昨秋、バンコクに行ったときチュラーロンコン大学ブックショップでこの絵本がディスプレイされているのを見て、とてもうれしく、すぐに手に取って買いました
テープシリ・スクソーパー文・デザインの『おもちゃが旅する』です。
テープシリ・スクソーパーさんは、日本でも『沼のほとりの子どもたち』などが翻訳出版されている、タイの
「国家認定アーティストศิลปินแห่งชาติ(シラピン・ヘン・チャート)」
です。
この本は、1989年タイ良書賞3-5才部門を調べていたとき、最優秀賞を受賞し、それが2009年に改訂出版されたことを知ったのです。
チュラー大ブックショップは昔から絵本がたくさん置いてあるのですが、昨秋観に行ったら大半が日本原作の翻訳本。
その中で、このタイの絵本が置かれていたのです。
ところが・・・そのディスプレイの写真を撮っておらず・・・右のほうに見切れているのがそれです
そして帰国して読んでみたら・・・
ほんとうにかわいい絵本です!
全編、人や動物や家などが表紙にあるように、小さい木で作ったおもちゃでできています。
しかも、それがちゃんと表情があったり、タイの水牛小屋の情景が広がったりするのです。
最初は、丸木を見つけた木でできた男の子がそれをほって葉っぱをつけて舟をつくり、川をゆき、車輪をつけて陸も進みます。
水牛に出会い、女の子に出会い、二人は家をたて、子どもがふたり生まれます。
庭には水牛のかこいがありましたが、ある朝その水牛がいなくなっています。
みはり番だった男の子はあわててさがしに行って、カメや鳥、シカやゾウにたずねますが、見つかりません。
しょんぼりしていると、そこに木のブロックがありました。
そのブロックから、なんと!
どんどんどんどん水牛が出てくるのです。
水牛も動物たちもいっしょになって大群で家に帰り、お祭りになります。
そして翌朝、水牛を残してみんな帰っていきました。
と、こういうお話で、木でできたものたちを見ているだけで楽しいのです。
文章は二単語くらいで短く、タイ語英語で書かれています。
が、ところどころタイ語と英語が違う文になっているので注意が必要です。
たとえば、
พบควาย (ポップ・クワーイ) 水牛に会う
は、「Meeting friend」 ともだちに会う
になっていますし、
ผู้หญิง (プーイン) 女性
は、「Who is there?」 あそこにいるのはだれ?
になっています。
そして、絵本の冒頭では、
「われわれの子どもたちに小枝を与えておもちゃをつくらせてくれる
すべての植物に感謝いたします」
と、献辞が書かれています。
前にあげた良書賞を調べたときの説明文には、
「チェンライ県での生活から、地元の知恵を伝えることと、高齢者と若者をつなぐものとしての民俗おもちゃをとりあげた」
とも書いてありました。
そしてこの絵本には、終わったあと、あとがきとして、テープシリさんの詩(韻文)が書かれているのです。
少し長い詩なので、かいつまみますと、
「あなたは 何回ほほえみましたか
ききたいことは何回ありましたか
この『おもちゃが旅する』物語で」
とあり、この物語のように、材木のかじの無い舟で水流を進んだり、水から大地へと移住したり、
重いものを引くときに助けてくれるものがいたり
目の前に広がる危機に挑戦したことがありますか、
と問いかけ、
願います
あなたが苦難をのりこえることを
ある日待ち望む道をともにする友と出会えることを
というようなことが書いてあり、そして最後に
「私たちは何度も生まれる
夢の力を持つだけ生まれかわれる」
とこのようなことが、おだやかに流れるように語られています。
テープシリさんがこの物語にこめた意味を書かれているのです。
日本の現代作品であると、ただくふうを楽しむように、自由に想像するように、と、絵本はお話が終わるとそのまんま、ということが多いですよね。
こういう思いを書き表すところはタイらしいなと思いました。
さて、日本でも、木の枝や木の実を使った絵本作品はたくさんあると思いますが、その中で私が印象に残っているのは、
田島征三さんの
『ガオ』
という作品です。
これは以前テレビで制作現場が取材されていたと思いますが、実際に田島さんがたくさんの木の実を拾ってきて、あれやこれやと並べてつくられていました。
木の実のやまいぬがある日大声でさけぶと、体をつくっていた木の実がはじけ散ってしまいます。
そして、いろいろなものに変身して、食べようとしたりされたりします。
しかし、やがてふたつの姿がたがいになつかしいものを感じてハグしあうと、またやまいぬの姿になる、という絵本です。
もちろん、あとがきはありません。
でも、これタイ式に見ると、ちょっと輪廻転生みたいで、タイの方がみると、教えをうけとるかもしれませんね。