『ドキュメント豪雨災害』
職業柄,防災に関わる専門家の方々から話を聞く機会があるが,大抵の方達は「最近,気象の局所的異常の頻度・規模が増大している」と思っているようだ。
それが地球温暖化によるものか否かはどもかく,古今,震災と豪雨被害は日本人の誰もが気に掛けていなければならないことだろう・・・。
『ドキュメント 豪雨災害――そのとき人は何を見るか』 稲泉連/著, 岩波新書(2014)
2011年9月4日。東日本大震災の半年後,台風12号による豪雨に襲われた紀伊半島。
この豪雨災害によって100人以上の方が亡くなっている。
山は深層崩壊し,土石流は街や人を流し,川を塞ぎ堰止湖を出現させる。堰止湖の決壊の危険性は高まる。災害の爪痕は長期にわたって彼の地に暮らしていた人々の状況を変えてゆく。。。
本書は,その時,その場所にいて,その豪雨災害を体験した人たちへのインタビューを中心にして,台風12号による災害がどのようなものだったのかを記している。
このような災害ドキュメンタリー本にお目にかかることは少ない。貴重な内容の本だと思う。
職業柄,地震が起こった後,その都度,震災などに関する調査・分析報告書が回ってくるが,それらはいずれも専門家が専門家のために書いたものだ。そのような災害調査報告書は,各調査機関や企業のWEB上にPDFファイルとして収納されている場合もあるが,一般の人たちがそのようなものを時間を掛けて探し出すとは思えない。
日常からそういったものに触れている専門家・技術者と,災害後の一時期だけ興味・関心をもつ専門外の人達の間の防災リテラシー格差は大きいと感じている。
リテラシー格差をすこしでも小さくするためには,本書が採った新書や文庫形体にして,専門用語を排した簡易的な表現で記した災害報告書をコトある毎に世に出すのも必要な気がする。
売れる売れないは別として・・・。
『無双の花』
九州への親和を抱く時代小説作家ハムロの作品。
主人公は筑後柳川の大名,立花宗茂。
ゲーム「戦国無双」では使い勝手の良いキャラで,私のお気に入りだった。
薄っぺらい設定のゲーム・キャラと比べること自体が無意味なのだろうが,本作のハムロ創作キャラはかなり魅力的だ。
主人公:宗茂はもとより,宗茂の正妻:誾千代も,後妻も,後後妻も,女性キャラがなんともイイ。
ブレない信念,その信念に基づく言動。おのれに強いからこそ,他者に優しくいられる。そんな男を描く本邦の時代小説は,海の向こうのハードボイルド小説と同類だ。
ハムロはハードボイルド作家なのだ。
関ヶ原での戦の際に西軍に付いたにもかかわらず,そのぶれない心情を徳川から認められ,領地に戻ることのできた唯一の武将。時代小説,キャラ小説としてのオモシロさも然ることながら,そんなチョットした歴史的事実を知ることができたのも収穫。
『アホウドリの糞でできた国』
20分もあれば読めちゃう本。
仙台で飲んで,ほろ酔いで新幹線に乗る前に,駅構内の書店で目に付いて衝動買いしたモノ。
赤道付近の太平洋上に浮かぶ島国,ナウル共和国。
サンゴ礁に来たアホウドリの糞によってできた島。このアホウドリの糞が長年にわたって堆積した岩は燐鉱石という資源になった。
第二次世界大戦後,占領から解放され独立したナウル共和国政府は,この燐鉱石を採掘して世界中に売ることにした。
莫大な富を得た共和国。ナウル国民は税金なし,教育費や社会保障費なし,の生活が保障されることになった。
あげくの果てに食事はすべて外食。国外からお手伝いさんを雇い,共和国民は誰も働かなくなった。それでも国は富んでいる。
だが,鉱物資源には限りがある。そりゃそうだ。
しかも,枯渇は早くやってきた。20世紀中に。
国家の危機に直面したナウルの人々はどうしたか・・・。
日本人からみたら,行き当たりばったりの付け焼刃的な対処しかしない・・・。
そんな国はどうなるのか? 働くことを忘れ,怠け者しかいないナウルの人々はどうなるのか??
↑ かようなことが,ユル~イ調子の文章と絵で描かれている。そんな文調や画体からなのか,ナウルの人々には深刻さや悲壮さが窺えない。
ケセラ・セラ, レット・イット・ビー(ゴー),なるようになるさ,的な暮らしもイイのかも。。。
『春風のスネグラチカ』
沙村広明画伯の単行本最新作。
帝政ロシアの最後,ロマノフ王朝の滅亡をネタにした歴史改変ロマン。
車椅子の少女と彼女に仕える隻眼の青年の物語。
あいかわらず女性の描き方が巧い。画としてもキャラとしても。
学生時代,私の頭の中にあった情報の6~8割はマンガを切っ掛けにして獲得したものだった。だから,何事も断片的な情報しかもっていない・・・。
このマンガもまた,帝政ロシアの滅亡に纏わることを知りたいと思わせるトリガーになる・・・ような気がする。
お薦めです。
『つながる脳』
- だいぶ前,1カ月くらい前? に読んだもの。
- 『つながる脳』 藤井直敬/著, 新潮文庫(2014)
脳科学関連本。
脳科学者自らが,脳科学の行き詰まりに対する率直な気持ちを書いている。
自分以外の外部とのつながりを指向する(社会的な)脳の反応に関する新しい実験,考察を試みている著者に新しさを感じた。
この学者さんの新作にはアンテナを張っておこう。
『リスクにあなたは騙される』
名著。
読むべき1冊。
私自身の独断的所感も少々交えて,主だったところを抜き出しておく。
■ヒトは,客観的(理性的な)なリスク認知がなかなかできない。
■感情が先に立つのはヒトの進化の過程で生じたこと。感情は理性とは異なり,意識的に認識することなく働き,予感や直感として,あるいは不安や心配や恐れなどの情動として経験する瞬間判断の源泉である。
■こうした感情・情動による判断システムは,最近数百年のテクノロジーによって変容した現代世界を生きる上で生み出されたものではない。遊動性の集団の中で暮らし,動物を狩ったり植物を採取したりすることによって生き延びなければならなかった環境で(数万年の間で)鍛えられてきた判断システムである。
■感情による判断は,単純な経験則の適用である。その経験則とは,何かの例が簡単に思い出されればそれは一般的なものだと自動判定する。また,正しい答えがはっきりせず推測する場合,感情による判断は最も手近にある数字や最近聞いた数字に飛びつくと言われる。理性はそうした感情による判断を調整しようとするが,調整は不十分になりやすく,最終的な推定は最初に連想された値に偏ることになる。
■ヒトは,落ち着いていて,冷静で,慎重に考えているときでさえ確率に目を向けているわけではない。理性的な訓練された判断だけが,確率を気に掛けるが,ほとんどのヒトは感情を修正するために理性を働かせる努力をすることに慣れていない。ヒトは自然に直観的判断に従う。
■確実性が確率の判断に影響を及ぼす。100%から95%の変化は,65%から60%への変化よりもかなり大きな重みを持ち得る。世の中を動かす現実的判断の色合いは常にグレーであるが,白か黒かで考える傾向がある。
■ヒトは,「数字」と「物語」に対して異なる反応を示す。統計上の抽象概念である数字には出来ないやり方でヒトの心を動かすことが出来るのが物語やイメージ。物語やイメージは,数字に欠落している感情に満ちている。
■「予防原則」は,リスク規制に関する実際的な助言を与える原則になっていない。「予防原則」は行動を取ることと取らないこと,その中間を禁じ,身動きのとれない状態にする。予防原則は本来必要とする措置そのものを禁じることになりかねない。
『監視対象 警部補マルコム・フォックス』
警官を監視する部署=内部監察室の警部補マルコム・フォックスを主人公としたイアン・ランキンの新シリーズ。 その第1弾。 750ページ近くもある長編。
一人の悪徳警官に関する周到な調査を行い,その証拠を検察に引渡すところまでこぎ着けたフォックス。
部下たちから称賛されたのも束の間,既に次の仕事が待ち受けていた。小児性愛者の疑惑をもたれているブレック巡査部長の身辺調査である。
ブレックの身辺調査を開始して間もなく,フォックスの妹の恋人が他殺体となって発見される。そして,その殺人事件の捜査メンバーにはブレック巡査部長がいる。
殺された男は,フォックスの妹に対する暴力を日常的に行っていた。それを掴んだ殺人捜査班は,妹が暴力を受けていた事実を知っていたフォックスも容疑者の1人とみている・・・。
フォックスのブレックに対する身辺調査活動は,利益相反する事態にならないのか? だが,監察室の上司は,ブレックの身辺調査を続けることに問題はない,という。
何かがおかしい・・・。
やがて,警察組織内にうごめく闇と,エジンバラという街の闇,その双方に包まれることになるフォックス・・・。
人物設定の奥深さ。 過去を引きずる主人公。
警察組織間の敵対・同盟関係。 署内の監察室と殺人事件捜査班。 第三機関の監察室。
警官個人同士の感情の交錯。 誰が味方でだれが敵なのか。
複雑なプロット,錯綜した展開。
・・・・手強い物語だ。
だが,じっくり腰を落ち着けて読みこめば入り込める。フォックスにシンパシーを感じることができる。
イアン・ランキンが造形した新たな主人公マルコム・フォックス。彼もまた,リーバス警部と同様,現代のスコットランド社会,エジンバラ社会の光と影の境界を垣間見せてくれる。
お薦めです。
このシリーズ,スコットランド本国では既に4作出ているそうだ。
しかも,第3作と第4作は,リーバスとの共演だそうだ。 今後が楽しみ。
イアン・ランキン作: リーバス警部シリーズの作品紹介はコチラ。
『ローマで消えた女たち』
連続殺人、魂の悪、記憶の移し、などをテーマ(?)としたゴシック・サスペンス小説。
カトリック=ヴァチカンの秘密捜査機関の捜査官とも呼ぶべき教誨師(きょうかいし)が主人公。
しかもこの主人公、記憶を失っている。
記憶を失っていながらも、犯罪現場や証拠品や事件関係者との接触から何かを感じ取る能力に長けており、教誨師としては一流・・・・・。
サブ主人公に、ジャーナリストの夫が謎の転落死を遂げたミラノ県警の写真分析官。
連続殺人犯を追う主人公とサブ主人公は、物語の中盤まで出会わない。
物語中盤以降、二人が交錯しだしてから真実が徐々に明らかに・・・・・ならない。
物語はより複雑化してゆく・・・・・。
連続殺人犯を追っている(?)のは、主人公たち二人以外いもいる・・・。
しかも、物語のかなり早い段階で連続殺人犯は拘束される。しかし、被害者家族の周辺で起こる別の殺人・・・・。
解けたようで解けていない謎の連続。
一見解決したかのように見える事件の背後に見え隠れする主人公以外の教誨師(?)の影。
教誨師は、自分以外の教誨師の正体を知らない・・・。
物語の最初の文章 「七時三十七分 死体は目を開けた。」
から、
510ページあとの締めの文章 「七時三十七分 死体は目を開けた。」
まで、
この長編小説に一切の弛みはない。
2段組み500ページの長編小説を一気読み。
久しぶりのミステリだったが、これが大当たりだった。 超大当たり! 今年のベスト!
前作、 『六人目の少女』 といい、本作といい、この作家の才能は素晴らしい。
お薦めです。
だが、訳題はイタダケない。
原題を素直に訳した『魂の裁判所』の方が相応しい。
『レンズが撮らえた幕末明治日本の風景』
幕末に来日した外国人記者やカメラマンが、そしてその外国人たちから写真技術を習得した日本人カメラマンが、北海道から沖縄までの日本全国の町並みと風景、人々の様子を写真に残している。
それらを集めて一気に魅せてくれるのが本書。
東海道五十三次の全宿場町、各地の城・寺・建築物、人々の様相、などの写真が満載。
だが、本書に掲載されている中で最も見応えのあるのは、遠方から街全体を俯瞰して撮っている写真だ。
山なみと街並み、自然と人工物が一体となっている画は、当時の日本の風景を想像させるに十分な力を放っている。
街の周囲には林や森や山が迫り、樹木の背を超える建築物がほとんどない風景というのは新鮮だ。
『小布施 まちづくりの奇跡』
長野県北部の小さな町、小布施(おぶせ)。
この町には毎年、人口の100倍=120万人の観光客が訪れるらしい。
観光客の主な目当ては、町の中心部にある「修景地区」と呼ばれる地域を散策することにあるのだという。どこか懐かしい趣きを醸し出す場所らしい。
通常の「伝統的町並み保存」とは異なる手法=修景(しゅうけい)によってまちづくりを行う小布施町が、どのような経緯で今の状況に至っているのか。
小布施町に「まちづくり研究所」を立ち上げた東京理科大学の教授が、小布施流まちづくりを内側から描く・・・。
まさに奇跡と呼べるような、ラッキー要素がいくつも重なった状況で小布施の修景地区が形成されたことが判る。
幕末に葛飾北斎が何度もこの地を訪れ、多くの作品を残してくれていたこと。
建築物単体ではなく、それと連続する空間をも考慮に入れて設計する建築家:宮本忠長が近隣地区の出身だったこと。
町長が修景地区の住人だったこと。
五者会議と呼ばれる修景地区に住んでいる住人は、もともと公共に対する意識も高く、それなりに所得も高い人達だったこと。
・・・などなど、この地域独自の条件の基でまちづくりがなされてきた。
他の地域のまちづくりに携わる人たちが、小布施を見習って似たようなことをしようとしてもダメだろう。
本書は、ドキュメンタリーとして読むもので、まちづくりの教科書にはならない。おそらく著者もそんなことは考えていないだろう。
地域デザインやまちづくりを志す若い人たちの動機付け、意識付けするのに良いのかもしれない。
いや、観光ガイド本として読むのがイイかも。少なくとも私はこの地に行ってみたいと思った。