★メビウスエッセー 七転び転びっぱなし
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そうそう大きくなるといえば・・・

ずばりアレ・・・、そう子供である。

特に最近のこましゃくれたガキは、どうも接し方が分からず困る。赤ん坊時代も含めそうだ。今や昔のような「猿の惑星」のような子供はいないらしい。

いきなり目も鼻も、はっきりしていて、「大きくなったら顔つきも変わって、きっとベッピンさんになる」などという慰めは存在しない。

生まれたときからすでに、「ベッピンさんか、そうでないか」というふるいにかけられるわけだ。


だから大切に抱かれている赤ん坊の感想がうまくいえず困ることが増えた。まだ形になっていないモノなら、適当に「かわいいっすねー」などといえるが、今や本心から可愛いといえるか、はたまた部分的なところ、 例えば小さな手だけを見て「いやあ、かわいいっすねー(この手は)」などといっている自分に気づく。正直に生きるのも楽じゃない。


そう思うと、けっして自分より美人の友達を紹介しない女の子の気持ちも分からないこともない。たいてい「すっごいかわいいよー」などという誘い文句が当たった試しがない。


すっごいかわいいのは、瞳だけであったり、口元であったり、全体像を指していることはまずない。やはり正直に生きるのは難しいのだろう。


ところで驚異的に大きくなるモノでまず考えられるのが、「おでんのちくわ」である。はじめて自分たちでおでんをしたときに、切らずに投げ込んでいたちくわがあれほど大きくなるなんて、いったい誰が想像できるのでしょう。


そして生き物でいうなら間違いなく「ひよこ」だろう。現在の夜店事情はよく分からないのだが、昔は必ず「ひよこ釣り」の屋台がでていた。今考えるとめちゃくちゃな企画である。


うどんをつけた釣り竿らしきもので、腹を空かせたひよこを釣るのである。少し余分に払っていると、つれなくても1羽もらえるのであるが、経済観念のしっかりした子供であった僕は、やすく、そしてたくさん釣り上げることを、目標にしていたので、実力でひよこをゲットしていた。もちろんその腕前は「ゴットハンド」とまで噂されていたことを考えると、容易に想像できるだろう。


しかし今ではその黄金の右腕は永遠に使われることはない。そう、ある事件をきっかけに僕はゴットハンドを封印したのだった。



小学校三年生の夏休み。大阪市にある富島神社の境内で僕たちはひよこ釣りに明け暮れていた。しかし夏休みも終わろうとしていたある日、いつものひよこではなく新種のひよこがそこには登場していた。


赤、緑、紫、そして黄色。



今まで見たことのないひよこに僕の右腕は興奮で震えた。しかしどうしても紫の食いつきが悪い。ムツゴロウを狙う三平のように、僕は紫をしとめにかかったのだ。そして格闘三十分。四色のひよこを手に入れ、家路に急いだ。


ときおりしもゴレンジャー全盛期である。ピンクがないとはいえ、これは子供心にも確かな手応えの収穫だった。迷惑そうな家族を後目に、ひとめカラフルな鶏が見たいために、僕は来る日も来る日もパンくずを投げ続けた。


庭で遊ぶひよこはいつしかタダのひよこに成り下がり、気がつけばタダの白い鶏になったいたのだった。


約一ヶ月。


普通のひよこに成り下がるまで約一週間。今ならさしずめ、クリーンオフができなくなったらすぐにダメになる粗悪品を、悪徳通販につかまされたような気分だろう。


確かにあの当時は、動物屋台が台頭し、ウナギや鯉、金魚にオタマジャクシ、ひよこと動物屋台戦国時代だったことが、ひよこ業者にこのような子供だましの、いや本当に子供だましの作戦を考えさせたのだと思う。残念だ。


しかし僕がひよこ釣りをやめたのはこれが直接の原因ではない。おじいちゃんがいった一言「紫の鶏ってどんな味がするんやろな」という、小学生にはわからない、明治人のジョークを真に受けたからだった。


今でも街を歩いていて、紫色の頭の婆さんを見る度に右腕がムズムズするのは、きっとあのころの感触を体が覚えているからなんだと思う。ちなみに紫の鶏なんて、あんまりうまそうじゃないな・・・。



そうそう婆さんといえば・・・

そうそうちくわといえば・・・

僕はネリモノ系が好きだ。よく高速のドライブインなんかで見かける、ちくわの実演販売?などをみると焼きたてが食べたいばかりに、待ってでも買う。このちくわ系好きは、今に始まった訳じゃなく、少なくともおぼろげな記憶をもつ3歳の頃には好きだったように思う。


父親の貴重な酒のあてになるはずのちくわを、僕は惜しげもなく(故)愛犬ペスに分け与え、また自らも堪能する日々を送っていた。特に穴に指を入れながらまわりのエキスを吸いつついただく作法が、二度美味しくいただけるので必ず実践していた。



ちくわに飽きたら、指に指したまま愛犬に分け与える「ロシアンルーレットちくわ」は、子供でも簡単にスリルを追求することができ、今なおお薦めでもある。



そんな<ポケットの中にビスケット>ならぬちくわをいつも忍ばせていた僕は、中学生になると、より美味しいちくわを隠し持ち、気分は<ハバナ産>のようなポーズでいただくようになった。いつしか近所でも評判のちくわ小僧はこうして出来上ったのである。



しかし喜びもつかの間。このちくわが二年後に大事件を起こすことになるのだ。



僕の通学路に一軒のペットショップがあった。水槽なども置いてある、ペットショップというより、なんでも屋って感じの中学生には極めて気さくなお店であった。



僕たちは学校の帰りにペットをのぞくのが日課になっていたのだが、毎日のぞいていると、売り物ではあるが情も移ってくる。昨日いた子猫が買われていなくなってたりすると、本当に<娘を嫁に出す親父のような気分>とでも言うのか、つらい。つらいが反面嬉しかったりもする。「幸せにな」などと心の中で手を合わせたりしたこともあった。




ところが、お店で愛嬌がなかったり、可愛くないとやはりお客はつかない。これは犬猫でも同じである。しかし売れないと言うことは、いつも顔が見られるということで、僕たちにとってはラッキーなことでもあった。




不思議なもので、毎日見てると不細工さも可愛く見えてくる。僕たちは大胆にも売り物の子犬に、虎太郎(こたろう)という名前を付けた。シェパードのくせに決定的なブチがあるために売れ残った虎太郎と、僕は友達になった証に、ポケットのちくわをそっと差し出したのだった。




来る日も来る日も、僕たちは虎太郎に話しかけ、陰でちくわを与え続けた。あまり成長させないような配慮だったのか、ペットショップの虎太郎はいつもおなかをすかせていたし、僕たちはそれが不憫でならなかった。




いつしか冷やかしに来ていたペットショップは、「俺たちがちくわを与えねば、飢えてしまう。」という想いに代わり、「俺たちの手で虎太郎を育てるんだ」という団結心を生み、「誰にも渡さない」というエゴは、いつしか興味を示す客がいると、後ろから「こたろー」などとなれなれしく呼び、ペットに名前を付けるという一番大切な儀式を客から取り上げ、購買意欲を失わせる作戦にでたり・・・。




幸か不幸か、虎太郎は買い手のつかぬまま、店先から消えた。





それから一週間、虎太郎を失った僕たちが、生きる屍となって通学路を歩いていると、一際大きな声で鳴く犬がいる。



「あの声は・・・」僕たちは声の方に向かって思いっきり走った。そしてそこに見た物は、店先に繋がれている虎太郎であった。



良かったね虎太郎。お店で飼ってもらえるようになって。
ちくわ喰って大きくなった甲斐があったね・・・。



そうそう大きくなるといえば・・・

そうそう写真といえば・・・


部屋をかたずけている時に、不意に忘れていた頃の写真を見つけることがある。アルバムを1ページからゆっくりめくるのではなく、急に現れた一枚の写真は、突然 YES,NOを問いただす彼女のように一瞬僕を混乱させる。


これは写真というものが楽しかった時間だけでなく、それは二度と戻らないという、残酷な事実を同時にあわせ持つからだと思う。


ところで昔からどうしても一枚板の、イギリス映画の書斎におくような机がどうしても欲しくて、先日奮発して念願の机を手に入れた。


手に入れたまでは良かったが、どうも今の僕の部屋には似合わない。そこで思い切って引っ越しをした・・・といいたいが、そこまですることもできず、とりあえず思い切った模様替えをすることにした。


18時に友達の留守電に助けを求めるメッセージを入れ、まるで引っ越しのような模様替えを始めたのだ。まずは、CD、本、ビデオなどの小物の整理から始めたのだが、ここで僕は大きな過ちを犯していた。


たかが写真一枚の思い出にさえ翻弄される僕が、思い入れのある小物から片づけはじめて、すんなり片づくはずはない。


その上僕はどうも不必要なものまでしまい込んでしまう癖があり、ますます作業ははかどらない。いつしか部屋の床は、情けないフリーマーケットのようになり、気がつけばその中で寝そべりながら谷川俊太郎の詩集を読み返していた。


そんな時、僕の右足の親指に、なにやらゴムボールのような、それでいてもう少し小さい、不思議な感触があった。


本を読みつつも、気になったので、上半身を起こし、まるで宝探しのように小物をはねのけ、イスの向こうにある、親指が見つけた宝物にそっと手を伸ばしたのだ。


ヌメッとしたその柔らかい小動物のような「何か」を拾い上げた僕は、一瞬自分の瞳を疑った。




なんとその宝物は





「ちくわ」だったのだ。



唖然としながらも、まじまじと観察した物体には、小学生のころ机の中から4日ぶりに救出されたパンと同じコーティングが施されていた。


パニックに陥りながらも冷静に状況を分析したところ、この物体は紛れもなく8日前に酒宴で行方不明になっていた「ひと口ちくわ」であった。


「どうしてこんなところに紛れ込んだのだろう・・」

と右手でちくわをつまみあげ、思案しているところへ、模様替えのパートナーである市川君(仮名)がまるで自分の家のように、ズカズカと上がり込んできたのだった。


「遅くなってごめんな」


という声と同時に、僕の右手に気づいた市川君は、ひときわ大きな声でこういったのだった。







「へえ~ 懐かしいなあ ちくわの磯部揚げか・・・」




そういえば、似てないこともない。





そうそうちくわといえば・・・

そうそうと給食いえば・・・


どのクラスにも必ず好き嫌いが激しく、ずっと給食を食べ続ける子がいませんでしか?みんなが遊びに行ってもひたすら残され、じっとおかずを見つめ続けるタイプの子が・・・。


特に牛乳がダメで、鼻をつまんで飲んだり、焦って飲むので逆流して吐いたり。で、不思議なことに、可愛い子はあんまり残って食べてたりしないんだよね。じーっとおかずをひとりで見つめ続けるのが似合う子がやはり残っていたように思う。


僕は放送委員だったので、当番の時は職員室でレコードを掛けながら、給食を食べていた。これは先生がおかずをくれたり、給食室のおばちゃんが果物をくれたりと、普段より良い食生活を送れるのです。


ここが問題なのだが、いつも当番の時には不覚にもトイレに行きたくなるのです。当然普段より食べる量は増えるので当たり前に考えられることですが、これが困ります。


不思議なことに小学校でトイレ大の方をするとどうしてあんなに攻められるのでしょう。今でもそうなのでしょうか?まるで凄く悪いことをしたようにみんなから攻められたりします。


下手をすると変なあだ名を付けられたりで、一生が台無しです。僕は良くも悪くも目立っていたのでなおさらトイレ大をするわけにはいきませんでした。でも、我慢も良くないのでこっそり職員便所を勝手に使っていました。ここなら友達が来ることもないし、職員室からも近いし言うことなしです。快食快便な日々を快調に、そして隠密に過ごしていました。



しかし習慣とは恐ろしいもので、当番の時ほど食べなくても、なんだかお昼になると催すような体になってきたのです。これは問題です。その日も来そうな気がしていたので、みんなが給食を食べ終わる前にトイレに行くことにしました。ただ四人一組で食べるので、みんなが食べ終わらないと、片づけることはできません。しかしそんな時間は当然ないし・・。


まるで時限爆弾を抱えているように汗が噴き出してきます。ものがものだけに諦めることもできないし。そこで小学生ながら根回しに長けていた僕は、僕たちの班のリーダー、岡村さん(仮名11歳)にそっと耳打ちしました。



「ちょっと気分が悪いので保健室に行って来る。」




そして4階から保健室近くの1階のトイレにダッシュしたのです。無事爆弾の処理も終えて、水を流そうとしているそのとき、聞き慣れた声が近づいてきました。



サバンナの水牛のようなその足音は、間違いなくこのトイレを目指していました。




「タケシ、大丈夫かあ」




どうやらリーダーシップを発揮した岡村さんが、僕が気分が悪いらしいとクラスの連中に伝えてくれたのです。





「マズイ」




このときは本当にそう思いまた。「早くブツを流さないとパクられてしまう」あのときほど水不足でなくて良かったと思ったことはありません。水の音を背に、扉から飛び出したのと同時に、心配してくれた友達が10人ほど、踏み込んできました。




なぜ保健室に行かないで、トイレに入っていたのかという疑惑を解かねばならなかったので、僕はなるべく調子が悪そうな顔をしてみんなにこういいました。




「ちょっと気分悪うて。でももう吐いたから大丈夫」
(証拠は確かに水の中に消えたし。これで良し。)






僕は友達に抱えられるように教室に戻りました。多少の後ろめたさがあるものの、みんなが心配してくれるのは嬉しいものです。先生も心配してくれました。好き嫌いもなく人一倍元気な僕が、調子悪いなんて言うのだから、申し訳ないくらい心配してくれました。




あまり心配してくれた先生が、5時間目の僕の大好きな体育の<ソフトボール>を見学しろとおっしゃったのは、満腹のゲップがでたわずか15分後のことでした。



嘘の良くないところは、それを正当化するためにまた嘘をつくことですね。こうして幼き頃、学習したはずなのに、いまひとつ成果が現れないのは、きっと引っ越したときに、小学校の思い出をいっしょに忘れてきたからだと思う。たまにはあのころの写真でもみて反省するか・・・。




そうそう写真といえば・・・

そうそう病気といえば・・・・


最近かぜが大流行している。僕のまわりでも年末から年明けにかけて見事に寝込んでしまった友人が何人もいる。そういう僕は、やはり流行りに目がないのできっちり去年に一度経験した。


僕はどちらかというと小さな時からよく風邪をひいていたので、どれくらい辛くなるかで、だいたいの熱がわかるようになり、特にのどちんこのあたりを鏡に映して見るとより詳しくわかるようになった。


子供の頃よくのどのまわりに茶色い薬を塗られて、はきそうになっていたが、大人になるにつれ、ああゆう治療をしてくれなくなり残念に思っていたところ、今では「のどぬーる」などという商品名で売られていることを知り、痛くもないのに塗りまくっていた記憶がある。



おかげで今ではどうやって突っ込めば、はきそうになるのかまでばっちりわかるようになり、やっと他人の気持ちが分かる大人になれたとよろこんでいる。



ところで病気というとなんだか内向的な、ジメッとした印象があるが、ケガというと逆に元気が余ってるというか、カラッとした印象を持ってしまう。



どちらも当人にとっては困った問題なのだが、実は子供の頃からひっそりと憧れていたものがある。ひとつは松葉杖。足のギブスを気にしながら学校の階段を昇っていく姿に健気さを感じていたから。


そしてもうひとつ、どうしても、手に入れることのできなかった憧れは「貧血」であった。



朝の学校朝礼で、退屈な校長先生の話が山場を迎えたときに、突然倒れるアレである。僕の前にいつも並んでいた「秋吉君(仮名)」は実に絶妙のタイミングで倒れるのだ。



それにルックスも実に貧血がよく似合うタイプなのだ。「貧血」は秋吉君が倒れ、僕が抱きかかえ、そして必ず登場する隣の列のお節介な「女子」が「先生大変です。秋吉君が倒れました!」と校長の話を無視して叫ぶ瞬間に、毎週起こる迷惑な貧血は、厳かなる儀式へと昇華し、いつも僕に至福の時を感じさせてくれていた。



ストップモーションのように崩れ落ちるセピア色した秋吉君の白目は、安物のテレビドラマのようにいつも、僕を正義感の塊にかえてくれ、その瞬間だけはっきりと「これが友情だ」と感じることができた。



ありがとう秋吉君。キミの貧血を僕は忘れない。それから給食を残さず食べろといってイジメていた僕を許しておくれ。



そうそう給食といえば・・・

そうそう兄ちゃんといえば・・・・



最近威勢のいい兄ちゃんが少ない。実に嘆かわしいことだ。そういう私も含まれているかもしれない。
 
ひとつは<威勢良くしていい場所>が身近にないということもある。しかし威勢=バイタリティー=生きる力=男性ホルモンなどと考えると、事態は深刻だ。頭に浮かぶのはその昔、<貧弱な坊や>のコピーに小学生ながらなぜか自尊心が傷ついた、あの<ブルーワーカー>の宣伝と、右手にスッポンを持ちながらニカッと笑う、<だるま堂?>のメガネおやじの顔が頭を駆けめぐる。これは考えるまでもなく非常に苦痛である。


だから街なかで不必要なくらい威勢のいい兄ちゃんを見ると、目を細めて見てしまう。


それはまるで、自慢の娘をデカデカと年賀状一面にプリントして(しかもお世辞にも可愛いとは言い難いタイプ)仕事関係の人にまで送りつける幸せな気分に似ているかもしれない。(親類、縁者だけにしませう。心臓に良くない。こんなに大きくなりましたなんて書いてあると・・・)


先日久しぶりにそんな幸せな気持ちにしてくれる、威勢のいい二人組の兄ちゃんを見た。


ここは大阪、天神橋近くにある某うどん屋。測り間違えたとしかいいようがないカウンターのイスの間隔は、<汁を飛ばさず食べましょう>という張り紙に、妙な説得力を与えている。



限りなく立ち食いに近いイスに腰をかけて、私はぼんやりとひとつイスの向こうに座る二人を見ていた。



キツネうどんにいなり寿司。カレーうどんとおにぎりをいかにも慣れたコンビネーションで口に運んでいる二人の隣に彼は現れた。


いかにも旅行者風、CWニコルさんをもっと貧相にしたような、年の頃なら35歳くらいの外人さんが、結構うまい日本語でキツネうどんを注文し、慣れた手つきで七味唐辛子をたっぷりと振りかけたとき、事件は起こった。



今までカレーうどんを食べてた兄ちゃんが、いきなりその外人さんに叫んだのだ。








「兄ちゃん、激辛やのう・・・」

するとすかさず、ツレの兄ちゃんも外人さんのキツネうどんをのぞき込みぼそっとひとこと









「ほんまや、激辛やで、ゲキカラ。」






驚いたのは、ガイジンさん。
そこそこ日本語も分かるようになってきて、自信もついてきたというのに、急に自分の食べ物をのぞき込まれ、その上怒っているんだろうかと思うくらい、威勢のいい早口の大阪弁で<激辛>などといわれたからたまりません。


初めてニホンに来てヤバイと感じたのでしょう。自信を失くした不安な目で私に尋ねたのです。






「ワタシ ナニカ マチガエ マシタカ・・・」

私はニューヨーク仕込みの、とびっきりの肩をすくめるポーズを決め、二人組に言ってやりました。





「兄ちゃんら、いきなり青い目の外人さんにそんなこというたらビビリはるやろ・・」






するとカレーうどんの兄ちゃんが、またもや外人さんの顔をのぞき込み、







「ほんまや、眼ぇ青いな・・。わしの眼ぇ見てみ。







わしの眼は黄色いやろ。・・な。」








おっさん、そら違う病気やろ。

そうそう病気といえば・・・

初詣

あけましておめでとうございます。

さてさて今日から始まりましたメビウスエッセー「七転び転びっぱなし」<仮題>の記念すべき第一回目のテーマはお正月にちなんで「初詣」です。


みなさんは初詣に行きますか?僕は実家が商売をしている関係からか、毎年京都の伏見稲荷大社に初詣に行きます。今年は雪が積もっていて結構いい感じでしたね。


しかしここはお参りする場所が山のてっぺんにあるので、小一時間ほど山を登らねばならず、まっとうな理由なしでいくにはちょっと辛い初詣です。


ですから携帯電話片手のちょっと強面のお兄さんや、それに付属する9cmハイヒールのエセガイジン=金髪系のヤンキーの分布状況は明治神宮や住吉大社などにくらべると極めて低いです。


今でこそ僕も気分は八甲田山の恒例、伏見稲荷参りをしていますが、さすがに京都で学生生活をしていた頃は、あの人混みと出店の猥雑さを感じに初詣に出かけたものです。



今日はまだ僕が徹底的に初詣をハシゴしていたときの話です・・・。



京都にはウンザリするくらいの神社仏閣がある。観光名所になっている有名どころから、観光客が信仰心もなく足を踏み入れるには勇気がいるところ。あとはなんとなく、流れの観光客を捕まえるつもりで開かれた、胡散臭い神社仏閣。


おかしなもので少々怪しくても、あのたいそうな衣装を身にまとい、しっとりと座っていればアルバイトでもそれなりに見えます。


ところがしゃべってみるととたんに底の浅さが露呈し、ありがたさが吹き飛んでしまうことがあります。こんなことがありました。

 カウントダウンとともに訪れた参拝客も一段落し、初日の出を拝むために訪れるには少し早い午前四時。ここは有名神社近くに神殿を構え、いかにも有名神社に関係がありそうな名前を付けているが実は全く関係がないという生臭神社。僕たちは御神酒が振る舞われるという話を聞きつけ、ふらふらとここに訪れたのでした。



混雑とはほど遠い境内をただ酒を求めて探し回りますが、なかなかありつけません。<ひょっとしたら時間が早すぎるのかも・・>そんな不安から、おみくじ売場この道20年みたいなおばさんに聞いてみることにしました。



僕ら



「スミマセン。御神酒をいただけると聞いたんですが、どこでいただけるんでしょう?」




おばはんA





「御神酒ってお酒やろ、そんなんもらえるんやろか」





おばはんB






「 いやあ、聞いたことないで・・・・」











「 そやな、うちとこがそんなん出すわけないな」













「そやそや、こんな寒い中働いてても、お茶の一杯、でたことないもんな」










「 ほんまや。御神酒出すぐらいやったら、お茶ほしいわ。なあ兄ちゃん。」






「なあ兄ちゃん」っていわれても・・・。




そうそう兄ちゃんといえば・・・


<「初詣」完 メビウスのように続く・・・・はず・・・・>