なんでもいいや -42ページ目

ゴメスからレジェンドなサンチェスまでのアレ

                       サンチェス

 

夜中ふと空を見ると東京でもわずかに星が見える時がある。昔、星座は航海士達が広大な海上での道標として利用した訳ですが、現在では然程重要視されておらず、せいぜい星占い業界で重宝される程度である。小生は年に2、3回程、お付き合いで池袋にあるプラネタリウムに行き人工的に造られた星を見あげる。

数年前まで番組の開始直後に季節の星座なる物がギリシャ神話を交えて紹介されていた(今はもうやってない)。その星の解説を聞いて初めて、夜中にふと小生の目に現れた星にもいろいろ由来があったのだと初めて知る訳である。長々と書いてしまったアレがあるけども要するに知っている人と知らない人では見え方が違うとゆうそれだけの事ス。

 

 小生の学生時代、70年代、80年代初期のボクシングはもちろんリアルタイムで見た事もないし、現在のようにネットが利用できる環境でもなく、且つ衛星放送などなかった為に過去の選手に興味を感じても情報を手に入れる事ができなかった。ボクシングマガジン、ワールドボクシングなどの紙媒体が唯一の情報源でそれに飽き足らず、最初にビデオを買ったのがサルバトール・サンチェスハイライト。綺麗にダッキングしてからのワンツーでコロッと相手を倒すのに魅せられた。当時マイク・タイソンという求心力にころっと転んでしまった小生に過去のボクシング界に対する興味を抱かせてくれたのがサルバトール・サンチェスという事もあり、それはそれで大変、感謝しているアレがある。たぶん彼が若かりし頃の小生の琴線に触れさせたカギはカウンターパンチャーと交通事故による早世。  

 

Wilfredo Gomez

1974年にプロデビュー。デビュー戦こそ引き分けに終わったが、その後19連勝(もちろん全てKO勝利)し、韓国の廉を1Rのダウンを挽回して12RKOに降しWBC世界S・バンタム級王座を獲得、以後世界S・バンタム級王座を17連続KO防衛という難攻不落の記録を打ち立て、KOキングの名を欲しいままにした。日本にも来日し、R・小林戦での水すましを思わせるようなフットワークから芸術的な左フックのカウンターは印象深い。抜群のタイミングで放たれる左フックのカウンターは恐ろしいまでの切れ味を秘めていた。

  

〇Wilfredo Gomez vs Royal Kobayashi
WBC Super Bantamweight Title
1978/01/19

 

〇Wilfredo Gomez vs Carlos Zarate
WBC Super Bantamweight Title
1978/10/28


Salvador Sanchez

 

優れたカウンターパンチャー。見た目にはさほど強さを感じさせないが、脅威的なタフネスで、いつの間にか対戦者をねじ伏せてしまう実戦派のボクサーだった。1981年8月に行なわれた、35連続KO中のJフェザー級王者ウィルフレッド・ゴメスとの6度目の防衛戦。サンチェスはこの1階級下のKOアーチストを全く寄せ付けず、1Rからダウンを奪い、8Rに右ストレートでトドメを刺した。1982年8月12日、ファン・ラポルテとの再戦のためのトレーニングに向かう途中、自動車事故に遭い23才の若さでこの世を去る。この事故より、他の夭折した天才同様、サンチェスはメキシコで伝説的な英雄となった。
 
〇Salvador Sanchez vs Danny Lopez
WBC Featherweight Title
1980/02/02

 

〇Salvador Sanchez vs Wilfredo Gomez
WBC Featherweight Title
1981/08/21

 

〇Salvador Sanchez highlights
 

おまけ

マンマガジンがアレしてるのでアレ

 

〇Highlight THE JET

Highlight Jerome LeBanner

  

〇Highlight Peter Aerts II

 

最新情報は丸投げ




kidといえばダイナマイトなアレ

                        ダイナマイトキッド

  

 「年を重ねると、ヒーローを見つけるのがより難しくなる。しかし、本当は、年を重ねた時こそ、必要です。」 

                                                   byヘミングウェイ

 
 甥っ子はマジレンジャ-とか好きな訳です。たまに、バトルフィーバーJの方が強かったとどうでもよいような事を言うと、んな事はないと必死になって否定する訳ですね。そういう光景を見ると羨ましいなと思う自分を否定できないアレがある。自分の好きな物を相手に伝えようとする努力をいつのまにかしないようになり、自分自身が満足していればそれでいいやん。という感じでまとまってきている。現在進行形の好きな選手達は存在するが、その選手が試合で負けたり、トラブルに見舞われても、身につまされて心の痛みを感じさせる選手はいないのが現状です。想いを相手に伝える事はパワーのいる事だし、むかし、個人的な嗜好に使っていたパワーの割合もかなり減少しているはずで、大人になるという事はある意味そういう事なのかなぁと思う。そういう前置きはさておき

 ダイナマイト・キッドと初代タイガーマスクとの絡みも好きだったけど、個人的には第二次ブリティッスブルドックスでジョニ-スミスと組んでいる時が一番良かった。額に刻まれた年輪と哀愁を背負った後姿、俳優になっても成功しそうな雰囲気があってかっこよかった。

1975年17歳でデビュー。78年カナダのカルガリーへ渡る。

 

〇Bret Hart vs. the Dynamite Kid (12/78)
 

1980年新日本プロレスに登場。WWFジュニア王座を巡り、タイガーマスクと好勝負を繰り広げる。

 
〇Dynamite Kid vs Tiger Mask (8-5-82)
 

1984年全日本プロレスに移籍その後WWF(現WWE)のマットにあがる。

 

〇Dynamite Kid vs Nikolai Volkoff(WWF Wrestling Classic 1985)

  
〇Demolition Vs British Bulldogs (Wrestlefest 1988)
  

1989年に全日本に復帰彼氏は現在車椅子生活を送っており。肉体的障害の原因はWWF在籍時、見栄えの良い肉体を造る事を目的として使用したステロイドであると自伝で告白している。自己責任で薬物を使用し、無論副作用に関しても承知していたであろうから他人の自分がああだこうだいう権利はないけど、使わなくても大丈夫だったんじゃないかと思うアレもある。

 

おまけ

 
k-1ファイターアレクセイ・イグナショフが所属するベラルーシ、チヌックジムの公式ホームページが出来たらしい。文字の読める人は十分楽しめるでしょうね。

 

Chinuk Gym Website


〇Jeff Hardy vs Petey Williams(NWA TNA)
 

最新情報は丸投げ




注射器と鎮痛剤とマーク・ケァーのアレ

                    マークケァーと注射器

 

〇Mark Kerr: The Smashing Machine Part 1
 

〇Mark Kerr: The Smashing Machine Part 2
 

◆「殺られる前に殺った方がいい」
 考えれば考える程、なぜこの世界に身を置いているのか、自分でもよく判らない…

 物静かな口調のマーク・ケァーの独白で、この映画は始まる。「初めは本当に恐かったよ。だってぼくはストリート・ファイターじゃないんだから」

(中略)
PRIDEでも勝ち続けたケァーは、あっという間に世界レベルの大スターになった。が、その頃からすでに彼は大きな問題を抱えていたのだ。 「恐怖と不安を取り除くために」常用している強度の鎮痛剤により、ケァーの肉体、そして精神はすでにボロボロになっていたのだ。強度の鎮痛剤といえば聞こえがいいが、彼が毎日数回も体内に注入していたのは、モルヒネやアヘンなどを主成分とした麻薬だったのだ。
マーク・ケァー・ドキュメンタリー映画「THE SMASHING MACHINE」Text by:シュウ・ヒラタ(ニューヨーク在住)
粗筋画像付

 
字幕なし上下合わせて1時間半ぐらいの映像。アレがアレな人は上のリンクで粗筋アレしてください。

 

 プロスポーツ及びお金の絡むオリンピックにおいてドーピング問題は避けては通れないもんだけども、日本の総合格闘技という競技において薬物使用は然程重要な問題ではない。日本のリングで規制されていない以上、脱力系の強度な薬物を使用し痛みを和らげたり、短期間で身体能力を上げれるなら薬物を使用してもなんの問題もない訳で、その後に起こる副作用、及び障害は全て選手の責任である。彼らはそれで金銭を手に入れ、お金を支払う我々はそれを見世物として楽しむ。それ以上この問題について言及する必要はなにもない。

 

 と書きつつもそれを見ている自分にも責任があるのではないかと考えているアレがある。長年見ていると薬物を使用していたと告白あるいは疑惑を持たれていたshowsportsの選手達が後遺症で苦しんだり、早世してしまうのを目の当たりにしその場では心が痛くなるが、んな事はスグに忘れてしまい痛みを隠したままリングにあがる選手を尊敬したりもしている自分もいる。自分はその場に踏み止まろうとしたり足掻いている選手、ボロボロになってリングを去る、そういう選手の一瞬を見るのが好きでそういうアレもあるかもしれないけどこんな自分に誰か歯止めをかけて欲しいと思う、他力本願的な都合の良い想いもある訳です。

自分の中でも消化しきれない問題をああだこうだ書くのもアレがけど、ドーピング検査は選手間の公平さをきす為に行われる物ではなく選手を守る為に行われる物だと思う。日本のイベント会社は現在でも厳密な意味でのドーピング検査を行う必要を認めていない。小職の持つ良心の片隅には各イベント会社に再考願いたいなと願うアレがある。
 

  
昨日のアレので続き70年代ボグシング、バンタム級のアレ

 

アルフォンソ・サモラ

小柄な体ながらパワフルな左右フックを武器に全試合KO勝ちの快進撃を続け、 75年3月洪秀煥に4回KO勝ちで王座を手にした。3度目の防衛戦では後のフェザー級名王者エウセビオ・ペドロサを左フック一発で眠らせている。

 
〇Alfonso Zamora vs Soo Hwan Hong
WBA Bantamweight Title
1975/3/14
  
〇Alfonso Zamora vs Eusebio Pedroza
WBA Bantamweight Title
1976/4/3
 
カルロス・サラテ
 

デビュー以来44連勝(43KO)の快進撃でタイトルを手にした。スマートなカウンター・パンチャーで“パーフェクト”と謳われた。77年4月にはWBA王者サモラとのライバル対決(ノンタイトル)に4回KO勝ちを収めている。

 
〇Carlos Zarate vs Rodolfo Martinez
WBC Bantamweight Title
1976/5/8
 
〇Carlos Zarate vs Alfonso Zamora
1977/4/23
 

おまけ

 

〇Highlight SAMKOR  

 

最新情報は丸投げ

シュルト vs ホースト だいなまいとなアレ

                      ホーストvsシュルト


〇Hoost.vs.Schilt.Dynamite.2005
 
落とし方は昨日のアレを見て。一番最後の画面でclick this linkを押せばアレする。これを落とすのには長時間かかる。ブラウザを落とすとDLも落ちるので落とす人は注意しましょう。

  
 むかし、サルバドール・サンチェスが好きだった。自分が物心ついたときには既に彼は亡くなっており、伝説のカウンターパンチャーというアレがアレしたのかも。小遣いを6ヶ月程貯めボクシングマガジンに載ってるビデオ通販で映像を手に入れた。飽きもせず幾度も幾度も繰り返し見ていた。とりあえず70年代から80年代初期までのバンタム、フェザーの流れを2,3回アレ。

 

ミスター・ノックアウト ルーベン・オリバレス
バンタム・フェザーの2階級を制覇した怪物的なメキシカンパンチャー王座に就いた時のレコードが51勝50KO1分、練習嫌いと放蕩癖が災いしてピークは短かったが、そのパンチの威力は、ウェルター級の選手でさえ、1発のパンチでノシタという。3試合ともダイジェスト

 

〇Ruben Olivares vs Lionel Rose
WBC Bantamweight Title
WBA Bantamweight Title
1969/08/22
 
〇Ruben Olivares vs Alexis Arguello
WBA Featherweight Title~
1974/11/23
 
〇Ruben Olivares vs Bobby Chacon

WBC Featherweight Title
1975/06/20

  

最新情報は人任せな感じで



ボンヤスキ-vsプレデターなアレ

                       ブルーザーブロディ

 

昨年の大晦日、大阪ドームのK-1ダイナマイトで放送されなかった試合がある。レミーボンヤンスキ-vsプレデターの試合。この試合は何度見てもアレだがボンヤスキ-が勝ったとは思えない、もちろんボンヤスキ-になんの責任もない訳でかつ彼もある意味被害者でいったいジャッジ陣は何を考えていたのか興味深いところである。中尾vsヒーリングを無効試合に変更できるなら、この判定も覆ってしかるべきだ。と思う訳ですが、んな事をちまちま書いてもしかたないので百文は一見に如かずアレします。

あしたはホーストvsシュルト。

 

〇Bonjansky_vs._Predator.avi

2005/12/31

*落とす方法。download nowクリック展開した画面の上記に表示されたdownloadを任意でミラー選択。落とすのに1時間くらいかかるょ。


 「人生が本だとすれば、その答えは、後ろの方にあるわけではない。」チャールズ・M・シュルツ
 
 プレデターのギミック元になってるブルーザー・ブロディが若かりし頃アレだったので。
 ブロディは2メ-トル近い長身にカ-ルの掛かった長髪(黒)にヒゲ。ダイナミックなレスリングを得意としていて「大学時代には友人スタン・ハンセンと共にアメフト選手として活躍-新聞記者- フリッツ・フォン・エリックスカウトでレスラ-」という変わった経歴から「インテリジェント・モンスター」というニックネームがついていた。初来日は81年全日本プロレスそして85年3月に新日本プロレスに移籍そして再び全日本プロレスに戻っていった。新日本離脱の原因となった85年IWGPタッグ決勝戦ボイコット事件に関してブロディは後にこう述べている。


「人生でも最も大切なものはマネーなんかじゃない。(~中略~)俺はブルーザー・ブロディとしてレスリングをすることに対してマネーは貰っていたが、マネーを貰うことによって、魂まで売るつもりは全くなかった。"チェーンを使うな”“流血ファイトはやめろ”とか、俺のファイティング・スタイル…つまり魂に関わることをニュージャパンは要求してきた。プロステテュート(売春婦)はマネーさえ貰えばなんでもするが…彼らがプロステテュートのように俺を扱おうとしたことが怒らせた最大の理由だ。(~中略~)自分が正しいと思ったら最後まで、それを貫き通す人間になって欲しいとブロディが言っていたと伝えてくれ。」
 
 ブロディは人が仕事を選ぶのではなく、仕事が人を選ぶという見本のような人。感受性が豊かで繊細、大胆さを持ち合わせ、人を引き付ける魅力は一級品でアクターとしての才能、アスリートとしての資質全てを兼ね備えたレスラーだった。彼は仕事という物に対して次のように発言している。


「プロになって金を取ったら楽しいという感覚は消える。あるのはストレスだけだ。そして、そのプレッシャーに打ち勝った者だけが真の成功者となる。」


彼はそのプライドの高さゆえに雇い主であるプロモーターや他のプロレスラーとの間で様々なトラブルを起こしている。ファイト・マネーの割に客を呼べないと敬遠されたりもした。そして1988年7月17日プエルトルコサーキット中、地元プロモーターとの争いが原因で控え室にあるシャワールームにおいてレスラー仲間に刺殺されこの世を去る。
 
〇Freebirds vs Kerry Von Erich & Bruiser Brody
  

おまけ

  

〇Alexis Arguello vs  Aaron Pryor  (ダイジェスト)
WBA Light Welterweight Title
1982/11/12

  

うわさ

  

アレッシャンドリ・フランカ・ノゲイラが3月のHEROSに参戦し宇野薫もしくはエルメス・フランカと戦うとか

 

メルビン・マンフーフが3月15日HEROSで試合をするかもとか
 
メルビン・マンフーフを見たことない人は ここ  へ

 

最新情報は丸投げな感じで


大きなヴォルク・ハンのアレ

                   ヴォルク・ハン師匠v  


 来週末ZSTで試合を行う所英男 選手のニックネームはTV上では「リングの魔術師」となっているが、ZST 及び彼のHP を覗かれる方はご存知のように「小さなヴォルク・ハン」となっている。そのニックネームの元となっているいるのが元祖リングの魔術師ヴォルク・ハン選手RINGS KOKトーナメントFINAL・準々決勝アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ vs ヴォルク・ハン(2001年2月24日、両国国技館)のご紹介。

 

 当時KOK優勝候補大本命の24歳ノゲイラと、長くリングスの頂点に君臨した翌年4月40歳の誕生日を向えるハンの戦い。 前年度よりトーナメントにおけるリングスルールが改正。エスケープがなくなりよりアグレッシブでハードなKOKルール へ移行。年齢的に峠を過ぎた感のあるハンのトーナメント参戦は望めなかったが「私はマエダの兵隊だ。マエダ将軍に行けと言われれば行くしかないだろう」という名言とともにKOKトーナメントに出陣。課題とされる打撃を磨き「KOKスタイル」に順応。見事決勝トーナメントに駒を進める。

   

〇Minotauro vs Volk Han (ダイジェスト)

2001/2/24
 

今、明かされる「ノゲイラ対ハン」の真実

~止まってしまった時計~

「ハンはね、前田のためにヒザを痛めてるんだよ」
前田は沈痛な面持ちで野呂田の話を聞き、こう答えた。
「ハンに伝えて下さい。『悪かった。俺は必ず戻るから』と」


 もういい大人になったし社会に出て大人の事情もわかるようになった。アレから4年経って自分は変ってしまったがアノ人は今も何ひとつ変っていない、雌伏期間の間に前田日明にはに角が丸くなり、上手に生きていける人になって欲しいと思っていた、しかしアノ人は戻って来てもアノ頃のまま真直ぐな人だった。ある言葉がある「人は年をとってくるとわかります。真直ぐに生きることがどれほど難しいことか。そして、真直ぐに生きるということがどれほど勇気を必要とすることか。そして真直ぐに生きるということがどれほど力強いものか」自分はもう変ってしまった人間だが、自分の中で変らない思いもあるし、変えたくない事もある。その想いの中で自分がこの世にいる間にもう一度前田日明とヴォルク・ハンとクリス・ドールマン 等昔の仲間達や今ZSTで頑張ってる選手達が肩を組んでいる姿を見たいアレがある。興行とか試合とかで見なくても、もしかしてそれだけでいいのかもしれない。よくわからない内容になってアレなのでここらへんで

 

おまけ

 

〇Vitor "Shaolin" Ribeiro vs Tatsuya Kawajiri

 

うわさ


ジェロム・レバンナがUFCのティム・シルビアと戦うかもしれないとか

 

アラン・カラエフ vs 柴田勝頼 決定とか

 


最新情報は丸投げ

マクラレンと廃人ともうひとつのミリオンダラー・ベイビーと

   ジェラルド・マクラレン

 

ジェラルド・マクラレン は昨日アレしたジュリアン・ジャクソン からミドル級王座を奪取し、後2度の防衛戦、ジュリアン・ジャクソンとのリベンジマッチを制し階級を上げWBC世界S・ミドル級チャンピオン、ナイジェル・ベン に挑戦することになる。

   

〇GERALD MCCLELLAN  vs NIGEL BENN  
1995/2/25

  

 前日までロイ・ジョーンズJr との対戦を熱望されていたジェラルド・マクラレンは、試合終了後リング上で意識不明に陥り病院に搬送されました。検査の結果脳内出血がみつかり緊急手術を行います。手術は成功しましたが治癒不可能な脳障害と共に長期の入院を余儀なくされました。
 映像を見てもらえばわかると思いますがベンがクリンチの際に幾度もマクラレンの後頭部を叩いていたことがわかる。この行為は当時物議を呼んだ。昨日アレしたジャクソン戦を見てもわかるように元々マクラレンのガードは低く試合を重ねる度にダメージが蓄積され試合前にすでに重度のパンチドランカー症候群に陥っていたのもしれない。そうゆう意味でベンのラビットパンチが事故の直接的な原因であるとは断定できませんが、今、彼の未来を知っている者としてこの試合、そして後頭部へのパンチを見るのは辛い物があります。

 

〇McClellan documentary
  
 この映像はCNNが制作したその後の彼を追ったジェラルド・マクラレンのドキュメントです。
彼は失明し、聴覚はほぼ機能せず、片言でしか会話できなくなり、短期記憶障害に陥り自分自身の創り出した素晴らしい栄光さえ憶えておらず・・・マクラレンは現在彼の姉妹達と一緒に生活している。

 

 ボクシングという危険な競技において、リング禍は避けられない事故で毎年アレがある。マクラレンはベンとの戦いの前に「リングで死んでも構わない」と記者に語ったといいます。厳しい現実です。選手達の激しい打ち合いや攻防を見る事が好きな自分にとってこの件に関してああだこうだいう権利はないし、この厳しい現実を受け入れないといけない。彼らの覚悟はそのひとつの事だけでも尊敬に値するアレです。覚悟を持った選手の事故を最小限に防げるのはレフリーだけだし、厳格に試合をコントロールして頂きたいと願う。自分もストップが早いとついつい不満を表明しレフリーを非難しがちになるのを改めないといけないなと再度アレさせてくれる映像であります。

 

 ジェラルド・マクラレンと闘う事のなかったロイ・ジョーンズJrはマクラレンの事故を機に、ディフェンスに気を遣うようになり、また1998年ロイ・ジョーンズJrとHBOは共にマクラレンの子供の為に信託資金を募る運動を行ったという後日談が残っています。詳しくアレしたい方は彼の公式サイトへ

 
The Official Gerald McClellan Web Site
  

おまけ

   

〇Joachim Hansen vs Yves Edwards
2005/9/25

 
〇Gomi vs Tatsuya Kawajiri
2005/9/25

   

最新の情報は丸投げ

ジュリアン・ジャクソンなアレ

                   ジュリアン・ジャクソン

                               

ジュリアン・ジャクソン


 右ボクサーファイターのワンパンチ・フィニッシャー。ヒーローになれなかったカリビアン。
WBA世界Jミドル級王座を3連続KO防衛。都合9連続KOで階級をあげJミドル級タイトルを保持したままミドル級王座を獲得。当時47戦46勝43KO1敗の驚異的な戦績を更新中の無敵のタイトルホルダー。5度目の防衛戦を迎えた彼の前に当時28勝26KO2敗、1ラウンドKO17を記録しているジェラルド・マクラレン が立ちはだかる。
 

〇Julian Jackson vs Herol Graham
1990/11/24 WBC世界ミドル級王座決定戦

 

〇Julian Jackson vs Ismael Negron
1992/2/15 WBC世界ミドル級防衛戦

 

〇Julian Jackson vs Gerald McClellan
1993/5/8 WBC世界ミドル級防衛戦

 

おまけ 

 

2006年2月17日(日)東京・代々木第二体育館で「プロフェッショナル修斗公式戦 SHOOTO The victory of The truth」 が行われる。応援しますよというアレで明日もアレする予定。
 
〇Rumina Sato vs Yves Edwards
2000/4/15
さくっと落とせるヨ

他の映像ファイルのDLの仕方がアレな人はコメント欄にでもアレしてください。


うわさ

アンディ・サワーがK-1MAX韓国大会で試合するらしい



マンフーフとドラゴとペザォンとエイネモのアレ

       ペザォン  マンフーフ  ドラゴ


 RINGSといえばもちろんアレな訳で。当時旗揚げ間もないリングスにコマンドサンボの達人ヴォルク・ハンと参戦すると聴いた時、軍人がリングにあがっていいの?それってギミック的な奴でしょ?そんな奴とメイン張って大丈夫なんかョ?期待というより、むしろそれはヴォルク・ハンという選手そしてコマンドサンボという得体の知れない物に対しての失望感あるいは期待値がほぼ0に近いアレな感覚で、前田大丈夫かよ?と不安になったのを昨日のように思い出す。しかし、彼ら二人の戦いはまさに幻想を抱かせるに値し、無垢な幻想をアレしてくれた。あの時、前田日明に植付けられた未知の強豪というスリコミは今尚消えないアレがある。
       

 前置きはさておき、先にk-1max開幕戦の概要が発表されましたが、名前がアレな選手がいましたね。カゴ・ドラゴとかいう選手。あんまり調べて書くのもザンないと思うんで興味のある人はアレしてください。

 

〇Gaga Drago HL by T.one

   

 あと、アントニオ・ペザォン・シウバというヘビー級の選手がk-1と契約したという事で彼の3/6/2005のデビュー戦。相手は当時13勝3敗と厳しい相手

 

〇Antonio Silva vs Tengiz Tedoradze


 昨年末k-1ダイナマイトに参戦しますと自身のHPで告白していたメルビン・マンフーフ選手。

     

〇Melvin Manhoef

        

 最後にプライド31に参戦するユノラフ・エイネモ選手。12/2/2000、FF 4-FinnFight 4。

    

〇Jon Olav Einemo vs Erkka Sahlstrom

 











レミーガvs永田克のフルタイムなアレ

                     レミーガvs永田克

 先日のK-1maxレミーガはインパクト大の強い勝ち方しました。ほとんどの試合がお互い相手の出方をさぐり距離を測って戦ってましたけど、レミーガは異端というか異質というか最初から仕留めに行ってましたからね。幕末、伊庭八郎秀穎ちゅう人がいました。この人は江戸では指折りの使い手で「伊庭の小天狗」という異名をもつ心形刀流の達人なんですが、戊辰戦争で名もない藩士に手首を切り落とされるんですね。他の試合が道場での試合で彼の試合は実戦とはかくあるべしというか薬打たされてドスを持った刺客みたいなやり方というか、そんなアレを感じました。適切でない表現で申し訳ない。谷川氏の発言からK-1max開幕戦出場も決まったようですのでリングス、ZSTを代表して頑張って貰いたいなと、アレがあるとすれば今回日本トーナメントを優勝した佐藤選手やシードされた小比類選手とレミーガの試合は組んでくれるなよという感じです、理由は書きません。
 そのレミーガ、大晦日にシドニー五輪レスリング銀メダリストの永田克彦選手と試合をしてました。試合内容がアレらしくカットされて放送されてましたがノーカットの試合映像があったのでアレします。

 

〇永田克彦 vs レミギウス・モリカビュチス

rapidshareの落とし方
1 開いた画面の表の右下にあるfreeとかいてるところをクリック
2 次に開いた画面の~・・・~wmv と書いてある下の秒数が0になってからplease   enter ??? here ???といれてstart downloadをクリック 
* ???はランダムの文字列が入るので見えた文字列をそのまま入力


 いまさらですが、レミーガの体は小さいですね。12月31日永田戦、2月4日我龍戦、2月18日ZST で稲津航戦、3月10日K-1maxリトアニア大会4月5日K-1max開幕戦 と実質4ヶ月間で5試合というハードな日程が彼には用意されています。レミーガの試合は見たいんですが、なぜか彼を見ていると影というかそんなのをアレしつつアレする自分もいる訳です(おばあちゃんがどうとかいう話ではないです)。何かを忘れる為に試合をするのか、何かを伝えようとして戦っているのか・・・そんな事をアレしつつも彼は闘ってしまう人でしょうから怪我のないように自愛してもらいたいと節に願います。辛い事が十続くと幸せになるというアレもありますし・・・

 

おまけ

 

〇大橋秀行VSリカルド・ロペス

 

 大橋秀行選手のニックネームは150年に1人の天才。日本ボクシング界冬の時代、日本人世界タイトル挑戦失敗記録を21でストップした救世主でした。この試合は後に世界タイトル22連続防衛を成し遂げるリカルド・ロペスを挑戦者に迎えた2度目の防衛戦。

 

〇ジョン・ウェイン・パー vs ドゥエイン・ラドウィック