マスタ、フランスに行く、その8、 | なにわフレンチびぎん、の、マスタの日記

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大阪ミナミの飲食店、〝なにわフレンチびぎん〟の、マスタの、ちょっとしたこと、綴ります。

 

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※メールでご予約の際はどちら様も必ずお名前お電話番号、ワインかソフトドリンクをお書きくださいませ。

※2名様でひとつのコースや4名様で2つのコースはごめんなさい。

 

 

☆2月23日祝日は12時から18時まで昼飲み時間でやってます!

この日は周年コースでもアラカルトでも大丈夫です♪ 

お席た~ぷり空いてございます!

 

 

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2月9日金曜日

 

晴れ、

そんな今日も元気に朝麺は麺松屋にて朝定食ジャスト350円、

今日もゆず唐辛子とおばちゃんはピリッとした働きぶりで、やっぱ比べてみたら麺松屋ですね、

 

 

そんな感じで昨日の賄いは、鶏手羽先をたっぷり入れて炊いたおでん、おでんの具は我らが八百鮮空堀店で買ったその名もメガおでんで、横にサラダを添えました、

いつもならおでんの出汁とご飯の相性に舌鼓を連打するのですが、我慢。

でね、以前はほぼほぼ3食炭水化物祭だったのを今はそれに比べて約半分以下に減らしているのに体重が減らないのはなぜ??

もしかしたらボクは体重が減らない病に罹患してしまったかも、

特に2019年頃は簡単に減らしていたのに最近ボクの身体はボクのゆうことを聞かなくなってしまった、

実にまったく・・・・

で、

ある、

 

 

さ、みなさまお待ちかね、

いや、たまちゃ~~ん、お待ちかね、フランス編を綴ります!

 

あくまでも研修旅行に行った昨年10月、リヨンに着いたところからで、話しは回想の部分からです、

 

32年前、の、こと、オートサヴォア県の住み込みで働いていた時、はぢめての休みの日に厨房に上がって行くと、「pour toi」って、メモ書きと一緒に赤ワインが1本置いてあった、最初分からなかったので辞書で調べたら、pour toi とは、あなたのために。 だった、

簡単に言えば、おまえにやるね。だね、

それから毎週、毎週、休みの日の朝に厨房に上がると赤ワインが置いてあった、

 

そのレストランはシェフ家族の住まいでもあり、大きな大きな館でプールもあり、テニスコートもあり、お庭も広く、駐車場ももちろん、

レストランは1階、シェフ達は2階、ボクは地下、地下ってゆうても、薄暗い地下ではなく、館が斜面に立っていて、広い窓もあり、明るく広いお部屋で、その地下にはランドリールームともうひとつスタッフ用の部屋とボクの身体くらいの大きなワンコが3犬住んでいた、

こんな犬たち、

お名前は、おくしー あにばる あにむー って、名前だった、

※昨年12月に河内長野に行った時オサシンを探したらあったんだよね、

 

 

ちなみのボクの部屋の窓から顔を出せばスイスの山々、少し遠くを見たらモンブランの方まで見えた、

 

シェフに、休みの日はオマエひとりだから厨房にあるもんはなんでも食っていいから、と、いわれていた、

シェフ家族は火曜日の晩から木曜日の午前中まで別荘に行っていた。

 

ボクは休みの日は歩いて小一時間掛かるスーパーマーケットに行って好きなものを買い、厨房で調理して、部屋で、その赤ワインと一緒に食事をした。

ワンコと遊びたかったが、大きすぎて怖かった、

 

ボクがジュネーブからそのレストランにはぢめて着いた初日、シェフに挨拶したら、「よく来た、お腹が空いてるやろ、先ずは食え、魚か肉どちらがいい?」と、たどたどしい英語を使ってくださった、

シェフ家族は英語が話せなかった、

おかげでボクはフランス語を話してもらえ勉強になった。

ボクは「魚が好き」って、答えて、営業開始前の客席でワインとパン、と、レマン湖で捕れた鱒料理を頂いた、

 

ごちそうさま。と、ゆうフランス語はない、食後、ありがとうございました。と、言ったら、

「今日は疲れてるだろ部屋に行って休め」と、フランス語でそう言われた思う、

厨房で働いてたアレックスに部屋に連れてってもらって部屋の説明をされた、

ちなみにアレックスも英語が話せなかった、

 

アレックスはボクの大きなスーツケースの中に着物が入ってると思ってたらしい、後日談。

 

部屋に入ったボクはアレックスに礼を言って、スーツケースからコックコートを取り出し、直ぐに着替えて直ぐに厨房に上がった、

 

休めとゆってもらってたのは理解出来ていたが、

ボクは働く為にフランスにやって来た、

1分1秒がもったいなかった、

 

コックコートを着て厨房に行ったボクを見てシェフは驚いていた、

たくさん居たスタッフも驚いていたし、マダムも驚いていた、

 

そのレストランで約1年お世話になった、

とてもやさしいオーナーシェフだった、

 

ムッシュ・ギィ Guy

シェフの名前

 

Guyとは、森や林を意味する、

なんでも包んでくれるシェフだった、が、もちろん怖いとこもあった、

今でもボクのオーナーシェフ像はムッシュGuyである。

 

そこからパリに引っ越す前、ボクはシェフの前で大泣きした、

大泣きしながら、「また来ます!」と、約束した、

 

その約束を果たす為に一旦帰国してから、マユミチャンを連れてGuyシェフと友達達に会いに行った、ご飯をごちそうになり、友達の家でみんなで朝まで飲んで遊んだ、

それから、ジュネーブのホテルまでシェフに送ってもらった、

 

車内でシェフから、

「いつでもフランスに帰って来てもいいんだど、」

「ここで働いてもいいんだからな、」

「またここに住んでもいいんだど、」

「おまえたちの部屋くらいあるから、」

「ニッポンで困ったらなんでも言って来いよ、」って、言ってくださって、

 

 

車内でボクは、もう一度、大泣きした。

 

 

いつしか、ボクは、休みに日の赤ワインを楽しみにするよーになっていた、

休み明け、シェフが別荘から帰って来るとお礼を言って、たどたどしいフランス語で、ワインの感想を伝えた。

シェフはボクの感想をまぢめに聞いてくれてうなずいてくれはった、

 

 

 

昨年12月河内長野に行った時、ボクの部屋で整理してたん、そしたら、フランス修業時代のノートが本棚の中にあって、

 

 

あの時のボクは毎日毎日、まじめに勉強していたんだなあ、

 

サービス担当のベアトリスがお客さんが残したワインを厨房に持って来て、「コジ、飲む?」って、くれたん、そして、飲んだワインのラベルを取って貼り付けて味わいを書き留めてあった、

もちろんシェフからもらったワインのラベルも取ってある、

 

 

その中にね、これ、

 

 

その時、シェフが書いてくれた、「pour toi」って、メモ書も貼り付けてあったん、

たぶん、あん時、とっても嬉しくて、嬉しくて、とっておいたんだね、

 

 

いつまでも色褪せない思い出、

 

ではでは、旅の1日目、夜遅くに到着したリヨンのホテルのお部屋で晩ご飯を食べたあとからです、

 

 

で、いきなりですが、ここから、かなり気分を害するかもな生意気なことを言ってるので、そんなブログ読みたくないわ、な、方はここで止めてください。

読んで気分を害されても責任は負いません。し、反論されるコメントもメールも電話もSNSの連絡も意見も一切受け付けません。共感覚な方の連絡は受け付けます。

 

夜遅くリヨンに着いた翌日は半日みんなでリヨン観光で、リヨン観光はバスに乗って行くのかな、って、思ったら、徒歩と、電車で、

ボクは徒歩と電車と自転車が好きで、車が苦手で、午後からは自由行動で、その日は丸イチニチリヨンを堪能出来るわけで、

リヨンでゆっくり晩ご飯を食べられるのはその日だけだった、

 

ボクがリヨンに来るのは3回目で、

最初に来たのはボクがオートサヴォア県で働いていた時で、そのレストランは水曜日丸イチニチと木曜日のランチが休みだった、

トモダチのアレックスが、「コウジ、来月の水木とポールボキューズにめし食いに行こう」と、誘ってくれて、ふたりでリヨンに行った、のが、最初で、アレックスのおばあさんがリヨンに住んでたので、ポールボキューズで食べたあと、おばあさんちに泊まらせてもらった、2回目はシェフがリヨンに食べ歩きに連れてってくださった、

で、

今回、3回目で、

ボクが住んでたとこからリヨンまでは車で2時間足らずで行けて、近くったら近くで、

シェフと行った時は、木曜日のランチに、「腹いっぱい食べて、たくさん飲めよ!」と、言ってもらって、ボクは遠慮するとこはないと判断して、腹いっぱい食べて腹いっぱいワインを飲んで、から、マダムの運転する車で帰ってからディナータイムを働いたのを覚えている、あまりに飲み過ぎてヘロヘロのボクを見て、シェフに「おまえ飲み過ぎやな、」って、一言、ゆわれたのも覚えている。とても優しくてほんの少し怖いシェフだった、

 

※その時、リヨンでシェフと一緒に飲んだワインがこれ、

 

ちなみにアレックスとポールボキューズに行った時は、ポールボキューズさんがまだ現役で、食後、ボク達のテーブルまで来てくださり、かくかくしかじか日本からフランスに働きに来てると話しさせてもらったらいいろいろ長い時間テーブルの横で話しをしてくださって、最後に一緒に3人でオサシンを撮ってくれはって、その時食べたメイン料理はスズキのパイ包み焼きだった、

 

余談ではあるが、ポールボキューズさんは世界で一番有名な料理人で、巨匠の中の巨匠で、

ボクが生まれた1965年にはぢめて三ツ星を獲得して、それから数十年間三ツ星を守り続けていて、

ポールボキューズさんのおかげで世の中の料理人の地位が上がったと思う。

ほら、日本では何故か未だに料理人の社会的地位が低くみられることが多い?と、思う、理由はわからん、が、誰でも成れるから?気軽な気持ちで働いたりすぐに辞めたりするし、お気軽な仕事だからかな?それに一昔前は3K(キツイ、汚い、危険)な仕事って言われていた頃もあったしね、

※ボクは個人的に社会で活躍するのに学歴は関係ないと思っている。もちろん学歴社会の中でがんばってきた人の努力はスゴイと思ってる。

 

実際、ええ加減な志でこの仕事を選ぶ人も少なくない。し、調理師学校の多くの生徒が高い金を払ってものにならない料理人になっていく。のも事実。なんのための(専門)学校なのか、

 

ボクは18歳の時からそこがキライだった、そことは料理人が低くみられること。

ろくに仕事をしないサボってばっかな喧嘩っ早いチンピラみたいなセンパイを憎んだ、ボクは生意気だったし上司に対する理想像が高かった。どうやったらこの仕事の社会的地位が上がるか考えて働いていた。

 

料理に愛情を注がないくせに料理にうるさく、仕事、食材、物、人を粗末に扱うやつ、夢なんてないくせに夢を追いかけ過ぎて渡り鳥みたいに地方の店を渡り歩き、オレはなんでも知ってるわ、と、話すことはしょーもない武勇伝ばかりで肩で風切る似非料理人が大嫌い。

何かあればすぐにオレは職人だから、と、難しいことから逃げる。(実際は難しくないが難しいとそいつが思ってるだけ、で、勉強しないからそいつにとって難しいだけ) 

職人だからと言い訳にして数字を触らない。経営、利益に興味がなく自分の給与だけに興味がある。飲む打つ買うの三拍子が料理人の証だと胸を張ってるくせにえらいさんの前ではおとなしく人の前で何も話せないやつ、歳だけ食ってお腹いっぱいになってるやつ、

後輩に「オレはお前のために言ってる」と、言う奴ほど信用ならん、そういう奴ほど、毎晩、後輩を連れまわしの刑にあわせ、連れまわされた後輩はいつしか連れまわしが得意なセンパイに成る。飲食店同士の深夜の傷の舐め合い会を開催するやつ参加するやつ話す内容は仕事をかけ離れたことばかり、

オマエらみたいなのが居てるから料理人が低く見られるんだ、って、ずっと思っていた、

※かなり生意気言ってる。が、まぢでそう思う。

 

ホールサービス人も、そ、何十年もサービスをしていて原価計算も出来なければワインの味も名前もわからん、暇してても厨房の手伝いも掃除もせん、かといって忙しくなると気絶したふりして立ってるだけ、挙句にカッコつけた接客しか出来なくて髪の毛ばっか気にしてる、そんな奴は押さえつけてバリカンで坊主頭にしてやろう何回も思った。※犯行に及ばず留まった。

 

ボクは世の中の飲食店で働く人間は全て料理人でいいと思っている。サービス人が消えても飲食店は消えないと思っている。 料理人が作り料理人が運ぶ、料理人がビールを注ぎ、料理人がワインを開け、料理人が洗い物をして、料理人がお会計をして、料理人がお見送りをして、料理人が掃除をして、料理人が電気を消す。

かなり偉そうなことを言ったのは理解している、ボクはボクのキライな料理人にならないよーに努力したし、今でも努力している最中なだけ。

(フランスでは素晴らしいプロ根性なプライドを持った料理人や給仕人がたーーくさん居てるんよね、この辺がニッポンとはちょこっと違うんかな、またこの話はいずれ、もちろんニッポンにも素晴らしい方は居てると思うが、)

 

ニッポンでフランス料理を志しフランスまで行って働いてもあかん人も多いし、行かんでも素晴らしい方はたくさん居てはる、

フランス料理界、フランスに行くか行かんかまーたく関係なし、

ボクのキライな何かあったら人をどつくセンパイなんてパリに3日間食べ歩きに行っただけで「フランスで働いてました」って、肩書に書いてある、その上、その3日間でラーメンを2回食べたらしい、ったく、てか、フランスに飛行機で行ってラーメン2回食べるんやったら金龍で700回くらい食べられる。

 

そんなボクにも尊敬する料理人が居てる。18歳の生意気なボクに料理以外の事も教えてくださった亡きシェフ。エッフェル塔の真下で待ち合わせしたセンパイ。それにムッシュGuy。あとの諸先輩方とは残念ながら会いたいとも思わない。し、電話もすることもない。ボクは残された人生、ボクの好きな人とだけ付き合って生きたい。ボクの人生にそんな時間の余裕はない。

 

 

そして、リヨンの朝が来た、

 

 

今日は生意気を書いた、

今よりずっと生意気だった頃のボクを載せておく、

ブログでは初公開となるボクのオサシン。

 

巨匠ポールボキューズ

アレックス

ボク

 

32年経っても色褪せない思い出である、

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