ヒーローショー
これまで井筒監督の映画を見たことがなかったのだけれど、それは自分の嗜好的に「俺らも昔はワルだったよなあ」とオッサンが(特にヤンキー絡みの)昔のバカさを肯定するような感性が大嫌い、という理由によるものでした。実際に井筒映画がその通りかは分からないが、どの映画も何となくそういうイメージがあって、結局井筒映画は「ヒーローショー」を見るまで監督の暑苦しいキャラクターと共に敬して遠ざけておりました。それが今回は、実際にあった事件をかなり直接的に取り込んで若者の無軌道な暴力を描くタイプと聞き及び、この映画では1970年代ではなく現代を描こうとしたのだと初めて興味が湧いてきた。勝手なイメージとしては、初期の北野武監督の暴力映画のような出来ではないかと。
で、観終わって思ったのは、「ヒーローショー」は北野映画とは似ても似つかず、むしろ是枝裕和監督の「誰も知らない」と同じ意味の映画だという事だ。件の事件を単なるチンピラの暴走、死刑も自業自得などと切り捨てずに、事件の主犯格の男に対して彼が積み重ねて来た人生の意味や将来の夢を監督なりに見いだそうとしている。映画独自の肉付けである主犯の男の様々な感情の描写は、井筒監督が若者から手を差し出されるのを握り返そうと待っているような熱い眼差しを感じて、やっぱり井筒監督は熱血漢なんだと思う。フィクションといえども現実の事件に基づいているという思いからか、「誰も知らない」同様に、起承転結の結にあたる部分がスッポリ抜けているのも必然的な事なのだろう。
自分はこの事件をこうして取り上げた井筒監督に対して割と好意的に映画を見たのだけれど、けれどもこの映画は自分の感覚ではスッキリしないことが多かった。先ずタイトルの「ヒーローショー」の意味が、主人公がヒーローショーのバイトをやっていたから、という以上のものが分からなかった。そして井筒監督が現代の若者を描いたこの映画のエンディングにピンク・レディーのS.O.Sを選んだ意図が、「昔の人が言うことみたいだとボンヤリ聞いてたらダメダメよ」というフレーズ以上の意味が歌にあるとは感じられなかった。タイトルもエンディングも、映画の内容に合っているようで合っていない。もしも井筒監督が「どうせ若者は年寄りの言う事なんか聞かないんだろ」と最初から諦めてこの映画を作ったとしたら、ちょっとそれは格好悪過ぎるんじゃないかと思う。
こんな人にオススメ:ジャルジャルのファンにはいろいろオイシいと思います。
で、観終わって思ったのは、「ヒーローショー」は北野映画とは似ても似つかず、むしろ是枝裕和監督の「誰も知らない」と同じ意味の映画だという事だ。件の事件を単なるチンピラの暴走、死刑も自業自得などと切り捨てずに、事件の主犯格の男に対して彼が積み重ねて来た人生の意味や将来の夢を監督なりに見いだそうとしている。映画独自の肉付けである主犯の男の様々な感情の描写は、井筒監督が若者から手を差し出されるのを握り返そうと待っているような熱い眼差しを感じて、やっぱり井筒監督は熱血漢なんだと思う。フィクションといえども現実の事件に基づいているという思いからか、「誰も知らない」同様に、起承転結の結にあたる部分がスッポリ抜けているのも必然的な事なのだろう。
自分はこの事件をこうして取り上げた井筒監督に対して割と好意的に映画を見たのだけれど、けれどもこの映画は自分の感覚ではスッキリしないことが多かった。先ずタイトルの「ヒーローショー」の意味が、主人公がヒーローショーのバイトをやっていたから、という以上のものが分からなかった。そして井筒監督が現代の若者を描いたこの映画のエンディングにピンク・レディーのS.O.Sを選んだ意図が、「昔の人が言うことみたいだとボンヤリ聞いてたらダメダメよ」というフレーズ以上の意味が歌にあるとは感じられなかった。タイトルもエンディングも、映画の内容に合っているようで合っていない。もしも井筒監督が「どうせ若者は年寄りの言う事なんか聞かないんだろ」と最初から諦めてこの映画を作ったとしたら、ちょっとそれは格好悪過ぎるんじゃないかと思う。
こんな人にオススメ:ジャルジャルのファンにはいろいろオイシいと思います。
パーマネント野ばら
毎日かあさんのアニメ化以降、西原理恵子のマンガが次々に映像化されます。最近の西原マンガの持ち上げられ方は、バブルが弾けた後に「清貧の思想」がベストセラーになったような売れ方だが、サイバラ自身はそこに頓着はしていないだろうからまあコレはコレでいいのだろう。きっと時代は寺内勘太郎一家みたいなものを求めているのよ。
映画化は慶事なれど、しかしツマラン出来にされたらこちとらガッカリである。「女の子ものがたり」は申し訳ないがガッカリでしたが、今回の「パーマネント野ばら」はこれまでの西原理恵子原作の映画で一番面白かった。マンガの登場人物やセリフを微妙にシャッフルして、あまり出番の無かった娘にもちゃんと意味を持たせて、映画用に枝葉を丁寧に刈り込んだような丁寧な映画でした。
以下、オチをバラしてます。
原作のラストは、主人公が付き合っていた男が実は幻だったというものでしたが、だからといって自分はヒロインを狂っているというよりは、思春期に架空の彼氏を造り上げて空想デートしまうような乙女ゴコロの延長程度にしか見えなかった。それが映画ではヒロインからちゃんと狂気が滲み出ていた。原作を読んだ客が多数だと考えると、映画の途中までは「この彼氏は映画では本当に存在するのかどうか?」と勘ぐる余地を残しておいて興味を惹くようになっている。最後に告白する菅野美穂のもう少しで壊れてしまいそうなギリギリの表情もとても良かった。ストーリー的には主人公よりも小池栄子のほうがオイシイ役なのだけれど、そして小池栄子もとても良かったのだけれど菅ちゃんがヒロインの座を守り通した感じ。関係ないけど私、Nudity買いました。
しかし「パーマネント野ばら」が面白かったのは、そういったストーリーに因るものよりも、画面に映る風景が良かったからだと感じた。美容室のかんばんの長年の風雨に晒されている感じ、田舎のラブホテルのプレハブのようなチャチな感じ、襖のシミが何年もかかって出来ている感じ、年季の入った洗濯機や吊るしっぱなしの風鈴、片付いているけれども雑然とした狭さを感じる部屋など、そこで何十年と生活している跡がちゃんと画面に映っている。池脇千鶴が持っていたスコップが新し過ぎる気がしたけれど、きっとこれは死んだ男のために新調したのでしょう。小さな港が舞台のこの映画で、港の景色の大きさも広すぎず狭すぎず、町の大きさが実感できそうなスケールで撮られている。
クライマックスの両側から波が寄せる砂浜のロケーションが素晴らしく、彼氏と他愛のないやりとりをするロマンチックな世界から急転直下、ヒロインの心を暴く精神病院の白い壁のような冷たさへと変貌する。菅野美穂が告白するアップの向こうで絶え間なく波が押し寄せ、彼女を容赦なく飲み込もうとしているように見えた。
こんな人にオススメ:サイバラ原作は外れが多いとお嘆きの貴兄に
映画化は慶事なれど、しかしツマラン出来にされたらこちとらガッカリである。「女の子ものがたり」は申し訳ないがガッカリでしたが、今回の「パーマネント野ばら」はこれまでの西原理恵子原作の映画で一番面白かった。マンガの登場人物やセリフを微妙にシャッフルして、あまり出番の無かった娘にもちゃんと意味を持たせて、映画用に枝葉を丁寧に刈り込んだような丁寧な映画でした。
以下、オチをバラしてます。
原作のラストは、主人公が付き合っていた男が実は幻だったというものでしたが、だからといって自分はヒロインを狂っているというよりは、思春期に架空の彼氏を造り上げて空想デートしまうような乙女ゴコロの延長程度にしか見えなかった。それが映画ではヒロインからちゃんと狂気が滲み出ていた。原作を読んだ客が多数だと考えると、映画の途中までは「この彼氏は映画では本当に存在するのかどうか?」と勘ぐる余地を残しておいて興味を惹くようになっている。最後に告白する菅野美穂のもう少しで壊れてしまいそうなギリギリの表情もとても良かった。ストーリー的には主人公よりも小池栄子のほうがオイシイ役なのだけれど、そして小池栄子もとても良かったのだけれど菅ちゃんがヒロインの座を守り通した感じ。関係ないけど私、Nudity買いました。
しかし「パーマネント野ばら」が面白かったのは、そういったストーリーに因るものよりも、画面に映る風景が良かったからだと感じた。美容室のかんばんの長年の風雨に晒されている感じ、田舎のラブホテルのプレハブのようなチャチな感じ、襖のシミが何年もかかって出来ている感じ、年季の入った洗濯機や吊るしっぱなしの風鈴、片付いているけれども雑然とした狭さを感じる部屋など、そこで何十年と生活している跡がちゃんと画面に映っている。池脇千鶴が持っていたスコップが新し過ぎる気がしたけれど、きっとこれは死んだ男のために新調したのでしょう。小さな港が舞台のこの映画で、港の景色の大きさも広すぎず狭すぎず、町の大きさが実感できそうなスケールで撮られている。
クライマックスの両側から波が寄せる砂浜のロケーションが素晴らしく、彼氏と他愛のないやりとりをするロマンチックな世界から急転直下、ヒロインの心を暴く精神病院の白い壁のような冷たさへと変貌する。菅野美穂が告白するアップの向こうで絶え間なく波が押し寄せ、彼女を容赦なく飲み込もうとしているように見えた。
こんな人にオススメ:サイバラ原作は外れが多いとお嘆きの貴兄に
戦闘少女
井口昇、西村喜廣、坂口拓の日本映画界における冷や飯食い三人衆が手を組んで、これまた物凄く楽しい映画を作ってくれました。井口昇監督は別格として、他の二人の映画(「東京残酷警察」と「サムライゾンビ」)は自分には微妙に合っていなかったので、観る前はどんなもんかとも思いましたが、蓋を開ければ平成のサンフィレッチェと呼びたいほどの見事なコラボっぷり。
各人の持ち味が目に見える形で映画の面白さに寄与しているのだが、自分としては1章を監督した坂口拓が一番良かった。井口昇もアクションの見せ方が上手い人なのだけれど、この映画の坂口パートで繰り広げられる、ヒロインが商店街の店主たちをバッタバッタと切り倒していくかなり長いショットがあって、この生身で繰り出すアクションの凄さにこだわった感じがスゴくいい。ヒロインの杉本有美の身体能力が高くて、腰のしっかり入った回し蹴りや殺陣の立ち回りをたっぷりと見せてくれます。
2章では、竹中直人や亜紗美といった井口映画の常連が登場し、女の子のお尻からチェーンソーは出てくるわ、女の子だけでなくオッサンの尻やら口やらにも触手がズルズル入っていくわの紛う方無き井口ワールド。
3章はそれまでを受けて映画がますます奇怪なことになっていく。ここに来てナースのコスプレしたタコ少女がメキメキと目立ち始め、オタク心を直撃。井口昇監督の大好きなドジっ子で、てっきりイザナギ様にヤられてしまう役かと思ったら、結局最強だったと、なんだか現実でもこのテの女の子が手練手管で一番いい男をさらっていくのに似ている。どうでもいいけどこのイザナギ様のフォルムは、どえらいモンにケンカ売ってるぞ。
「戦闘少女」は「片腕マシンガール」や「ロボゲイシャ」のような外国からみた珍妙な日本ネタではなく、デビルマンだったり萌え系のコスプレ美少女だったり鉄腕ア○ムだったりと、日本が長年築き上げて来たオタク文化を散りばめている。いまさらスシやテンプーラで喜ばれても日本人としてはやっぱり悲しいものがあるので、海の向こうのオタク共にも「戦闘少女が一番面白い!」と思ってくれればいいな、と願う所であります。
こんな人にオススメ:永井豪で育った世代ならば確実。
各人の持ち味が目に見える形で映画の面白さに寄与しているのだが、自分としては1章を監督した坂口拓が一番良かった。井口昇もアクションの見せ方が上手い人なのだけれど、この映画の坂口パートで繰り広げられる、ヒロインが商店街の店主たちをバッタバッタと切り倒していくかなり長いショットがあって、この生身で繰り出すアクションの凄さにこだわった感じがスゴくいい。ヒロインの杉本有美の身体能力が高くて、腰のしっかり入った回し蹴りや殺陣の立ち回りをたっぷりと見せてくれます。
2章では、竹中直人や亜紗美といった井口映画の常連が登場し、女の子のお尻からチェーンソーは出てくるわ、女の子だけでなくオッサンの尻やら口やらにも触手がズルズル入っていくわの紛う方無き井口ワールド。
3章はそれまでを受けて映画がますます奇怪なことになっていく。ここに来てナースのコスプレしたタコ少女がメキメキと目立ち始め、オタク心を直撃。井口昇監督の大好きなドジっ子で、てっきりイザナギ様にヤられてしまう役かと思ったら、結局最強だったと、なんだか現実でもこのテの女の子が手練手管で一番いい男をさらっていくのに似ている。どうでもいいけどこのイザナギ様のフォルムは、どえらいモンにケンカ売ってるぞ。
「戦闘少女」は「片腕マシンガール」や「ロボゲイシャ」のような外国からみた珍妙な日本ネタではなく、デビルマンだったり萌え系のコスプレ美少女だったり鉄腕ア○ムだったりと、日本が長年築き上げて来たオタク文化を散りばめている。いまさらスシやテンプーラで喜ばれても日本人としてはやっぱり悲しいものがあるので、海の向こうのオタク共にも「戦闘少女が一番面白い!」と思ってくれればいいな、と願う所であります。
こんな人にオススメ:永井豪で育った世代ならば確実。
シェルター
ハリウッドで演技の上手い女優は?と聞かれると何人も挙げられますが、さらに演技の上手さが鼻につかない女優は?という条件になると、自分はジュリアン・ムーアしか思いつきません。この人の、出演する映画の世界観に合わせて演技のアプローチを変えているような才能は、その映画に対しても「ジュリアン・ムーアが出ているから外れないだろう」という信頼保証の役割も担ってい・・・ました(過去形)。
誰もが演技の上手さを認め、本人も自身のキャリアにプラスになるようなチョイスをしていそうなジュリアン・ムーアだけれども、たまに何故この映画に出る気になったか問いただしたいセレクトもしていて、最近では彼女が主演した「フォーガットン」のトンデモぶりが記憶に新しい。もともと割とアッサリと脱ぐ人だし(最近はさすがにないけど、と書こうとしたら「ブラインドネス」でも脱いでたな、そいえば)、そういうオトボケぶりもこの人の味なのだろう。
ということで今回の「シェルター」も、きっとミラ・ジョボビッチあたりが適役のトンデモ映画だろうと当たりをつけて観たのだけれど、この映画はトンデモ映画の誹りは受けるだろうが、それでも映画としてはあくまで観客に真面目に観られることを踏まえた作りになっていました。
オープニングの、被害者の少女の写真や部屋の様子の描写から目に涙をためて熱弁をふるうジュリアン・ムーアの一連のショットがミステリアスで良かったし、彼女がジョナサン・リース・マイヤーズと対面する場面の、マジックミラーを使って、実物のジョナサン→ジュリアン・ムーアのアップ→鏡に映るジョナサンというショットもカッコ良かったのだが、その後はほとんど人物の切り返しに終始するという凡庸さに落ち着いてしまったのが残念であります。
それなりに面白かったのですが、間違っても「オーメン」とも「羊たちの沈黙」とも比べてはいけない。「シェルター」の面白さは自分が子供のころ、子供会か何かでどこかの寺に行った時に「悪い事をすると死んで地獄に落ちる」と地獄絵図を見せられたイベントと同じで、アメリカの子供に信仰心を持たせるために、非常にわかりやすく適度に怖い話を作りました、という類いのものではないかと思う。これはアレだな、キリスト教原理主義のためのファミリー映画として当てようという魂胆だな、きっと。
こんな人にオススメ:ジュリアン・ムーアの口元のシワが肌のシミが・・・なんて所は観ちゃダメ。
誰もが演技の上手さを認め、本人も自身のキャリアにプラスになるようなチョイスをしていそうなジュリアン・ムーアだけれども、たまに何故この映画に出る気になったか問いただしたいセレクトもしていて、最近では彼女が主演した「フォーガットン」のトンデモぶりが記憶に新しい。もともと割とアッサリと脱ぐ人だし(最近はさすがにないけど、と書こうとしたら「ブラインドネス」でも脱いでたな、そいえば)、そういうオトボケぶりもこの人の味なのだろう。
ということで今回の「シェルター」も、きっとミラ・ジョボビッチあたりが適役のトンデモ映画だろうと当たりをつけて観たのだけれど、この映画はトンデモ映画の誹りは受けるだろうが、それでも映画としてはあくまで観客に真面目に観られることを踏まえた作りになっていました。
オープニングの、被害者の少女の写真や部屋の様子の描写から目に涙をためて熱弁をふるうジュリアン・ムーアの一連のショットがミステリアスで良かったし、彼女がジョナサン・リース・マイヤーズと対面する場面の、マジックミラーを使って、実物のジョナサン→ジュリアン・ムーアのアップ→鏡に映るジョナサンというショットもカッコ良かったのだが、その後はほとんど人物の切り返しに終始するという凡庸さに落ち着いてしまったのが残念であります。
それなりに面白かったのですが、間違っても「オーメン」とも「羊たちの沈黙」とも比べてはいけない。「シェルター」の面白さは自分が子供のころ、子供会か何かでどこかの寺に行った時に「悪い事をすると死んで地獄に落ちる」と地獄絵図を見せられたイベントと同じで、アメリカの子供に信仰心を持たせるために、非常にわかりやすく適度に怖い話を作りました、という類いのものではないかと思う。これはアレだな、キリスト教原理主義のためのファミリー映画として当てようという魂胆だな、きっと。
こんな人にオススメ:ジュリアン・ムーアの口元のシワが肌のシミが・・・なんて所は観ちゃダメ。


