献立や昼寝や就寝、起床時間、排泄回数やその時間も含めて書いている)
この日記を書くことで自分自身の気持ちを整理したり
あるいは自分自身への道しるべをつくったりするのに
役立っていると思う。

誰に求められているわけでもないものの
誰か、は、見ているし読んでいるし
ときに感想を送ってくださったりすることを
私は知っていて、
つまり半公共的なメディアであるところのこのブログという形態の効用を
私はそのように利用している、ということである。

さてどうしてそんなことを改めて書いたかというと。

私はここでひとつ、
私自身への道しるべを書いておこうと思ったからだ。また。
そうしてこれから書くことをほんとうに書くかどうかは
ものすごく悩んだし迷った。

それはこのメディアが半公共的なものであり
一方で私のことを名前も顔も知っている、
そういう意味で私的なものでもあるからだ。
自分の非を晒すのは堪える作業だ。
それも私自身をよく知っているひとに対して。

それでも私はしなければならない。
と思った。

それでも私は。
それでも。

私自身への道しるべとしてやはり書いておこうと思う。
そう。思うのだ。

道しるべ。


ここ数日の・・・先週の半ばくらいからの日記を読まれている方のなかには
きっと気付いている方もいると思う。

そのとおり。
私はここのところ、龍晴とうまくいっていなかった。

年端のいかない子どもと
「うまくいかない」という表現はおかしいかも知れない。
もっと直截的に言うと、
私はここのところ、龍晴に苛々とすることが多かった。
龍晴とうまくいかない、というより
龍晴に対しての自分の気持ちや態度に
コントロールが利かなくなってきていた。

それは私の動物的なバイオリズムに依るところもあるし
体調が実際に悪かったうえに
寝不足が続いているせいもあるだろう。
でもそれだけでは(そのせいにしては)
私自身が私を赦せない。

龍晴はいま、子育てでいうところの
「第一次反抗期」「イヤイヤ期」の真っ最中である。
私は「イヤイヤ期」ということばが嫌いなので
「怪獣」ということばを使ってそれを表現している。

でも世の中の多くの話に出てくる
怪獣っぷりに比べると
龍晴の怪獣なんてかわいらしいものではないかと思うし
実際、その通りだと思っている。

それでも私はこころが狭くおとなげなく
自己中心的な性格のまま大人になり
さらには母親になってしまっているので
その怪獣を寛大に受け止めてあげることが難しい。

まったくできない、わけではさすがにないと思う。
こんな私でもなるべく
龍晴のことばに耳を傾けて
龍晴の視線でものを見て
龍晴のこころで考えるようにしている。
少なくとも努力している。

でも、私が理想とするように、は、
できていない。

先日、一緒に旅行に行った友だちに
私は聞いてみたのだ。

龍晴よりも2歳上の女の子の母である友だちは
「いちどもおおきな声で叱ったことがない」といっていた。
それはその娘さんがまったく反抗期がなかったからではない。
むしろ、どうやら世間一般よりも過度の反抗期、ですらあったらしい。
それなのに、いちどもおおきな声で叱ったことがない、というのだ。
いちども。
なぜなら相手は子どもだから、だと。

私は本当に、心底、心底心底、
友だちを尊敬する。

相手が子どもなのは私もわかっている。
でも私は本当に出来の悪い人間で、
だから相手は子どもなのに
同じ土俵にどこか立ってしまうことが
少なからずあるし、
声を荒げることも一度や二度ではなく、ある。
龍晴は飄々と受け止めるタイプではないので
きっと私に声を荒げられたことは
記憶に刻まれていることだろうと思う。

それでもまだよかった。
これまでは。
まだましだった、というべきか。

なぜなら、私が声を荒げる場面は
少なくとも私にとって、
荒げるべきというか、荒げざるを得ないとき、
であったからだ。
それでも声を荒げた日は
ほんとうに嫌な気持ちになる。

砂を噛んでいるような
目の前が暗くなるような気持ち。
あああ、やっちゃった、というような。

声を荒げたあとは
いつも龍晴と話し合いをする。
私がどう考えても言いすぎた(声を大きくしすぎた)ときは
きちんと謝るし、
龍晴がやはりもう少しどうにかすべきだったときは
きちんと説明をする。

でも。
昨日は勝手が違った。

いや、正確に言えば、
違ったわけではない。

どうしてそうなの?
どうしてまたそうなの?
どうしていつだってそうなの?
という場面で、
(どうしてって、子どもだからそうなのだけれども
苛々が溜まっている私にはこうなるともはや
ひたすら苛々が高じてしまうだけである)
私は龍晴に暴力をふるってしまったのだ。

ついに。
ついにやってしまった。

顔を叩いたりしたわけではないし
つねったりとか
強くなにかをしたわけではないから
本人は痛くなかったと思う。
暴力を振るわれたことにも
気付かなかったと思う。
実際どこも傷になるような強さでもなかった。

でも私のこころには
ものすごく大きく深い傷ができた。
いまこれを書いているいままさに
呼吸が苦しくなるくらいの
それは傷だ。

一生消えない傷。
背負っていく傷。

なにがあっても手は出さないと決めていた。
だって相手は子どもなのだ。
わかってる。

わかってる。

わかっているのに
ついに手を出してしまった
私のこの醜い手。

いちど手を出してしまってから
はっとして
私は別の部屋に移動した。
龍晴は泣きながら追いかけてきて
ごめんなさい、と泣いた。

ことの発端は確かに龍晴が悪かった。
だから龍晴がごめんなさい、というのは正しいかも知れない。
でも私がいまこの部屋に移動してきたのは
龍晴のせいではない。

私は龍晴と同じ部屋にいられなかったのだ。

自分が怖かった。
つらかった。

かわいい龍晴。
かわいくてかわいくて
どうしようもなくかわいくてたまらない
ちいさな龍晴。

それなのに私のこの手は。こころは。
どうしてそんなことをしてしまったのだろう。
してしまうのだろう。

涙が止まらなくて
その涙を私は子どもに見せたくなくて
だから違う部屋に行ったのだ。

でも龍晴は追いかけてきて
縋るように私に抱きついて
でも私が泣いているのがわかって
さらに泣いた。

ごめんね、龍晴。
こんな母さんでごめん。
でも母さん、このままだとおかしくなっちゃうんだよ。

そういって龍晴を抱きしめながら
私は暫く泣いた。
龍晴も一緒に泣いた。

子どもの前では泣かない親でいようと決めていた。
マイナスの感情での、子どもが原因の涙は流すまいと。
でもいいやと思った。
いまこのときの
たくさんの汚い涙を流してしまえと思った。

母さんは龍晴と仲良くしたいの。
大好きなの。
でもごめんね、龍晴。
もう二度としない。
ぜったいにしない。

そう何度もいいながら
私はどうしようもなく苦しく
底にいた。

底。
ひかりなんて見えない。

昔は子どもに手をあげるなんて
当たり前だったよと
いうひとはいうだろう。

でも私は。
手をあげる人生を送りたくないのだ。
送りたくなかったのだ。

でも一度でも手をあげてしまった事実は消えない。

私の人生は
年端のいかない子どもに手をあげた人生
になってしまったのだ。

龍晴。

私のこころは
今日もまだ底にいる。
これから暫く底のままだろう。

でもこれが私の背負ったものだ。
自分自身で。

龍晴。
ごめんね。
こんな母さんでほんとうにごめんなさい。

でも本当に。
もう二度としない。
そう決めたし
決めたことを守るのは
これからの私の仕事だ。

もう二度と負けない。
私の醜いこころ。
私のこころのなかの鬼。


寒い朝。
今日どこ行こうか~と龍晴は
いつものようにうたうようにいう。

今日は新井薬師のお寺のなかに入れる日だよ?
とカレンダーを見ながらいうと
(「8」がつく日は縁日で、本堂のなかに入れるのだ)
いく!と龍晴は俄然張り切る。

先日買った虫取りあみを持っていきたい、というので
季節はずれではあるが虫取りあみを抱えながら出かける。

途中のポストで年賀状を投函。
今年のしごとがまたひとつ終了。

新井薬師の境内にはお堂が3つあるのだが
縁日の日はすべてが見られるようになっている。
山門のそばにあるふたつのお堂から順に眺め
(仏像が好きな龍晴は、あれはなに?に余念がない。
あれは阿弥陀如来、あれは閻魔大王、などと説明をする)
本堂へ。

本堂には薬師如来を中心に、
弘法大師となんとか大師が左右にいる。
左側のなんとか大師の名前をどうしても思い出せずに、
お寺のひとにきいてみようか?と龍晴にいうと
あれはなんてなまえ?と
お寺のひとに龍晴が質問していた。
(興教大師、というそうだ。中興の祖、なんだそうです)
しげしげと仏像を眺め、
仏像の名前をうれしそうに確認し、
1時間弱も、本堂を探検している龍晴に、
お寺の方々はみなさん口々に
あの子、まだ2歳なんだって!とか、
将来有望だねえ、ぜひここの就職してね、
なんていって笑っていた。

お寺を見たあとは
公園へ。
今日はパワーショベルのかたちのくるまに乗って
ものすごい勢いで走りまわっていた。

ランチはポーコアポーコさんへ。
暫く遊び、
帰宅。
龍晴は抱っこひものなかで眠る。

40分ほどで目覚めたが、
天気も悪くなってきたので
いえで過ごす。

昨日に続き、
糊やはさみでいろいろなものを切ったり貼ったり。
龍晴はお医者さまごっこ、を突然はじめ、
夫の仕事部屋の椅子に私を座らせ
(たしかに夫の椅子はお医者さまがよく使うような椅子に似ている)
ここをけがしてしまったのでおくすりください!
そうなんですか、はいどうぞ、
などとやりあって遊ぶ。

今日はいちにち、
落ち着いて過ごせた。
ほうっとする。

母さん、がんばるよ。
龍晴。
ぜったいに負けない。


12/19(木)
寒い。
雪が降ってもおかしくないが
それでもまだ霙もまじらずに雨が降る。

今日はいちにち、雨が降りつづけた。
真冬のつめたい雨。

よくしてくれる宅配便の方が
今日も配達にいらしたので
(龍晴は配達の方がくるといつも嬉々として出ていく。
はーい、こんにちは~といって玄関を開け、
ありがとうございました~といって閉める)
こんな天気ではたいへんですね、と話をすると
それでもまだ雪よりはましです、と笑っていた。

数年前にこの地域の担当になったころは
まだ仕事をはじめたばかりのオニイチャン、という感じのひとだったのだが
いまではすっかりと板についている。

どこかへ出かけようかとも思ったのだが
私の体調が優れないこともあり
いえ近辺で過ごすことにする。

午前中はいえでたくさん遊ぶ。
紙の切り張りや
病院ごっこ。

そとに出たがったので
レインコートと長靴で
近くのスーパーマーケットまで買物に行く。

お昼ごはんのあと、お昼寝。
今日は1時間。

目覚めてからマルイへ龍晴のブーツを買いに行く。
雪が降ったらそり遊びなどをしたいし、
来月あたり長野に帰省しようと思っている。
そうなると雪のなかでもはけるブーツは必須だ。

クロックスでかわいらしく比較的性能の高そうな黄色のブーツを見つけたので
龍晴と相談してそれを買う。

服や靴にものすごく強いこだわりのある龍晴は
これがいい!といって買ったものの
履いてマルイのなかを歩いているうちに
ここやらあそこやらが変!だの文句を言っていたが
いろいろと説明をし、
なんとか納得した様子。よかった。

スーパーマーケットなどに寄ってから
帰宅する。

いえでまた暫く病院ごっこなど。

今日もいちにち、
楽しく過ごす。

そとでたくさん遊ぶだけでなく
龍晴といえできちんと向かい合う時間を長くもつことが
いまの時期にはたいせつなのだろう。


12/20(金)
今日も寒いいちにち。

長野の母から、結婚4周年おめでとう、という内容の
メールが届いた。

そうか、そういえば。
今日が結婚した日、だった。

夫と私は確かに今日、
結婚式を挙げたのだが
入籍が12月25日で、
それならクリスマスと一緒にお祝いをすればええやん、と
(もちろん)夫が提案し、
それ以来、なんだかあやふやなものとなってしまっている。

しかしときどき誰かに
結婚して何年ですか?などと聞かれたときに
えーっと、3年?くらい?と私がこたえると
(私はこういうことを憶えるのがとても苦手だ)
○年、と夫はすぱっと正確な年数をこたえたりしているので
(そのたびに曖昧にしかこたえられなくて悪いことをしたような気持ちになる)
夫は忘れているわけではない、のではないかと思う。
忘れているわけではないが、どうでもいいこと、と
思っているだろうことは想像に難くないのだけれども。

どうぶつえんにいきたい!と龍晴は朝から主張したのだが
晴れのはずの予報がどう見てもそとは雨。
これでは連れて行ってあげたくても難しい。
半泣きの龍晴に、
それなら四谷の消防博物館へ行こうか?というと
いく!とやっと笑顔になった。

というわけで、
午前中は消防博物館へ。
しかし荒天のため外に展示してあるヘリコプター(操縦できる)は
入ることができなくて、
屋内展示のみ。
それでもヘリコプターや消防車を運転し、
消防士のコスプレを楽しみ、
満足した様子である。

お昼ごはんを休憩室で食べてから
中野に戻り、
(龍晴は途中で眠る)
カフェで抱っこしたまま本を読む。
1時間ほどで目覚めると、
今日もまたマルイへ行きたい!というので
マルイへ行き、時計を見てからカフェでお茶。

外はまた強い雨だ。
どうしようか迷ったものの
龍晴はそとへ行きたいというので
レインコートを着せてそとへ。
結局、ずうっと歩いていえまでたどり着けた。
よかった。

いえに着いてからたくさん遊ぶ。

今日もよいいちにち。
龍晴、ありがとう。
私も、ありがとう。

夜、うえの弟と電話。
7月に女の子が産まれたのだが
とてもよいお父さんっぷりに驚く。

曰く、
娘がかわいくて仕方がないので、
仕事はぜったいにしなくてはいけないことだけをして
あとはさっさといえに帰っている、
毎日、早く顔が見たくてたまらない、
とのこと。

・・・世の中のお父さんって、
みんなこんな感じなんですか!?
びっくり!
(というか、羨ましい・・・)


12/21(土)
今日も寒い。
冬なのだから当たり前なのだが
近年、いつまでもだらだらと暑く
蚊なんて11月初旬までいたりもするから
急に寒くなるとなんだか気持ちが追いつけない。
たぶんからだも。

だから寒いとびっくりとしてしまう。
最高気温も最低気温もヒトケタなだけで
ええっ!?なんて思ってしまう。

昔は・・・長野に住んでいたころは
いちにち中、氷点下なんてことも当たり前だったのに。
でも私が長野を出てから
もう20年以上経つのだ。
八方ぐるりを峻嶮な山に囲まれ
冬はずうっと晴れずに雪が舞うか曇っている長野。
私は長野を出たくて出たくてたまらなかった。
そんなことをからりと晴れた東京の空に思い出す。

私の叔母は川崎に住んでいるのだが
ずうっと以前、確か私が大学生のころ、
長野よりも東京が好きだ、
それは冬に晴れているから、というようなことをいったところ
ここだけの話だけどね、おばさんも長野にはもう帰りたくないんだよ、
だってこっちは冬なのに晴れているものね、といっていて
わかるわかる!といいあったことを憶えている。

そんな季節。

珍しく雨が続いたが
今日は東京の冬らしくすっかりと晴れた。
うれしい。

夫を見送りがてら
龍晴と新井薬師へ行く。
お寺を参拝してから公園へ。
今日は児童館で黄色いバイクを借り、
石の築山や木立のあいだを走りまわる。
1時間半ほど遊んでから
ポーコアポーコさんでランチ。
食べ終わったころに、新たにお客さまがやってきて
(若いご夫婦と子ども2人)
どこかで見た女の子だなあ、絶対この女の子知ってるよ、公園で会ったのかなあ?と顔を見ていたら
ナオさん!と奥さんのほうから声をかけられて
よく見たら中野仲間であった。
いつも眼鏡をかけているひとなので
今日はコンタクトレンズだったためまったくわからなかった。
ああびっくりした。

それにしても優しそうな、子煩悩そうなだんなさまだった。
9ヵ月になる弟さんを抱っこひもで連れていたのはだんなさまだったし、
お子さんをおおきなカメラに何枚もおさめたりしていた。

・・・世の中のお父さんって、
みんなこんな感じなんですか!?
びっくり!!
(というか、羨ましい・・・)
(昨日に引き続き)

中野仲間のYちゃんといろいろと話したり、
暫く子どもと遊んだりしてから
帰宅。

いくつか買物をしてから
いえに着くと、龍晴はすぐに目覚めて
にこにこしながら、
どこいこうか~?などと言っている。

どようびなので夫の事務所へ行くことにし、
バスで新井薬師前駅まで行き、西武線で高田馬場へ。
夫の事務所で1時間ほど滞在。
龍晴はそうじや植物の水やりや
ソファのうえで飛び跳ねて遊ぶなどする。

みんなで東西線で帰宅する。

今日もたのしいいちにち。


12/22(日)
今日は夫もいちにち休み。
24日と25日は平日なので
今日がわが家のクリスマス・イブ的な日、である。

午前中は代々木へ。
年明け早々が夫のたんじょうびのため
プレゼントを買いに行く。
フットサルのときに使う、厚手のウイドブレーカー、がリクエスト。
代々木のお店で探し、
良いものがあったと夫は喜ぶ。
よかった。

それから代々木でごはんを食べようと
目的のお店までさんぽ。
龍晴はたまたま通りかかったお店で
船のかたちのシーソーを見つけ
とてもうれしそうに乗ろう!と走り寄る。

りゅうがせんちょうさん、といいながら
いっとう前の席に座り、
夫と私が交代で指名され、
龍晴の船に乗る。

暫く海のなかを船はすすむ。
ちいさな船長さん。

目的のお店はお休みだったので、
たまたま近くのイタリアンに入る。
おおきな窓から明るいひかりが入る
とても感じのよいお店。
のんびりとランチを楽しむ。
さいごにカプチーノまでいただくほど
のんびりとランチをしたなんて
いったいいつぶりだろう?
クリスマスっぽくて良い感じだ。

龍晴を抱っこしてから、
新宿のデパートですこし買物をしてから帰宅。

中野に着くくらいに龍晴は目覚める。

午後はクリスマスパーティ。
ポーコアポーコさんで作っていただいた
ホールのシフォンケーキ(龍晴にあわせた特製)に、
フルーツを飾り、
キャンドルをたてる。

まだ明るいのだけれども、
ジングルベルをうたってから
龍晴がキャンドルを吹き消す。
なんども練習していただけあって
龍晴はじょうずに、楽しそうに
吹き消している。
じょうずに、うれしそうに。

みんなでおいしいシフォンケーキをいただき、
(龍晴はなんどもおかわりをしていた)
夜はクリスマスディナーを食べる。
龍晴もメインディッシュはクリスマス仕様だ。

龍晴は今日の公園がとても楽しかったらしく
寝るときにまでなんどか、
今日乗った船や船長さんの話をしていた。

12/23(月)
よもやの体調不良。
(龍晴が)

午前中までは元気だったが
どうも食欲がないなあと思っていたところ、
11時前から熱がではじめる。

からだが熱い。
計ってみると38度。
これからさらに上がりそうな予感がする。

抱っこ抱っこと龍晴は朝から言っていたのは
このせいだろう。

11時過ぎには眠る。
ますます怪しい。

お昼寝中、どんどん熱が上がっているのがわかる。

ふだんならこれくらいでは病院へ行かないのだが、
昨晩から何度か気になることを言っていたので
膀胱炎や腎盂腎炎などを併発していると怖いため、
お昼寝から目覚めてから
休日診療の小児科へ。

しかし行きのタクシーで嘔吐したため、
いえまで戻ってもらい、
着替えてからまた向かう。

連絡しておいた夫が
帰ってきてくれたのと
龍晴がとうさんも一緒にと泣きながらいったため
一緒に病院へ。

とても混んでいるだろうと思ったのだが
さほどでもなく
比較的すんなりと通してもらったのだが
龍晴は具合が悪いのと眠いのとが手伝い
号泣である。
病院好きなのに、以前、嫌な思いがしたことがある病院と
すこし雰囲気が似ていたのもまずかったようだ。
帰りたい帰りたいと泣くのを
こころを鬼にして無理やり押さえつけ
診察室へ。
途中でやっと泣きやみ、
診察はふつうにしていただけた。

結果、心配していたことはなく
いまちょうど流行っている胃腸炎だろうとのこと。
薬を処方してもらう。
薬局に寄ってから
歩いて帰宅。
龍晴は抱っこのまま眠る。

帰宅後、数回嘔吐。
龍晴は私から片時も離れないので
洗濯は夫がしてくれた。

夜には熱も下がる。
どうか早く良くなりますように。
どうか。