*こんな人が書いています*
マンガを軸に長年活動しています。このブログは離婚、その後のモラハラ元彼氏から毒親育ちと気づいた私が人生を取り戻した実体験を、似たような経験の方々へ届けたいと思い始めました。マンガではつらすぎて描けないのですが、文章とほんわかイラストでお届けします。
人生全体はこちらもどうぞ。
私は、モラハラ男性に疲れつつ、別れられないひとのこと、
その気持ちすごくわかる!!!!
と、思います。
もし、周りにわかってもらえなくてつらい方がいましたら、
ここに居ます!!!!
お見知りおき下さい…!!!! 笑
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過去に行った、自分を主人公にしたマンガワークショップを改良してセラピー度高めたものを計画中です。
どうぞお楽しみに!
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こちらの記事
でも少し書いたのですが、
まず本に載っていたページの順序通りに「それは真実(事実だったかも)ではない」と、母親が言っていたことを自分の中で整理することから始めました。
(母)「あなたは気が利かない」
↓
(私)「それは真実ではないなぁ」
(母)「 あなたは不完全だ。だからいじめららるし、嫌われる 」
↓
(私)「それも真実ではない。私には友人がたくさんいるし、その中にとても愛してくれているひともいる」
思い出しては、頭で考えたり、ノートに書いていきました。
そして自分と母親(他人)との境界線を引くように考える「くせ」をつけるように頑張りました。
「境界性パーソナリティ障害=BPD」を読んで、自分が境界性パーソナリティ障害ではないかと思った背景に、私は他人との境界をなかなか引けなかったというのがあると思いました。
(過去記事「境界性パーソナリティ障害の疑いは、誰に…?」)
例えば、誰か仲の良い人が「これが好き」と言っていると、自分も合わせなければいけない気がしてしまうのです。
また、私は、ちょっと精神的にビョーキっぽいひとに好かれたり、そういうひとを放っておけないところがありました。
何故なら、その人たちは、私かもしれないと思ったからです。
私だったら、他人に嫌われたくないから、私も嫌わないぞ!と頑張ったりしていました。
この
「自分がされて嫌なことは他人にもしない」
って、他人を思いやる行動と思っていたのですが、実は落とし穴があったのです。
今にして思うと。
モラハラ元彼の話に例えます。
私がひとりで旅行した時のことです。
私の友人を訪ねるので、彼は誘いませんでした。
旅行後、私の楽しかった様子を伝えようと、旅行中の写真を何枚か送りました。
すると、キレられたのです。
「たくさんの写真を一気に送って来るな。迷惑だ」
と言うのが理由でした。
「私にとって」良いこと、楽しいことは、好きなひとの楽しい様子を知ることです。
知らせてくれたらなおさらうれしいです。
私のことを考えていてくれたんだなあ…と思います。
ところが、彼は違ったんですね。
モラハラだからではないです。(だからかもしれませんが…)
「彼にとって」良いこと、楽しいことではなかったのです。
これは、母にも言えることかな、と思いました。
「私にとって」良いこと、楽しいことは、「母にとって」良いこと、楽しいことではないこともあるんですよね。
それが
「気が利かない」
という言葉になっていたのではないかと思います。
なので、
「私はこう思うけど、相手はそうは思わないかもしれない」
と思うのと同時に、それが悪いこと、嫌われてしまう怖いではなく、
「境界線を引こう。このひとは、私ではない。」
ということを意識しました。
また、大好きな友人が自分と違う意見を言った時にも、
「このひとは私と違う意見なんだな。
それだけ。
嫌われることもない。」
と思うようにしました。
意見が違っても仲良くすることは出来ます。
(「意見が違って、淋しいなあ」と言われたこともありますが、その時は実験中だし、と思って、「淋しいんだな」と思うにとどめました。)
境界線を引こうと意識する時、私は想像で、空中にすっと一本線を引きました。
まさに他人との境界線を想像したのです。
膜みたいなのを想像しても良いと思います。
私がこの境界線を引くということですっきりしたのが、「この、かわいそうな人は私なんじゃないだろうか?」とか「この、私から見たらいかにも”かまって病”のひとは私なんじゃないだろうか?」と、そういうひとにみずから巻き込まれていくことがなくなったことです。
それまでと、その頃悩まされていたことは、だいたいこの
「境界線が引けなかった」
ということに起因していたことを、強く強く強く!!!感じました。
モラハラ元彼と、別れたいなあ…どうすっかなあ~と、すっかり分かれる気満々だった頃の私は、アーユルヴェーダや冷えとり健康法でやせた私に「もっと食べて体重を戻してほしい」と言ってきた彼に、
「じゃあアーユルヴェーダとかやってないひとと付き合えば~??」
と言えるようになっていました。
これなんだな!
と思いました。
私は、私。
しかも、私で良い。
そして他のひとは、他のひと。
そして、それも良い。
私から見たら、かわいそうだったり、”かまって病”のひとも、他のひとから見たらそうじゃないかもしれないのです。
(実際それで悩んでいた!)
ああ…
これが小さな頃から出来ていたいたひとは、
落ち着いて生きて来れたはずだわ…
いいなあ~!!!!
この「境界線」があれば、少しはモラハラのひとを気にする率も減るなあ、とも思いました。
もし、相手が境界性パーソナリティ障害の疑いのあるひとだったら、
「じゃあアーユルヴェーダとかやってないひとと付き合えば~??」
と言われても、全然別れる気はないと思います。
(実際そうでした)
あなたはあなたで良くて、彼は彼で良いのです。
注げない愛を、境界線を越えて注がなくて良いのです。
愛を注ぐべきは、自分に、なのです。
今は、そう思います。
さあ、ついに!私が大きくて重い扉を開けますよ~!!!